17 お手紙攻勢
我がドーンベル家とイヴンアロー家は、犬猿の仲だが王都のタウン・ハウスは結構ご近所だ。
つまり、近距離郵便馬車が走れば、郵便の配達はそう難しくない。
つまり。
個展で会った、まさにその翌日の木曜日。「お嬢さま、これを」
更に金曜日。「お嬢さま、旦那さまに見られる前に」
土曜日。「お嬢さま、先方もお嬢さまに夢中と見えます」
月曜日。「お嬢さま――」
――だあああ!
すごい来る。
アルヴェインからのお手紙が、想像を絶してすごい来る。
なんなら一日一回。
暇か? 暇なのか?
そのくせ、内容は何かへのお誘いだったりそうじゃなかったり。
木曜日の手紙は、「日曜日にトマーズ河でボート競技があるから観に行かないか」というものだった。
翌金曜日に手紙がきたので「やっぱりなかったことに」ってことかなと思って期待しながら見たら、それは次の木曜日の予定を空けておいてくれと頼むものだった。
土曜日に来たのは翌日の予定の念押しの手紙だった。
もういいよ!
土曜日の夜、蝋燭の灯を通す例の魔法で、「念押しまでは要らないから!」と物申したところ、「苦情は明日直接聞くよ」と言われた。
日曜日、「絶対に何か言ってやる」という決意のもと、従僕を連れて(さすがにボート競技の観戦となれば、こっそりついて来る護衛だけでは家令の許可が下りなかった)トマーズ河を訪れれば、レースは活況。
これは貴族が熱狂しがちなものの一つだから、当然貴族も多く観戦している。
見られなくないなぁと躊躇っていると、心得た様子のアルヴェインにあんまり人がいない場所まで連れて行かれ、なんだかんだでずっと話していた。
私はアルヴェインに物申すこともついつい忘れ、何ならレースを観に来たことも忘れ果て、延々と彼に喋っていた。
天気の話で一時間保たせることも造作ないくらい、私は多弁な女なのである。
聞き手が聞き上手な昔馴染み、場が騒がしくて盗み聞きの恐れもない場所となれば、堰を切ったように話してしまうのは仕方のないことだった。
話題がちょっと――いや、かなり――私の趣味に寄り過ぎた気がしないでもないが、アルヴェインは機嫌よく聞いてくれていた。
さすがに何度か正気に戻り、「ごめん、喋り過ぎ?」みたいなことは訊いたが、アルヴェインが鷹揚な笑顔で、「俺も楽しいよ」と応じてくれたから調子に乗った。
正直めちゃくちゃ楽しかった。
帰りの馬車の中で、従僕からしたり顔で、「お嬢さま、良かったですね」と言われて、やっと私は我に返った。
私の馬鹿!
屋敷内での使用人の皆さんの私に対する、「イヴンアローのご子息に恋するお嬢さま」の噂を上塗りしてどうする!
翌月曜日のお手紙は、昨日のお礼と木曜日の予定を決めるものだった。
野外演奏会があるのでご一緒したいとの内容で、しかもわざわざ、「水曜日にお手紙が届かなかった場合は、貴女の傷心に配慮してとりやめにする」とまで書かれている。
隠語を使ってにやつくあいつの顔が見えるようだ。
あのさあ!
ちなみに手紙だが、こちらからは一度たりとも出していない。
だって怖いじゃん……。
こっちはいいよ、バートが完全に郵便物を掌握しているから、お父さまの目に触れる前に私に渡されるから。
でも向こうがそうとは限らないじゃん?
私からのお手紙が、アルヴェインの父上の目に触れかねないじゃん?
そのせいで両家大戦争とかになったらもうやってられないよ。
史上最大の「私のために争わないで!」になっちゃうよ。
ついでに言うと、私がアルヴェインに会っていることさえ、お父さまやお母さまは知らない。
使用人さんが味方だと、如何様にも誤魔化しは利くものだな。
願わくばアルヴェインも、同じく上手く誤魔化してくれていますよう。
家の対立が激化して、またあいつと敵対することになるなんて本当にごめんだよ。
お誘いの手紙を持ったまま、私は溜息。
なんだろう、家どうしの対立を激化させることなく、無事に婚約話は白紙に戻せるんだろうか。
海だ。
海に向かって叫びたい……。
いつもの現実逃避の癖が出る。
だがしかし、ここから海までは直線距離で四マイル。
伯爵令嬢には遠い距離。
だが今生の私には、海に向かって叫べなくとも気持ちを逸らすに足る恵みがある。
――毎週水曜日発行、『ウィークリー・プレジャー』紙掲載、小説『ロルフレッドとティアーナ』だ!
四月も終わるその水曜日、前夜から私は震えていた。
どうか、どうかお願い、ジョナサンさん、立ち直っていて……!
そして水曜日の夜明け頃、ぱっかりと目を覚ました私が浮かない気分で窓辺に立ち、明けゆく空を見つめていると、部屋にハンナが駆け込んできた。
新聞を手に掲げ、彼女は泣いていた。
その泣き笑いの表情を見て、私は全てを察した――
『ロルフレッドとティアーナ』は復活した。
執事の溜息は減った。
庭番は剪定を失敗しなくなった。
再び、当家には隅々まで侍女たちの清掃の手が入るようになった。
従僕はきりりとした顔で職務を遂行するようになった。
毎日のごはんはより美味しくなった。
厩番から明るい声を聞かされて、馬たちまでもが元気になった。
全ては『ロルフレッドとティアーナ』のお蔭である。
私は読んだ。
震えながら読んだ。
なんなら今日こそは復活するだろうと期待して、いつものカトリーヌたちと、お茶会の約束すらしている。
みんな今日のこの一部を、目に焼きつけてから来るはずだ。
素晴らしかった……。
作中ではロルフレッドとティアーナがついに再会!
ティアーナのピンチを救うロルフレッドの凛々しさよ!
こりゃあ、書くのにときめきも必要になろうというもの!
文字越しに伝わるときめきの余波で、私までしっかりきゅんきゅんした。
そして何より――
「――皆さま、お読みになりましたか」
モンドエラ男爵邸の中庭、日除けの傘が差し掛けられた、ティータイム用の瀟洒なテーブルセットで、ディリーア子爵令嬢のテレサが震える手でテーブルの上の新聞を押さえた。
私たちは頷いた。
モンドエラ男爵令嬢のカトリーヌは、恥ずかしさゆえか歓喜ゆえか、完全に両手で顔をしっかり覆ってしまっている。
「これは――」
と、クレイシア伯爵令嬢のエヴェリン。
彼女もテレサ同様、テーブルの上の新聞を押さえたので、何か決起的なもので誓い合っているような絵面になった。
エヴェリンとテレサが私を見た。
私も思わず、誓いに加わるように新聞の上に手を置いた。
そして、厳かに言った。
「――私たちのことでしょう」
「正確にいえば、フィオリー、あなたのことかと」
「いえ、カトリーヌが身体を張りました」
貴族令嬢が身体を張るなんて、たぶん一生発生してはいけない類の事件だが。
だがともかくもそうなのだ。
今日、復活した『ロルフレッドとティアーナ』は、本文だけでは終わっていなかった。
欄外に小さく、こうあったのだ。
――〝休載まことに申し訳ありませんでした。再び私が筆を執るために尽力くださった、かけがえのない友人の皆さまに感謝いたします。〟
これ。これ!
私たちのことじゃない!?
と、夜明けと共に私のテンションが頂点に達したことは言うまでもない。
だってジョナサンさん、友達いなさそうだったもん。
彼のスランプ打開のために、利己心十割で協力したのは私たちだもん。
憧れの作品に憧れの作家さまから一筆、秘密のお手紙じみた一文を頂戴してしまって、もう今日の私たちは羽が生えそう。
ロルフレッドとティアーナが再会しただけでもうなぎ登りだったテンションが、この一文により天元突破。
しかも、「友人の皆さま」って!
「友人」って!
しかも「かけがえのない友人」って!
本当ですかジョナサンさん。
信じます、社交辞令じゃないと信じますよ!
もうこの際、こっそりジョナサンさんに宛てて、お礼のお手紙を書いてしまってもいいでしょうか。
お茶会と称して集まったはずなのに、紅茶にもお菓子にも手をつけず、私たちは語りに語った。
文章の間から仄見える、ロルフレッドとティアーナの情緒について分析しまくった。
誰かの分析を聞く度に心臓を高鳴らせた。
どきどきし過ぎて、なんなら体調を崩しそうだった。
お茶会がお開きになったのは、モンドエラ男爵家の執事が、目が笑っていない笑顔で現れて、「ご令嬢がた、そろそろ……」と、悠揚迫らぬ態度で我々に退去を求めてやっとのことだった。
ちっ。
こんなことなら我がドーンベル家でお茶会を開催するべきだった。
うちの執事のバートなら、それとなく気を遣って時間も融通してくれるに違いないのに。
どうやらモンドエラ家の執事は、『ロルフレッドとティアーナ』の魅力に気づいていないらしい。
困ったものだと言わんばかりの目を向けられて、彼のお嬢さまたるカトリーヌは真っ赤になっていた。
お茶会はお開きになったものの、私の胸の高鳴りは一向に収まらず。
沈む夕陽が雲を赤く染め上げる夕焼けを見つめながら、今日も今日とて私のお付きを務めてくれているアーチーと、ロルフレッドの活躍やティアーナの健気さについて、馬車の中でも熱く語った。
なんならその熱は自室に下がって着替えてもまだ収まらず、私は勢いに任せて筆を執り、ジョナサンさんに宛て、熱いお礼と今後のご発展を祈りまくるお手紙を執筆していた。
スランプ騒動のときに教えてもらっていた彼のお住まいを宛先に書き、封蝋で華麗に封印を施し、ぶち上がるテンションのままに部屋を出てバートを捜し、「これ、明日出しておいてね」と頼み込む。
バートはにっこり笑顔で封筒を受け取ってくれたが、宛先を見ると妙な顔をしていた。
なんでだよ、この私が今日お手紙をしたためるとすれば、それはもう彼へのお礼しか有り得ないだろうが。
そう思いつつ「今夜はいい夢が見れそうだ」と満足して眠りに就いた私は、しかし夜半にぽっかりと目を開けた。
頭の中は冷静に凪いでいた。
目を開けた私は、その冷静になった頭で今日一日のことを振り返り、そしてちょっとした悲鳴を上げた。
よくよく考えるまでもなく、一ファン(しかも貴族令嬢)から自宅に書簡が届くなど、作者さまにとっては恐怖でしかないだろう。
何をやっているんだ、私!




