3.単純作業はチート級
ジェイクに連れられて向かった作業部屋は、一言で言うなら「牢獄のような場所」だった。
天井には一応照明らしきランプがぶら下がっているが、カタカタと揺れるたびに薄暗い光が不規則に点滅している。
部屋の中央に鎮座する巨大な木製のテーブルには、まるで獣に引っかかれたかのような無数の傷が刻まれていた。テーブルの隅を軽く指でなぞると、ザラリとした感触が指先に残る。
その横には、これでもかとばかりに箱が山積みにされている。中身は分からないが、まるで生ごみのような異臭が鼻をついた。
新人たちがテーブルを囲んでずらりと並ぶと、まるで詰め込まれた家畜のように肩がぶつかり合い、息苦しさを感じる。
「お前らには、目の前にある素材の仕分けをしてもらう。これから指示する通りにやってみろ」
ジェイクが用意した仕事は、ごくごくシンプルな作業だった。
冒険者から買い取った魔物の素材が雑多に詰められた箱。その中身を確認し、種類ごとに分類して仕分け用の箱に移す。
一箱分の仕分けが終わったら、報告書に素材ごとの個数を記録し、素材調達課と呼ばれる部署の受付まで持っていく。
――それだけだ。
(現代なら工場で機械にやらすような作業だけど……最初はこれくらい簡単な方が助かるな)
ただし、問題なのはその"量"だ。ジェイクによると、今部屋の中に置かれている箱以外にも、入りきらなかった素材が山ほどあるとのことだ。
(前の会社では、何十時間も書類整理をさせられたことがあったなあ。根気にはちょっと自信があるし、こういう単純作業ならむしろ歓迎だ)
そう思いながらクロダが横をチラリと見ると、隣の男が青ざめた顔で呆然と立ち尽くしていた。他の新人たちも同様に悲壮感を漂わせている。
「こんな作業、人間にやらせていいものじゃないだろ……!」
「今から、魔王軍に転職してしまったほうが楽なのでは……?」
「助けて、お母さぁぁぁん……」
(そんな深刻そうな顔をしなくても……確かにすごい量だけど、だいぶ手加減してくれてると思うけどな。みんなで力を合わせれば、二徹はしないで済みそうだ)
クロダが楽観的な見通しを立てている一方、新人たちは恐る恐るジェイクの顔色を伺っていた。誰もが不安を隠しきれない様子だ。
「よし、すぐに作業を始めろ。全部終わったら、今日は上がっていいぞ」
ジェイクは素っ気ない口調でそう言うと、どこかから椅子を持ってきて部屋の隅に腰を下ろした。
(終わるまで見ていてくれるのか。今まで出会った教育係は、指示だけしてどこかに行ってしまうばかりだった。それに比べれば、ずいぶんと手厚い教育体制だ。)
クロダは感心しつつ、気を取り直して目の前の素材箱に手を付けた。
◇
作業は、なかなかに大変だった。
配布された紙に書かれたとおりに素材を仕分けていくのだが、さすがは異世界、見たことのない素材ばかりだ。
赤い毛皮に緑色の肉、ピンクの羽――どれも鮮やかな色合いで、とても生き物から採取されたものとは思えない。
(これが、えーと……ワイルドバードの羽、か。数は、15……いや、16枚か。こっちは、うげっ、スモールラビットの臓物……こんなのもあるのか。ぬめぬめして気持ち悪いな)
心の中で愚痴をこぼしながら、クロダはぬめった手をズボンで軽くぬぐった。
目の前で作業していた男がその様子を見て驚きのあまり手を止め、化け物を見るような目でクロダを凝視する。
(ん? ああ、このぬめぬめが気になるのか。もしかして、ミミズとか、触れないタイプの人なのかな? それならちょっと気の毒だな)
クロダが細かいことを気にも留めずに淡々と作業を進めていく中、周囲からはうめき声が次々と上がってくる。
「俺はもうダメかもしれない……みんな、今までありがとう……」
「これは……走馬灯か……?」
「あはは……もう終わりなんだぁ……」
ジェイクは立ち上がると、うずくまる新人たちの胸ぐらをつかんでテーブルの方へと突き飛ばす。
「おい! 貴様ら! 休んでないで手を動かしやがれっ!」
新人たちはよろよろとテーブルにもたれかかるが、作業がなかなか手につかない。
クロダはそんな周囲の様子を見て不思議に思った。
(さすがに大げさな気がするな。普通、どんな会社でもこれ以上にキツイ作業は日常茶飯事のはずだけど……)
しかし、そこでクロダはふと一つの可能性に思い至った。
(もしかして、皆はこのギルドが初めての職場なんだろうか? そうか! それなら納得だ。俺も一年目の頃は、毎日辛くてトイレで泣いていたなあ)
クロダは一人納得し、高速で手を動かしながら何度も小さく頷いた。
「甘えんじゃねぇ! 明日の朝までここにいるつもりか、使えねぇ野郎どもめ!」
依然として動きの鈍い新人たちに、ジェイクが大声で追い打ちをかける。
(みんな、今は我慢の時だ。一か月もすれば、心を無にして働けるようになるぞ……)
クロダは心を鬼にして周囲の声をシャットアウトし、自らの作業に没頭した。
◇
やがて、クロダの目の前の箱は空になった。
次は、報告用の書類に素材ごとの個数を書き込んでいく。この世界には、パソコンもなければ電卓もない。
(どうやら、この世界に魔法はないらしい。となれば、地道にやっていくしかないか……)
書類を書き終えて顔を上げると、新人たちの中では一番乗りだった。クロダは仕分け済みの素材が入った箱を両手に抱えた。
作業部屋を出て、納品先である素材調達課へと向かう。二階から一階へと階段を降りたところで、何やら人だかりができていることに気づいた。
扉の前に、一人の男が這いつくばっていた。男が出てきたと思われる扉には「製品加工課」という文字が見える。
「ひ、ひぃ、た、助け……」
人だかりに近づいて様子を覗き込んだクロダと、這いつくばる男の目が合った。息も絶え絶えに助けを求めようとするその声が終わらぬうちに、扉の奥から現れた別の男が男の首根っこを掴んだ。
「逃げるんじゃねぇ! まだ仕事は終わってねぇぞ!」
男はそのまま引きずられ、扉の向こうへと連れ戻された。直後、バタンと扉が閉まり、中からは悲痛な叫び声がわずかに漏れ聞こえてくる。
周囲の人々は顔を引きつらせながらも、誰一人として止めようとはせず、人だかりはすっと引いていった。
(かわいそうだけど、俺も人に構っている余裕はないんだ。まずは、自分の仕事をきっちりこなさなくては)
クロダは真面目な表情でひとつ頷くと、気を取り直して歩き出した。
◇
ようやく素材調達課に到着すると、受付に立つ男がクロダの姿を見て、フンと鼻を鳴らした。
「そこに置いていけ」
男は首だけを動かし、通路脇の空いているスペースを示す。クロダは言われた通り、その場所に箱を置いた。
(不愛想だけど、初対面の新人相手ならこんなものだろう。もっと頑張って、顔を覚えてもらわないとな)
そうして再び作業部屋に戻ると、休む間もなく次の箱が目の前に運ばれてきた。
(前の会社の上司なら、こんな仕事あっという間に終わらせてただろうけど……俺みたいな無能は、地道に頑張るしかないな)
ふぅ、と一息ついて部屋を見渡す。最初と比べて、部屋にいる人数が減っているような気がする。
残っている者の中でも手を動かし続けているのはごくわずかだ。
床に倒れ込んで泡を吹いたり、突然笑い出したり、臓物でキャッチボールを始めたり……何やら様子がおかしい。
(途中で手を止めるのは、逆に効率が悪いんだよな。仕事中に休憩を取るなんて、激辛カレーを食べてる途中に水を飲むようなものだ。俺はその境地にたどり着くまで、一年かかったけど)
クロダは懐かしさに浸りながら遠い目をして、それでも黙々と手を動かし続けた。