2.夢のような勤務体系
「さて、勤務時間について説明する」
ジェイクはそう言うと、新人たち一人ひとりの顔を順に鋭く睨みつけていった。
新人たちは息を呑み、誰一人として身じろぎすらしない。
ジェイクは手元の資料に目を落としながら語り出す。口調は淡々としていたが、言葉の端々には苛立ちが滲んでいた。
「始業は朝8時だ。その後、1時間の昼休憩をはさんで17時まで働いてもらう。契約上はそこまでだが、実際には20時まで働くのが基本だ。覚悟しておけ」
ザワリと空気が揺れた。誰かが小さく呻き、誰かが呆然と天を仰ぐ。不安が、静かに、しかし確実に伝染していく。
「残業前提だなんて、ありえない……」
「おかしい……ここ、"アットホームな職場"って言ってたよな……?」
「こ、怖いよう……助けて……この世の地獄だぁ……」
その様子を見たジェイクはため息混じりに舌打ちし、勢いよく床を蹴り鳴らした。
ダンッ!
鋭い音が部屋中に響き渡り、新人たちはギョッとして一斉に口をつぐんだ。
(みんな、何をそんなに動揺しているんだ?)
クロダは心の中で首をひねりながら、静かに周囲を見回した。
新人たちは皆、肩を震わせ、うつむき、なかには目に涙を浮かべている者までいる。
(もしかして、勤務時間が短すぎて、拍子抜けしてるのか……? たしかに、日付が変わるまで働くのが普通だったもんなあ)
クロダは一人、深く頷きながら納得し、再びジェイクの話に耳を傾けた。
「次に休日についてだ。原則、6日働いたら1日だけ休みを与える。それ以外の休暇は認めん」
(週一で休みだって……?! 休日出勤なしで、本当に?)
あまりの衝撃に、クロダは思わず声を上げてしまった。
「週一で休めるなんて……そんなにたくさん休んで大丈夫ですか?!」
「……給料はこの街の最低賃金に少しは色を付けてある。金が欲しいなら、ガンガン残業して残業代を稼ぐんだな」
「残業代が出る! 働けば働くだけ給料が増える仕事……まさか、そんな夢みたいな会社が実在するなんて!」
「っ……それと、給料からギルド親睦会の会費を天引きする。親睦会は全員強制参加だ。文句は受け付けん」
「事前告知ありで強制! なんて誠実なんだ……前の職場は知らないうちに天引きされてましたよ……!」
「黙って聞けっつってんだろ!!」
ジェイクは的外れな感動を連発するクロダに耐え切れず、とうとう怒鳴り返した。
一人、感動で目を潤ませるクロダとは裏腹に、周囲は阿鼻叫喚の地獄と化していた。ジェイクの声など、もはや誰の耳にも届いていない。
「ありえない! 現代の地獄だ、ここは!」
「職員を何だと思ってるんだ! 奴隷じゃないんだぞ!」
「もうダメだぁ……許してよぉ……」
その時だった。
クロダの斜め前にいた男が、おずおずと手を挙げた。線の細い体つきに眼鏡をかけ、理屈っぽそうな雰囲気……見るからに曲者という印象の男だった。
周囲の新入りたちも息を呑んだ。「おお……!」と、まるで英雄の登場を見るような眼差しが集まる。
「あ、あの、お言葉ですが……先ほど説明いただいた給料の水準ですが、王国で定められた労働法に抵触している可能性が……」
ジェイクの眉がピクリと跳ね上がる。
「あ? 何か、言いたいことがあるのか? 言ってみろよ、テメェ!」
「あ、い、いえっ、大丈夫です……」
男は一瞬で顔面蒼白になり、声をしぼり出すようにしてすごすごと引き下がった。
(一体、彼は何を言いたかったのだろう)
クロダには、手を挙げた男や他の新人たちがなぜそこまで不満げなのか、まるで理解できなかった。
(勤務時間は短い、休みもたっぷり、一生懸命働けば残業代がガッポリ。文句のつけようがない、素晴らしい職場なのに……)
これまで自分が働いてきた会社と比べれば、ここがどれだけ良心的か――クロダはそのことを新人たちに説明してやりたかった。
だが、怒気をはらんだジェイクの鋭い視線を前にして、さすがにこの場面で喋り出すのは気が引けた。
一方のジェイクはというと、睨みだけでは新人たちの動揺を抑えきれないと見たのか、声のボリュームをさらに一段階引き上げた。
「食事には、ギルド内の食堂を使ってもよい! それと、自宅から通う者以外は、職員用の寮があるからそこに寝泊まりしろ! 部屋は多少狭いが、文句は認めん!」
(家も飯もついてくるだって……? 俺、そろそろ死ぬのかな……)
クロダは思わず耳を疑った。
異世界に放り込まれ、所持金も宿もなかった彼にとって――衣食住が全部そろっている職場など、まさに理想郷だった。
(こんな超優良ギルドを紹介してくれるなんて……あのとき声をかけてくれた男には、今度うまい酒でも奢らせてもらおう)
クロダが感動のあまり目を潤ませている間に、気がつけばジェイクの説明は終わっていた。手に持っていた資料をパタンと閉じ、ジェイクが顔を上げる。
「よし、ここからは研修の時間だ。貴様ら! 今すぐ俺の後について作業部屋に移動しろ!」
「はいっ!」
クロダが間髪を入れずに大声で返事をすると、ジェイクは明らかに面食らった表情を浮かべた。だが、すぐに咳払いを一つして、何事もなかったかのように歩き出す。
クロダは夢のような勤務体系に感激し、すこぶる上機嫌だった。きびきびとジェイクの背中を追う。少し遅れて、他の新人たちも重い足取りでついてくる。
「クソッ、逃げ出すタイミングがない……」
「もう、俺の人生はここで終わりなのか……? あまりに、あっけない……」
「うぅぅ……殺されるぅ……殺される前に死んでやるんだぁ……」
そんな絶望の声が後方から聞こえてくる中、クロダは満面の笑みを浮かべながら、軽やかな足取りで作業部屋へと向かった。
(いやいや、みんな何を言ってるんだ。こんな素晴らしいギルドに入れたんだ。ここから、俺の社会人ライフ第二章が始まるんだ……!)