表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の人  作者: ひじり
5/11

【四章】お菓子の国

 よく晴れた日のこと。空を走る小型ソリの操縦席に、赤の遊びが入った帽子をかぶる青年が一人。隣の席には、青銀に染まる髪の女の子が一人。その腕に抱かれているのは、古臭いクマのヌイグルミが一つ。

「ツマリヨー、オレサマハシャベレネエフリヲシトケバイインダロー」

「ああ、できるか」

「マカセトケッテンダ」

 ヌイグルミと言葉を交わす青年の名は、エズ。この世界では赤の人と呼ばれているが、下界の人々の前に姿を見せる時、赤の人とは名乗らず、代わりに黒の人と名乗っていた。

 助手席に座る女の子の名はカーミンといい、エズと共に旅を続けている。

「ヌイグルミのクマーが喋ったら、ビックリしちゃうもんね」

「カカカ、オレサマハビックリシネエケドナ」

 カーミンが口を挟み、ヌイグルミの頭を優しく撫でる。クマーと呼ばれたヌイグルミは、豪快な笑い声を上げ、カーミンに応えてみせた。

「もうすぐだぞ」

 再び、エズが口を開く。

 ソリは、ぐんぐんと速度を上げていく。

 大きな雲をあっという間に追い抜き、下界の景色を次々に変える。カーミンが前方に目を向けると、いつの間にか、次の目的地が見えていた。

「あれ、どんなところなの」

「さあな」

「イケバワカンダロー」

 ソリに乗る面々は、ただひたすらに旅を続けている。目的とするような場所があるわけでもなく、下界に見える町や村が視界に入った時、その地を次の目的地として決めていた。つまり、カーミンの目に見えた目的地も、たまたま辿り着いたに過ぎない。

「美味しいもの、あるといいなー」

「無かったらどうするんだ」

 無段変速機を四速から三速に入れ直す。

 足元の装置を加減し、エズは操縦桿を前へと傾けていく。

「んーっと、その時はエズに相談するわ」

「相談ね」

 肩を竦め、エズは無段変速機を二速へと変更する。

 ソリの速度が落ち、目的地の少し手前まで来ると、今度はゆっくりと地を走り出す。

「おっきな壁ね」

 空を走っていた時は、城壁の中がしっかりと見えていた。しかしながら、ソリが地を走り始めると、十数メートルはあろう城壁で何も見えなくなっていた。

「これは町や村の規模じゃないな」

「じゃあ、なに?」

「国だな」

 城壁に囲まれた国は、中心部に築城されていた。今は壁で見えないが、城に住む者が、この国を治めているのだろう。

 エズは、それ以上言葉にせず、頭の中で思い浮かべるだけに留めた。

「こらこら、そんなところに勝手に停めるな!」

 国の近くまでソリを走らせ、エズは壁門の前で停車する。

 すると、鎧を身に着けた男が二人のもとに駆け寄ってきた。

「お前達、旅の者か? ひょっとして初めて来るのか?」

「ええ、そうですが」

「それなら一応教えておいてやる。ここはケーキンズ様の支配区域に当たるから、もっと遠くに停車しろ。これは命令だからな」

「外なのに、なんで支配区域なの」

「ケーキンズ様が決めたからだ。口答えすると死刑にするぞ!」

「変な国ね」

 何故、いきなり命令されなくてはならないのか。カーミンは頬を膨らませた。

「移動する必要なら、ありませんよ」

 一方のエズは、どこ吹く風といった調子だ。

 荷台に置いた旅荷を一つずつ手に取ると、鎧を着た男に声を掛ける。

「ほら、これでいいですか」

 視線を横にずらし、鎧を着た男の目を向けさせる。

 その先にあるのは、ソリが停車していたはずの場所だ。

 鎧を着た男が目を離した隙に、エズはソリを消していた。これで、支配区域にソリを停車してはならないと命令されることもなくなった。

「おい、何処に隠したんだ?」

「シルカボケガ」

「ひっ」

 目の前で起こった出来事に対処できず、鎧を着た男はエズに訊ねるが、エズが返事をする前に、どこからともなくどすの利いた声が聞こえた。

「入国審査はありますか」

「……あ? ああ、勿論だ。二人とも、ついて来い」

 我が目を疑うが、ソリは何処にも見当たらない。第三の声の主も見つからない。しかしただ黙って立っているわけにもいかず、鎧を着た男は門の前へと移動する。クマーを抱えるカーミンは苦笑いをしていた。

「この書類に目を通し、問題が無ければ名前を書け」

 命令口調で告げ、鎧を着た男は二人の前から足早に立ち去る。得体の知れない者との遭遇に恐怖を感じたのだ。

 エズは書類を一枚ずつ捲り、その全てを記憶する。そして、すらすらと名前を記入した。

「これでいいですか」

 入国審査官の若い男に書類を渡す。男は署名欄を確認し、小さく頷いた。

「はい、ありがとうございます。あとは、旅荷の確認をさせていただきます」

「どうぞ」

 エズとカーミンは、抱えていた荷物の中身を男に見せる。危険物は入っていない。

「問題ありませんので、入国を許可します」

 書類に判を捺し、一礼する。

 エズとカーミンは荷物を抱え直し、頭を垂れた。

「因みにですが……」

 壁門をくぐり、二人が国の中に足を踏み入れる直前に、男が口を開く。

「もしや、貴方は赤の人ではありませんか」

「何故、そう思うのですか」

「空飛ぶソリが見えましたので」

 男は、ソリが空を走るのを目撃していた。

 鎧を着た男は気付いていなかったが、この男はしっかりと見ていたのだ。

「ぼくは黒の人です」

 入国審査官の男に、エズは言葉を返す。赤の人ではなく黒の人だと告げた。しかしながら、赤と黒の違いを理解できる者は、下界の住人の中には数えるほどしかいない。

「では、願いを叶えることはできないのですか」

「できますけど、叶えるか否かは、その時の気分によります」

 黒の人は気紛れだ。

 赤の人のように、姿を現せば願いを叶えてくれるわけではない。

 だが、願いを叶えることはできる。その事実だけでも、入国審査官の男が行動を起こすには十分な情報であったと言えるだろう。

「申し訳ありませんが、暫くこちらでお待ちいただけますか」

「えっ、入国できないの?」

 カーミンが訊ねる。入国審査官の男は何度も頭を下げ、全速力で城下町を駆けて行った。

「あの人、どうしたのかな」

 小首を傾げるカーミンと、椅子に腰掛け腕組みするエズ。

 クマーは、ただのヌイグルミのように大人しくしていた。


「うるさくなってきたわ」

 入国審査場で数十分ほど足止めを喰らっていると、何やら城下町が騒がしくなってきた。

 カーミンの声に視線を向け、エズは壁門の奥を見た。すると、

「よううううこそおおおおっ」

 煌びやかな装飾が施された馬車が、二人のもとへと近づいてきた。その車体の窓から顔を出し、子供のように大きく手を振る老人が、しゃがれた声を上げている。

「変なのが来たよ、エズ」

 袖を引っ張り、カーミンが耳元で呟く。エズは小さく頷いた。

「ふはっ、ふははっ、ぬはっ」

 馬車が止まり、扉が開く。

 車内から姿を現したのは、皺くちゃな顔で笑みを浮かべる老人だ。

「ワシの名はケーキンズ! この国の王じゃ!」

「あいたっ」

 この国の王を名乗る老人は、エズの傍に佇むカーミンを手で振り払い、押し退ける。そして、皺だらけの手でエズと握手を交わす。

「赤の人がワシの国に来てくれたと聞いてな、急ぎ馬車を走らせたのじゃ」

「変な馬車ですね」

「ほっほ、ふはっ、ワシの自慢の一品じゃ」

 一品、とケーキンズは答えた。その言葉の意味を、カーミンはすぐに理解する。

「どれ、食べてみるか?」

 ケーキンズは馬車の車体の掴み、力任せに千切った。

 取れた部分を口に頬張り、幸せそうな表情を作り込む。

「これな、お菓子の馬車なのじゃ。珍しいじゃろう」

「え、お菓子の馬車?」

 お菓子と聞いて、カーミンの体がピクリと揺れる。食べてみたくなったのだ。そっと、カーミンが馬車に近づく。だが、

「乞食は消えるのじゃ!」

 ケーキンズが馬車とカーミンの間に立ち、手で払い除けられた。

「こ、乞食じゃないから!」

「クカカ、オカシニメガクランダクセニヨー」

「クマー、うるさいわ!」

 怒るカーミンと、それを見て笑うクマー。エズは溜息を吐いた。

「ところで、一国の王がぼくに何の用ですか」

「ぬはっ、何の用じゃと? 赤の人と会うんじゃから、決まっておろうが」

 エズは赤の人ではない。

 しかしながら、それを伝えるのも面倒くさくなっていた。

「まあ、立ち話もなんじゃからな。ワシと一緒に城まで来るのじゃ! 食事をしながらたんまりと語り合おうぞ!」

 ケーキンズは、エズを食事に招待する。

「さあさあ、苦しゅうない! ワシと共に来るのじゃ!」

「えっ、わたしは?」

「ふはっ、なんじゃこのガキはっ! さっきからちょろちょろと視界に入りおって! 何処から入って来たのじゃ? さっさと摘まみ出さんか!」

「失礼ね! エズと一緒に来たのよ!」

 ケーキンズが警備兵に命令すると、二名の兵士がカーミンの腕を掴もうと試みる。だが、エズが右手の指を鳴らすと、そこにいたはずの兵士達は、いつの間にかいなくなっていた。

「お、おおお? なんじゃ、何処に消えたのじゃ?」

 辺りを見回すが、兵士達の姿は何処にも見当たらない。

 と思ったら、壁門の外から兵士達が駆けてきた。

「何処に行っておった! さっさとこのガキを摘まみ出すんじゃ!」

「も、申し訳ございません! 気付いた時には国の外にいまして……」

「言い訳は必要ない! ゴミ共が!」

 舌打ちし、ケーキンズは兵士達を睨み付ける。

 しかしすぐに表情を明るくすると、エズの手を引いて車内へと案内する。

「さあ、こっちに来い。ケーキンズ様の命令だからな」

「そんなのお断りよ」

 カーミンの言い草に苛々を募らせる兵士は、もう一度腕を掴もうとした。だが、

「あ、また消えた」

 案の定、そこにいたはずの兵士達は、先ほどと同じように消えていた。

「カーミン」

 背に声を掛けられ、カーミンが振り返る。

 馬車の窓からエズが手を伸ばしていた。

「乗れ」

「うん」

 エズの手を掴むと、カーミンはぐいっと引っ張られた。

「置いてきぼりになるところだったわ」

 扉からではなく、窓から馬車に乗り込むカーミンは、乱れた服を整える。

「こ、このガキはなんなんじゃ? ワシの馬車に乗りおって……」

「ぼくの連れですから」

「そういうこと」

 ふんっ、とカーミンが口を開く。その表情を見て、ケーキンズは目を細めた。

「まあ、よいわ。……ぬはっ、早う出さんか!」

 御者台に座る男に声をぶつけ、ケーキンズが怒りを露わにする。

 手綱を引き、男は馬車を動かし始めた。

「ありがとね、エズ」

 礼を言うカーミンと目を合わせ、エズはすぐに視線を窓の外へと戻す。お菓子でできた馬車は、壊れることなく街路を走り出し、城へと走り始めた。

 願いを叶えることができると思っているであろうケーキンズは、実に上機嫌だ。舌が渇く暇もないほどにペラペラと喋り続けている。話し相手のエズは、城下町の流れる景色を見るのに飽きてしまったのか、目を瞑り、腕を組んでいた。その途中、

「エズ」

 隣に座るカーミンが、ぼそりと呟いた。

 エズが目を開けると、カーミンが逆側の窓の外を指差している。

「あれ見て」

 言われて、エズは窓の外に目を向けた。薄汚い服装の女の子が路上に倒れているではないか。

「ほら、他にも……」

 馬車が走れば走るほど、道端に横たわる人の姿を目にする。

 異様ともいえる光景に、カーミンは眉を潜めた。

「なんじゃ、どうかしたのか?」

 ひたすらに喋り続けていたケーキンズは、二人が窓の外を見ていることに気付いた。すると、エズが目を合わせ、質問する。

「助けないんですか」

「ほほっ、助けるとはなんのことじゃ?」

「あれです」

 ここで初めて、ケーキンズも窓に顔を近付ける。

 そして、見た。

「ああ、ゴミのことかのう」

「ゴミ?」

 ケーキンズの声に反応し、エズが聞き返す。

「そうじゃ、あれはみーんなゴミなんじゃ。だから構わん構わん、気にするだけ時間の無駄ってもんじゃからな、ぬはっ」

 自国の人々をゴミと言い捨て、ケーキンズは笑う。

「ワシが幸せならば、それでいいのじゃ! ほっほ」

 この人嫌い、とカーミンが呟く。その台詞に、エズは肩を竦めて応えた。

「さあさあ着いたぞ! ワシの城じゃ!」

「あれはお菓子じゃないのね」

 三人が乗る場所と同じように、お菓子でできているのかもしれない。

 カーミンは少しだけ期待していたが、その期待は残念ながら外れてしまった。

「赤の人よ、さあこっちじゃ」

 我先にと馬車から降り、ケーキンズが手招きする。

 エズと手を繋いだカーミンは、ケーキンズの背中についていく。

「おっきな城ね」

 その割には、と付け加え、カーミンは来た道を振り返る。

「町は活気がないけど」

 カーミンの言うとおり、この国には活気がない。

 兵士達の姿はあちらこちらで確認することができるが、町の人々は建物内に閉じこもっているのか、ほとんどすれ違わなかった。道端で見ることができたのは、今にも死んでしまいそうな表情の人ばかりで、カーミンは心配になっていた。

「退けっ、さあ退けっ」

 城内へと入り、ケーキンズが先頭を歩く。兵士達が次々に頭を垂れ、王の帰還を歓迎する。

「ワシの城はでかかろう?」

「ええ。歩くのが面倒になるほど」

「ほっほ、赤の人は皮肉が上手いのう!」

 機嫌を損ねず、ケーキンズは喉を鳴らす。やがて、三人は大きな扉の前に到着した。

「既に食事は用意させておるからな! 存分に味わうのじゃ!」

 ケーキンズが視線を向けると、兵士が扉を開ける。

 室内には、所狭しと種類豊富な食材が用意されており、料理人と思しき人物達がその場で料理を作り、城の主が姿を現すのを待っていた。

「すごい、食べ物がいっぱいあるわ」

「ヘー、ウマソー」

「こら、待て待て、乞食はこっちじゃ」

 豪華な食事にカーミンは目を輝かせるが、水を差すようにケーキンズが口を開く。カーミンが視線を移すと、床を指差していることに気付いた。

「……これ、なによ」

「餌を用意してやっただけでもありがたいと思うんじゃな」

 地べたに、皿が一枚置いてある。皿の上には、申し訳程度に食べ物が載っていた。

「赤の人は、こちらの席にどうぞ」

 兵士が一人近づき、エズを席へと案内する。この部屋に用意されたものは、エズの機嫌を取る為のものだ。その傍をついて回るカーミンのことなど、ケーキンズは知ったことではない。

 カーミンはというと、その場に尻をつき、クマーを抱いたまま鼻息を荒くしている。

「これ、貰いますね」

 テーブルの上に並んだ皿を一枚、エズが掴む。それを持ってカーミンの傍に歩み寄り、地べたに腰を下ろした。

「エズの席はあっちでしょう」

「嫌か?」

「別に、そんなことないけど」

 不満気なカーミンを余所に、エズは食事に手を付ける。

 それを見て、カーミンも一緒に食べ始めた。

「ほっほ、赤の人は実に優しいものじゃな。ワシの見込み通りじゃ」

 椅子に腰掛け、二人のやり取りを見ていたケーキンズは、笑顔を絶やさない。それもこれも全ては自分の目的を果たす為だ。

「ぬはっ、食事中に早速で悪いがな、ワシの願いを聞いてくれるかのう」

「願い、ですか」

「そうじゃ、願いじゃ!」

 椅子から立ち上がり、細い腕を左右に広げてみせた。

 そして、何かを想像するかのような表情を浮かべる。

「ワシはな、お菓子の箱が欲しいのじゃ!」

「お菓子の箱?」

 モグモグと料理を口に運ぶカーミンが、聞き返す。

 ケーキンズは両の拳を握り締め、願いを力説し始めた。

 求めるものは、お菓子の箱。

 蓋を開ければ次から次にお菓子が出てくる魔法の箱。

 それこそが、ケーキンズの願いであった。

「どうじゃ、ワシの願いは叶えられそうか?」

「願いを叶えるのは、ぼくの勝手ですから。貴方の指図は受けません」

「ほっほ、けち臭いことを言うのう。前に来てくれた奴は、二つ返事で叶えてくれたぞ!」

「……前に来た?」

 エズが反問する。この国には、以前にも赤の人が来たということなのだろうか、と。思案顔のエズを見て、カーミンは目を細める。

「どんな願いを叶えてもらったんですか」

「くっく、それは秘密じゃ、奴とワシの約束じゃからな!」

 疑問の答えを得ることはできない。

 ケーキンズは、肝心なことは口にしないつもりであった。

「それで、どうなのじゃ? ワシの願いを叶えてくれるのか?」

 今か今かと待ち侘びる姿に、エズは息を吐く。

 ここに赤の人が来たことが問題なのではない。

 その赤の人が欲にまみれた大人の願いを叶えたことが問題なのだ。

 赤の人は、下界の人々の願いを叶えることができる。但し、それは純粋無垢な願いに限定される。夢を忘れた大人達や欲にまみれた願いを叶えてしまうと、赤の人の力が弱まってしまうからだ。だからこそ、エズは解せない。

 何故、その赤の人は、ケーキンズの願いを叶えたのか。

「嫌です」

 その答えを得る為には、エズ自身もケーキンズの願いを叶えなければならないだろう。そうすることで、ケーキンズの口を割ることができる。だが、エズは断った。

「……今、なんて言ったのじゃ?」

「嫌だと言いました。ぼくは、貴方の願いは叶えません」

 はっきりと断り、エズは食事を再開する。しかしその態度が癇に障ったのか、ケーキンズは二人の傍へと近づき、唾を吐く。

「かっ、かっ、つまりワシの役には立たんということか!」

「ええ、そうなりますね」

「それならもう用済みじゃ! ゴミ共に食わせる飯はない!」

 笑みが一変し、憤怒の形相のケーキンズは、エズとカーミンから料理を取り上げる。

 兵士に命を出し、二人を城から追い出すことを決めた。

「帰りは徒歩ですか」

「当り前じゃ! 二度とワシの視界に入るな!」

 部屋から追い出された二人は、互いに顔を見合わせた。

 傍にいた兵士の一人が「気にしないでくれ、いつものことだ」と声を掛けてくる。

 その一言だけで、この国の常を想像することができた。

「じゃあ、戻ろう?」

 カーミンがエズの手を握る。もう片方の腕には、クマーが抱えられている。

 城内を戻り、外へと出た二人は、徒歩で城下町を散策することにした。


「人が少ないな」

 街路をのんびりと歩きながら、エズが呟いた。

 馬車の窓からも見えていたが、城下町には活気がない。人の気配はあるのだが、外を出歩く者がいなかった。道に横たわる人々は、例外なく痩せ細り、苦しげな顔をしている。

「助けてあげたいな……」

 ぼそりと、カーミンが言う。その台詞を耳にして、エズは帽子をかぶり直した。

「赤の人が叶えてくれるだろ」

「でも、」

 この国には、赤の人が来たことがある。何かを願えば届くことは、確かなのだ。しかし、

「この国に来た赤の人って……死んでるよね?」

 カーミンは、問い掛ける。答え合わせをするように、エズの返事を待つ。

「ああ、恐らくな」

 赤の人は、欲の混じった願いを叶えられないわけではない。赤の人や浮遊島に影響があるから、叶えようとしないだけだ。けれども、赤の人の中には、欲を含む願いを叶える者も少なからず存在する。そんな彼等のことを、赤の人達は『黒の人』と呼ぶ。浮遊島を脅かす存在として認識され、処罰の対象となっていた。

「一度でも黒に染まると、赤に戻ることはできない」

 エズが言う。その言葉は、赤の人の死を意味している。

 欲にまみれた願いを叶えるには、代償を支払わなければならない。それは願いを持つ者ではなく、願いを叶える側に課せられた罪でもある。

 赤の人に願いを叶えてもらった人物は、自身が持つ夢と、願いの力を対価として支払っている。その為、一度でも赤の人に願いを叶えてもらうと、その人物が持つ夢の力は薄れる。

 つまりは、夢を忘れて大人になっていくということである。

 そしてこれは、例外なく赤の人にも作用する。夢の力や願いによって存在する赤の人が、その力を使って欲にまみれた願いを叶えてしまうと、己の存在意義を否定したことになる。

 その結果、赤の人は自分自身が何者なのか分からなくなり、赤の人として生きてきたことを忘れてしまう。そして、その人物は赤の人とは呼ばれなくなり、黒の人と称される。

 自分自身を失くしたあとは、もはや何も分からずに願いを叶え続けるようになり、下界に混乱を起こす存在となってしまう。それは浮遊島の維持に多大な影響を及ぼすことになるので、黒の人は処罰の対象となっていた。

「アンダヨ、エズトオナジヤツガココニキタコトアンノカー」

 クマーが二人の間に割って入る。すると、カーミンが眉を寄せた。

「違う違う、同じじゃないから。エズは黒の人の中でも例外中の例外なの。だって自分自身を見失ってないでしょう?」

「アー、タシカニソーダナー」

 カーミンの声に、クマーが反応する。エズは黒の人でありながら、己の意思を持っている。仮に、エズが本当に黒の人であるならば、通常では考えられないことと言えよう。

 しかし、それには一つのカラクリが存在している。

「エズは立派な黒の人だもん。だからわたしね、エズみたいな黒の人になりたいって思うの」

 カーミンは、エズと共に旅を続けている。ずっと傍にいて、エズを見続けている。

「立派な黒の人か」

 小声で言い、エズが思案する。その直後、カーミンが足を止めた。

「どうした」

「あれって、さっきの……」

 視線の先に、薄汚い服を身に着ける女の子がいた。

 エズとカーミンの姿を見つけ、まだ幼い女の子は力の限り手を伸ばす。

「大丈夫?」

 傍に駆け寄り、カーミンが手を握る。すると、声を震わせながら女の子が喉を鳴らす。

「お、お水と……パンが、欲しい……」

「エズ」

「もう叶えた」

 カーミンが後ろを振り向く。エズの手元には、水とパンが用意されていた。

「はい、これで元気を出して」

「……あり、がと」

 女の子は、エズから水とパンを受け取り、少しずつ口元へと運ぶ。

 弱々しい姿に、カーミンは目を背けたくなったが、それでも女の子に声を掛け、元気付けた。

「お姉ちゃん……たち、旅の人でしょ?」

 エズとカーミンが頷く。

「この国、……おかしい、でしょ」

 ぽつぽつと、女の子は声を出す。痩せ細った体で息を整え、エズ達と言葉を交わす。

 女の子は、この国を『お菓子の国』と呼んだ。

 お菓子の国は、お菓子が大好物のケーキンズの支配下に置かれている。兵士に志願し、働かなければ、食料を貰うことができないのが現状だ。

 城下町に住む人々の暮らしは困難を極め、日が経つにつれて飢えが広まっていた。

 老若男女問わず、兵士として志願することができるので、生きる為に兵士となった者は数え切れないほどだ。

 しかしながら、そのほとんどが隣国との戦争で命を落とし、帰らぬ人となっていた。

「暴動とか起きないのかな」

 城下町の有り様を目の当たりにして、カーミンが口を開いた。

「……無理だよ。だって、ケーキンズには……赤の人が、ついてるから」

「赤の人が?」

「そうだよ、赤の人のせいで……絶対に死ななくなったから。誰にも殺せないんだよ」

 殺せない、と女の子は言った。

 その言葉に嘘が無いとすれば、ケーキンズは不死身の肉体を持っていることになる。

「エズ、どういうことかな」

「さあな」

 赤の人は、ケーキンズの願いを叶えた。

 その願いが、不死身の肉体なのだろうか、とカーミンは考える。

「そんなものを欲しがるとは思えないけどな」

「んー、そうかも」

 以前、ケーキンズが何を願ったのかは、二人には分からない。だが、エズに願ったものはお菓子の箱だ。そんなものを欲しがる人間が、不死身の肉体など求めるのだろうか。

 余計に頭がこんがらがり、カーミンは唸り声を上げる。

「気が変わった」

 と、ここでエズが声を出す。そして、今来た道を再び戻り始めた。

「ちょっと、どこに行くの」

「ケーキンズの願いを叶えに行く」

 そう言って、エズは口角を上げてみせるのだった。


「一つ、忠告をしておきます」

 城へと戻った二人は、ケーキンズと再会する。エズは何もない空間から小さな箱を作り出し、それをケーキンズへと手渡した。

「蓋を開けたまま、お菓子を食べ続けないことです」

「ぬはっ、ほほっ、これが夢にまでみたお菓子の箱かっ!」

 お菓子の箱を手にしたケーキンズは、早速とばかりに蓋を開ける。

 すると、箱の中からお菓子が飛び出してきた。

「やったぞ、ワシは遂にお菓子の箱を手に入れたのじゃ!」

 ケーキンズは、お菓子の箱に憑りつかれたかのようだ。

 エズの忠告に全く耳を貸そうとしない。ただただひたすらにお菓子を食べ続け、恍惚とした顔を作り上げている。その姿を瞳に映し込み、エズはまたしても口の端を上げる。

「では、ぼくはこれで」

 カーミンの手を取り、エズは城から出て行く。お菓子の虜となったケーキンズは、エズを見送ることもなく、無我夢中でお菓子を求めていた。

「ねえ、なんで願いを叶えたの」

 不満気な顔のカーミンが、口を開く。

「言っただろ、ぼくは気紛れだって」

「でも、悪い人なのに」

「ぼくは黒の人だ。願いを叶える相手は選ばない」

 例え正義の心を持っていようが、大勢を殺した人物であろうとも、エズには関係ない。

 ただ、願いを叶えるだけだ。

「ううー、そうだけどさー」

 納得がいかないカーミンだが、それ以上は文句を言わないことにした。

 エズにはエズの考えがあることは理解している。カーミン自身、その考え方を理解できる時が、いずれ訪れるかもしれない。その時が目の前に姿を現すまで、カーミンは今日の出来事を忘れないようにしようと考える。

 そう、思っていたのに。

 思いの外、その日は早く訪れる。


「……驚いちゃった」

 三日後。エズとカーミンは、次の目的地へと向かうことにした。

 壁門をくぐり、エズは小型ソリを具現化する。旅荷を荷台に載せて、出発の準備を整えていく。その傍らで、カーミンは目を丸くしていた。

「エズの狙いって、これだったのね」

 壁門の内側に目を向ける。

 お菓子の国の城下町は、数え切れないほどのお菓子で溢れ返っていた。

「やっぱり、エズは黒の人の中でも例外ね」

「なんのことだ」

 自分は何もしていないと言いたげな態度で、エズはソリの操縦席に腰掛ける。その姿を見て、カーミンが助手席に座る。膝の上には、クマーが置かれていた。

「きっと今頃、あの子も喜んでるはずね」

 ケーキンズは、エズの忠告を聞かなかった。お菓子の箱の蓋を閉め忘れ、そのままにしていた。その結果、お菓子の箱からお菓子が出続け、ケーキンズの城をお菓子だらけにしてしまう。

「お菓子の国とは、よく言ったものだな」

 無段変速機を一速に入れ、操縦桿を引く。

 二人を乗せたソリは、ゆっくりと前進していく。

 飢餓に苦しむ町の人々は、食べ物に困ることがなくなった。

 これからは、毎日お菓子を食べることができる。

「これでもう、お腹ペコペコの人達も安心ね」

 遠く小さくなっていくお菓子の国を振り返りながら、カーミンは嬉しそうに微笑む。しかしすぐに表情を変え、悔しそうな顔をしてみせる。

「ああっ、わたしの分のお菓子、拾ってくるの忘れちゃった!」

「クイイジノハッタヤツダナー」

「クマー、うるさいから」

「ヘイヨー」

 ソリは走る。

 何処までも何処までも、鈴の音を鳴らしながら。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ