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黒の人  作者: ひじり
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【七章】雪無しの国

 砂利を弾く。四つの車輪が規則正しく地を擦り、背に跡を残す。

「エズ。あの人の行き先って、わたし達と同じかな」

 行商人を乗せた荷馬車が、ゆったりとした速度を保ちつつ、真っ直ぐな道を走っている。何処までも続く同じ景色を前に、御者台に座る老人は大きく口を開け、欠伸を漏らしていた。

 だが、この老人は気付いていない。

 今し方、荷馬車の上空を一台の小型ソリが鈴の音を鳴らしながら走り去ったことに。

「かもしれないな」

 雲の上を移動するソリには、操縦席と助手席に加え、荷台が備わっていた。黒い帽子をかぶる青年が操縦桿を握り、ソリを運転している。その横に座る少女は、青銀に染まる髪を二つに結っていた。両腕で大事そうに抱えるクマのヌイグルミは、とても古臭く、ツギハギだらけだ。

「あのおじいさんも、雪を見に来たに違いないわ」

「商売が目的だろ」

「えー、そうかしら」

 エズと呼ばれた青年は、少女とは別の考えのようだ。

「でも、たとえそうだとしても、雪を見たらきっと気が変わるはずよ」

「雪を見て、はしゃぐか。カーミンもまだまだ子供だな」

「エズほどでもないわ。だって、しっかりしてるもん」

 カーミンと呼ばれた少女は、ふんっ、と鼻を鳴らす。

 その仕草に苦笑しながらも、エズは視線を前へと戻す。

「そろそろだぞ」

 言葉の通り、目的地が二人の視界に入ってきた。しかしここで、カーミンが異変に気付く。

「……ねえ、エズ? あれって雪の国なの?」

「ああ、地図によると間違いない」

「じゃあなんで雪が降ってないの?」

 小首を傾げ、カーミンが問う。

 二人の行く先は、雪の国と呼ばれるところだ。だが、瞳に映るその国は、どこから見ても白くない。雪が降ることは勿論、積もることもない。どこにでもあるような普通の国に見えた。

「ぼくに聞かれても困る」

「ふーん。エズでも分からないことってあるのね」

 二人を乗せたソリが、着陸態勢に入る。

 開けた草原地帯を着陸地点に定め、エズは操縦桿を操る。

「舌を噛むなよ」

「はーい」

 ガガガッ、と音を鳴らして、ソリが地を擦る。

 草原を滑りながらも徐々に速度を落とし、やがてその動きを止めた。

「……よし」

 操縦桿を掴み、足元の装置を踏む力を徐々に弱めていく。左手で操る無段変速機を順に下げていき、中立部に合わせて動力の伝達を切った。

 エズは衝撃吸収用のベルトを外すと、ソリの上から降りて背伸びをしてみせた。

「ふう、少し疲れたな」

「もう疲れたの? エズってまだまだ若いと思ってたけど、体力がないのね」

「ソリの運転をしてるからな」

 ムッとした表情で、エズがカーミンを見る。

 すると、その表情を待ってましたと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「ふふっ、冗談だってば」

「ほら、荷物を下ろすぞ」

「はいはーい」

 クマのヌイグルミを抱えたまま、カーミンはソリから降りる。荷台から大小二つの荷物を手に取ると、大きな方をエズに渡した。

「それにしても……」

 ぼそりと呟きながら、エズは雪の国の門を見る。頑丈な石壁で作られた門は、その国の強さの象徴でもある。雪が降ることで有名になったこの国は、観光地として多くの旅人達が訪れるようになっていた。しかし、それも今は昔の話なのかもしれない。

「活気がないな」

 雪の国の門は老朽化が進み、壊れかけの門の隙間から見える国内も荒れ果てていた。街中を歩く人々にも元気さが見当たらない。

「……エズ、みんな窮屈そうな顔をしてるわ」

 カーミンの言葉は、的を得ていた。国内に足を踏みいれた二人は、人の数に驚く。活気がないにも関わらず、雪の国は人で溢れかえり、ぶつからずに真っ直ぐ歩くのも大変なほどだ。

「おや、旅の方かい?」

 門の前で棒立ちの二人に、髭を生やした男性が声を掛けてきた。

「いやあ、珍しいこともあるもんだ。ここ数年、旅人が来ることはなかったからね」

「えっ、でもこの国って観光地でしょう?」

「それは十年以上前のことさ」

 溜息を吐き、男性は指で髭を掻く。

「雪が降っていませんが、何か関係があるのですか?」

 エズの質問に、男性は頷いた。

「雪が降らなくなったこの国の名を知りたいかい?」

 そう言って、男性は両手を広げる。

 右を見ても左を見ても、雪は一切見当たらない。この国に、何かが起きたのだ。

「雪無しの国。それが今の名前さ」

「……雪無しの国ですか」

「数年振りの観光客だ。この国の昔話をさせてくれ」


 この国は、十年以上前に死んでしまった。

 雪の国として観光客に人気があったが、ある日を境に雪が降らなくなってしまったのだ。

 雪を餌に観光客を呼んでいたこともあって、雪の国の人々は焦りを感じていた。

 しかし、不幸はそれだけでは終わらない。雪の国に追い打ちをかける出来事が起きてしまう。

 雪の国の近隣に、山の国と呼ばれる場所があった。その国の人々は、雪が降ることで多くの観光客を手に入れる雪の国のことを羨んでいたのだが、ある時、転機が訪れる。

 雪の国に雪が降らなくなったのと同時期に、山の国に雪が降るようになったのだ。

 山の国の人々は、雪の国を訪れていた観光客を奪うことができる、と大いに喜んだ。

 だが、歓喜の渦は一夜にして消え去ることとなる。危険な場所に作られた山の国は、雪に慣れていなかったこともあって、今まで通りの生活を送ることができなくなってしまった。一年中、雪が降り続けるようになってしまい、山の国の作物は育たず、備蓄も次第に減っていく。

 更に悲しいことに、山の国がある場所は、元々観光客が来れるようなところではない。

 つまりは、観光地化することもできないということだ。

 雪は解けずに積もり続け、山の国は降り続ける雪に対処することができず、埋もれていく。

 ついには、誰も住む人がいなくなってしまった。

 山の国から消えた人々は、何処に行ってしまったのか。その答えは、雪が降らなくなった雪の国を見れば一目瞭然だ。山の国の人々は雪の国に助けを求め、全員揃って移住したのだ。

 これに困ったのは、雪の国の人々だ。雪が降らなくなってしまった雪の国は、観光客が全く来なくなり、人口だけが国一つ分増えてしまった。

 雪の国は、雪無しの国となったことで、豊かな日々を送ることが困難になっている。

 雪が降らなくなった国に、興味を抱く者はいない。観光客頼りだった雪の国は、豊かな生活とはほど遠い窮屈な暮らしを送ることになってしまう。

 そして、十年の月日が流れた。


 日が落ち、月が昇る。雪無しの国に夜が訪れた。

「これ、あんまり美味しくないわ」

「こっちも微妙な味だ」

 エズとカーミンは、宿屋の食堂でご飯を食べていた。国の活気のなさに比例して、食事の質も落ちているのではないだろうか、とカーミンは考えてしまう。

「ンジャー、タメシニクワセテミロヨー」

「クマーは食べることできないでしょう」

 カーミンの膝の上に置かれたクマのヌイグルミが、言葉を発する。

 その声に反応しつつ、カーミンは料理を口に運んでいく。

「ンナモン、エズニタノメバイッパツデカイケツシチマウゼー」

「えっ、そうなの、エズ?」

「しない」

「ヒデーヤツダナー、チクショーメ」

 文句を垂れるヌイグルミの主張を聞かずに、エズはお茶を飲む。

 とここで、近くの席に座っていた青年が、スコップを手に立ち上がった。

「よお、ロイル。今日も行くのかー?」

「毎日毎日ご苦労なこったなあ」

 酒を飲み交わす老人達が、ロイルと呼ばれた青年を茶化す。けれども、何も言い返すことなく、食堂から出て行ってしまった。

「あの人、何処に何をしに行ったの?」

 姿が見えなくなるのを確認し、カーミンが老人達に声を掛ける。

 すると、酒に酔った老人達はケラケラと笑いながら答える。

「雪かきさ」

「あいつはバカだからなー、山の国を取り戻せると思ってんだろうよー」

 老人は、スコップを手にしたロイルのことを話し始める。青年の名はロイル。たった一人で山の国に行き、毎晩雪かきをする。それが彼の日課であった。

 しかしながら、山の国には今もなお、雪が降り続けている。

 何故そんな無謀なことを続けているのか。ロイルは元々、山の国の人間だった。だからか、山の国が恋しいのだろう。雪を無くして故郷を取り戻したいのだろう、と老人達は考えている。

「あいつは変人だからよー、旅人さん達は関わらない方が身の為だぜー」

 その台詞を最後に、老人達は再び酒を飲み始めた。


 明くる日の早朝。宿部屋から食堂へと向かうと、ロイルの姿を見つけた。

「おはようございます」

「……? あんた誰だ」

「ぼくはエズです」

「わたしはカーミンよ。それでね、このヌイグルミの名前はクマーっていうの」

 ニコッと微笑み、カーミンはクマのヌイグルミを見せる。不審げな表情を浮かべるロイルに、エズは更に声を掛けてみた。

「ロイルさんですよね。昨日、ここにいた老人から名前を聞きました」

「そうだけど、……俺に何の用だ?」

 といったところで、ロイルは目を細める。エズの格好を見て、気付いてしまったのだ。

「まさかあんた、赤の人なのか」

「違います。ぼくは黒の人です」

「黒の人? 赤の人の親戚か何かか」

「まあ、似たようなものですけど」

 この世界には、空に浮かぶ島がある。名を浮遊島といい、その島に住む人々のことを、下界の人間達は、赤の人と呼んでいた。赤の人は、どんな願いでも叶えてくれる存在であり、下界の人々にとっては奇跡と同位だ。その赤の人を前にしても、ロイルは目を輝かせようとはしない。それどころか、嫌な奴にあったと言いたげな様子であった。

「雪かきをしているそうですね」

「ああ、そうさ。それが俺の罪だからな」

「罪って、どういうこと?」

 言葉の意味が分からずに、カーミンが眉を潜める。

 その仕草を見て、ロイルはエズへと視線を戻す。

「黒の人ってのは、赤の人みたいに願いを叶えるのか」

「叶えますよ。但し、ぼくの気まぐれですけど」

「ふんっ、この目で見ないことには信じられないけどな」

「信じてもらうつもりはありませんので」

 まあいいか、と呟き、ロイルは首を鳴らす。

「赤の人の親戚になら、話してもいいだろう」

「何の話? わたしにも聞かせてちょうだい」

 興味津々のカーミンが、ロイルの隣の席に座る。そのまた隣に、エズが腰掛けた。

「幼い頃、俺は赤の人に願いを叶えてもらったんだ」

 そう言うと、ロイルは山の国の話をすることにした。


 雪の国に遊びに行った時、ロイルは初めて雪を見た。

 そして雪の素晴らしさに心を奪われてしまった。

 以来、ロイルは願い続けた。山の国にも雪があればいいのに、雪が降ればいいのに、と。

『きみの願いを言ってごらん』

 ある日のこと。いつものように願っていたら、ロイルの前に赤の人が姿を現した。

 やっと、願いを叶えることができる。山の国で雪を見ることができる。

 赤の人に出会えたロイルは、その奇跡に感謝した。そして赤の人に伝えた。

『雪の国の雪が欲しい!』

 これが、事の発端だ。ロイルは願い方を間違えてしまったのだ。

『その願い、叶えよう』

 赤の人は、ロイルの願いを叶えることにした。

 雪の国の上空にあったはずの雪雲は、姿形を無くす。

 その結果、雪の国は雪を失い、雪無しの国となってしまった。

 一方で、消えた雪雲は山の国の上空へと移動し、留まる形となった。雪雲によって雪が降り続けることになった山の国は、欲していたはずの雪によって住めなくなってしまう。

『ぼくは、なんてことをしちゃったんだ……』

 悔やんでも悔やみきれない。ロイルは、身勝手な願いを叶えることで、山の国だけでなく、雪の国にも迷惑を掛けてしまったことを後悔した。

『おや、久しぶり』

『赤の人!! もう一度だけ、ぼくの願いを叶えてよ!!』

 雪の国が雪無しの国になり、五年の月日が経った。ロイルは、あの時の赤の人と再会する機会を得た。そしてすぐに願う。山の国と雪の国を元に戻して欲しい、と。しかし、

『きみの願いを叶えることはできない』

『どうして!? 一度叶えてくれたじゃん!!』

『私達が叶えることができるのは、純粋な心を持った子供の願いだけだからね』

 赤の人は、ロイルを突き放す。

 願いを叶えることはできない。山の国は雪によって滅び、雪の国は雪無しの国のままだ。

『お願いだよ、ぼくの願いを叶えてよ……ッ』

 声は届かない。赤の人はロイルの願いを叶えることなく、姿を消してしまう。

 それから更に五年が過ぎる。雪が無くなった雪の国に、エズとカーミンが現れた。


「安心して。エズに願いを叶えてもらえばいいわ。雪雲ぐらいパパッと移動できちゃうもん」

 ロイルの話を聞き終えると、カーミンが提案を持ちかける。だが、ロイルは首を横に振る。

「遠慮しておく。自分が蒔いた種とはいえ、俺は赤の人を信用していないからな」

 座席の後ろ側の壁に、スコップが置かれてある。ロイルは、自分自身の力で故郷を取り戻したいのだろう。たとえそれがほぼ不可能なことだとしても。

「今夜も行くの? 山の国に……」

「当然だ。それが俺の罪滅ぼしなんだからな」

 ご飯を食べ終え、ロイルは席を立つ。

 食堂から出て行く姿を見ながら、カーミンは肩を竦めた。

「あーあ、雪が見れると思ったのに」

「山の国に行くか?」

「違うの。わたしは雪の国で雪を見たかったんだもん」

「ワガママダナー」

「クマーは黙ってて」

「ヘイヨー」


 再び、日が落ちる。雪無しの国に夜が訪れた。

 夕食を取った後、ロイルは昨日と同じように雪無しの国の門を出て、山の国への道のりを徒歩で進む。片道で二時間以上かかることもあって、到着する頃には疲れが溜まっていた。

 その背中を追いかけ、尾行する者が二人いる。エズとカーミンだ。ロイルには何も言わず、山の国の現状を見るつもりであった。

「わあ……雪がいっぱい」

「国が埋まってるな」

 二人が辿り着いた場所には、見渡す限りの銀世界が広がっていた。此処に山の国があったとは思えないほどに雪が積もっているのだ。恐らくは、この雪の下に埋まっているのだろう。

「お前達、なんで此処に……」

 エズとカーミンの声に気付き、ロイルが後ろを振り向く。まさか尾行されているとは思ってもみなかったのだろう。ロイルは驚いたような顔をしている。

「言ったでしょう? エズに叶えてもらえばいいって」

「それなら断ったはずだ。赤の人の力なんて必要ない」

「ああ、それならお構いなく。ぼくは赤の人ではありませんから」

 エズは黒の人だ。赤の人と同じく、願いを叶えることができるが、決して赤の人ではない。

 ほんの僅かな違いだが、両者は異なる存在である。

「そして言いましたよね。ぼくは気まぐれなんです」

 だからこれも、そういうことなので、と。闇に覆われた空に向け、エズは右手をかざす。すると驚くことに、山の国の上空に留まっていた雪雲が、少しずつ動き始めた。

「なっ……」

 下界に生きる人間には不可能なこと。それが今、ロイルの目の前で起きている。

「余計なお節介をしやがって」

「別に貴方の為ではありません」

「じゃあ誰の為だって言うんだよ」

 言われて、エズは横に立つカーミンへと視線を落とす。

「弟子に、だだをこねられただけですから」

 雪の国に行くことを、カーミンは凄く楽しみにしていた。春も夏も秋も、そして冬も、一年中雪が降り続ける雪の国で、雪合戦をしたいと言っていたのだ。

 しかしながら、蓋を開けてみれば雪の国に雪は全く存在しない。十年の月日によって、雪の国は雪無しの国としての顔を作り上げていた。

 対して、雪の国の代わりに雪が降り始めた山の国には、誰もいなくなったというではないか。

 純粋に、雪を堪能しようと思っていたカーミンは、雪を見ることができずに残念がっていた。

 その姿を見て、エズは雪雲を雪の国の上空に移動させることを決めたのだ。

「もう間もなく、雪雲は雪の国に到着するはずです」

「これで雪無しの国から雪の国に戻ることができるわ」

 無邪気に笑うカーミンを瞳に捉え、ロイルはゆっくりと息を吐く。

「……その子の為なら、仕方ないな」

「ええ、そういうことですので」

 口の端を上げ、エズはロイルと目を合わせる。

「あんた、エズって名前だっけ?」

「そうですけど」

「俺からも、礼を言わせてくれ。ありがとう、エズ」

 手を差し出す。その手を掴み、二人は握手を交わした。

「山の国の雪が解けるまで、どのぐらいかかると思う」

「さあ、さすがにそこまでは分かりません」

「まあいいか。とりあえず今日は雪無しの国に戻ろう」

「違うわ。雪無しの国じゃなくて雪の国だからね?」

 カーミンが言う。エズとロイルは頬を緩めるのであった。


     ※


 この日、雪の国に十年振りの雪が降り始めた。

 全ての人を魅了する白銀に、国の景色が徐々に変化していく。色褪せた場所が真っ白に染まり、その光景はまるで人々の疲れを癒やしているかのようだ。

「わーい! あはははっ、雪よっ、ゆきゆき~っ!!」

 宿屋の部屋の窓を開け、降り積もる雪を眺める。

 視線を下げると、カーミンがはしゃいでいた。

 べしゃっ、と音が鳴る。

 丸めた雪を投げ、クマーに直撃した音だ。

「テメーコノヤローメ! マトニスンジャネーヨ!!」

「あははっ、な~に~?」

 雪の国の子供達と一緒になって、カーミンは雪合戦をしている。クマーはというと、雪の山に埋められて、抜け出せない状態になっていた。

「エズ、いるか?」

 とここで、部屋の扉がノックされる。声を聞いてすぐに気付く。訪問者はロイルだ。

「なんですか」

「いや、改めて礼を言おうと思ってな」

 扉を開けると、やはりそこにはロイルが立っていた。

「丁度良かった。ぼくも貴方にお尋ねしたいことがありましたから」

「俺に?」

 今、部屋にはカーミンがいない。だから丁度いい、とエズは口を開く。

「ロイルさん。貴方、本当は山の国の人間ではありませんよね」

 その言葉に、ロイルは眉を少しだけ動かす。しかしすぐに口角を上げ、腕を組む。

「……さすがは赤の人だ。何もかもお見通しってことか」

「二度目のお礼を言うつもりではなくて、真実を語りに来たという認識でよろしいですか」

「ああ、それでいいさ」

 では、と言い、エズはロイルを室内に招き入れる。ロイルは椅子に腰掛け、小さく息を吐く。

 窓の外に目を向けるエズを話し相手に、過去の出来事を紡ぐことにした。


 ロイルは雪の国と山の国よりも更に離れた場所にある小国の生まれで、行商人の息子であった。ある時、ロイルは家族と共に商売をする為に雪の国へと向かうことになる。その際、地形的に山の国を経由して向かうことになった。

 山の国には、特に心を惹かれるようなものはなかった。しかしその先の国へと近づくと、ロイルは一瞬で心を奪われてしまう。

『これが……ゆき?』

『ああ、そうだ。此処があの有名な雪の国なんだ。ずっと住んでいたいと思えるような場所さ』

 父が自慢げに言う。

 その言葉に嘘偽りはなく、ロイルは雪の国に滞在する間に、虜になっていた。

 商売が終わり、ロイル達は再び小国へと戻る。その道中、行きと同じく山の国で一泊することとなった。だが、翌日の出来事。

 山の国を発ち、荷馬車で山道を進む途中、不運にもロイル達は山賊に襲われてしまう。

 両親が囮となることで、ロイルだけは命からがら逃げることができた。但し、行き先は小国ではなく、山の国だ。その日以来、ロイルは山の国で過ごすようになり、山の国の住人として生きていくことになった。

 それから暫くして、山賊が捕まったとの一報が入った。

 話を聞いてみると、彼等は雪の国に住む人々であることが分かった。

『雪の国の奴らが、ぼくの家族を……』

 この事件を境に、ロイルは雪が大嫌いになった。

 一度は心を奪われ、虜になってしまったが、今となっては憎しみを生み出すものでしかない。

 雪を憎み、雪の国なんて滅んでしまえばいい。そう考えるようになっていた。

 赤の人がロイルの前に姿を現したのは、その頃だ。

『きみ、願いを叶えたいのかい?』

『……うんっ! あのね、ぼくね、雪の国の雪が欲しいんだっ! 叶えてくれるっ?』

 純粋無垢な心は持ち合わせていなかった。けれどもロイルは、心の奥に潜む欲や憎しみを押し殺し、隠し続けることで、赤の人を騙すことに成功した。

 ロイルの願いが叶い、雪の国は雪を無くした。間接的にではあるが、雪の国への復讐を果たすことができて、ロイルは久しぶりに心の底から喜んだ。けれども、ロイルの願いが切っ掛けとなり、自分を受け入れてくれた山の国を、結果的に滅ぼしてしまう。

 挙げ句には、雪の国への移住を決断しなければならなくなった。

 この事態に、ロイルは己を呪った。

『ねえっ、ぼくの願いをまた叶えてよっ!』

 数年後、あの時出会った赤の人と再会したロイルは、今度は欲や憎しみを持たずに願いを口にした。山の国を元に戻して欲しい。ただそれだけだ。

 しかしながら、赤の人はロイルの願いを断った。

 一度目の願いを叶えた時、ロイルが純粋な心の持ち主ではないことに気付いてしまったのだ。

『山の国が滅びたのは、きみのせいだよ。そのことを理解した上で、これから先も行き続けること。それがきみに対する罪と罰だ』

『なんでだよ、ぼくはただっ、みんなを……ッ!!』

 赤の人は、ロイルの願いを聞かない。

 罪と罰をロイルに背負わせ、突き放す。そして姿を消してしまった。


「俺は間違った選択をしてしまったんだ」

 目を瞑り、ロイルは過去を悔いる。赤の人に突き放されて以降も、ロイルは山の国への恩を忘れず、罪滅ぼしのつもりで、山の国に積もる雪を掻いていたのだ。

「悪いのは山賊達であって、雪の国じゃなかったのにな」

「でしょうね」

 淡々と言葉を返す。それがまた、ロイルに罪の重さを認識させる結果となる。

「ですが、雪は止みました」

「……山の国のことか?」

「それ以外に何がありますか」

 椅子から立ち上がり、ロイルはエズの隣に並ぶ。窓の外の景色を瞳に映し込む。

「この景色だ……俺が好きだったのは……」

 また、見ることができた。十年も前に心を奪われた景色に、ロイルは再会することができた。

 山の国に雪が降った時、それは確かに美しく見えた。

 しかしそれでも雪の国に降り続ける景色と比べてみると、何かが違うと感じていた。

「雪とは不思議なものですね」

「ああ……あんなに嫌いになったのに、また好きになってしまいそうだよ」

 雪の国は、雪の扱いに長けている。雪を魅せる方法を知っている。雪と共に年月を重ねてきたからこそ、山の国が持ち得ないものを所持していたのだろう。

「一つ、聞いてもいいか?」

「なんですか」

 雪を得ることで、山の国は滅んだ。だが今、山の国は雪を無くした。

「山の国は……もう一度、生まれ変わることができると思うか?」

 自分に問うかのように、ロイルは唇を動かす。今すぐにでも答えが知りたい。赤の人であれば未来の景色でさえも視ることができるのではないだろうか、と。

 けれどもその願いが叶うことはない。

 何故ならば、ロイルの横に立つ青年は赤の人ではなく、黒の人だからだ。

「さあ。ぼくには関係ないので」


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