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エクセレアは自室のベッドで、毛布にくるまっていた。
身じろぎせず、じっと目を閉じる。
1週間前に部屋に戻って時にこのベッドでこの体勢を取り、それからずっと動いていなかった。
一応、1日1食ほどは食事を摂るが、彼女を知る人なら仰天するだろう事に、毛布にくるまって横になったまま、公爵家の台所から転移させたパンと果物を齧って済ませていた。
この1週間、彼女の頭を占めているのは強い自己嫌悪だった。
あの卒業パーティの事が止めどなく頭の中をぐるぐる回り、何回もフラッシュバックする。それは気絶するように寝ても、夢に出て来て心が休まる事はない。
こんな事は、彼女の人生において初めての事だった。
息をするのも億劫で、更にミノムシよろしく毛布を抱き込む。
と、何回目か分からない、扉をノックする音が聞こえた。
家族に何を言われても、この重い心が軽くなる事はなかった。
もう、放って置いて欲しい。
そんな気持ちが首をもたげる。
だが、聞こえて来た声は彼女の想像と違っていた。
「リア」
それだけで、それが誰か分かってしまう。
胸が痛んで、呼吸が速くなる。
「リア、聞いて欲しい。」
何を?
もう、自分はいらないと言いに来たのだろうか。
頭の中で何回もしていた最悪の想像が彼女を襲う。
聞きたくない。でも。
『この声を、聞き逃したくない』
もう、彼女は自分の気持ちを自覚してしまった。
決して綺麗ではない感情。
嫉妬と、行き過ぎて反転した憎悪と、苦しい程の情熱と。
その声を聞くだけで、その姿が見たくなる。
会いたいと、そう思った。
「入って来て。」
結界を解除し、扉が開くようにする。
エクセレアの声を聞いて、アレクはドアノブをに手を掛けた。
部屋に入ったアレクの目に映ったのは、カーテンを閉め切って暗い部屋の中で、ベッドの中央に盛り上がった毛布の塊だった。
近付いて、ベッドに腰掛ける。
毛布に触りながら、もう一度
「リア」
と呼びかけた。
その、懇願するような声色にどうしようもなくなって、毛布から顔だけ出す。
1週間ぶりに見たアレクは、やつれた顔をしていた。
パーティでエクセレアが解除した魔法は、脳に作用する隷属の魔法。
そこに解除の魔法を強引に捩じ込んだ為、反動が大きかったのだろう。
痛ましい気持ちが湧き上がる。
一方のアレクも、エクセレアを見て、ひと回り小さくなったように感じていた。
いつも自信と余裕に満ち溢れた彼女からは想像できない姿に、不思議と力が湧く。
「リア、今の気持ちを教えてくれないか。」
アレクの優しい声が響く。
「…恥ずかしい。」
エクセレアが、小さい声で言う。
「恥ずかしい?どうして?」
変わらず優しい声が聞こえる。
「貴方を守れると、思っていたわ。」
「守ってくれたよ。君がいなければ、僕は僕でいられなかった。」
「あんな危険に晒したくなかった。隷属まで使って来ていたのに、予兆を掴むどころか、貴方を疑って、わたくし…」
言葉が続かなかった。この先を告げれば、この人はきっと自分を恐れるだろう、とエクセレアは思った。
「僕を壊したかった?」
さらっと、アレクが言う。
エクセレアは言葉に詰まった。沈黙は肯定と同義である。
「あの時も言っただろ?リアが、僕が不誠実だと思って怒ってくれた事、嬉しかった。」
「…何故?」
それが気遣って言っている言葉でない事が、本心である事が、声や表情、仕草から読み取れて、エクセレアは本当に不思議だった。
自分に敵意を向けた相手に対して、何故そんな事が言えるのだろうと。
「だって、えっと、なんていうか…」
言い淀んだアレクだったが、エクセレアの真っ直ぐな瞳を受けて、観念したように話す。
「嫉妬…してくれてるみたいで。リアも、僕と同じ気持ちなのかな。と。いつも、僕だけが想っていて、リアは軽く受け流すみたいに大人の対応してたから。」
アレクの真っ赤な顔に、エクセレアは久方ぶりに、心臓が身体に戻ったような気がした。
「でも、そんなの…アレクだって、何も言ってなかったでしょ?」
顔に熱が集まるのを感じる。
「うん。それは、そう。リアが、政略結婚だと思ってるのに、僕だけそうだって知られるのは、なんか、それこそ恥ずかしかったんだ。」
エクセレアが部屋に籠っている間、彼女は自分の傲慢さと能力不足と自制心の無さに自己嫌悪していっぱいいっぱいだった筈であった。
それが、いつの間にか惚れた腫れたの話になっている事に、全く気付かない。
それでも、あれ程辛いと思っていた気持ちが、アレクの一言一言で一気に霧散していくのを感じていた。
「わたくしに、失望していない?」
それはいつか、アレクの方がエクセレアに尋ねた事と同じだった。
「しないよ、する訳ない。」
アレクが微笑む。
「君はずっと、僕にもったいないくらいカッコよくて、誰よりも素敵で、世界一可愛い。
僕の好きな人だ。」
エクセレアの視界が、一気に開けた。
目の前にいるアレクをしっかりと見つめる。
いつもどこか自信なさげだった彼は、今、自信たっぷりに笑っていた。
エクセレアは思わず毛布から出て、気が付くとアレクに抱き付いていた。
「わたくしも。」
エクセレアの声が震える。
自分の気持ちを伝えるとは、なんて勇気のいる事なのだろうと思った。
「わたくしも、アレクの事が、好き。」
顔が真っ赤になって、声が震えて、余裕なんてどこにもない。
不恰好で、かっこよさなんて微塵もない告白だった。
チュ。と、唇に軽い感覚がした。
え、と思うと、近い距離にアレクの顔がある。
「パーティの時のお返し。」
そう言って、アレクがイタズラっぽく笑う。
気絶しているアレクの髪に口付けた事を言っているのだろうか。すっかり意識を失っていると思っていたのに。
これ以上赤くなるのかと思うくらい顔が熱い。
それと同時に、はっとした。
1週間、部屋に篭り切りで、お風呂にも入らず、歯磨きもしていない。なんならパーティのドレス姿のままで、そのドレスもぐちゃぐちゃになっている。なんだったらパンのカスが少しくっついている。
自分が今どれだけ酷い状況か思い出して、愕然とした。
「リア?」
そう声を掛けた次の瞬間には、アレクは公爵家の応接室にいた。
アレクサンドロの従者と共にどうなるか待ち侘びていた公爵が、突然現れた王太子に驚いた顔をする。
「お前…」
失敗したのか?
そう言い掛けた時に、上階からベルの音が響いた。
メイドを呼ぶベルだ。
何やらハキハキとした指示を飛ばす元気な声が聞こえて来て、公爵は目を軽く開いた後、笑った。
「元気そうだな。」
それがリアを指している事は承知の上で、
「でも、追い出されてしまいました。」
と苦笑するアレク。
「いや、部屋から出してくれただけで有難いよ。お前にしか、できなかった。」
そう言われ、表情を引き締め、立ち上がった。
「元はと言えば、私が自分の身を自分で守れなかった不甲斐なさが招いた事態です。大切な御令嬢を巻き込んだ事、誠に申し訳ございません。」
深く頭を下げる。
「いい。その謝罪はお前の父親から貰ってる。だが、関わったナルヒェン達の処罰は、お前も携わってきっちりやれ。」
そう言って頭を上げさせる。
「今日のところは帰れ。あれは、当分バタバタするだろうからな。」
アレクは頷く。帰ろうと身体の向きを変え掛けた時に、公爵の呟きを聞いた。
「何したらあんな元気になるんだか。」
それを聞いて真っ赤になったアレクの耳を、後ろから見て、ひとり納得し、訳知り顔でニヤニヤする公爵の姿があった。