8話
「妾はお前が好きだ」
久しぶりに惹かれた。
星空を妾が映し返すあの感じ。
そして、微かに感じるこの懐かしさを知りたい。
絵本の中のようなそれは期待できないからと求愛してみる。騎士は口に含んだ血を吹きかける。
「――っ」
「倒して欲しいのだがな」
「元々魔王を倒す目的で来ていたし、今もそのつもりではあるな」
「おお! やってくれるか」
「名前も知らない者に願うのか?」
「名前かあ」
妾は懐かしむ。
一体どういう名だったか。
みんなからなんと言われていただろうか。
あの者は知っているのかもしれないな。
「魔王は本当にいるのだろうな?」
「いるよ」
「会っているのか?」
「ドア越しで。向こうは妾を縛っているから、報復が怖いのだろうよ。だからこそこうして監視している。お前の言う魔王が妾と愉しく話しているから、多分怒り狂っていることだろうよ」
妾の周りに漂っている蝶。
自由に揺蕩う一匹を己の指に留まらせる。
騎士もまだ勇者たちと一緒にいた時に一瞬でも遭遇したことがあるだろう。
「ほう。では、私がお前に噛み付いたのも不快だろうな」
初めてニヤリとした。
血に濡れているからちょっと怖い。
いつの間にか便通り越して管を啜っているし左の小手も外していた。両手は黒い手袋だけ。
鎧は腕の左側だけ。
そして、下半身と首周りのものだ。
鎧のストリップなんて場末のバーや娼館でも中々みることはない。見ていて面白い。
しかし、内に着ているのも黒か。
妾から見る騎士は真面目で実直。柔軟性があり騎士としては仕事一環であるが、騎士という皮を剥がせば元々やんちゃで冷徹な面もあるのかもしれない。
飢えているとはいえコップを使うのもやめるくらいだしな。
……良い一面を知った。
まだあるのだろうな。彼が持っている血液入りのどす黒く変わり果てたコップみたいに。
『お嬢……みんな貧血になりそうなんですが、まだ必要ですかい?』
「あ、ああ」
騎士をチラリと見る。
こくこくと喉越しの良い飲みっぷりをかましているが、妾に気づいてくれた。
親指と他の指で隙間をつくる。もう少し欲しい、道中用にとっておきたい。そう言うことだろう。
「リュネだ」
「?」
妾が交渉していると満足したらしい騎士が呟く。咄嗟に反応ができなかった。
なんの名称か聞くまでもなく騎士が再び告げる。
「リュネ・リバーサイド。私の名前だ」
「あ、ああ!」
「お前の名は後で……縛りをとってからでも良い。……――大体名も知らぬ男に好きだと吐かすとは……。あれをプロポーズとは言うなよ? お前のは好意よりも研究対象に近い物だと思うがな」
「……?」
「もういい。忘れろ」
そういうのは知らないのかと言う呆れもあるようだ。
妾は自分の想像以上に無知らしい。それか知らないうちに妾の中で常識だったことが変わってしまっているのかもしれないな。
好きだと伝え、口付けすれば引き連れる。
そういうことが妾の中での求愛。
久しぶりに外を知りたくなってしまった。
そういえば、小説上は全く違ったな。愛憎入り混じった色んなストーリーが展開されていた。
そうだ。
もしも自由を手に入れたなら再び世界でも回ろう。寂しくなったらここのダンジョンの魔物たちを召喚して楽しむのも良い。
リュネは十分、いやそれ以上に体力を取り戻したようだ。
剣を振り回す。
吸血鬼特有の技でも編み出そうとしているのか。それとも月の何回か過ぎ去った後だ。
感覚を思い出すためのただの素振りか。
しかし。
やっと名前を聞けた。
そもそも妾はここまでこいつに執着してしまっている。己に驚きだ。
――リュネ。
リュネ、リュネ。
心の中でその名を刻んだ。