↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/53

【第3章-2.3】

訓練場の空気は、静かな熱気を孕んでいた。朝の冷気が僅かに残る空の下、男教師が前へと進み出る。くぐもった声が場を満たした。


「本日は、初級精法の精度を鍛える授業を行う」


精司は声を静かに聞いていた。


今まではこの世界の常識に呆然とするしかなかったが、ようやく少しずつ慣れてきた。


しかし、それで今までの授業に望む態度や発言が消えるわけではない。


自分でもわかっていた。異質だと思われていることを。


どこから現れたか分からない“転移者”、しかも全裸で。


さらに趣味を自慰と言ったことで、“この精界で禁忌とされる無意味に精を消費するような男”という印象は、容易く消えるはずもない。


(だからこそ、ここで……何か残さないと)


レイナと目が合い、微笑み掛けてくれたが、彼女との違いを知れば知るほどに近付き難くなる。


 彼女がそんなことで態度を変える人間でないことは知ってるし、隔離棟の扉の前で話した時間は今でも胸に残っている。


だからこそ、近付くことが恐いのだ。


整列した生徒たちの視線が自然と一点に集まる。教師が遠くの的を指さし、続ける。


「我々精法使いは、戦場において精力を纏って戦う。対して、精力を纏っていない弓や投石では、精法使いの防壁を貫けない。だからこそ、精を纏わせた遠距離攻撃――すなわち初級精法は、戦における基本だ」


(精子の鎧に、精液ぶっかけろって言ってる……)


精司は心の中で突っ込むが、この先入観が悪いのだと頭を振り払う。


言葉に籠もるのは、ただの知識ではない。

経験を重ねた者だけが持つ、凄みのようなもの。


「今や戦のない時代だ。だが、それでも“使えない”のと“使わない”のでは話が違う。……まあ、これは余談だな」


小さく咳払いを一つ。続けざま、声を張る。


「いいか。精法すら使えなければ、相手が精法使いだったときに、君たちはなす術がない。そのことを、肝に銘じておけ」


生徒たちが小さく頷き、息を呑む音が重なる。


「威力も速度も大事だ。だが、まずは精度。的に当たらなければ意味がない」


そう言って、教師は手を振り、訓練開始を告げた。


「それぞれの的に並び、印の位置から三発ずつ精射して交代。順に回せ。整列!」


生徒たちが一斉に動き出す。淡々と、それでいて一人ひとりの胸には高揚と緊張が入り混じっていた。


ーーボロン。


一斉に男子生徒たちが、下半身から“精杖”を露出する光景は、いまだ慣れない。とてもじゃないが。


(カオスの権化だ……)


生徒たちは列を成し、順に精法を放っていく。

整然としたその動きには緊張が張りつめていたが、どこか儀式めいた神聖さもあった。


精司は、焦りを抱えながらも彼らを観察していた。

自分の番までに、何かを掴まなければならない。


精法演習――精杖、導杖を使い、精を的に撃ち放つ。

的中そのものが競技の評価ではない。本質は精の循環と放出時の完成度にある。


(……的当て系の競技はだいたい脱力と意識の一点集中、つまりいかに交感神経と副交感神経の噛み合わせるかを競うものだ)


弓矢や銃弾ではなく、全身に巡る熱や精の波でそれをやっていると考えると、分かりやすかった。


的に当てた時ーー


(緊張してたけど、精射の前に一度大きめに息を吐いて脱力した。丹田への意識は無かったけど、それが逆に良い脱力に繋がったかも)


先程の生徒の様子を思い出す。


精射前に大きく息を吐き、丹田への意識も無く、自然体で放った精が見事に的を貫いた。


的を外した時ーー


(さっき当てた喜びで、副交感神経と交感神経をバランスが乱れたね。これじゃあ、波は感じ取れないよ)


喜びに浮かれて神経が乱れた。交感神経と副交感神経の噛み合わせがズレれば、精は乱れる。


観察を続けるうちに、精司はふと気づく。


(……なんだ、やってることは自慰の内省のみで行うドライオーガズムそのものだ)


生徒たちの精杖を通じて流れる精。その練り上げの速度、質、意識の深度。


すべてが如実に表れていた。


(……みんな練り上げる精の速さも意識もまだまだ足りてない)


自分にもできるかもしれない――そんな小さな自信が、胸の内に灯る。


「次、レイナ・ヴァルエレナ」


その名が呼ばれた瞬間、空気が変わった。

精司の背筋にぞくりと冷たい感覚が走る。


レイナが静かに立ち位置へと進み出る。

その所作だけで、場が支配される。


導杖を胸前に掲げた瞬間、周囲の空気がふっと湿り、温度が上がる。

目に見えない精の波が、空間をゆるやかに震わせた。


精司は思わず、喉奥で息を呑む。


彼女の立ち姿は、ただ立っているだけで完結していた。


姿勢は完全な脱力、だが重心は地を抉るように安定し、まるで大地に根を張った樹のように――揺るがない。


やがてレイナは、静かに目を閉じた。


呼吸とともに、精が静かに練り上げられていく。


その流れは可視化されていないにもかかわらず、誰の目にも“見えた”。


杖に精が満ち、巡り、澄んだ水のように一点に集束する。


そして――


放たれた。


音すらなかった。


一射目、的の中心を迷いなく貫通。

残心を保ったまま、呼吸ひとつで再び構える。


二射目。


放たれた精は、三発に分かれ、中心から花のように広がって着弾。明らかに意図的な分岐だった。


三射目。


六発に裂かれた精が放たれ、的の縁をなぞるように収束。

ただの命中ではない。そこには制圧の意図と戦略的な精の展開が組み込まれていた。


その射は芸術ではなく、戦術だった。


精の密度、制御精度、そして再現性。

どれ一つとっても他の生徒とは異なる次元にあった。


場にいた者は、誰一人として言葉を発せなかった。


(……すごい。なんて、美しいんだ)


精司は、彼女の放った精の軌跡から目を離せなかった。

そこにはただの技巧ではない、**精神性と肉体性が融合した“精の舞”**があった。


その一瞬、レイナ・ヴァルエレナは、間違いなくこの場の誰よりも強く、そして、美しく輝いていた。


◇◇◇


 「素晴らしい、上出来じゃないか」


 男教師が満足げに手を叩いた。乾いた音が訓練場に響くと、場の緊張がわずかにほぐれた。


 「流石は名門、勇者の末裔ヴァルエレナ家と言われるだけはある。私も君ぐらいの年齢の時にはとてもその精度は出せなかった」


 言葉には賛美と僅かな羨望が混じっていた。教師の言葉に押されるように、まばらな拍手が起こる。重く張りつめていた空気が、少しだけ揺らぐ。


 レイナは一礼しながら答える。


 「お褒めの言葉、光栄です。ありがとう御座います。でも……精度は良くても、威力が足りていませんから」


 その声音には謙遜の色があった。けれど、それは事実でもある。彼女自身が認めているのだ。まだ、足りないのだと。


 「そうだな。より強い精法を放った生徒は、他にもいた。精度と威力、そして即射速度のバランスを取るのは非常に難しい。みんなも、いろんな生徒のやり方を見て学んでほしい」


 男教師の声が訓示の締めくくりとして場に染み渡る。再び静寂が戻った。だが、その数秒の静けさは、誰にとっても耐え難いほどに長く、重たかった。


 誰もが――今の精法を、そしてその残響を引きずっていた。


 レイナ・ヴァルエレナの放った精の軌跡は、場に残された者たちの胸に焼きついていた。


 (……次に呼ばれるのは、自分だ)


 精司は、胸の奥で予感していた。


 空気が変わった。

 精の密度が場から引いたような、奇妙な感覚。


 そして、名前が呼ばれた。


 「……次、鬼頭 誠司」


 その声が耳に届いた瞬間、精司は動けなかった。


 あまりにも鮮やかで、理知的で、完璧に制御された精法。

 レイナが放ったそれは、ただの技術ではなかった。

 彼女の存在そのものが凝縮されていた。美しく、強く、静かで、決して崩れない。


 その余韻が、まだ感覚の奥に残っていた。


 遅れて立ち上がり、一歩を踏み出す。


 その一歩に、彼の中で何かが確かに変わっていた。


 (……越えることなんてできない。だけど……)


 “観てしまった”――その事実が、彼を内側から変えていた。


 いまの自分では足りない。けれど、変わりたい。

 この世界で、名を呼ばれ、立ち上がった意味を果たしたい。


 レイナが静かに彼を見つめていた。

 その眼差しは、どこか心配そうで、けれど温かかった。


 彼は、孤独だった。

 家族も、友も、何も持たないまま、この精界に流れ着いた。


 周囲の視線が冷たいことも分かっている。


 精を粗末に扱う“異端者”。

 正体不明で、規律を理解しない転移者。

 その烙印は、簡単には消えない。


 なんとか助けてあげたい。支えになりたい。


 そう思いながらも、レイナは、ただ見つめることしかできなかった。

 届きそうで届かない距離。差し伸べたい手は、ただ空を切る。


 彼は助けを求めてる。

 それでも、彼は自分で自分を救おうと足掻いてる。

 だから、私の出番はない。

 

 でも、だからこそ、私は彼を見ていると、それが痛々しく、辛い。

 どうか――あなたを、私に助けさせて。




 精司は、静かに立ち位置へと歩み出る。

 その眼差しに、もはや迷いはなかった。


「頑張れ。期待してるぞ」


 男教師が彼の肩を軽く叩いた瞬間、微かな震えが走った。

 掌に伝わる“違和”――教師の表情が一瞬だけ強ばる。


(……この精、もう……?)


 精司の身体全体に、すでに精が循環していた。

 陰茎、丹田、みぞおち、心臓、喉、眉間、頭頂部──いわゆる七つの精節を越え、皮膚、筋、骨、毛先にまで精が巡る。


 しかもそれは、力んだ呼吸や構えに由来するものではなかった。


 彼の姿は、ただ自然体だった。


 肩の力は抜けきり、だが決して弛緩しているわけではない。

 全てを捨てたのでもなく、すべてを満たしたのでもない。

 彼はただ、「在る」だけだった。


 背骨は天と地を貫き、軸として揺るがず、

 呼吸は風のように静かに出入りし、空間を撫でる。


 その身体全体が、一つの“精”として練られていく。

 意図や作為のない、純粋な精。


 輪郭が淡く波打ち、存在が情報として揺らぎ始める。

 まるで“自己”という構造が分解され、精の粒子へと還元されていくようだった。


(……これは……)


 教師が低く息を呑む。


「精の循環ではない……。自己存在そのものを精に分解し、揺らいでいる……?」


 精司の周囲には、微細な精の粒子が漂っていた。

 まるで命の残滓、あるいは光の花弁が空間に舞うように。


 その場にいた全員が、言葉を失った。

 理解を超えた“なにか”が、そこにはあった。


 それは神秘でも、術でもなかった。

 ただ“そうなってしまった”という現象として、不可視の中心に彼がいた。


 ――だが、次の瞬間。


 すべてが止まった。


 揺らいでいた精は静まり返り、流れていた波は引くように、彼の内側へと収束していく。

 身体は確かにそこにあるはずなのに、彼の内側から熱も光も消えていった。


 精射されるはずだった精は、放たれなかった。


 その代わり、精司はふとした表情で目を細める。


(……精射……?)


 その言葉に、違和感が生まれる。

 なぜ“放つ”必要があるのか。なぜ、射精しなければならないのか。


 精とは生命の核。子を産むための神聖な力であるはず。

 的に当てるために使っていいものなのだろうか?


 今、この身体に、精を捧げるべき相手はいるだろうか?

 ……いいや、いない。


 教師の声が、やや戸惑いを含んで響いた。


「……急にどうした? これはただの的当ての授業だぞ?」


 精司は、静かに首を傾けた。


「すいません……精射の仕方が、わからなくて」


「……わからない……? あんな精を巡らせておいて……?」


「はい、すみません……」


 その言葉には、作為も演技もなかった。

 ただ、正直な困惑が、そこにあった。


 男教師はしばらく言葉を失ったまま、無言で彼を見つめていたが、やがて小さく頷き、列の後ろを示した。


「そ、そうか……まあ、初めはみんなそんなもんだ。他の生徒のやり方を見て、参考にしなさい」


 精司は一礼し、静かに後ろへと戻っていく。


 ――その背中を、誰もが目で追った。


 授業は再開された。


 しかし、誰の目にも焼きついていたのは、的を貫いた精の美しさではなく、“放たれなかった精”が孕んでいた異質な輝きだった。


 その日、精司の精射が成功することは、なかった。


 だが、誰よりも“神聖”に近い何かが、確かに彼の中に芽生えていた。

2025/6/19

物語の整合性取るために、追記しました。


こいつら、オ◯ニーで弓道をやっていやがる……

弓道とはドライオーガズム(暴論)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。