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『なんて凡庸な人間だろう』
国の王太子殿下、未来の国王に対して、公爵令嬢エクセレア=ブリュンヒルデが感じた第一印象はそれに尽きた。
輝く金髪、透き通る碧眼、筋の通った鼻梁に長いまつ毛。
彼はどこを取っても見た目「だけは」一流だった。しかし、非凡なエクセレア嬢にはその内面が特別でない事が一目で分かってしまった。
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その日は、王太子殿下アレクサンドロ=マラーナとエクセレアが婚約の為、顔合わせを行う日であった。
春。微睡みの空気が漂う午後に、エクセレアは公爵家の馬車で王宮前に降り立った。公爵家当主の父と共に、荘厳な王宮を抜けて歩く。
齢11歳。銀の煌めく髪、金の瞳、艶やかな薄い唇に切れ長で大きな眼。誰が見ても美しいと称される彼女は、それでも幼さがまだまだ残る外見ではあったが、その中身は他と一線を画していた。
彼女が、普通12歳から18歳までの6年間通う筈の王立学院の基礎課程を全て修めたのは、6歳の頃であった。
18歳の成人者と共に修了試験を受け、当たり前のように合格し、それ以降は王立大学院と呼ばれる研究機関で大人に混じって様々な分野の研究に没頭。数々の革新的な論文を発表し、そのどれもが高い評価を受けている。
まさに神童。存在が奇跡であると彼女を知る人々には認知されていた。
「サリー、俺は国王に会ってくるから、お前は適当に王子サマと仲良くな。」
公爵家当主には相応しくない口調で、父が言う。
軟派な態度と発言にも関わらず、統治能力に優れる父の事を、エクセレアは嫌いではなかった。
「前に言った通り、顔合わせが上手くいけば、今日そのまま俺と国王で婚約の調印になる。ただ、まあ、なんだ…なんか嫌なところあったら、別に無理して婚約するこたぁない。お前の能力なら結婚なんてしなくても、どんな業界でも引っ張りだこだ。」
そうおどけるように言ってウインクする父に、エクセレアは微笑みを浮かべる。
「お父様も分かっているでしょ?王太子殿下がどのような方かはあまり問題ないの。将来の王妃という立場が、私にとって都合が良いだけよ。」
そう告げると、父は苦笑し、じゃあまた後でなと言ってその場を去った。
王宮の使用人によって案内されたのは、王族のプライベートな空間との境にある小さな庭園だった。四方を王宮の壁に囲まれた作りになっており、外から見えない設計がなされていた。花壇ではなく地面から直接生え、様々な種類が入り混じる草花は無造作に見えて、計算し尽くされ、自然な美しさを保っている。
その中央に植物が綺麗に刈り取られた、芝生の小さな広場が見える。小さめのテーブルとそれを挟んで一人掛けの椅子が2つ置かれており、エクセレアから見て正面の椅子に、眩いばかりのアレクサンドロ王太子が座っていた。
彼女が近付くと立ち上がり、一歩踏み出して
「君が噂に名高い公女様だね。僕の名前はアレクサンドロ。よろしく」
にっこりと笑い、手を差し出す。
それは他のご令嬢が夢に見るような光景であった。
麗しの王太子殿下が歩み寄り、自分を知っていてくれて、名前を教え、握手を求めているのだから。
しかし、当たり前のように上位貴族のマナーを高い水準で習得しているエクセレアにとって、彼の立ち上がり方、歩き方、話し方、表情、手の差し出し方まで、全てが中途半端であると感じた。高位貴族であれば年相応かもしれないが、王族として一流の教育を受けているにしては少し足りない。何より、アレクサンドロが言った「公女様」という呼び方はーー。
エクセレアは適切な位置で立ち止まり、完璧な礼を行う。
そして、王太子の出した手がいつまでも宙ぶらりんにならぬよう、一歩踏み出してその手を取った。
「ご機嫌よう、王太子殿下。エクセレア=ブリュンヒルデと申します。わたくしを知っていてくださっている事、光栄に思いますわ。ただ…ご気分を害してしまったら申し訳なく思うのですが。公女というのは王位継承権を持った王族の縁者を申します。わたくしは権利を放棄しておりますので、一介の公爵令嬢に過ぎません。」
一分の隙もない挨拶、受け答え、言葉選び、間の取り方、表情、仕草、声、抑揚。それは完璧で、だからこそ他を圧倒する。
アレクサンドロも例外ではない。少し惚けた後に何を言われているかがやっと脳に届いたらしく、握手していた手を離し、顔を赤らめた。
「そう、だったね。すまない、洒落た挨拶にしたくて、ちょっと背伸びしてしまったんだ。」
瞼を少し伏せて、左下を見ながら下唇を噛む。
幼い仕草に、何故かエクセレアの心の中がざわついた。
優秀な彼女は、その気持ちの理由を、将来の国王にあるまじき、自分の感情を表に出し過ぎる姿に不安を覚えたのだろうと思った。
「わたくしの方こそ、こうして差し出がましく申し上げてしまった事をお許し下さい。」
淑女の微笑みを浮かべつつ、相手との距離感を測る。
「君は、本当に噂通りの人のようだ。何を取っても完璧で、それでいてそれに驕らない。君のような人と婚約できる事、心強く思うよ。」
アレクサンドロは頬を染めたまま、はにかむような笑みを浮かべた。予定通り好印象を持たれた事を感じたエクセレアは退室の挨拶をしようともう一度礼を取る。
「そのようにお褒め頂き、有り難く存じます。本日は婚約の挨拶という事で登城致しました。短くはありますが、これで失礼致します。」
「ああ、明日からの王宮教育で会える事を楽しみにしている。今日は会えて良かった。」
礼を終え、顔を上げる。眼が合うとまたはにかむアレクサンドロにまた胸がざわつくのを感じながら、後ろを向いて出口へと進み出した。
と、数歩歩いたところで後ろから
「エクセレア嬢!」
と声が掛かる。
エクセレアが振り返ると、頼りなげな顔をしながら
「将来を…共に歩む者になったのだから、僕は、君を守る。幸せにすると約束するよ。」
エクセレアは、彼の意を決した決意表明を聞いて、
『そんな大事な事を何故自信なさげに言うのだろう』
と思った。
大体、自分よりも能力の低いこの人に自分を守り幸せにする事などできるのだろうか。エクセレアは不思議に感じつつ、ただ、その自信なさげながら言われた内容を思うと、胸のざわつきが大きくなるのを感じた。
返事をしようと口を開くと続けてアレクサンドロは言う。
「あの。折角だから、リアと…呼んでも良いか?」
先程よりも赤い顔で言うアレクサンドロに、エクセレアは生まれてから完璧な人生を歩んできた彼女にとって、感じた事のない感情を持った。
「わたくしも、殿下を支えて守り、幸せに致します。」
ひた、と見つめる。
元々、王家から打診のあった今回の婚約は、エクセレアを味方に取り込むという意味合いが強かった。王位継承権を破棄したとはいえ、有能すぎる彼女を王位に担ぎ上げようという動きが見られた為である。
エクセレアとしても、自身の才能を発揮できる場所を求めていた。
王妃という立場から国を発展させるのは、彼女にとっても、きっとやりがいのある仕事になる。今回の婚約は、エクセレア本人もそんなビジネスのような感覚で結ばれるものの…筈だった。
「どうぞリアと、お呼びください。わたくしも、アレク様と、お呼びしても?」
「できれば様は抜きで。アレクと呼んでくれたら、嬉しい。」
本当に嬉しそうな顔で笑うアレク。少年から少し抜け出したような顔に色んな表情を見せる王太子。間違いを指摘しても自分の非を素直に認め、将来の婚約者に幸せにすると誓う姿。
エクセレアは、彼の評価を改めた。
『なんて凡庸で…可愛い人間だろう』
その「可愛い」という評価が自分のどんな気持ちに起因するものかは敢えて考えずに、再度礼を取り、今度こそ庭園を後にする。
エクセレアは気付かぬ内に笑みを浮かべながら、順風満帆過ぎて味気なかった日常が、退散していく気配を感じていた。