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黒の人  作者: ひじり
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【八章】道端の会話

 エズとカーミンは、森の中を歩いていた。

 緑色が広がる空間は、小型ソリで雲の上を走るだけでは見ることができない。だからたまには自分の足で下界を一歩ずつ進むのも悪くない、と。

 とある理由があるにせよ、カーミンは森の中を歩くことを提案した。

「ほら、来てよかったでしょう?」

 木々のざわめきが耳に安らぎを与える。

 不安など微塵も感じさせない木漏れ日の中に、カーミンは頬を緩める。

「確かに、たまにはいいかもしれないな。健康的になる」

 不思議と心が落ち着くのは、植物が成せる力なのだろうか。エズは辺りを見回す。

「ジブンノアシデアルカネートモロクナッカラナー」

「クマーはいつでもわたしが抱っこしてるけどね?」

「ハアー? ダッコサレテヤッテンダヨー」

 古臭いクマのヌイグルミを抱えるカーミンは、気にせずに森の中に作られた細い道を進んでいく。少し後ろを、エズがのんびりと歩いている。

 それにしても、とカーミンが呟き、くるりと回ってエズと目を合わせる。

「まるでわたし達以外、誰もいないみたいだわ」

 鳥の鳴き声は聞こえてくるが、確かに人の気配はない。

 この森の中にいるのは、エズとカーミンだけなのではないかと思えてしまう。

 しかしながら、エズは知っている。すぐ傍に人のようなものがいることに。

「前を見ろ。後ろ向きで歩くと危ないぞ」

「子供じゃないんだから転んだりしないわ」

「転ばなくとも躓く」

「え? ……きゃっ」

 指摘されて前を振り向くと、足下に何かがあった。

 全く気付かなかったカーミンは、それに躓き体勢を崩す。

「ほら、だから言っただろ」

 躓き転倒するかに思われたが、予めこうなることを予測していたのだろう。

 エズがカーミンの手を取り、抱き寄せる。

「ありがと、エズ」

 危ないところだった、とカーミンは安堵する。だが、何かを忘れている。

「オイコラテメー、オトスンジャネーゾ!」

「あっ、ごめんねクマー」

 何かに躓いた拍子に、カーミンは胸に抱いたクマーを落っことしていた。

 地面に落ちて転がったクマーは、土埃にまみれてご立腹だ。

「アトデオボエテロヨ、コンチキショーガ」

 ブツブツと呪詛のように愚痴を垂れるクマーを抱き上げ、その体を思い切り叩く。

「グヘッ、ゴフッ、テメエモットヤサシクシロッテンダ!」

「汚れを落としてるんだから文句言わないの」

「ダレノセーデコーナッタトオモッテンダ!」

 カーミンとクマーの口喧嘩に割り込まず、エズは黙ったまま別の場所へと視線を落とす。

 エズの瞳に映り込むのは、真っ赤な液体だ。

「そういえば、わたし何に躓いたのかしら?」

「これだな」

「えっ!?」

 カーミンが、エズの目の先を追う。すると、道端に血まみれの女性が倒れていた。

「ひっ!! こんなところに……ッ」

 たまには森の中を歩くのも悪くない。

 そう思っていたカーミンだが、まさか血まみれの女性に躓くとは思っていなかった。

「……だ、誰か、いる……の?」

 カーミンの声に反応したのだろう。

 血まみれの女性は、体を震わせながら手を伸ばす。そして、絞り出すように声を発した。

「お、お願い……あたしを、助け、て……ッ」

 瞼を開け、女性はエズとカーミンの姿を認識する。

「ううっ、エズ……この人が……」

 伸ばされた手が、カーミンの足を掴みそうになる。だが、驚いたカーミンは咄嗟に一歩引いてしまう。今にも死にそうな状態の女性を前に、エズは冷静だ。

 何が起きたらこんなことになるのか、実は既に知っているからだ。

「無理です」

 故に、エズは返事をする。助けるのは無理だと。

「なん……でっ」

「だって貴方、既に死んでいますから」

 死んでいる、と答える。その女性は、何を言われたのか理解できないはずだ。

 今こうして喋っているのに、既に死んでいると言われたのだから当然だ。しかしながら、女性は案外簡単にエズの言葉を受け入れる。

「……あ、ああ。そういえばそうね。あたし、死んだんだったわ」

 軽い感じで言葉を紡ぎ、むくりと上体を起こす。

 先ほどまでの苦しそうな姿が全て演技だったのではないかと、疑ってしまいたくなる。

 自分が死んでいることに気付いた女性は、何事もないかのように立ち上がった。

「あたし、クヴィアって名前よ。貴方達は?」

「エズです」

「か、カーミンよ」

 未だ血まみれのクヴィアの姿に、カーミンは腰が引き気味だ。

「貴方達が通りかかってくれてよかった。おかげで死んでいることに気付くことができたもの」

 クヴィアの服には、血と土が混じっている。傷口からは今も止まることなく血が溢れていた。

「痛く……ないの?」

「これが?」

 カーミンが問いかけると、クヴィアは肩を竦める。

「全然痛くないわ。だって痛みよりももっと大切なことがあるもの」

「大切なことですか」

「私が死んだのにはね、理由があるの。それなのにね、頭がすっきりするまで忘れていたわ」

 理由がある、と答えた。

「貴方、赤の人でしょう? 私の願いを叶えて頂戴」

 エズの服装をその目に映した時から、クヴィアは気付いていた。エズは赤の人なのだろうと。

 だとすれば都合がいい。自分の願いを叶えてもらおう。そう考えた。

「ふふ、死人なのに願いがあるなんておかしいと思ったかしら?」

「別に思いませんよ。貴方の他にも出会ったことがありますから」

「そう、それなら丁度いいわ」

 エズの返事に満足し、クヴィアは微笑む。

「あたしね、恋人の命が欲しいわ。一緒に死にたいの」

 己の願いを口にしたクヴィアは、死ぬまでに何が起きたのかについて話し始めた。


 今から二年ほど前になる。

 クヴィアに恋人ができた。ノルトンという名の好青年で、結婚を誓い合った仲だ。二人でいる時間はとても幸せなもので、他に何もいらないと思えてしまうほどだった。

 しかしながら、いつまで経ってもノルトンはプロポーズをしてこない。ずっとずっと待っているのに、何故だろうか。クヴィアは疑問に感じていた。いてもたってもいられなくなったクヴィアは、ノルトンの交友関係を探る。そして気付いてしまう。

 自分の他に、女がいることに。

『あたし、必要とされていないのね……』

 悲しみに明け暮れた後、クヴィアは自ら命を絶つことを決めた。

 死で全てを終わりにしようと考えたのだ。


「あたしね、辛すぎて自殺してしまったの……。でもね、やっぱりほら、あたし一人だけ死ぬのって、不公平じゃない? どうせなら、彼を道連れにしようと思ったの」

 一人で死ぬのは嫌だ、だから恋人を道連れにする。それが、クヴィアの願いだった。

「どうかしら? あたしの願い、叶えてくれる?」

「無理です」

 笑顔で問うクヴィアに、エズは言葉を返す。

 すると、クヴィアの表情に変化が起きた。

「どうして? なんであたしの願いを叶えてくれないのかしら?」

「ぼくは気まぐれなんです」

「……は? 気まぐれならあたしの願いも叶えてくれたっていいいじゃない!」

 今にも掴みかかりそうな勢いで声を上げ、エズに訴える。けれども答えが変わることはない。何故ならば、エズは既に願いを叶えているから。

「死者の願いを叶えることも不可能ではありませんが、貴方の願いだけは叶えることができません。何故だか知りたいですか」

「教えなさい! 不公平は許さないわ!!」

 願いを叶えるまで、そして恋人のノルトンを殺すまで、クヴィアは止まらない。願いを口にし続けるだろう。喉を鳴らし、エズはクヴィアと目を合わせる。

「そもそも、貴方は付き合ってなどいませんよね」

「……なんですって?」

 だからエズは、此処に来るまでに何があったのかを話すことにした。


 それは、二人が森の中に入る数日前のことだ。エズとカーミンは、ノルトンと出会っていた。

『僕の願いを叶えてくれないか』

 ノルトンの心はすり減っており、精神的に参っているようにも見えた。彼の身に何が起きているのか訪ねてみると、ここ数年、とある女性に付きまとわれていることが分かった。

 女性の名は知らない。

 今までに一度も言葉を交わしたことがない。面識のない女性だ。

 家にいる時も出かけている時も寝ている時も何をしている時でも、その女性が傍にいるような気がしてならない。恐くて恐くてたまらない。頭がおかしくなってしまいそうだった。

 赤の人は、純粋な心を持った子供の願いしか叶えないが、黒の人であるエズは、欲を持った大人の願いを叶えることもある。

 故に、ノルトンは願った。あの女に付きまとわれないようにしてほしいと。


「あの人が……あたしにそんなことを?」

 クヴィアは、ノルトンと付き合っていると説明していたのに、ノルトン自身は付きまとわれていると答えた。つまり、クヴィアはエズに嘘を吐いてノルトンを殺そうとしていたのだ。

「この森、見覚えはありますか」

「はあ? 森ですって?」

「貴方が初めてノルトンさんを尾行した場所です」

「ッ!? そういえばここは……。いいえ、違うわ。あたしは尾行なんてしていない! 彼があたしに一目惚れしたから付き合ってほしいって言ってきたのよ!!」

 ノルトンの願いを叶えた結果、クヴィアは森の中に囚われた。

 この森が選ばれたのは、クヴィアにとって思い出の場所だからだ。

 此処で初めてノルトンを見つけ、それ以来ずっと付きまとっていたが、クヴィアは知ってしまった。ノルトンには、既に付き合いを続ける女性がいることに。

「じゃあ……なんであたしは死んだのよ? あの人はあたしを殺していないのよね!?」

 確かにノルトンの願いは死を与えるものではなく、森の中に閉じ込めるだけだった。しかし、

「気付きませんでしたか? 貴方、別の方から恨まれていましたよ」

「別の……はあっ? 誰よそれ! 誰があたしを恨むって言うのよ!! ……あ、あ?」

 そこまで言って、クヴィアは気付いてしまった。

 ノルトンには恋人がいる。それは自分ではなく、別の女性だ。

「……あいつが、あたしを殺したの?」

「殺される前に殺そうと思ったみたいですね」

 ノルトンと付き合う女性は、クヴィアの存在を脅威に感じていた。

 いつか自分達の前に姿を現し、不幸を運んでくるのではないだろうかと怯えていたのだ。

 一生怯えながら暮らすことはできない。だからといって、ノルトンと別れることだけはしたくない。だからこそ、その決断に至った。何かをされる前に、殺せばいいのだ、と。

「もっとも、その件に関しては、ぼくの出る幕はありませんでした」

 その女性は、エズの力を借りることなく、自らの手でクヴィアを殺してみせた。森に囚われ、逃げ場を失った状態を好機と見たのだ。

「……じゃあ、私はこれからどうなるの? 生き返ることはできないの?」

「さあ? 死んだままなんじゃないですか?」

「うそ、うそ、うそようそようそようそでしょ、ノルトンがきっとあたしを救い出しに来てくれるはずきっとそうよええぜったいにそのはずよだって彼はあたしのこいびとなんですものだからはやくここにきてあたしのまえにそのかおをみせておねがいおねがいおねがい……」

 クヴィアは、ノルトンに付きまとうことができないと知り、頭のネジが外れてしまったらしい。その場にへたり込み、ブツブツと何かを呟き始めたではないか。だが勿論、エズには関係のないことだ。

「それでは、さようなら」

 ぽつりと言葉を残し、エズはカーミンの手を引く。クヴィアの許を離れ、二人は歩き始めた。

「……ねえ、エズ?」

 エズと同様に、事の顛末を知っていたカーミンは、ふと口を開いてみた。

「もし、……もしだけどね? わたしが一緒に死んでほしいって願ったら、エズならどうする?」

 歩が止まる。カーミンの顔を見て、瞬きを一つ。そして、

「願いを叶えることができなくなるから無理だ」

「……そっかあ」

 期待通りの返事ではない。カーミンは詰まらなそうな顔をする。

 しかし、エズはカーミンの頭を撫で、更に一言。

「弟子を育てる楽しみを奪われるのは御免だからな」

 と付け加えるのであった。


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