19話
「おいで」
リュネが倒れたのを確認して、魔王が妾を誘う。
その言葉で拘束魔法が解ける。
まだ、足枷のせいで魔法が使えないのがもどかしい。
こちらが近付けば無防備な胸に近距離で魔法でもなんでも打てるのに。
立ち止まっていると向こうがひらりと手を招く。
足が自然と動く。
動かすまいとしていても、どうにもならない。
抵抗もあって、ギクシャクと動く足。
リュネの倒れている元まで来た。少しだけ息で胸が動いている。ホッとした。
もし魔王を倒せたら、腹一杯食わせてやろう。
魔王はもはや倒れている者のことは眼中にないようだ。
水だけをみている。
妾が言い淀む。
潮騒の中。唯一響くごりごりという硬そうな咀嚼。
「りゅ、リュネ?」
犬歯が砕ける音が聞こえた。確かに戻るのだろうが、妾としては心痛い。行くなと言っているのか。
それとも……。
足枷にヒビができる。
歩けば砕けていく。魔王はずっと手をこちらに差し出したまま、妾を眺めている。
これなら奴に気づかれずに。
「……これで、魔法、使えるだろ」
「!」
掠れた声が辛うじて聞こえてきた。
言葉にせず、ありがとうと伝える。
そしてゆっくりと魔王に近付いていった。
顔は見えなくとも嬉しそうに奴は両腕を広げる。妾を待っている。
浅瀬にいるやつの元まで歩く。
足元は水飛沫で見えなくなった。
足枷が無くなるのが良くわかる。無くなってしまってはあの束縛さえ少し物寂しい。
水の重さが代わりになって心地よい。
これで魔王もわかるまい。
「ああ……――?!」
抱擁をする前に泡がたち始める。魔王は振り払おうとするが水面を乱すだけでどんどん覆い尽くされていく。
泡沫は次第に蟹の形を形成し、登り詰める。
蟹が足元に浸かる水から這い出て、彼に登り始める。
「嬉しかろう。喜んで良いぞ。妾なりの抱擁だ。これでお前の好きなモノと一つだ」
蟹は山盛りになるまで湧き出てくる。うめき声も聞こえない。これもまた嬉しいのだろうか。
ぶくぶくと泡を立てる。
山盛りになった蟹が縮んでいく。
その一つが妾の体にも這い上る。
それを手のひらに載せて撫で上げる。
「さよなら」
体が完全になくなり別れの挨拶をしてから、空の月が割れ始める。
いや。この空間全体がヒビ割れていく。
ここにいては空間ごと妾たちも消えてしまう。
咄嗟に駆け出し、リュネの元へ。
「リュネ!」
「やったな」
リュネが妾を誉めてくれる。とても嬉しくて、頬が蕩けそうだ。
――が、このままだと共倒れだ。
血潮に倒れる彼をどうにか抱え、手を翳す。
潮騒の音を後ろに聴きながら、空間魔法を使って外へ出た。




