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14 マリーゴールドに誓う

 俺の大爆笑をさすがに聞き咎め、開けておいた三インチの隙間を遠慮がちに広げたセドリックが、「若様……?」と呼び掛けてきたことで、俺とフィオレアナの密談は終わりを迎えた。


 フィオレアナの従僕は気が気ではない様子だったが、完全に開いた扉の向こうに、(やや茫然としているとはいえ)無事なフィオレアナの姿を見て、「良かった……!」と胸を撫で下ろしていた。

 中の様子が全くわからず、気を揉んでいたのだろう。


 はらはらさせてすまん、と思いつつも、「こいつも例の小説のファンか?」と思うと、状況のシュールさがいっそう身に染みてくる。



 いやしかし、良かった良かった。

 思わぬところで思わぬ収穫。


 フィオレアナに意中の人でもいるのかと思ってむかついていたが、まさかご令嬢がたの言葉遊びだったとは。

 なるほどなるほど、そういうことか。

 わかってしまったら腑に落ちた。


 暗雲が晴れて、俺の気分もすっきり爽快だ。



 馬車を降り、フィオレアナの従僕に笑顔を向けつつ、同じく馬車を降りようとするフィオレアナに礼儀正しく手を貸す。

 俺の掌におずおずと手を預け、軽い動作で馬車から降りるフィオレアナの手を取ったまま、俺は機嫌よく言っていた。


「きみ、気を揉ませて悪かったな」


 俺から直接話し掛けられ、フィオレアナの従僕が微妙に青くなる。

 そりゃあ、犬猿の仲のイヴンアローの子息から話し掛けられたと知れれば、彼の主人であるドーンベル伯はいい顔をしないだろうな。


 配下を救おうとしたのか、フィオレアナが控えめに咳払い。


「アーチー、辻馬車を捉まえておいてくれる」


 アーチーと呼ばれた従僕が、「頼みます」みたいな目でセドリックを見てから、「承知しました」とはきはき答えて往来に向かう。

 セドリックとしても、主人(つまり、俺)の醜聞は避けるべきだから、俺がフィオレアナに何かしないか、フィオレアナが俺に何かしないか(さっきの狂気の沙汰を見てしまっている以上、セドリックの警戒心も爆発していることだろう)、目を光らせなくてはならない立場は同じなのである。


 そしてまた、なんでいちいち辻馬車を捉まえるか――というのも理の当然で、このままイヴンアロー侯爵家の馬車が、堂々とドーンベル伯爵家に向かえるはずがないのである。

 このあいだ――ちょうど、俺が画廊で隠語満載の会話を盗み聞いたとき――も、フィオレアナを送っていくとはいっても、一ブロックほど離れた場所で彼女を下ろしたことは記憶に新しい。


 そのとき俺は、くいくいっとフィオレアナが手を動かしているのに気づいた。

 見下ろすと、俺の手の中で、妙な動きで指をくねらせている。


「――――?」


 何してんだおまえ? という目で見ていると、フィオレアナがごくごく小さい囁き声で。


「……お手を、離してくださいます……?」


「あっ、失礼」


 これは素が出た。

 無意識で、フィオレアナの手を握ったままだった。

 ぱっと手を離し、軽く両手を挙げて謝罪。


「失礼した、フィオレアナ嬢」


「いえ」


 フィオレアナは取り澄ました微笑。

 ついさっきまで周章狼狽し、奇声を上げそうになりながら身悶えしていた奴とは思えない。

 こいつの外面は完璧だ。

 取り乱した姿を知っているのは俺くらいなものだろう。


 フィオレアナの従僕はまだ戻って来ていないが、どのみち往来まで出なければならないのは同じだ。

 先んじてフィオレアナを促して歩き出す。


 セドリックが、「この令嬢大丈夫か?」と言わんばかりの緊張の面持ちで、心なしか俺の背後を守るようにして歩いている。



 公開庭園と往来を隔てる柵には、薔薇の蔓が絡んでいる。

 蕾は膨らみつつあるが、薔薇の開花はまだ少し先だ。


 柵の足許には、オレンジ色の可愛らしい花が顔を覗かせていた。



 俺が乗りつけた馬車が停まっているのは遊歩道に少し入ったところ、フィオレアナの従僕が駆け出して行ったのは遊歩道を出て柵沿いに少し進んだところだ。


 柵沿いに進みつつ、フィオレアナは明るい語調で天気の話を続けている。

 傍目には社交上手な令嬢の当たり障りのない雑談に聞こえるだろうが、俺にはわかる。


 こいつ、背後からのセドリックの疑惑の視線を敏感に察して、居た堪れなくなっているのだ。

 めいっぱい無害な話をして、「私は危ない女じゃないですよー」とアピールしているというわけ。

 相変わらず、変なところで小心者というかなんというか。


 セドリックが、「ドーンベルの令嬢、あれはやばい女です」などと父上に告げ口してはまずいので、俺も調子を合わせて雑談に応じる。

 とはいえ俺はフィオレアナとは違って、天気の話で間を持たせることが出来るほど饒舌ではない。


 そこでさっさと、間近に見える植物の話に話題を移した。


「ここにも薔薇があるな。時期がくれば見事に咲くだろう」


 フィオレアナが一瞬、微かに眉を寄せた。

 あれ、こいつは薔薇は嫌いだったか。


 そう訝しみつつ、俺は続けた。


「見頃になればあちこちで鑑賞会もあるだろう。一度はご一緒させていただきたいものだ」


「きっ――機会があれば……?」


 フィオレアナの顔が強張る。


 それはそう、俺がフィオレアナに求婚しているとはいえ諾否は未定、俺とこいつの家系は犬猿の仲。

 二人揃って仲良く薔薇の鑑賞会なんぞに出掛けられるようなら苦労はない。


「薔薇はお嫌いだったかな」


 俺のすっとぼけた質問に、フィオレアナはむしろ怪訝そうな瞳を寄越した。

 中天にある太陽の光に、金に近い色合いに透ける鳶色の瞳。


「アルヴェインさまは――あ、いえ」


 何かを言おうとして気を変えたのか口を噤み、フィオレアナはにっこりと微笑む。


「――薔薇の華やかさも素敵ですけれど、あのような、」


 あのような、と示されたのは柵から顔を覗かせて無数に咲く、オレンジ色の小さな花々。

 確か、マリーゴールド。


「溌剌と咲く花の方が親しみやすくて、私は好きですわ」


「ほう」


 ちょうどそのとき、辻馬車を確保したフィオレアナの従僕が、すっ飛ぶような勢いでこちらに向かって走ってきた。

 こいつもこいつで、狂気のお祭り騒ぎに参加したことへの恥があるのかなんなのか、さっきから一向に俺を直視しない。


 行く手では辻馬車が停まり、御者が帽子を手に持って、こちらへこちらへと合図している。


 やっとこの場から解放される、と言わんばかりに、フィオレアナがぐんと歩くスピードを上げるのに、もうこれはからかう意味もあってぴったり歩調を合わせてやりつつ、俺は朗らかに。


「今日も、一向に俺を見てくださらず、ひたすら鳥や花々を愛でる貴女を見て、繊細な感性に感じ入っていたところだ。今度は日傘を贈ろうか、貴女には重宝されそうだ」


 フィオレアナの顔がわかりやすく歪む。

 俺からの追及を避けようと、ひたすらヒバリの声やらチューリップやらに言及したことを思い出したらしい。


 そんな嫌味を言うことないじゃないか、と言わんばかりに見つめてくるので、俺は大爆笑を微笑の下にたくし込んだ。


 そうこうしているうちに、辻馬車は目の前だ。


 辻馬車の御者が扉を開ける。

 フィオレアナがさっさと乗り込もうとするのを、俺は彼女の手を取って引き留めた。


 女性が馬車に乗り降りするときに手を取るのは紳士の嗜みだが、俺の指に掛かった微妙な力加減を感じ取ってか、フィオレアナが訝しげに俺を見上げる。


 俺は微笑んだ。


「薔薇の鑑賞会にご一緒できるかはまだわからないが――」


 少し頭を傾けて、さっき彼女が好きだと言った、マリーゴールドの方を示してみせる。



「マリーゴールドは秋まで見頃が続く。あの花の見頃が終わるまでには、堂々と隣に立てるよう、俺も尽力するつもりだ」



「――――」


 フィオレアナの口が、ぱっかーんと開いた。

 従僕とセドリックの目があることを思い出してか、すぐさま気合で口は閉じられたが、にしても瞳が泳ぐ泳ぐ。


「そっ、それは……、いえ、あの、無理は禁物です」


 すごい言葉が飛び出した。


 無理は禁物。

 なるほどね。


 今すぐこの場を逃げ出したい、と顔に書いてあるフィオレアナの手を取って、彼女を馬車の中に送り込む。

 最後に握った彼女の手を軽く押し戴いて、「ではまた」と告げるところまで、紳士としての俺の振る舞いは完璧だっただろう。


 すぐさま、何も見なかったことにしたらしき従僕がそそくさと馬車に乗り込んだ。


 俺が一歩下がると、御者がばたんと馬車の扉を閉める。

 帽子を上げて俺に挨拶した御者が御者台に戻り、馬車が走り出すのを、俺はその場で見送った。



 振り返ると、セドリックがすごい顔で俺を見ていた。

 俺は肩を竦める。


「どうした」


「いえ……」


 口籠ながらも、セドリックは探るように俺を見る。


「ドーンベルのご令嬢から、本日の……あー、騒ぎについて、若様からご説明があるだろう、と言っていただいたのですが……」


「帰り道で説明してやるさ。戻ろうか」


 そう言って馬車の方に引き返す。



 馬車に乗り込み、天井を叩いて「出せ」と御者に合図してから、俺は笑いを堪えて首を振った。



 フィオレアナ……あいつはどうやら、三流ゴシップ紙を読んでいることを俺に知られるのを余程避けたかったようだが、それにしても言い逃れをしようと七転八倒するあいつは面白かった。


 顔も、赤くなったかと思えば青くなり、いっそ見応えがあるほどだった。


 長い付き合いだ、あいつも、俺の口が羽が生えたような軽さで、社交界のあちこちで、「あのご令嬢がたは三流ゴシップを嗜んでいるらしいぞ」と言い触らすとは思ってはおるまい。

 つまり単純に、俺に馬鹿にされると思ったのか。


 あいつは昔から、妙なところで自己評価が低いというか、それゆえに身構えているようなところがあるから――



「――若様?」


 セドリックが、「説明するって言いましたよね?」と言うように俺を見てくる。

 俺は喉の奥で笑った。


「なあ、おい、この通りに新聞屋があったよな」


「ございますが、それが何か。新聞でしたらお屋敷に届いてございますよ」


「それじゃ駄目なんだ。おまえ、近くで降りて新聞を買って来てくれよ。『ウィークリー・プレジャー』だ」


 セドリックの目が若干泳いだ。

 おい、待て、まさか。


「……読んでるのか」


「読んでません」


 即答すぎる。


「読んでいるんだな」


「おりません。あのような低俗な新聞。賭場のイカサマに誰が興味がありますか」


「賭場のイカサマのことまで載っているのか、知らなかった」


「あ」


 セドリックが口を押さえる。

 俺は笑い出した。


「まあいい、とにかく一部買って来てくれ。古いものをまだ置いていれば、それも欲しいな」


 無理に拒絶して墓穴を掘ることになったら敵わんと思ったのか、セドリックが諦めたように目を閉じ、「承知しました」と応じる。



 俺は窓際に肘を預け、窓の外を流れる町並みを視界に入れながら、およそ驚嘆するような気持ちで己の心を見つめ直していた。



 ――俺は、フィオレアナに意中の人がいると勘違いして、みっともなくもむかついていた。

 つまるところ、今さらあいつが横から掻っ攫われていくのが、どうにも我慢できなかった。


 ――俺は、普段からよくフィオレアナのことを考えている。


 ――俺は、フィオレアナから連絡がなければ寂しい。


 ――そして今、俺は、フィオレアナに意中の人がいるというのが勘違いだったとわかり、暗雲が晴れた気持ちで浮かれてしまっている。


 ――そして何より、今日のフィオレアナ……狂気の沙汰に全力を挙げたかと思えば俺にむかってとぼけ、煙に巻こうとしては失敗して固まり、百面相を見せて、面白いことこの上なかった。



 これだけ長い付き合いでも、案外、フィオレアナには俺の知らない部分があるらしい。


 俺はそこを知りたい。


 天真爛漫なフィオレアナが、めそめそしたり開き直ったり取り澄ましたり、七転八倒しながら過ごしているのを、俺の眼差しの中に置いておきたい。



 ――もう、目を逸らしているのも限界らしい、認めるしかない。



 俺はあいつに惚れている。



 自覚の契機が独占欲、大いにけっこう。


 どのみち俺たちの関係は呪いから始まった歪なもので、その歪さは今さらどうしようもなくて、ならばその歪さを受け容れるしかないのだ。

 互いの間にある感情に、また歪さや醜さが加わったところで、それこそ()()()というもの。



 ――俺はあいつに惚れている。



 そしてそう自覚した以上は、――同じ気持ちを向けてもらわねば、俺はどうにも我慢ができない。






















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