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11 ときめき大作戦

 さあ運命の日!


 運よく晴れた、絶好のときめき日和。



 ドーンベル家の使用人には、アーチーから薄らぼんやりと、「お嬢さまが例の作品の作者と会った」ことは伝わって、従って私が最近そわそわしているのは、休載を打破するためだとバレているらしい。

 今日などは、どこに行くとも言っていないのに、執事からやたら熱心に、「頑張ってくださいね」と言われた。


 お願い、変な空気を出さないで。

 お父さまの変な想像を煽らないで。


 アルヴェインは、こちらからお願いした立場だ、当然「当家の馬車で迎えに行きます」となるところ、「さすがにそれは……」と引かれた。

 そうだった、ここのところ小説の続きが読みたい一心で忘れていたが、当家と先方は犬猿の仲の一家だった。

 ドーンベル家の馬車がイヴンアロー家に乗りつけるだけで、ゴシップ紙の記者たちは半年飯が食えるだろう。


 というわけで、私はいつものお忍び外出。

 アーチーがどうしてもというのでついて来てもらって、辻馬車で公開庭園へ向かう。


 私たちが到着したときには、既にカトリーヌ、テレサ、エヴェリン、そしてジョナサンさんが揃っていた。

 ジョナサンさんは、予期せず貴族令嬢に囲まれて具合が悪そうにしている。

 ごめんなさい、もっと早く来ればよかった。


 とはいえ、エヴェリンたちもさすが。

 どんなに好きな小説の作者がそばにいても、きゃーきゃー騒いだりはしない生粋のお嬢さまたち。

 微妙に眉が動いていたり、唇の端がぴくぴくしたり、ハンドバッグを握る指に力が入り過ぎたりはしているけれど、それだけ。お見事。


 とはいえ、カトリーヌだけは明らかに挙動不審。

 それはそうだろう、これから憧れの人にハグされる予定なのだ。


 ぜひときめいてほしい。

 溢れるほどときめいてほしい。


 カトリーヌは私を見て、清らかな笑顔を浮かべた。

 私が、「大丈夫?」と色んな意味を籠めて尋ねると、彼女は胸に手を当てて深呼吸。


「――わたくし、三日前から、切り抜いて保管している、『ロルフレッドとティアーナ』を、全て読み返したんです」


「まあ」


 ジョナサンさんが静かに顔を赤らめている。

 著作の熱烈なファンを見て、どうにも照れているらしい。「どうも……」みたいなことを口の中で呟いていらっしゃる。


 カトリーヌはそれには気づかなかった様子で、目を閉じた。


「あの語調、あの言葉選び、あの格調高い文章――。頭に刻みました、これからどんなときめきがきても、あの語調で再現してお伝えしてみせますわ……!」


 心強い。


「よくやったわ!」

「なんて素晴らしいの!」

「英断だったわ!」


 そして盛り上がる私たち。

 礼儀正しく距離を置いているアーチーが、「さすがにやべぇところに来た」みたいな顔をしているが、飛び込んで来たのはあなたでしてよ。


 そのとき、視界の隅に馬車が見えた。私ははっと顔を上げる。


「アルヴェインさまがいらっしゃいました」


「え?」


 きょとんとする皆さん。


 おいおい、呼んだのを忘れていたのか。

 大事なハグ要員だぞ。


 周囲を確認。

 よし人はいない。

 いたら散らさねばならないところだった。


「カトリーヌ、遊歩道へ。他の皆さまは木立に隠れてください。カトリーヌ、抱擁の後はすぐにジョナサンさまのところへ。ときめきが……」


 ときめきが、何だ。

 私はときめいたことがないからわからないが、たぶん鮮度が命のはずだ。


「ときめきが、霧消してしまう前に、ジョナサンさまに全てをお伝えするのよ。いいですね?」


 私の念押しに、全員がこっくり。


 ただ、テレサが私を見て、怪訝そうに尋ねてきた。


「……あの、馬車の家紋も見えない位置ですけれど、どうして、アルヴェインさまだとおわかりに?」


「――え?」


 私は思わず瞬いてしまう。

 あぁそうか、それでさっき、みんながきょとんとしていたのか。


 ――どうして、って、いやいやそんなの。


 あいつがいれば、私にはそれがわかるのだ。





 忠犬よろしくお迎えに出た私を見て、アルヴェインは一瞬、苦虫を噛み潰したような顔をした。


 彼のそばには今日も今日とて付き人がいる。

 大事なご主人をすみませんね、という顔で会釈すると、いえいえそんな、みたいな寛容な笑みを向けられた。


 苦虫を噛み潰したような表情も一瞬である。

 アルヴェインの外面は完璧だ。

 馬車から出た足が地面を踏む頃には、既に奴は鷹揚な笑みを浮かべている。


 とはいえ、笑みの間で噛み潰した声は私に届いた。


「……事情の説明はあるんだろうな……」


「いずれ必ず」


 こっちもこっちで囁き返し、私は笑顔でアルヴェインを誘導。

 傍から見れば満点の、仲睦まじい友人どうしに見えるだろう。


 アルヴェインもアルヴェインで、どこから見られても大丈夫なように、さながら、「こんなところでお会いできるとは」と言っている感じで、私の手を取って、軽く押し戴くような挨拶をしてきた。



 ――あー。


 なんとなくわかった。


 ――あー、これは、そりゃあ憧れる人もいるだろうし、ときめく人もいるだろうなあ。


 私が、「うっかり呪いをかけたせいでこんなことになってしまった……」と悔恨の中で生きてきたのと違い、アルヴェインは「呪われてしまったけど、地に足つけてやってやるか」という感じで生きてきた。


 つまり、人生における自己肯定の度合いが違う。


 アルヴェインには積み重ねてきた歴史があって、それら全部が明るい、充実したもので、ゆえにそれが動作に滲む。仕草に滲む。表情に滲む。


 ――だから、私と違って堂々として、目を惹く魅力を備えている。



 そんなことをぼんやりと思いながら、私は早速アルヴェインに耳打ち。


「遊歩道を真っ直ぐ行ったところに立っている――見えるだろう、あの、黄色いドレスの、黒髪のご令嬢だ。彼女だ。彼女に真っ直ぐ歩み寄って、抱き締めてくれ」


「……本当に何の罠でもないんだよな?」


「絶対にない。誓う。――彼女を抱き締めたあとは、後ろも見ずに立ち去ってくれ」


「……自分がどれだけ理不尽なことを言っているか、理解してくれているといいんだが……」


「大丈夫だ。とてもよくわかっているから」


「反省してくれよ」


「人生で二番目くらいに」


 私の重々しい返答に、アルヴェインが苦笑した。


 改めて彼の格好を確認して、私は大きく頷く。

 ――完璧。正装ほど畏まってはいないが砕け過ぎてもいない、きりっとした服装。


 私が、「頼む」と合図して、アルヴェインが悠然と歩き出す。


 恐らく――いや絶対に――内心では、「俺は何に巻き込まれているんだ?」と思っているだろうが、それを毛ほども素振りに見せない鉄面皮よ。

 さすがは私と同等の人生経験の持ち主だ。


 カトリーヌが、遠目にアルヴェインを見たその瞬間から顔を赤くしているのがわかる。



 固唾を呑む私に、「あのぅ」と掛かる声。

 振り向くと、アルヴェインの付き人の彼。


「――お声をお掛けするのも失礼かと存じますが、差支えなければ。……私の主人は、本日、何のためにここへ……?」


 困惑をいっぱいに拡げた顔から、私はすっと目を逸らせた。


「あ……後から、ご本人からご説明があるかと思いますわ」


「道中、めいっぱい困惑されていらっしゃいましたが」


「道中は道中ですわ」


 力を籠めて言い切ると、私の語調の謎の説得力に押され、「然様でございますか……」と頷く付き人さん。



 そうこうしているうちに、アルヴェインはカトリーヌの前に辿り着いていた。


 ――ああお願い、ここで変な疑念に日和ったりしないで……!


 私は祈る。

 たぶん、遊歩道から外れた木立の中で、他のみんなも祈っている。


 アルヴェインが、――ああ、長い付き合い過ぎて、後ろ姿でも表情が目に浮かぶようだ――微笑んで、軽くカトリーヌの方に身体を傾けるようにして何かを問いかけた。


 多分だが、最終確認で、「抱き締めても?」みたいなことを訊いたんだろう。

 もしかしたら、「フィオレアナという馬鹿にきみを抱き締めるよう言われたんだが、いいか?」かもしれないが。


 カトリーヌがこくこくと頷くのが見えた。


 アルヴェインが、ふわっとカトリーヌを抱き締めた。

 カトリーヌの頭から湯気が立つのが見えそうだ。


「――――!」


 思わず取り繕うのも忘れ、私はガッツポーズ。


「やった……!」


 アルヴェインの付き人さんが、狂人を見るような目で私を見ている。


「失礼ですが、主人のご婚約者はあなた様……では?」


「違うっ、あ、いえ、まだ違いましてよ。――失礼!」


 あっぶねぇ、興奮し過ぎて素が出そうになった。


 アルヴェインは、時間にして二秒ほどでカトリーヌから離れた。

 そのまま、頼んだ通りに遊歩道の奥へ歩いて行く。


 とはいえさすがに気になったのか、「これでいい?」みたいな顔で振り返ってきた。

 私はめちゃくちゃに「いいから行け!」と合図する。


 カトリーヌの顔は真っ赤。

 発熱を疑うレベル。


 事前の指示では、すかさずジョナサンさんに駆け寄るようにと言ってあったのに、それも出来ない様子でくたくたとその場に座り込む――あぁっ、ドレスが!


 私がカトリーヌに駆け寄ると同時に、木立からはわらわらと他の面子も駆け出して来る。


 この異様な状況に、私の後ろではアルヴェインの付き人さんがぱっかりと口を開けているし、さすがにアルヴェインも茫然として足を止めている。



 だが、いい。

 今はいい。

 後回し。


 ときめきは鮮度が命!



 もはや全員でカトリーヌを取り囲む私たち。

 ジョナサンさんが真っ先に、カトリーヌの前に滑り込むように膝を突く。


 己の作品がどんな狂人を生み出したか、この人は一回、よくよく考えてみた方がいいかもしれない。


 カトリーヌは両手で顔を押さえ、「あぁ……」と呻いている。


「すごい、すごいです……」


 頑張って! 三日かけての準備はどこにいったの!


 両掌から顔を上げ、カトリーヌは夢見る眼差し。

 熱に浮かされた蕩けるような瞳を見て、私は他人にこんな目をさせるアルヴェインが、若干とはいえ怖くなった。


「アルヴェインさま……私の名前をご存知で……」


 さすが過ぎる。卒がない。


「『カトリーヌ嬢、少し失礼しても?』って仰って……」


 言いそう。


「しっ、心臓が爆発しそうです……。心臓に雷が落ちました……。頭が熱くなって、胸の中で、ときめきです、そう、これがときめきです、胸を突き破りそうになって……」


 ときめきってそんな暴力的なものなのか。


「頭の中に、これまでの人生が流れて……」


 いや、それは走馬灯じゃない?

 死んだことあるからわかるよ。

 大丈夫? ときめき過ぎて死にそうになってない?


「み――耳が、耳まで熱くなるのがわかります……。心臓の音がうるさく聞こえて……。あぁ、そうです、突風に吹かれた感じです。突風が吹いて、気持ちがふわっと舞い上がるような……!」


 いいのか? これでいいのか?

 この散文的な表現で、はたして取材になっているのか!?


 それを危ぶんだのは私だけではないようで、テレサもエヴェリンも、強張った顔でジョナサンさんを見る。


 ――が、ジョナサンさんは、天からの恵みを受けるかの如き顔でカトリーヌの言葉を聞いていた。


 ――い……いいんだ……。


「ご――ご令嬢……カトリーヌさま」


 と、ジョナサンさん。


 カトリーヌは、憧れの人から抱き締められた直後に、愛してやまない作品の作者から名前を呼ばれ、心臓が止まりそうな顔をした。


「ひゃっ――はい」


「素晴らしいです。私の目が開くかのようです。こうしてときめくあなたのお姿とお声で、どれだけ助けられるか……」


 ジョナサンさんが涙ぐむ。

 あぁっ、泣かないで。


 あわあわする私たち。

 ハンドバッグを探ってハンカチーフを出したところで、しかしジョナサンさんは自力で持ち直す。


 そして、真面目な顔になって言った。


「では参考までに。五感のうち、最も意識したのはどれですか?」


「五感のうち……!?」


 ぴったり揃う私たちの声。

 アーチーまで完璧だった。


 カトリーヌは先程の夢見心地から一転、礼儀作法の先生から駄目だしを喰らったときのような顔をしている。


「五感……五感ですと、……そう、」


 はっ、と何かに気づいた顔をするカトリーヌ。

 私たちまで固唾を呑む。


「香りです」


 カトリーヌが断言する。


「そばまで寄らなければわからない、香りです。

 ――アルヴェインさま、薔薇の香りを身に着けてらっしゃいました」



 ――……ん?



「香り……」


 ジョナサンさんが繰り返し、何かを噛み締めるような顔をする。


 そして、膝を突いたまま、私たちをぐるりと見渡して頭を下げた。


「――本当に、ありがとうございました……!」


 そしてそのとき、絶対言うまいと思っていた科白が、私たちの喉を突破してしまった。


「……続き、お待ちしております……!!」





 ――にしても、薔薇か。


 私のいちばん嫌いな香り。



 あのとき、夜陰に浮かび上がるような白薔薇の茂みのそばで私を見て、にっこりと無垢に笑った()()()()()()――


 あるいは()()()()()()()、宙を赤く染めた煌めき――



 ――その記憶と、強く結びついている香り。


 あいつが薔薇の香りが好きなんて、なんていう皮肉だろう。





 ――と、まあ、感慨に耽られるようならば苦労はない。


 つんつん、とアーチーから肘をつつかれ、はっと顔を上げて振り返ると、アルヴェインが含みたっぷりににっこり笑ってこちらを見ていた。



 私は我が身を省みた。



 ――謎のハグ依頼、様子のおかしいハグ受領者、そのハグ受領者を取り囲む、輪を掛けて様子のおかしい私たち。



 えーっと。


 えーっと、どうしよう。



 これ、筋の通るような説明、無理じゃない?























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