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黒の人  作者: ひじり
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【一章】人殺しの町

 緑が続く草原を、鈴の音が駆け抜ける。

 引手のいない機械仕掛けの小型ソリが、前へ前へと走っていた。

 操縦桿を握り、黙々とソリの速度と行き先を操る青年は、隣の座席に目を向ける。

「カーミン」

 青年の隣には、青銀に染まる髪を持つ少女が座り、気持ち良さそうに舟を漕いでいた。

「そろそろだぞ」

 長旅で疲れたのだろう。カーミンと呼ばれた少女は、寝惚け眼を擦りながら、とても大きな欠伸を一つと、更にもう一つ。

「ふわあ……、着いたの、エズ?」

 両手を上に背伸びしつつ、操縦士の名を口にする。

「次の町だ」

 エズと呼ばれた青年は、前へと視線を戻す。先に映るのは、立派な外壁に護られた町だ。

「おっきな町ね」

 へえー、と声を上げ、カーミンが口を開く。

 右を見ても左を見ても、前方に目を向けても、あるのは草原だけ。けれども、欠伸が出るほど平和な空間から、ようやく抜け出すことが出来る。

 眠気は彼方へ消え去り、カーミンの意識は既に町へと向けられていた。

「町に入るのって、何日ぶりかな?」

「覚えてないな」

 三日目までは数えていたが、以降は面倒になっていた。

 エズの返事に、カーミンは右手の指を一つずつ曲げて思い出してみる。その途中で分からなくなったのか、うーんと喉を鳴らした。

「暇すぎたか」

 カーミンの仕草に、エズは帽子のつばを摘まみながら、問い掛けてみる。

 日々、同じ景色の中に埋もれていては、方角や時間の感覚が薄れてしまうのも仕方がない。

 すると、二度瞬きを重ね、カーミンは首を横に振る。

「んー? エズと一緒だから、退屈じゃなかったわ」

 ヌイグルミもあるし、と付け加え、屈託のない笑みを浮かべた。

「でもね、やっぱり何か刺激は欲しかったなーって。だからすごく楽しみ」

 二人の会話が続く中、ソリは町の入口へと到着する。

 操縦桿を掴んだまま、左の手で無段変速機を操り、足元の装置を踏む力に強弱を付ける。

 四速から順に下げ、中立部に戻して動力の伝達を切り終えると、エズはソリを完全停止させた。手を操縦桿から放し、衝撃吸収用のベルトを外す。

「荷物は持てるか」

「任せて」

 二人は座席から立ち上がり、荷台に手を付ける。大小幾つかの荷物が置かれていた。それはエズとカーミンの旅荷だ。少なすぎるわけではないが、ほぼほぼ必要最低限の物だけを取捨選択し、ソリの荷台に置いて下界を旅している。

「やあやあやあ」

 町に入る支度中、ホルスターを腰に付けた中年男性が、笑顔を張り付け二人の傍に歩み寄る。

 ソリが走る姿を見ていたのだろう。両手を目一杯に広げ、声を掛けてきた。

「ようこそ、人殺しの町へ!」

 エズとカーミンに話し掛けたのは、町の住人だ。旅人や行商人が町に入る際、その人物が安全か否かを見極める仕事に就き、不測の事態に備えている。

 これはこの町に限らず、他の町や村、国を訪ねたとしても、滅多に変わらない光景だ。住人の安全を確保する為には必要不可欠な手順であり、これをもって不審人物を確実に弾いていく。

「人殺しの町?」

 眉を寄せ、カーミンは中年男性と目を合わせる。

「ええ! ここはその名の通り、人殺しを許可された町です!」

 聞き間違いではない。二人と言葉を交わす中年男性は、この町を人殺しの町と呼んだ。何を言っているのだろうかとカーミンは思考を巡らせてみるが、全く理解が追いつかない。

 その思考を遮るかのように、今度は口髭を生やす男性が町の入口から足早に近づいてきた。

「荷物の中身を拝見してもよろしいですか」

 中年男性の態度や口調とは異なり、愛想なく荷の検査を求める。

「勿論です」

 ここで断っていては、町に入ることはできない。同じく愛想はないが、エズは頷いた。

「では、失礼します」

 エズの許可を取ると、口髭を生やした男性は視線を荷物へと移し、淡々と仕事をこなす。紐を解いて、一つずつ中身を確認する。エズとカーミンの荷物には、食料や衣類が入っていた。

「問題ありません」

 確認を終えると、口髭を生やした男性はエズに頭を下げる。

「おい、危険物は見つかったか」

「無い」

 中年男性の問い掛けに、口髭を生やした男性は短く呟いた。すると、ここを人殺しの町と呼ぶ中年男性は、あからさまに顔を歪め、溜息を吐く。

「ああ、それは残念だ」

 危険物の持ち込みがないと知り、中年男性は何故か落胆していた。

「何か、不都合なことでも」

 エズが言葉をぶつける。ハッと我に返った中年男性は、すぐにまた笑顔を張り付けた。

「いえいえ、そんなことはありませんよ! 危険物の持ち込みは禁止されているのですから、これは非常に喜ばしいことです!」

 そうとは思えない態度を取っていたが、エズは何も指摘しない。

 だが、それが我慢できなかったのか、カーミンがエズの服の袖を引っ張る。

「エズ」

「どうした」

 顔を近付け、エズだけに聞こえるように、そっと呟く。

「この町、おかしいよ」

「そうだな」

 不安気な表情のカーミンを余所に、エズは冷静だ。

「じゃあさ、別の町に行こうよ」

 草原ばかりの風景から解放されたかと思えば、この状況だ。ただの冗談かもしれないが、この町が人殺しの町だと耳にして、カーミンは二の足を踏んでいた。

「刺激が欲しかったんだよな」

「うっ、確かに言ったけどさ」

 先ほど、ソリの上で交わした言葉を思い出す。視線を下げ、カーミンは俯いてしまった。

「安心しろ」

 カーミンの頭に手を置いて、優しく撫でる。二束に結った青銀の髪が揺ら揺らと動く。

「カーミン、お前の傍にいるのは誰だ」

「……エズ」

 顔を上げ、上目遣いにエズの顔を覗く。カーミンの傍にはエズがいる。その事実があるだけで、カーミンの中に渦巻いていた不安は自然と消え去っていく。

「ううー、ズルい」

 頬を膨らませ、ふいっと視線を外す。

「それに、旅の疲れも癒さないとな」

「わかったよ、もう」

 確かに、旅の疲れを癒すには丁度いい。ここまでの旅路は果てしなく、刺激が欲しいと口にしたのも事実だ。カーミンは、町の宿場で部屋を借り、エズと一緒にフカフカのベッドに寝転がりたいと考えていた。

「エズとカーミンです、よろしく」

 改めて、口髭を生やした男性と挨拶を交わす。荷物の検査が終わり、問題無しと判断された二人は、町へと入ることにした。だが、

「あれ、おかしいな」

 口髭を生やした男性とエズが、声の主に目を向ける。

 中年男性が、エズとカーミンの近くを見回していた。

「お二人が乗るソリが、消えてしまいまして」

「……確かに」

 その台詞に、口髭を生やした男性は眉間に皺を寄せる。エズとカーミンが乗っていたはずのソリが、どこにも見当たらないのだ。

「気にしないで」

 けれども二人は平気な顔をしている。頬を緩めたカーミンは、心配無用と声を掛けた。

「そう言うのでしたら、まあ……」

 ソリは、姿形を無くした。目の前で起きたであろう出来事に、口髭を生やした男性は納得がいかない様子だが、中年男性は違う。意識はすぐに戻され、そんな些細な事はどうでもいいと言わんばかりの表情を作り込み、二人を歓迎する。

「エズさん、カーミンさん、人殺しの町をお楽しみください!」

 カーミンの手を握り、エズは一歩、町中に足を踏み入れる。二人の足元に注目し、身を震わせながら歓喜する中年男性は、それを合図に張り付けた笑顔を無に戻す。そして、

「では早速」

 ホルスターから拳銃を抜き取り、銃口をエズの頭部へと定めた。

「さようなら、旅の人」

 耳に、辺りに、銃声が響く。

 中年男性は、何の躊躇いもなく引き金を引いていた。

「……へ?」

 だが、おかしい。

 弾丸は銃身を通り、エズの頭部を撃ち抜く。

 町を訪ねたばかりの旅人を、中年男性は撃ち殺したはずだ。それなのに、

「まだ何か」

 引き金に指を掛け、確かに引いていた。しかしながら、エズは無事だ。中年男性が撃った弾丸が頭部を貫通することはなく、おかしなことに弾丸自体が存在を消していた。

「え、っとですね、はははっ」

 エズが問う。すると、中年男性は大きく肩を揺らし、上下左右に目を泳がせる。

「何でもありませんよ、ええ、何も問題ありませんので!」

 ホルスターへと拳銃を戻し、何事もなかったかのように苦笑いしてみせた。

 その顔に目を向けて、エズは口の端を上げた。

「そうですか、それでは」

 会釈し、エズとカーミンは町の中へと入っていく。

「……ねえ、エズ。あの人なんで恥ずかしそうだったの」

「人殺しに失敗したからだろ」

 その言葉に、カーミンは小首を傾げた。

 この町は、人を殺すことを許可されている。意気揚々と拳銃を手に構え、無知な旅人を撃ち殺すはずが、蓋を開けてみれば失敗に終わっていた。と同時に、旅人は何食わぬ顔で問い掛けてくる始末だ。全く理解出来ずに失敗したことで、中年男性は二発目を撃つ気が失せていた。

「ふぅん、よくわかんないけど」

 肩を竦め、カーミンは呟く。

 左手でエズの手をしっかりと握り、右手には古臭いヌイグルミを抱えたまま、並んで歩く。久し振りの町に、カーミンの足取りは軽くなっていた。

「わあ、噴水があるわ」

 町中を真っ直ぐに進んでいくと、大きな広場に出た。中央には大きな噴水があった。元気よくエズの手を引っ張り、カーミンは噴水の傍に近づいてみるが、不意に足を止める。

「濁ってる……掃除する人、いないのかな」

 噴水の中は赤と黒に染まっていた。折角の噴水が台無しだ、とカーミンが息を吐く。

 その横で、エズは目を細める。

「する意味が無いんだろ」

 カーミンは、エズの視線の先を追う。噴水から広場へ、そして町中を行き交う住人達を観察しているように見えた。ここでようやくカーミンも気付く。そこら中の人々が、二人の姿を瞳に映し込んでいるではないか。

「わたし達、見られてるわ」

 旅人が珍しいからではない。別の目的を持ち、その目を向けていた。

 カーミンは考える。この町は、何から何までおかしなことばかりだ。

 この町を人殺しの町を呼ぶ中年男性は、エズとカーミンが町に入るのを見届けた後、躊躇いもなく拳銃の引き金を引いた。

 結果的に人殺しには失敗したが、発砲に至った理由も口にせず、ただの苦笑いで済ませられてしまった。それもそのはず、この町では、人殺しが許されているからだ。

 そして、その様子を町の住人達は見ていた。

 今度の旅人は、そう簡単には死なない。一癖ある奴らだ、と。決して誰も口にはしないが、目の動きが物語っている。エズとカーミンを殺したくてウズウズしているのだ。

「大丈夫かな、この町」

 消えたはずの不安が、カーミンの胸を侵食する。その一方、エズは普段通りの振る舞いだ。

「そのうち、諦めるさ」

「うー、エズは楽観的よね」

 町中には、他の旅人はいない。商人の姿も見当たらない。冷静に考えれば、一人もいないはずはないのだが、この町には外の常識が通用しないのも事実だ。

 細かな所に目を向けてみると、この町の実態が浮き彫りとなる。町の石畳の隙間には、拭い切れない血痕が見え隠れし、噴水の中には見てはいけないものが沈んでいる。

 左を向けば、鉄の棒切れを握った住人が二人の様子を窺い、逆に右側へと視線を移せば、今度は小型ナイフを手にした住人が行ったり来たりしている。

「あったぞ」

 一人一人の位置や仕草を気に掛けていれば、一時間と持たずに町の外に出てしまいたくなるだろう。そんな中、エズは噴水の向こう側に宿場を見つけた。

 エズに言われてカーミンは目を向ける。噴水の水飛沫で見え辛かったが、回り込んで町の奥に進んでみると、宿場の看板が二人を出迎えた。

「ここに泊まるの?」

 外装は小奇麗だが、内部が重要だ。

 カーミンは、エズよりも一歩前に出て、我先にと宿場の玄関へと近づく。

 とその時、エズがカーミンの腕を手加減なく思い切り引っ張った。それからほんの僅かな時間差で、上から大きな石の塊が落ちてきた。

「なっ、なに? なにが起きたの?」

「二階だ」

 カーミンは上を見る。

 二階の窓から顔を引っ込める人物がいた。どうやらあの人物が石を落としたらしい。

「なんでこんなことをするの? わたし、死ぬところだったわ」

「それが狙いだろ」

 この町では、別に不思議なことでもおかしなことでもない。この町にはこの町のルールが存在する。予め決められたルールの中で、住人達は人殺しをしながら暮らしているのだ。。

「エズは平気なの?」

 あわや大事故の状況に、カーミンはエズの腕にしがみ付く。

「問題ない」

 妄想ではない。エズとカーミンの身に起きたことは現実だ。

 実際に、カーミンは死に掛けた。エズが腕を引っ張っていなければ、今頃は石の塊に潰されていたはずだ。その光景を思い浮かべて、カーミンは肩を揺らす。

「この町の人達って、どうしてわたし達を殺そうとするのかな」

「聞いてみればいいさ」

 危険が去ったことを視認し、エズはカーミンを連れて宿場の中へと入る。客人の姿を視界に捉えた老人が、ゆっくりと椅子から腰を上げ、杖を持つ。

「いらっしゃい」

「二人です。部屋は空いてますか」

「ええ、ええ。勿論ですとも。先ほど別の御客様が死にまして、一部屋空いたところですよ」

 二人の他に、外部の人間が町に入っていた。但し、既にこの世を去った後だが。

「さっきの人、ここに泊まってるのかな」

 ぼそりと、カーミンが呟く。二階から石の塊を落とした人物が、この宿場に泊まっているであろうことは明白だ。それが気掛かりなのだろう。しかし、エズは老人を指差す。

「アレは、この人がやったことだ。ですよね、御主人」

「えっ、だけどその体でどうやって」

 エズの指摘に、老人は笑みを浮かべる。

「バレていましたか。いや、さすがはここまで生きて辿り着くだけのことはありますな」

 老人は杖を記帳机の上に置く。ぐぐっと背筋を伸ばし、曲がり腰を真っ直ぐに正した。

「お嬢ちゃん、人を見た目で判断してはいけないよ」

 宿場の老人は、見た目とは裏腹に足腰が強く、石の塊を窓から落とす程度の腕力を持ち合わせていた。玄関で二人を殺すことが叶わず、足早に一階へと降り、何食わぬ顔で出迎えたのだ。

「どうしてこの町の人達は人殺しをしようとするの」

 溜息を吐き、カーミンは老人に問い掛ける。できることならば、こんな町には長居したくない。そう考えているが、エズはここで旅の疲れを癒すつもりだ。

 だとすれば、不安材料を解明して取り除く必要がある。

 すると、老人はクシャクシャの顔を動かし、口を開く。

「ストレス発散の為ですね」

「……そんな理由で、人を殺すの?」

「そんな理由とはとんでもない。この町が人殺しの町になったのには深いわけがありましてね」

 エズが、記帳を終えていた。革財布から硬貨を摘まみ、一泊分の宿泊費を老人に支払う。

 お釣りをエズに渡し、老人は話を続ける。

「さて、一年以上前のことになりますが……」


 ある貴族が、この町を治めていた。温厚な性格の持ち主であったその人物は、町の住人達から慕われており、良い関係を築き上げていた。

 だが、事態は一変する。

 ある日のこと、盗賊が貴族の屋敷へと忍び込み、金目の物を根こそぎ奪ってしまった。

 その日以降、これまでのような暮らし振りをすることが出来なくなった貴族は悪政を敷くようになり、町の住人達は少しずつ少しずつ苦しみ始めた。

 このままではダメだ、どうにかしなければならない、と。町の住人達は集い打開策を考えた。

 しかし、その中には貴族の内通者が存在し、町の様子や人々の動向を逐一報告していた。

『おかしい、絶対におかしい』

 誰かが口にする。何故、貴族に情報が漏れるのか。

 不審に反抗する為に、一部の人々が声を掛け合い、内通者を炙り出そうと罠を張る。

 その結果、内通者は尻尾を出した。

 裏切りが発覚すると、町の住人達は貴族の屋敷へと足を運び、抗議した。だが、貴族は彼等を門前払いとし、それを切っ掛けに悪政を強めることを告げるが、勿論それだけでは終わらない。内通者を文字通り吊るし上げ、町の広場を公開処刑の場としたのだ。

『これで分かったか。私に逆らう者は処刑してやる』

 貴族に逆らう者、役に立たない者は、例外なく罰せられてしまう。町の住人達は、死と隣り合わせの日々を過ごさなければならなくなり、その身に恐怖を植え付けられてしまった。

 もう、これ以上は我慢出来ない。限界は、とうの昔に超えている。だから決めた。

 それは、公開処刑が行われた夜のこと。町の住人達は、誰が先導するわけでもなく、一人また一人と武器を手に取り始め、明確な殺意を持ち、目的地へと歩を進める。

『な、なんだこれは』

 そして、貴族は目が覚めた。騒々しさに、部屋の窓から外を見る。驚いたことに、大勢の人々が屋敷を取り囲んでいるではないか。現状を把握出来ない貴族は慌てふためいた。

 松明を持つ者が屋敷を燃やし、暗闇に火を灯す。手頃な武器を持たない者は地べたに落ちていた石ころを拾い上げ、何度も何度も投げ続ける。拳銃やナイフを持つ者は、貴族の逃げ道を塞ぐように屋敷の四方を取り囲んでいる。

『見つけたぞ、こっちだ』

 火に追われて、着の身着のまま屋敷を飛び出す貴族は、町の住人達に捕まり、縄で縛られてしまう。手足の自由を奪われたまま、乱暴に引きずられ、貴族は広場へと連行された。

 その間、火の勢いは増す。

 屋敷が燃え尽くすのも時間の問題であったが、誰一人として消化する者はいない。

『何故だ、何故こうして私を苦しめるのだ』

 噴水の水に顔を押し付けられ、もがき苦しむ貴族は、苦しみながらも怒声を上げる。その姿を見て、その声を聞き、住人達はケラケラと笑った。

『笑うな、この私を笑うな!』

 このような仕打ちは決して許されない。関わった者達を公開処刑にしてやる、と叫んだ。

 しかしながら、住人達は笑うのを止めない。貴族が何かを言う度に、むしろ歓喜していた。

『それじゃあ、そろそろ始めよう』

 その時は不意に訪れる。誰かの声に、町の住人達はこれまで以上に歓声を上げた。

 声の主は、ニコニコと笑いながら貴族の傍へと近寄り、手に持っていた小型ナイフを突き刺す。その瞬間、貴族の悲鳴が町全体に木霊する。

 ナイフが貴族の脇腹を抉り、血が噴き出しているではないか。

『い、痛い、痛い痛い痛い痛いっ』

 のた打ち回る貴族を見下ろしながら、刺した人物は嬉しそうに口を開く。

『お前が苦しむ姿を見ることが出来て、俺は幸せだよ』

 貴族が犯した罪は、季節が何度変わろうとも消えることはない。町の住人達は、恐怖に怯えながら生きることに、限界のないストレスを感じていた。

 しかし、それが今、発散された。

 これだ、これなのだ。私達には、これが必要だったのだと。

 溜めに溜め込んだ鬱憤を晴らすには、人を殺せばいいのだと。

 だから殺そう。こいつを、この男を、この貴族を。

『助けてくれ、もう二度と町を苦しめないと誓う!』

 涙で歪む視界に、情けなくも鼻水を垂らしながらも、貴族はどうかどうかと懇願する。

 けれども、その願いは誰の耳にも届かない。今この瞬間、この場所に、貴族の願いを叶えることが出来る者は、誰もいない。例えそれが人間でなくとも、居合わせなければ不可能だ。

 一人が、鉈を手にする。最期の時が訪れたのだ。

『覚悟はいいか』

『待て、全てを話す! だからまだ殺さないでくれ!』

 その時、貴族が何を伝えようとしていたのか、住人達は誰も興味がなかった。故に貴族の言葉は忘却される。拘束された貴族は、抵抗することも出来ずに首を斬り落とされてしまった。

『やった、やったぞ。遂にこの町は自由になったんだ』

 またもや、誰かが呟く。共感した別の誰かも声を上げ、流行り病のように次々と伝染していく。この日、貴族は首を失い、地に転がった。これでようやく町は元通りになる。誰もがそう思ってやまなかった。だがしかし、結末はまだ先だ。

『……ああ、疼く』

 数日後の出来事だ。

 誰かが、唇を震わせながら呟いた。あの時の興奮が忘れられないのだと。

『分かる、分かるぞ。俺も、この手で殺したかったのに……』

 また別の誰かが、自分の両手を見ながら舌を打つ。

 貴族を殺す役目は、自分にこそ相応しいはずだったのに、と。

 一人、また一人と、不満の種は蒔かれていく。

 否、既にあの時、全ての準備が整っていたのだ。

 そしていつしか、貴族の首が飛んだ時のことを思い出す度に、住人達は揃いも揃って同じ願いを思い浮かべるようになっていた。……そんな時、彼は姿を現した。

『何かお困りか』

 十字の模様が付いた手袋を嵌めた銀髪の男が、町の広場に佇んでいた。

 この世界には、下界に住む人々の願いを叶える者が存在する。人々は、彼等が赤い服を身に纏う姿から『赤の人』と呼んでいた。

 赤の人を見た町の住人達は、歓喜に沸く。自分達の願いを叶えてほしいと頼み込んだ。

『欲に塗れた願いだが、叶えてやろう』

 この町の人々の願いは、ただ一つ。それを叶えることは、いとも容易い行為だ。

 故に、赤の人は感情を見せずに頷く。

『では、』

 両の手を重ね合わせ、ゆっくりと離す。すると、何もない空間に灰色の煙のようなものが噴き出し、見る見るうちに町全体を覆っていく。

 怪しげな状況下に置かれながらも、町の住人達は笑顔を絶やさない。それどころか、一切の恐れを持たず、目の前の光景に身を震わせている。

『――さあ、完成だ。それでは御機嫌よう』

 願いを叶え終えた赤の人は、口早に呟き、町の外へと出て行った。

 そしてその日から、代わり映えのしなかった日常が一変する。

『あひゃ』

 誰かが、拳銃の引き金に指を掛ける。

 数秒後、見知らぬ旅人が心臓を撃たれ、地べたに伏していた。

『いひひっ』

 また別の誰かが、ナイフを手に取った。

 数時間後、その人物と行商人の男性が刺し傷だらけになり、道端に横たわっていた。

『ああ、面白い。こんなに楽しくて幸せな日々を送れるだなんて』

 町は、確かに変わった。皆の願い通りの変化を遂げていた。

 この町の住人達の願いを赤の人が叶えた瞬間から、人殺しの町として生まれ変わったのだ。

 誰を殺しても許される。それどころか人殺しを推奨している。

 もう、殺さずにはいられない。人を殺す為に生き続けるようになっていた。

 だが、そんな彼等にも一つだけルールが存在する。

『もういないのか。次はいつ来るんだ』

 町の住人達は、恋い焦がれる。

 旅人や行商人がこの町へと立ち寄ってくれることを祈っている。

 理由は、ただ一つ。

 この町の住人達は、互いを殺し合うことは出来ない。人殺しの対象は外部の者に限る。

 これは、皆が望んだことだ。彼等にとって貴族はこの町の一員ではなく、外部の人間であると認識されていた。だからこそ、このようなルールが自然と出来上がってしまったのだ。

 故に待つ。町の住人達は誰かが訪れるのを。

 そして殺す。何も知らずにこの町を訪れた者を。

 笑顔で。騙して。あの手この手で。あっさりと。


「これで話は終わりです」

 人殺しの町について話し終えた老人は、記帳机の引き出しに隠しておいた拳銃を手に取り、エズの胴体目掛けて発砲しようと構えた。しかしながら標的はいない。いつの間にかその場から移動し、エズはカーミンの手を引いて宿場の階段を上っていた。

「ううむ、あれはさすがに殺すのが難しい……」

 煙に巻かれた老人は、肩を竦めて椅子へと腰掛け直した。

「エズ」

 一方、階段を上り終えたカーミンは、エズの名を呼ぶ。

「この町が変わっちゃったのって、赤の人のせいなのかな」

「彼の話を信じるならな」

 宿場の老人の話は、妄言のようにも思える。

 しかしながら、この町の住人達の様子がおかしいのは疑いようがない事実だ。

「なんだ、お気に召さなかったか」

 手を繋ぎ、隣を歩くカーミンに、エズは目を向ける。

「当然よ。だって人が死ぬところなんてみたくないもん」

 この町に入ってから命を狙われることはあったが、幸いなことに、エズとカーミンは人が死ぬ瞬間や、実際に死んでしまった人を見てはいない。

「ベツニイイジャネエカ、ストレスハッサンデキルナラヨー」

 すると、どこからか二人とは異なる声が聞こえてきた。ムッとした表情を作り、カーミンは右脇に抱える古臭いヌイグルミを振り回す。

「オエッ、オエエッ」

「口は災いの元だな」

 素知らぬ顔のエズは、目を合わせずに呟く。

 老人から受け取った銅の鍵を扉の鍵穴に差し込み、部屋の中へと足を踏み入れた。室内を見回し、身の安全を確認し終えると、エズはようやく握っていた手を離す。

 ベッドの上に荷物を下ろし、一息吐く。旅の疲れを癒すには悪くない部屋だった。

 カーミンは、勢いよくベッドに飛び込み寝転がる。

「ふかふかー」

「荷物が跳ねた」

「そー。ごめんねエズ」

 悪びれた様子もなく、カーミンは枕に顔を埋めた。

 ずっと、ソリの上にいたのだ。ベッドの上で眠ることが出来る幸せを感じているのだろう。

 暫くすると、寝息が聞こえてくる。いつの間にか、カーミンは夢の世界へと誘われていた。

「エズヨー、オメエモスナオジャネエナー」

「なんのことやら」

「ホントーハツカレテナンテネーンダロー?」

 カーミンとは異なる声が室内に響く度に、エズは面倒くさそうに返事をする。ベッドの上で眠るカーミンに視線を向け、少しだけ口元を緩めた。荷物の整理は済んだ。けれどもカーミンを真似てベッドに飛び込むことはなく、エズは室内の壁や窓に触れていく。

「散歩してくる」

 カーミンを部屋に一人残して、エズは扉の鍵を閉めた。

 階段を降りて一階に顔を出すと、宿場の老人に会釈する。

「お出かけですかな」

「ええ、楽しんできます」

「貴方なら、きっとその言葉通りに出来るでしょう」

 既に、老人は人殺しを諦めている。

 今回の相手は分が悪いということは、二度目の暗殺時に理解していた。次の獲物が町に入ってくるまで、老人は待つことにしたのだ。

 エズが宿場から出てみると、やはりというべきか、町の住人達が出待ちしていた。

「人気者だな、ぼくも」

 くくっと喉を鳴らし、エズは堂々と街路を歩き始める。

 町は大きく、端から端まで歩くだけでもそれなりの時間を要する。カーミンが睡眠を取り、しっかりと疲れを癒す程度に暇を潰すには、丁度いい町であった。

 とはいえ、当然のことながら、何事もなく町を散策出来るはずもない。その点は、エズは百も承知だ。しかしだからといって部屋に引きこもっていては、ここに来た意味がない。

「三回か四回ぐらいかな」

 だから、エズは外に出る。町中をじっくりと散策する。外部の人間として、一人の旅人として、人殺しの町を存分に楽しむつもりであった。


 町の外れに、エズは大きな屋敷を見つけた。

 けれどもそのほとんどが焼け焦げていて、残念ながら人が住めるような状態ではなかった。

 しかも、見たところ随分と時を重ねているように思える。それもそのはず、ここは宿場の老人の昔話に登場した貴族の屋敷跡地だからだ。

 ここへと辿り着くまで、エズは両手の指の数では足りないほどの暗殺未遂に遭っていた。エズ自身、その回数を予想していたのだが、それを遙かに上回っている。

 しかし、ただの一度も成功しなかった原因は何なのかといえば、暗殺対象がエズであることが理由として挙げられる。

 そしておかしなことに、ここには誰もいない。町中では誰かが必ずエズの行方を追っていたのだが、ここまでついてくる者は誰一人いなかった。

「過去の遺物か」

 この場所に、何を感じるのか。

 人殺しの町に住む人々にとって、ここは思い出したくもない場所なのだ。

「……残念だ」

 貴族が殺される前に、赤の人が姿を現していれば、或いは。この町は、人殺しの町にならずに済んだのだろうか。それとも、貴族が盗賊に狙われたりしなければ、そもそも悪政は始まらず、貴族と町の住人達は仲が良いままだったのではないだろうか。

 悲しいことに、たらればを思考する者はいない。

「歪んだ願いは、歪んだ結果を作り出すんだな」

 一人呟き、エズは来た道を戻ることにした。暇を潰すのは終いである。

「帰り道も退屈しないだろう」

 更に、ぼそりと唇を震わせる。

 宿場へと到着するまで、エズは何度も命を狙われることになるのであった。


「お腹空いたんだけど、今って何時ぐらい?」

 エズが部屋に戻り、既に半日が過ぎていた。柔らかなベッドに魅入られてしまったカーミンは、夕食の時間になっても全く目を覚まさず、ただひたすらに眠り続けていたので、エズは一人で食事を済ませて今へと至る。

「次の町に行く」

「えっ、もう行くの? ベッドふかふかだったのになー」

 エズが用意した食事を口にしながら、カーミンはベッドに視線を向ける。フカフカのベッドは、どうやらカーミンの心を掴んでしまったらしい。ここが人殺しの町であることも忘れて不満気な表情を浮かべている。

「エズ、ソリの上にベッドを置いてみない? そうすれば移動中もぐっすり眠れるわ」

「置き場所がない」

「えー、エズのケチ」

 カーミンの提案は、あっさりと却下された。


『町を出るまで、お気をつけなさい。いつ殺されるか分かりませんからな』

 宿場を出る時、老人は念を押す。人殺しの町の外に出るまでは、油断してはならない、と。

 そう言いつつ、杖の先に仕込んだ針で、カーミンの体を刺そうと試みたのだが、エズに阻止されたのは言うまでもない。

「おや、無事にお帰りですか」

 エズとカーミンは、町の出口に着く。すると、中年男性が二人の姿に気付き、声を掛けてきた。口髭を生やした男性は、少し離れた所で別の業務をこなしている。

「如何でしたか、ここは素晴らしい町だったでしょう?」

「ええ、とても」

 一体全体何をどうすれば、この町が素晴らしいと思えるのだろうか。カーミンは眉根を寄せて、中年男性の顔を見た。

 曇りの見当たらない満面の笑みを顔に張り付け、中年男性はエズと握手を交わす。

「お嬢さんの方は如何でしたか」

 質問の相手を、エズからカーミンへと移す。

「そうね、ぐっすり眠れたわ」

 嫌味ではないが、カーミンはそれ以外に良いと思えることがなかった。

「そうですかそうですか! それは本当によかったです! ではこれで、お二人は心置きなく死ぬことが出来ますね!」

 そう言って、中年男性はホルスターから拳銃を抜き取る。事前に拳銃のチェックは終えていた。問題なく発砲することが出来る。今度こそ、旅人の命を奪い取ろう、と。

「うっ、くっ」

 しかし、引き金が動かない。指に力を込めても、発砲することもままならない。

「何故だ、何故こんな時に限って!」

 人殺しの機会は二度も訪れた。

 けれども、一度目は弾丸が消えてしまい、二度目は引き金を引くことが出来ない。

「くそがっ! どうしてなんだ! 殺したくて殺したくてウズウズしているというのに!」

 中年男性は悔しげに顔を歪めて地団太を踏む。

「お困りですか」

「ああ、困っていますよ! 人殺しが出来ずに困っていますとも!」

 常軌を逸した言動ではあるが、この町では別段おかしなことではない。

 困り果てた姿を瞳に映し込み、エズは少しだけ口の端を上げた。

「その願い、叶えましょう」

「えっ」

 エズの申し出に、中年男性は目を見開く。

 別の業務中の口髭を生やした男性も、エズに視線を向けた。

「貴方、自ら死を望んでくれるのですか?」

「いいえ、そうではありません」

 首を横に振り、エズは左右の手をくっ付けてみせると、薄く笑う。

「これが欲しかったのでは?」

「お、おお……」

 両方の手を離すと、何も無かったはずの空間に一丁の拳銃が現れていた。

「ま、まさか、赤の人ですか?」

 驚きに満ちた声を上げ、中年男性は目を輝かせる。

 その一方、口髭を生やした男性は、どこか落ち着かない様子だ。

「さあ、どうぞ」

 エズは、具現化した拳銃を中年男性に手渡す。

「ありがとう、ありがとう。これでやっと人殺しをすることが出来ます!」

 殺してやりたいと思っていた相手から、殺す為に必要な拳銃を受け取る。随分とおかしな状況ではあったが、中年男性は疑問に頭を悩ませることはない。ここは人殺しの町なのだから、何が起ころうとも不思議ではないのだ。

「それでは、今度こそ!」

 中年男性は、エズから受け取った拳銃を構えてニヤリと笑う。一切躊躇うことなく引き金を引き、エズを殺す。だが、

「あぎっ」

 弾丸は出ない。それどころか、引き金を引くと同時に暴発してしまった。

「ッ、これは……」

 暴発したことで、中年男性は声も上げず、その場に倒れてしまう。

 口髭を生やした男性は、その瞬間を目の当たりにした。

「願いは叶えました」

 ぽつりと呟くのは、エズだ。

「よかったですね、人殺しが出来て」

 エズは確かに願いを叶えた。拳銃を受け取った中年男性は、自分自身を殺してしまったのだ。

「ところで、」

 不意に、視線を移す。エズの瞳に映るのは、口髭を生やした男性の姿だ。

「貴方は、どうしますか」

 何をどうするのか、口髭を生やした男性は理解が追いつかない。

 察したカーミンは、エズの代わりに口を開く。

「貴方は人殺しをしたくないの?」

 その言葉に、口髭を生やした男性はようやく頷いた。ここは人殺しの町なので、口髭を生やした男性も拳銃が欲しいのではないかと思われたのだ。

「いや、私には必要のないものです」

 しかし、拒否する。人殺しの町に住みながらも、拳銃を受け取らない。

「そっか、貴方は自分の拳銃を持っているものね」

 カーミンは、口髭を生やした男性がホルスターを装着していることに気がついた。エズに願わずとも、人殺しを行なうことは可能だった。

「一つ質問です。貴方は何故、人殺しをしないのですか」

 カーミンの手を引いて、エズは町の外に出る。そして、後ろを振り向き問い掛ける。

「貴方達を殺そうと思っていたが、中々機会に恵まれず、今に至ります」

 口髭を生やした男性は、肩を揺らした。

 目線と仕草に変化が起きたことに、エズは気付いている。

「それは嘘ですね。この町に住む方々は、例え人殺しが失敗に終わろうとも、懲りずにぼく達を殺しに来ましたから。そこに転がる人が、いい例です」

 エズの視線の先には、中年男性の姿があった。

 拳銃の暴発に巻き込まれてしまい、既に息絶えている。

「ですから、もし今貴方が仰った言葉が真実であるとすれば、」

 真っ直ぐに、口髭を生やした男性へと瞳をぶつけ、エズは口を開く。

「貴方は、この町の住人ではないということになります」

 ある日のこと、この町を訪れた赤の人は、彼等の願いを叶えてあげた。その願いによって、町の住人達は躊躇なく人殺しが出来るようになった。

 しかしながら、エズと言葉を交わす人物は、人殺しの町に住みながらも、二人を殺そうとはしない。それはつまり、口髭を生やした男性は、この町の住人ではないことになる。

「口ぶりから察するに、この町の過去を聞いてしまったようですね」

 少し間を開けて、返事をする。何を言えばいいのか頭を悩ませていたのだろう。

「それなら、お分かりのはずですよね。もし仮に、私がこの町の住人ではないとすれば、何故私は、この町の住人達に殺されないのですか?」

 それが答えです、と口髭を生やした男性は告げる。

 これ以上、何も聞くな。詮索しないでくれ。と、その表情が物語っていた。

 だが、エズは止まらない。

「ええ、そうですね。つまりは、それが答えです」

 この町に住む住人達は、一つのルールを定めている。それは、住人同士の殺し合いは御法度だということだ。口髭を生やした男性が、他の住人に殺されていないということは、結果的にこの町の住人だということに他ならない。

 故に、口髭を生やした男性は、人殺しの町の住人でありながら、人殺しを躊躇ったことになる。だからこそ、エズは頷く。

「昔話に登場した人物の中で、今現在この町に存在しない者は誰か、御存じですか」

 宿場の老人から聞いた話に、僅かに捻りを加える。

 口髭を生やした男性は、すぐに答えを導き出し、口元を緩めた。

「貴族ですね。彼は死にましたから」

 自業自得ですが、と付け加えて、溜息を吐く。

 早く次の町に行け、話し掛けてくるな、と。エズをあしらう。

「その通りです。では、もう一つ」

 けれども、エズは続ける。

 いつの間にか、エズとカーミンの傍には小型ソリが現れていた。これもエズが具現化したものだ。カーミンは、荷台に旅荷を置き、支度を整えていく。

「その貴族が悪政を働く切っ掛けとなった人物は、今どこにいるのか、御存じですか」

 また、口髭を生やした男性の肩が揺れる。目に見えて動揺していた。

「盗賊のことですか? さあ、知りませんね。随分と昔のことですから、どこか別の町にでも移り住み、金持ちの屋敷を狙っているのでは?」

 別の町にでも移り住み、と口髭を生やした男性は告げる。

 けれども、言葉の裏に隠された秘密は、既にエズの手中にあった。

「なるほど、ではせっかくなので、ぼくからも一つ昔話を」

 そう言って、エズは呟く。

「実はぼく、この町の貴族の方とお会いしたことがあります」

 狙った獲物は、決して逃がさない。エズは口角を上げ、どこか楽しげに語り出す。


 過去、エズと出会った貴族は、当然のように願いを口にしていた。逃げた盗賊の居所を突き止め、奪われた物を全て取り返したいのだと。

 その願いを、エズは叶えてみせる。盗賊の棲家はどこにあるのか、エズは隠すことなく貴族へと伝えていく。だがここで、貴族は頭を悩ませることになる。

 盗賊の正体は、この町の住人だった。

 犯行理由は至って単純明快、貴族の蓄えを根こそぎ奪い取り、私腹を肥やそうと考えたのだ。

 その企みは成功し、盗賊の真似事をした住人は、己の財産を増やすことが出来た。しかしながら、その人物にとって想定外の出来事が起こる。

 貴族が、エズと出会ってしまったのだ。

 これまでのような暮らし振りを送ることが出来なくなった貴族は、常日頃から頭を悩ませるようになっていた。そんな中で出会ったエズの存在は、貴族にとって救いの神にも見えたはずだ。願いを叶えてもらった結果、今まで優しく接していたはずの住人達に裏切られていたことを知り、貴族は怒りに身を震わせる。

 とはいえ、問題の人物は町から姿を消し、別の地へと逃げていた。今から追いかけるには、さすがに骨が折れてしまう。その結果、恨むべきは盗賊行為をした人物であるはずなのに、貴族は町の住人達が共謀し、その人物を逃がしたのではないかと考え、疑心暗鬼に陥った。

 住人の一人が盗賊行為に手を染めた。つまりそれは町全体の責任だ。そのような捻じ曲がった解答に辿り着くまで、それほど時間は掛からなかった。では、どうすればいいのか。

 実におろかだが、貴族は思考を巡らせ、悪政を敷くことにした。

 これで、一人残らず恨みを晴らすことが出来る。暮らし振りも元に戻すことが出来るので、貴族にとっては一石二鳥の案と言えるだろう。

 悪政により、町は徐々に苦しみ始めた。だが、町の住人達は悪政に対する打開策を考えようとしていた。住人達の様子がおかしいことに気付いた貴族は、何か不味いことが起きるかもしれないと考えたが、その途中、思わぬ人物と再会することになる。

 盗賊行為をした人物が、町へと戻ってきた。盗んだ財を全て使い果たしてしまったのだ。

 そこで貴族は考えた。その人物に声を掛け、内通者とすることを。

 何も知らない振りをして、貴族はワザと話を持ち掛けた。そしてそれが罠とも知らず、内通者としての役目を任された人物は、全く疑うことなく引き受けてしまう。

 内心、その人物は貴族を嘲笑っていたのかもしれない。貴族が雇った人物こそが、貴族の屋敷に忍び込み、金目の物を盗んだ張本人なのだから、笑いが止まらなくなっても仕方がない。

 しかしながら、更に裏を掻き、その人物を見事に騙し、雇ってみせたのは他でもない貴族だ。実際に、裏で何が起きているのか気付いていなかったのは、その人物の方であった。

 罪を償わせるだけでは物足りない。一度生まれた恨みは、そう簡単には消えないのだ。

 だからこそ、貴族は内通者を自在に操った。

 何故、全てが筒抜けなのか。町の住人達は疑問に感じ始め、その答えを知った時、内通者として動いていた人物が吊し上げられるであろうことも、貴族の想定の範囲内だ。

 案の定、住人達は内通者を見つけ出すと、貴族の屋敷へと連れて行き、抗議を始めた。

 勿論、貴族は聞く耳を持たない。それどころか、これまで内通者として利用していた人物を、町の広場で公開処刑してみせた。

 盗賊としてではなく、町の裏切り者として、その汚名を着せて。

 屋敷に忍び込んだ盗賊は、処刑することが出来た。これで貴族の機嫌は良くなった。けれども、貴族は悪政を止めなかった。

 逆らう者には、死が待っている。その身に恐怖を植え付け、住人達を支配し、貴族は町の実権を握ったかのような気になっていた。

 この町の全てを、自分の手の平の上で動かすことが可能だと。貴族は、そう思い込み始めていたが、決して犯してはならないことを実行に移していた。

 人殺しだ。

 例えそれが盗賊行為をした人物であろうとも、人を殺したことに変わりはない。

 悪政が終わることもなく、状況は悪化の一途を辿っている。結果、町の住人達の鬱憤は限界値を超えてしまい、屋敷に火が放たれた。


「さて、ここまでお話しましたが、重要なことを言い忘れていました」

「重要なこと……」

 一旦、口を止め、エズは口髭を生やした男性と目を合わせる。

「盗賊行為を働いた人物ですが、一人ではありません。実は二人組です」

 二人組、とエズが言う。

「町に戻った人物が公開処刑された噂は、もう一人の耳にも入りました」

 その人物は、盗賊行為がバレてしまったから、殺されたのだろう、と考えた。しかしすぐにその考えは間違いであったことが分かる。貴族が、町の住人達の手によって殺されたのだ。

 もう、誰一人として、真実を知る者はいない。貴族も、盗賊行為に手を染めた仲間も、この世にはいない。丁度、手持ちも尽きた頃だった。何食わぬ顔で町に戻り、またひっそりと暮らすのも悪くない。そして、その人物は故郷へと戻ることにした。だが、

「その人物は身の危険を感じたはずです。町の様子が一変していたのですから」

 白昼堂々、旅人や行商人が殺される。見るも無残な光景に、その人物は目を疑いたくなった。

「ですがおかしなことに、何故かその人物は人殺しの対象にはなりませんでした。勿論、理由は一つしかありません」

 一拍置いて、エズが呟く。

「何故なら、その人物は元々この町の住人だからです」

「……もういい、それ以上は言わないでいい。私の負けだ、降参します」

 両手を挙げ、口髭を生やした男性は息を吐く。観念したかのような表情を浮かべている。

 エズと話していた人物こそ、貴族の屋敷に忍び込んだ住人だったのだ。

「いつから気付いていましたか」

「初めからです」

 問い掛けに、顔色を変えずに答える。エズには全てが視えているのだ。

「人殺しの町に住みながら、人殺しの衝動に駆られない住人は、赤の人が町の住人達の願いを叶えた時、町に居なかった人物に限られます」

 故に、目の前の人物の正体に気付くことが出来た。

 最も、エズは貴族の願いを叶えた時、盗賊行為をした二人の姿を視ているので、口髭を生やした男性と顔を合わせた時点で見抜いている。

「さすがに、赤の人の目を誤魔化すことは出来ませんか」

 悪事が明るみに出てしまい、口髭を生やした男性は天を仰ぐ。

「それで、貴方は私をどうするおつもりですか。捕まえますか、それとも殺しますか」

 ここは人殺しの町だ。外部の人間に殺されてしまうのも、或いは面白い最期かもしれない。

 だが、エズは首を横に振る。

「何もしません」

「……何も?」

「ええ。貴方とぼくは、何の関わりもありませんから」

 この世界には、下界に住む人々の願いを叶える者がいる。

 人々は彼等のことを『赤の人』と呼び、恋をするかのように焦がれている。

 そして赤の人は、下界に住む人々の願いを叶える為に存在している。

 それはつまり、願いを叶えた後のことには、関わらないということだ。

「赤の人というのは、実におかしな存在ですね」

「違います」

 否定する。

 エズは小型ソリの操縦席に座り、鍵を回す。隣に座るカーミンは、古臭いヌイグルミを抱えている。右手を操縦桿に、左手で無段変速機を握り、エズは足元の装置を踏んだ。

「ぼくは赤の人ではありません」

 無段変速機を一速へと動かし、左足の踏み込む力を加減する。

 ゆっくりと、ソリが前へと動き始めた。それからエズは、詰まらなそうに呟く。

「黒の人です」

 やがて、エズとカーミンを乗せた小型ソリは、地面から浮き始める。マフラーの先に付いた鈴の音を鳴らしながら、空中を走り出すのであった。


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