13 初めてのときめき
話した。
そりゃもう正直に話した。
もう赤くなる気力もありはしない。
存在しない人の存在をでっち上げたら詰むということ、今後の人生では深く肝に銘じて生きようと思う。
私は座席の上で項垂れ、俯き、手近にあったクッションを膝の上で抱え、ぼそぼそと自白した。
巻き込んで三流ゴシップ狂いの令嬢のレッテルを貼ることになったみんな、本当にごめん。
出来心で三流ゴシップ紙を読んだこと、そこに掲載されていた小説にハマってしまったこと、今ではすっかりファンになったこと、あそこにいた令嬢たちもみんなファンであること、なんならファンであることを隠すために隠語まで作ってこそこそしていること、その用例、最近その連載が止まってしまっていて気が気ではないこと、そんな折、全く偶然に作者ご本人にお会いして、彼がスランプだと知ったこと――
――全部話した。
自白し尽くした。
黙っておいたのはジョナサンさんの事情くらい。
本日の狂気の沙汰の裏側を話し終える頃には、私はもうぐったりしていた。
俯いたまま、硬く目を瞑る。
――ああ、最悪だ。
次に聞こえてくるのは、良くてアルヴェインの大爆笑。
悪ければドン引きした奴の、「お、おぅ……」みたいな反応だ。
相手の記憶を消し飛ばす魔法が頭の片隅を過ったが、駄目だと思う。
相手はアルヴェインだ、応戦されて酷い目に遭うことは目に見えている。
もう、起こることを受け容れるしかない……。
悄然とする私は、五秒、十秒、アルヴェインの反応を待った。
そして、あまりの無反応っぷりに、逆に不安になってきた。
え、声も出ないほど呆れさせた……?
恐る恐る顔を上げると、アルヴェインは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしている。
予想と懸け離れたその反応に、小心な私は縮み上がった。
「……あの、アルヴェイン……?」
おずおずと呼び掛ける。
それでやっと我に返った様子で、アルヴェインが葡萄色の目を瞬かせた。
そして、試すように呟く。
「……『お手紙をお届けする』」
あの、恥ずかしいからやめて?
「……あの、ほら、全員が読んだなと思って、新聞が捨てられたら、困るじゃないか……」
「……『お会いする』」
あの、本当にやめてくれないかな?
「……だって、ほら、『読む』って言っちゃうと、ばれるかもしれないじゃん……」
「……『二人の関係はこれから』」
「そうなんだよ本当に今いいところで――、って、え?」
――そんな話はしたっけか。
錯乱して変なことを喋ったのかもしれない、と口を押さえる私を他所に、アルヴェインははっとしたように口を噤み、はーっと息を吐き出した。
「……そういうことかよ……」
……どういうことだよ?
私にはわからない何かの納得を呑み下したらしきアルヴェインが、再び不機嫌そうに私を見た。
「で?」
「はい」
「そんな程度のことなら、なぜ最初から俺に言わなかった?」
「はい?」
今度は豆鉄砲がこっちを向いた。
鳩になった私にすぽーんと弾が命中して、私はぽかんと口を開ける。
「はい? 最初から……?」
「なんでまた、事情も話さず無茶なことを俺に頼んだり、存在しない画家の話をでっち上げたり、そういう小細工を弄してきたんだ?」
「…………」
ぱちくり。
無言で睫毛を上下させる私。
えーっとそれは、説明するまでもないことでは……?
真顔を突き合わせること数秒、理解の気配のない相手の顔に、私は遠慮がちに呟く。
「……あの、あんまり、その、私たちが読んでいる小説が載っている新聞は、褒められる類のものではなくて」
「知っている」
はっきり言われた。
わかってるんじゃないか。
ぽかーんとする私に呆れたように溜息を吐いて、アルヴェインはうんざりした語調で言った。
「つまりそういう格安の三流紙にも、おまえを唸らせるような文章が載ることがあるってことだろ?」
「――――?」
うん……?
目を高速で瞬かせる私。
待って待って、今、――世界がひっくり返ろうとしている。
「…………!」
つまり、何か?
“三流ゴシップ紙掲載の低俗な小説にのめり込んだ私”、ではなくて、“この私が熱狂的に支持するだけの小説が三流ゴシップ紙に載ることもある”、って、そう認識したのか?
私の評価が下がったんじゃなくて、三流ゴシップ紙の評価が上がった?
こいつ、私のことをそんな、絶対的な軸に置いて見てくれているの?
この、今までの人生全てを、充実した、明るい、すごく価値あるものにしてきたこいつが?
こいつを呪っちゃって、その後悔を今に引き摺っている私を?
――え……。なにそれ、なんだそれ、なんだかすごく、むずむずするんですけど。
はくはくと口を開け閉めするばかりで言葉が出ない。
何これ。なんか顔が熱い。
アルヴェインはむしろ怪訝そうに首を傾げている。
「……昔から、おまえはそういうものを見る目はあっただろう。そのくらいは知っている」
「――――」
なんかそわそわする。
「ちなみに、なんていう新聞だ?」
「『ウィークリー・プレジャー』……」
「ああ、あれか。聞いたことはあるな。――その小説、今から読んでも支障はなさそうか?」
「いや、ある……。すごくあると思う……。今すごくいいところだから……」
魂が抜けそうになりつつ返事をする私。
アルヴェインはにこっと笑った。
――あの笑顔。
何回生まれ直していても変わらない、柔らかい、温かい微笑。
「なるほどな。――おまえのその熱狂具合をみるに、うちの使用人にもこっそり読んでいる奴はいるんだろうな。捜してこれまでの分も読ませてもらうか」
「うん……。好きな人なら切り抜きで持ってると思う……」
「おまえも?」
「私のは、使用人みんなとの共有だから……」
「連帯しているな……」
感心したように言われてしまった。
それから、軽く顔を顰めて。
「というか、おまえ、やることが半端だな。どうせならそれを俺に読ませてから今日に挑ませればいいだろう。そうすれば、小説の一幕の再現でもなんでもやってやらんこともなかったのに」
「ええっ」
一気に正気に戻る私。そんなに協力してくれる心積もりだったの!?
「なんだそれは、早く言えよ!」
「早く言うも何も……」
「ああ勿体ないことした! アルヴェイン、もう一回! もう一回協力して!」
「いや、この流れで二度目はないぞ?」
「惜しいことをした……!」
本気で嘆く私に揶揄う笑みを向けて、しかし唐突に真顔になり、アルヴェインは私の顔を覗き込んできた。
「事情はわかったが、フィオレアナ。あの作家と二人で会ったりするなよ。男と二人で会っているところなど、人目に触れたらおまえの評判に関わる」
「わかってる、わかってる、あの人に迷惑は掛けない!」
「そ――そっちか」
気を呑まれた様子のアルヴェインが、何かに気づいた様子で目を瞠った。
そしてがばりとこちらに身を乗り出すと、憤然として言っていた。
「――というか、おまえ、違うだろう!」
私はきょとん。
「何が?」
「配役だよ! 何を他の女を抱き締めさせているんだ。そこはおまえの役だろう!」
私は目を丸くした。
「何をぼけたことを言っているんだ、おまえは?」
「これだからおまえは!」
そう言いながらも、どうやらアルヴェインも冗談だったらしい。
自分の言葉に自分でツボを押されて、はははは! と声を上げて笑っている。
――つい数分前には、聞くのがあんなに怖かった大爆笑なのに。
私は片手で、無意識のうちに胸を押さえた。
――こんなに気持ちのいい笑い声として聞くことになるとは思わなかった。
アルヴェインは私にレッテルを貼ったりしなかった。
私を見失わなかった。
私を絶対の軸に置いた上で、当然のように今、笑っている。
――唐突に、胸の奥が、きゅん、と、〝ときめいた〟。
私はどきりとした。
――なんだ、これは。




