22 あの花の見頃が終わるまでは
「――どうするんだよっ!」
夜半、例によって蝋燭の前。
魔法をかけた蝋燭の灯が、私とアルヴェインを繋いでいる。
この魔法で会話するのも久しぶりな気がするが、「久しぶりー」と和やかに話せる心境では全くない。
「本当にもうどうするんだよっ! だから会うのはやめとこうって言ったのに!」
噛みつくように怒鳴る私の勢いに、蝋燭の灯が揺れる揺れる。
――国王陛下は、言うまでもないが、全ての貴族の領土を安堵する方だ。
領土即ち爵位。
爵位継承が絡みかねない貴族の婚姻について、話が拗れれば陛下御自ら裁定されることももちろんあると知ってはいたが、まさか自分がそうなるとは!
ていうかまずい、万が一にも国王陛下が、「じゃあ、ドーンベル伯は涙を呑んで、娘と持参金をイヴンアロー侯にくれてやってね」なんて判断をしてしまったら。
陛下のご判断を覆すことなんて誰にも出来ない。
そんなことを言われようものならその瞬間、私とアルヴェインの婚約は確定してしまう。
困る困る困る。
アルヴェインと違って私は初婚。
人生最初の結婚が、こんな風に消費されるなんてあんまりだ!
泣かんばかりの私に対して、蝋燭の向こうにいるアルヴェインの反応は淡白だ。
『まあ、うん、そうだな』
「そうだなじゃなくて!」
『まあ、なんとかなるだろ』
「なんとかなるだろ、じゃなくて、なんとかしなきゃいけないの!」
『まあなあ……』
アルヴェインの声は、なんだか煮え切らない。
『むしろ、侯爵や伯爵の称号まで持っている方々の子女の婚約が、求婚だけで終わって何週間も放置されていたっていうことが、とんでもないことではあったしな』
「立ち消えを狙っていたから!」
寝台の上、枕を抱き締め叫ぶ私。
なのにアルヴェインは、「うぅん……」みたいな声を出している。
『俺は、そもそもの最初に、「フィオレアナ嬢と恋に落ちました」と言ってしまっているからな……』
「気の迷いでしたって言えよ!」
絶叫寸前。
信じられない、もっと必死になれよ!
「私に唆されたとでもなんとでも言っていいから! おまえがしっかりしなきゃいけないんだぞ!」
そう、国王陛下による恐怖の裁定現場に、私は立ち入れない。
女だから。
まったくなんてことだ、女の頸の上には帽子を被るためだけの丸いオブジェがついているとでも思っているのか?
これはれっきとした頭脳だぞ。
男女差別反対。
――とはいえ、残念ながら今のこの国では、女子というものは家長の所有物。
そのくせ王女ともなれば国王陛下に無邪気な進言が出来てしまうのだから許し難い。
閑話休題、つまりこういうこと。
恐怖の裁定現場には、国王陛下、お父さま、そしてイヴンアロー侯爵とアルヴェインが入るのだ。
ここで仕掛け人になれるのは、意思を持ってこの話を破談に出来るのは、アルヴェインしかいないのだ!
『俺が、ねぇ……』
なのに、アルヴェインにやる気が感じられない。
それどころか、投げ遣りにこう言ってきた。
『もういっそ結婚する方が楽じゃないか?』
私は目を見開く。
蝋燭の灯を凝視する。
目の前にアルヴェインがいれば、思いっ切りあいつの蟀谷を殴っているこの状況。
「易い道を選ぶなよ!」
説教してしまった。
「わかるか、ここでついつい楽な方に流されたら、私と結婚する羽目になるんだぞ?
結婚って、わかるか? 教会で永遠の愛を誓うあれだぞ?
同じ家に帰ることになるんだぞ? 社交界では常にセットだぞ?
奥さまが、って言われて振り返ったらそこに私がいることになるんだぞ?
それが今生で死ぬまで続くんだぞ? ――うえ」
語っていると気分が悪くなってきた。
愛のない結婚、無理すぎる。
何より私にとっては初めてなのに、アルヴェインにとっては四回目だか五回目だかっていうのが気持ち悪い。
せめて最初の一回くらいは愛し愛され結婚したい。
アルヴェインに許されたこの贅沢、私にだって許されていいはずだ。
『おい、今えづいたか?』
アルヴェインが耳聡く気づいて不愉快そうに突っ込んできた。
『……そんなに俺のことが嫌いか』
「おまえだって想像してみろよ!
結婚生活については私よりよっぽど知ってるだろ!」
所詮私は初婚どころか初恋もまだの女ですから。
結婚生活など神秘のベールの奥に仄見える程度でしか想像できない。
だがアルヴェインは違う。
しっかりばっちり結婚を、しかも複数回、経験済みだ。
想像したのか、アルヴェインがしばらく黙った。
ややあってげほげほ咽る声がした。
私はしたりと頷く。
だろうだろう、嫌だろう。
「な? な? アルヴェイン、正気に戻って努力してくれ。
まずはおまえのお父上に、『恋をしたというのは気の迷いでした』って言って、それから陛下に、『情熱の炎は海に捨てます』って言うんだ。出来るだろ? な?」
アルヴェインは咽たことなどなんのその、しれっとした語調を取り戻している。
『あー、「両家の垣根を越えるだけの情熱を二人が燃やしているのであれば、その炎を暖炉に入れるかあるいは海に沈めるか、きちんと話し合うべきだ」っていう、あの陛下のお言葉は父上の創作じゃなかったのか』
「違う。正確な引用のようだ」
『なるほどな、父上にしては科白に気が利いていると思っていたんだよ』
「どうでもいい。いいか、海だ。海に直行だ。そう言え。なんなら謁見の間に入るなり『海!』って叫んでもいい」
『そんなことをしたら、俺が不敬罪で捕まるぞ』
「捕まってくれればこの話もなかったことに……」
『世の中には獄中婚というものがあってな』
「いやあっ!」
私が枕に突っ伏すと、蝋燭の灯の向こうでアルヴェインが含み笑う気配があった。
『冗談だよ。捕まるような真似はしない』
何なんだよこいつ!
私が海に行きたい。
海に向かって叫びたい……。
打ちひしがれて俯いて、いつもの現実逃避の癖を発動させる私。
だが海は遠い。
くすんと鼻を啜って顔を上げる。
「ちゃんとしてくれよ……」
弱々しくなった私の声に、アルヴェインは一呼吸の間息を呑んだようだった。
蝋燭の灯がふわっと揺れ、私の寝室に影が踊る。
アルヴェインの、遠慮がちな声が聞こえた。
『……すまん、からかい過ぎたな。
おまえにハンカチを貸すには遠い場所にいる。許してくれ』
私はもう一度鼻を啜る。
「泣いてないもん……」
『すまん』
「もういいからちゃんとして……」
念のために指先で目尻を拭って、私は枕を抱き締めて決然と申し渡す。
「ちゃんとしろ。私はその場にいられないんだから」
意外にも、アルヴェインは黙り込んだ。
まさか寝たのか? と私が疑い始める頃になってようやく、奥歯にものが挟まったような言い振りで尋ねてくる。
『……本当に、破談にしたいんだな?』
「当たり前だろ」
そもそも、この案を閃いたのが再会のパニックで血迷ったときだから。
『なぜだ?』
直球で訊かれた。
私は目を丸くする。
なぜ。
なぜと言われましても……。
「当然じゃない?」
『なぜ当然なんだ』
なんなんだこいつ。
「そりゃあ、だって……」
瞬きする。
――ああ駄目、駄目、瞼の裏に白い薔薇が閃く。
それが見えないように目を見開く。
薔薇はここでは香らないのよ、香るとすればそれは錯覚。
――そう自分に言い聞かせながら、私はきっぱりと言った。
「アルヴェイン、本当に申し訳ない」
『えっ?』
向こうから、滅多に聞けない裏返った声が聞こえてきた。
『えっ? おま……っ、いつから……』
「本当に申し訳ない。何度も伝えたと思うが、おまえを呪ってしまったこと、後悔している。解呪の方法は必ず見つける。何回も何回も人生を過ごさせて、本当に悪いと思っている」
誠心誠意の謝罪だったというのに、蝋燭の向こうでアルヴェインがぱっかりと口を開けている気配。
ややあって、拍子抜けしたような声が聞こえる。
『……そっちかよ……』
こっちしかないでしょうよ。
「アルヴェイン、私は加害者なんだ。いつもぽんぽんものを言って口答えして申し訳ない。でもその立場は忘れない。だから結婚なんてとんでもない」
『…………』
しばしの沈黙。
それから、アルヴェインが試すように言った。
『……その論理だと、被害者である俺の方にこそ選ぶ権利があるのでは?』
「もちろんだ」
目を丸くして肯定する。
「だからだよ。――アルヴェイン、あのな、再会したときは私もパニックだったけど、よくよく考えるまでもなく、私はもうおまえを呪ったりしない。家どうしが敵対していようとなんだろうと、絶対におまえの味方であり続ける。
――そう思えば、そもそもの発端からおかしかったんだ」
力を籠めて断言する。
「もうこれ以上、おまえは犠牲にならなくていいんだ。好きでもない女を娶るだなんて、そんなことはしなくていい」
こう言えば、アルヴェインは頑張ってくれるだろう。
確信して待つ。三秒、七秒。
十二秒経ってから、アルヴェインが口を開いた。
『――わかった』
わかってくれた!
いや当然か。
そもそもこいつがとち狂っていたのがおかしい話。
ほっとして微笑む。
そんな私に、アルヴェインは淡々と。
『わかった。それを前提に、国王陛下の裁定には臨む』
良かったー、助かったー、まだちょっと心配だけど。
最近のアルヴェインは、らしくなく怠惰というか面倒くさがりというか、意志薄弱だな。
「うんっ。口裏合わせとか要るよな? どうしようか、たとえば――」
『フィオレアナ、いい』
アルヴェインがやけに素気なく言う。
『いい、俺が考える』
私は目をぱちくり。
なんだかアルヴェインが怖い。
「……そう?」
『ああ。――もう遅い。そろそろ切り上げよう』
「えっ? あっ、うん。遅くまでごめん――」
『いいから』
本当に素気ない。
急にどうしたんだ、珍しいくらいだ。
――でも、まあ、そうか。
結局、国王陛下を前に頑張るのを自分に押しつけられれば、そりゃ面白くもなくなるか。
そう思って、私は無意味にあたふたと手を動かす。
さながら間抜けな影絵芝居。
「あの、本当にごめん……」
『いい』
「合わせる口裏は予め教えてもらった方が――」
『そうだな。もう寝る』
アルヴェインの口調が少しばかり冷ややかで、私は心臓の辺りが冷えるような気持ちになった。
が、ここで引き留めても逆効果だろう。
ご機嫌伺いはまた今度にした方がよさそう。
そう思い、蝋燭を吹き消そうと燭台に顔を寄せる。
そのとき灯が大きく揺れた。
うねるように揺らめくその炎から、小さな――それでも輪郭の明瞭な、アルヴェインの声が聞こえてきた。
『――マリーゴールドの見頃は、まだ終わっていないぞ』
私は目を見開く。
蝋燭の灯が翻る。
そして次の瞬間には、その灯は魔法の気配のない、ただの明かりに戻っていた。




