旅立ち
今日、彼は十七歳になった。
待望、待ちに待った日だ。
「おはようオッサン。良い朝だね」
階段を駆け下りながら、声を掛けた。
「よお少年。そして誕生日おめでとう」
オッサンはいつも通りだ。少し粗雑に生えた髭に、サングラス。
そして似つかわしくない女性用エプロン。不協和音と言う言葉を見事に表現している。
「さっさと朝飯食え。今日、横断鉄道に乗るんだろ?」
彼らは矮小な国、いや国とも呼び難い地域に住む二人だ。
そして今日、その少年は大きな一歩を踏み出す。
「オッサン本当に良いの?」
硬いライ麦パンを頬張り、少しパンくずが零れた。
「別に止めもしないよ。むしろ女連れ込み易くなって、願ったり叶ったりだ」
窓辺に腰掛け、シケモクに火をつけた。オッサンはタバコを吸う時に窓を開ける。
外の空気が美味いらしい。少年に分かり兼ねる感性であった。
「ありがとオッサン」
パンを口に押し込み、少年は二階へ向かった。
「準備は済んでるから、少し待ってて」
去り際にオッサンに声を掛けた。口の中にパンが詰まっているので、少し響きが悪かった。
「ったく。そそっかしい奴だな」
欠けた皿に吸殻を押付けると、少し燻った。
少年とオッサンに血縁関係は無い。
雷雨の夜に、少年は親元を経った。敢えて言うなら、それはオッサンの考察だ。
事実は誰も知らない。オッサンの家に来た少年を、彼は迎え入れた。
なぜ彼は少年を迎え入れたのか?それはオッサン以外、知る由もない。分かることは一つ。オッサンには人並み以上に慈しみの心があったことだ。彼と少年の共に生きた十数年、彼は一度も飢えることなく暮らせた。
駅のホームで少年とオッサンは惜別の間を過ごしていた。
「達者でな少年。俺が肺ガンで召されるまで、息災でいろよ」
オッサンは嗚咽を噛み締めた。独りで過ごしてきた彼にとって少年は、家族以上の存在であった。
「ありがとうオッサン。泣かなくても大丈夫」
少年の目に、雫はなかった。果てしなく続く線路と地平線。彼は、その先にあるものを見据えていた。
「泣いてなど居ない。ススが目に染みるだけだ」
オッサンは自身のポケットをまさぐり、彼にあるものを手渡した。袋に入っていて、中身は不明だ。
「餞別だ。立派な人間になれよ」
少年は袋を受け取り、彼に背を向けた。
「行ってくるよ」
多くは語らぬ背中に、オッサンの涙腺は崩れた。
自分の座席に座り、袋を開けた。
中にはゴーグルと手紙。
「胸を張って生きろよ」
少年はキッと歯を食いしばり、呟いた。
「行ってきます父さん」