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黒の人  作者: ひじり
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【五章】日捲り老人

 ある晴れた日の出来事です。

 雲の上を走るという世にもおかしな小型ソリが、私が住む町へと降りてきました。

 老人と老婆だらけの町中に疑問を感じているのでしょう、銀色の髪を二つに結った少女が首を傾げ、隣に並んで歩く青年も眉を潜めています。このまま踵を返されては勿体無いですね。久方振りの客人ですので、私は声を掛けてみることにしました。

 青年と少女は、それぞれ名前をエズさんとカーミンさんと言うらしいです。

 カーミンさんは、ツギハギの目立つ古臭いクマのヌイグルミを、大事そうに抱えています。

 きっと何物にも代えがたいヌイグルミなのでしょう。

 私に声を掛けられたお二人は、特に警戒した様子もなく、挨拶を交わしてくれました。それがとても嬉しくて、私はついつい舌を動かします。

 ご覧の通り今はただの老人ですが、こんな私にも子供時代が存在します。あっという間に過ぎ去った日々を振り返り、今もなお後悔し続けることがあります。これは町の人達には一度も打ち明けたことがありません。ですがそろそろ私のお迎えも近づいています。墓まで持っていくことも出来ましたが、やはり誰かに知っておいて欲しかったのでしょう。

 ですから私は、子供の頃のお話を長々と聞いてもらうことにしました。

 子供の頃、私は両親から日捲りカレンダーを捲る仕事を任されていました。一日一回、捲るだけの簡単なお仕事です。難しいことなんて一切ありません。

 ですが、私は忘れてしまいます。その日の分は既に捲り終えていると勘違いしたのです。

 カレンダーを一日捲り忘れただけなので、翌日に二枚まとめて捲ればいいだけの話なのですが、実はこれがとある事件の引き金となるのです。

 翌朝、私が目を覚ますと同時に、カレンダーを捲り忘れていたことを両親に指摘されました。

 その程度のことで一々面倒臭いことを言わないで欲しいと告げると、父のゲンコツが頭頂部に落ちてきます。あまりの痛さに悶絶し、その場から暫く動けなかったのは、今となっては良い思い出です。しかしながら、私はゲンコツに対する理不尽さに腹を立ててしまいました。そして、ふと願ってしまったのです。今日が昨日であればよかったのに、と。

 意味が分からないことを言っているのは重々承知です。両親に怒られた子供の願ったことですので、特に気にしないでください。重要なのは、その後なのですから。

 翌日、目を覚ました私は、頭頂部の痛みが全くないことに気が付きました。

 痛みというものは、いずれ引いていくものです。けれども父のゲンコツは、二日から三日は痛みが引きません。だからこそ、何かがおかしいことに気付きました。

 しかしそれが何なのか、初めのうちは全く分かりませんでした。

 ただ、その日を朝からじっくりと過ごしていくうちに、私は目を丸くします。

 今日が、昨日であることに気付いてしまったのです。……いえ、正確には、一昨日でしょうか。私が父にゲンコツを落とされる前の日になっていました。忘れん坊に私に腹を立てた両親が町の人達に協力を願い、総出で私を騙したのではないだろうかと考えました。しかし、すぐに考えを改めます。何故ならば、今日という一日があまりにも一昨日に起きた出来事とソックリだったからです。私が別行動を取ることで、周囲の反応が多少なりとも変わるところはありましたが、それでもほぼ間違いなく、今日は一昨日だったのです。

 頭がこんがらがりながらも帰宅した私は、ふと日捲りカレンダーに目を向けます。

 そういえば、父にゲンコツを落とされてから捲っていませんでした。捲り忘れてから更に一日が過ぎているので、計二枚捲らなければなりません。

 特に思考することなく、私は日捲りカレンダーを手に取り、二枚まとめて捲りました。

 すると、何やら全身に不思議な感覚が芽生えました。心無しか、疲れが溜まったかのような気分です。これが何を意味するのか理解するのは、翌朝になってからでした。

 日を跨ぐと同時に、更に一枚、日捲りカレンダーを捲ります。そして朝を迎えました。

 寝ぼけ眼のまま両親へと挨拶を済ませると、父が私にゲンコツを落とします。日捲りカレンダーを捲りすぎだ、と。……正直、頭が追いつきません。

 昨日、日捲りカレンダーの日付が二日分遅れていることを確認した私は、学校から帰宅して二枚分まとめて捲りました。そして日を跨ぐと同時にもう一枚捲り、今日の日付にしたはずです。それなのに、何故父は捲りすぎだと怒ったのでしょうか。

 この日付が違うのであれば、今日は何日なのかと父に訊ねます。

 すると、父はあろうことか日めくりカレンダーを二日分前へと戻しました。その日付は、私が父にゲンコツを落とされた次の日になっています。

 結局、その日は一日中、日付のことを考えていました。それがいけなかったのでしょう。

 翌日の事、私はまたしても日捲りカレンダーを捲り忘れてしまいました。そして、知ってしまったのです。今日が昨日であることを。

 両親に朝の挨拶を済ませると、父が日捲りカレンダーを指差します。ああ、捲るのを忘れてしまったので、今日もまたゲンコツかと憂鬱な気分になったところで、父が笑みを浮かべました。今日はしっかりと捲っているようだな、と。

 ……父は何を言っているのでしょうか。私にはもはや何が何やらサッパリです。

 ひょっとして、父はボケてしまったのか。そんなことを一瞬ですが考えてしまいます。しかしながら、傍に寄り添う母は間違いを指摘しようとはしません。

 否、これは間違いではなく、事実なのではないだろうかと、私は思考を巡らせました。

 日付がおかしくなった時は、決まってこの日捲りカレンダーが関係しています。父にゲンコツを落とされた日以降、その日の分を捲り忘れると、明日が今日のままに……。

 つまりこれは、時が進むのを止めることが出来る、不思議な日捲りカレンダーなのです。

 この世界には、赤の人と呼ばれる、どんな願いでも叶えてくれる人がいると言います。ということは恐らく、この日捲りカレンダーは私の為に赤の人が授けてくれたものなのでしょう。

 忘れん坊の私が日捲りを忘れても怒られないように……。

 これさえあれば、私は無敵です。その日に起こった出来事を予習し、日捲りカレンダーを捲らずに日を跨ぐことで、改めて同じ一日を体験することが可能となります。それはつまり、一日前の出来事を全て知ることが出来ることと同義です。

 何度失敗しても構いません。日捲りカレンダーを捲りさえしなければ、成功するまで何度でも一日をやり直すことが出来るのですから。

 この日捲りカレンダーのカラクリに気付いた私は、何もかもを手に入れたかのような気分になりました。しかしこの時の私は、本当にカラクリに気付いてはいませんでした。

 日捲りカレンダーの不思議な力を利用し始めてから二週間が過ぎた頃、行商人が町を訪ねてきました。その人達は、この季節に取れるという果物を運んできたのですが、町の人達は揃いも揃って首を傾げます。それもそのはず、その果物というのは、冬の寒い時期に収穫するものであり、時期が全く合っていなかったからです。外を歩けば日の光に照らされ汗を掻くように、今はまだ夏です。それなのに、何故彼らは冬の果物を収穫することが出来たのでしょうか。その答えは、行商人の口から知ることが出来ました。行商人曰く、今は冬だと。だからこそ、その果物を収穫することが出来たのだと。そしてもう一つ、この行商人達は町に入ると同時に驚いたことがあったようです。それは、この町が夏のように暑いということ。

 その答えの先に隠されたカラクリに気付くことが出来たのは、私だけでした。

 日捲りカレンダーの不思議な力を利用してから、二週間が過ぎたと言いましたが、それは日捲りカレンダーの日付上のことです。僅か二週の間に、私は幾度となく同じ日を繰り返してきたので、その分を含めると、実際には数か月分の時が経過しているはずです。

 ……だから、でしょうか。日捲りカレンダーを毎日しっかりと捲っていた場合、夏などあっという間に終わり、今は恐らく外界と同じ季節になります。ここでようやく、私は日捲りカレンダーが持つ真のカラクリに気付くことが出来ました。時を停滞させる力を持つ力は、私が住む町限定の欠陥品だったのです。そもそも、私が住む町は、外界との交流をほとんど持ちません。たまにこうして行商人が訪れるぐらいで、それ以外で外界を知る術は無いのです。では、これからどうすればいいのでしょうか。己の欲を満たす為に全く同じ一日を繰り返したツケが一まとめに回ってきたような気がしてなりません。私が日捲りカレンダーを捲らなかったことで、私が住む町は外界に流れる時の流れから脱線してしまったのです。どうにかして元に戻せないかと悩んでもみましたが、やはりこの日捲りカレンダーは欠陥品です。時を停滞することは出来たとしても、時を進めることは不可能なのです。

 こうなった以上、私に出来ることは、ただ一つ。

 今後決して日捲りカレンダーを捲り忘れないこと、ただそれだけです。

 しかしこれがどうにも難しく……。元々忘れん坊だった私ですから、気付いた時には何日も何週間も捲り忘れてしまい、同じ日を繰り返しているのです。

 私が日捲りカレンダーを捲り忘れる度に、この町は下界から一日遅れてしまいました。

 やがて、私は捲るのを諦めることにしました。よく考えてみた結果、私は町の外に出ることがありませんので、外界との日付に誤差があろうとも関係ないのです。

 そして日は跨ぎ続け、何十年も過ぎたと思います。

 ご覧の通り、私は老人です。しかしそれはあくまでもエズさんとカーミンさんから見たら、ということになります。ですが、この町に住む人達から見た私は、今もまだ子供のままです。何処からどう見ても老人にしか見えませんが、日捲りカレンダーを捲っていないのですから当然です。何を言いたいのか、察することが出来たかと思いますが、一応答え合わせをいたしましょう。時を停滞させる力というのは、もう一つだけ欠陥があったのです。それは、肉体の老化現象ですね。私を見ればお分かりになるかと思いますが、同じ日を繰り返すことが出来たとしても、肉体の老化だけは避けることは出来なかったということです。

 さて、私のお話はこれでおしまいになります。どうでしょう、楽しかったでしょうか。

 ところでエズさんに一つお尋ねしたいことがあります。

 なにぶん、老人なものでして、勘違いしているのかもしれませんが……昔々、私がまだ日捲りカレンダーの力を利用する前に、何処かで出会ったことはございませんか?

 そう私が尋ねると、エズさんは気のせいですと言いました。

 ですがもう一言、ぼくが出会ったのは貴方のような老人ではありませんので、……と。

 その言葉を最後にエズさんとカーミンさんは、私の前から去っていきました。その後ろ姿を見ながら、ふと昔のことを思い出しました。

 ……ああ、そうです。

 私は赤の人に出会ったことは一度もありません。ですが、赤の人ではなく黒の人と呼ばれる方に出会ったことがありました。その方は、私の欲深い心を知った上で、何かをプレゼントしてくれたような気がするのですが……。

 はて、それは何だったのでしょうか。

 歳を重ねすぎた私には、もう何も思い出すことは出来ないでしょう。

 ですから構いません。思い出せないことは忘れてしまえばいいのです。

 だってそうでしょう。

 何故なら私は『忘れん坊』なのですから。


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