第47話 鬼の目醒め
俺と同じ黒い髪を持つ男の姿を認識した時、俺達は理解した。
ケルベラルを一蹴したあのタイラさんが負けたという事実に動揺を隠せない。レティシアはすぐにタイラさんの側へ駆け寄り、傷だらけになった身体で抱き起こす。
俺は2人を背中に隠す様にヘリオスに向けて剣を構える。
「俺は悲しいぜ。息子からそんな物騒なもん向けられるなんてな」
戯けた様に話すヘリオスにアルバルトは噛み付いた。
「はっ、親父だってしっかりと剣を握っているだろ……レティシア、タイラさんは無事か?」
「ええ、何とか息はしていますが…恐らく骨が幾つか折れてます」
レティシアの返事を聞き、ある物を思い出す。
アレが確かあった筈…腰に付けている魔法袋に取り出したい物を念じながら手を入れて取り出す。するとお目当ての物が手の中に収まった。
取り出した物はレティシアの誕生日プレゼントとして買ったあのペンダントだ。マリアはエンチャントで回復魔法を込めたと言っていた。彼女の言葉を信じるのならこれでなんとかなるかもしれない。
レティシアには悪いが、今はこれが必要な時だ。だから使わせてもらおう。
「ごめん」
レティシアに渡す筈だったペンダントを握り潰す。
宝石が割れ、中に込められた回復魔法が発動した。手のひらは握り潰した際に破片で傷付いたが次に手を開いた時、傷は治っていた。
正直、ここまでとは思ってもみなかった。すごい回復力だ。
確かめて問題なく発動すると分かれば、それをレティシアの方へ投げ渡す。
「それをタイラさんへ、中に回復魔法が込められてる代物だ。それを持って少し離れていてくれ」
レティシアはアルバルトから受け取ると、ペンダントをタイラの胸へ押し当てる。それを見届けると時間稼ぎの為にヘリオスへと話しかけた。
この騒ぎならもうすぐ応援も来ると期待して少しでも時間を稼ごうとだったのだ。それに俺も聞かずにはいられない事があり過ぎる。
「なぁ親父。俺はずっとアンタに会いたかったよ…会ってあの日に何があったのか、それを聞く為に探していた」
「俺も同じだ。会いたかったぞ、アルバルト。俺達の愛しい息子よ。俺はお前達に愛という感情を感じている」
ヘリオスはアルバルトの話を聞く事を選んだ。
アルバルトも誘いに乗ったのを確信して己の聞きたかった事を質問していく。
(愛していたというなら、尚更俺はアンタの考えが分からない)
「………なら何故だ。なんでお袋を殺したんだ。愛しいと言うならお袋にだってそれを感じていた筈だ!」
「ふむ、それは誤解だ。俺はツナも愛している。そんな俺がするわけ無いだろう」
「……ッ!またしらばっくれる気なのか!あの日、お袋はお前がっ…!」
「本当にそうだと思うか?人というのはつくづく不思議だ。想定外の事がよく起きる。スキルの進化、記憶の上書き、感情による力の爆発。特に感情による力の上がり方はなかなか興味深い」
「なに訳の分からない事を言って……そうやって話を逸らして答えないつもりか?………何処まで俺を馬鹿にするんだ」
怒りの沸点が超えてしまいそうになり、剣を握る手に力が入る。今にも飛び出しそうだが後ろにいる彼女達を思い出して止まる。そうだ、俺に出来る事をするしかない。
「……どうやら俺とお前の記憶には違いがあるみたいだ。まあ、それはいいだろう。些細な事だ。さっきも言ったが俺はお前を愛している。ただ1人の息子だ。人類を滅ぼしてもお前だけは助けてやろうと思うほどに、だ」
ヘリオスは真剣な目でアルバルトを見る。その目を見たアルバルトは思わず一歩、後退してしまった。
そんな目で見ないで欲しかった。家族として愛していた記憶が蘇り始めてしまうじゃないか。
だからこそ、奴が発した次の言葉で呆気に取られてしまった。
「だから俺と来い。俺と一度、世界を滅ぼしそう!」
いきなり何を言い出すんだコイツは……世界を滅ぼす?理解ができない。出来る筈もないし、やりたくも手を貸すのも絶対に嫌だ。
「何、ふざけた事を抜かしてやがる!俺はお前とは行かない。………ヘリオス!お前を倒して親父もお袋も何もかも救ってやる!これ以上、お前の好き勝手にさせてたまるかよ」
アルバルトは踵を上げ、つま先立ちになるといつでも動ける体制に入った。
その様子を見たヘリオスは息を吐いて肩を落とす。
「はぁ、残念だ。あの日、お前の憎悪に濡れた顔を見た時からこうなるだろうとは予測がついていたが…ならば、力づくでも来てもらおう」
ヘリオスも戦闘態勢に入る。アルバルトは連続する戦いに体力も魔力も底を尽きかけている。それでも剣先を向けて身構えた。
嫌な汗が額から頬を伝い流れる。
口ではああ言ったものの、あの凄まじい強さを見せたタイラさんが負けた事を考えると俺が勝てる見込みは低い。
これ以上は時間稼ぎに期待できそうにない。助けた冒険者は避難したし、各地からまだ戦闘が繰り広げられている音がする。増援は来ないと思って良いだろう。絶望的な状況の中からこの場所を切り抜く事、ただそれだけを考えろ。
ふぅと息を吐いて気持ちを切り替える。
ならば、最悪でもレティシア達は逃す。
こうしている間にもタイラさんの傷は癒えた筈だ。
「行くぞ、アルバルト…!」
「来い、ヘリオス!」
ヘリオスがゆっくりと歩き出した。ゆらゆらと揺れながら此方に向かって歩いてくる。アルバルトが瞬きをした瞬間、ヘリオスが目の前で折れた剣を上から下へと振り抜いていた。
「くっ…!」
咄嗟に折れた剣の軌道を予測して大剣を構える。それをお構いなしにヘリオスは剣をぶつけてくる。アルバルトは足を地面に強く踏み込んでザザザと削りながらも後ろへ衝撃を逃した。
「クソ、なんて力だ。鬼人族でもない、のによ!」
「それ、まだまだ行くぞ」
今度は回し蹴りが飛んできた。ならばとしゃがみ込み、躱す。お返しとばかりにヘリオスの残っている足に足払いをする。
ヘリオスは足払いが迫っている事に気がつくと飛んで躱す。躱すと同時にアルバルトの頭を片手で持つと身体を腕一本で支えて地面と垂直に倒立した。
奴の全体重が俺の両肩に乗っていて身体が動かない。そのままヘリオスは膝を折り畳んで俺の顔面を強打する。
「アガァ……!?」
顔面に膝がめり込む。骨の軋む音や折れた音が聞こえた。身体が空中に舞いながら意識が一瞬飛ぶ。
(目の前がチカチカして……)
どさっと力なく仰向けに倒れたアルバルトにヘリオスはトドメと言わんばかりに足を高く振り上げ、踵落としをアルバルトに繰り出す。アレを喰らったらマズイ。そう身体全身から警戒の信号が走り回る。
やばいやばいやばい、動け動け動け!必死に身体に命令をするが身体が思う様に動かない。
そんなアルバルトの願いも虚しく、踵落としが彼の顔を捉えた。ヘリオスはそのまま足を振り落とし、叩きつけ、アルバルトを地面に縫い付ける。
(強過ぎる、歯が…立た、ねえ…)
アルバルトが叩きつけられた地面はアルバルトの頭を中心に蜘蛛状にひび割れていく。ヘリオスが足を退かすと白目を剥いてピクピクとアルバルトは痙攣をしていた。
ヘリオスは彼の側へ座ると髪を無造作に掴み、持ち上げる。
「あ、……ガボッゴホッ」
「弱いなぁ、アルバルト。お父さんは悲しいぜ」
持ち上げられたアルバルトの顔は血まみれになっており、息も絶え絶えだ。ヘリオスはアルバルトの耳元でいやらしく囁いた。
「だが良い事を教えてやろう、鬼人族は強い感情で強くなる性質の種族だ。心を揺さぶれば揺さぶるだけ本能が呼び覚まされる。だからな、もっとお前と遊ぶ為にタイラの娘を今から殺す。…どうだ、素晴らしい考えだろう?」
そこへレティシアがヘリオスの死角から攻撃を仕掛けるが彼女の方は見ずにヘリオスは裏拳で反撃した。
「………っ」
「おいおい、邪魔すんなよ。折角、親子水入らずの会話に割り込むなんて……タイラの娘、そんなにコイツが大切か?」
「それが、それが親子の会話な訳がないでしょう!今すぐ彼を離しなさい!アルバルトさんまでも手に掛けようするなら私は貴方を絶対に、許さない!!」
「…や…め….にげろ」
アルバルトが懸命に口を動かすがうまく声が出ない。レティシアは今にも命が消えそうなアルバルトを救う為、震える手を押さえて果敢に立ち向かっていく。
「今助けます!……"疾風"!」
レティシアは辺りを駆け回り、隙を見てヘリオスへ攻撃を仕掛ける。素早い動きで旋回する彼女を見てヘリオスはため息を吐く。その隙を彼女は見逃さない。足に力を入れて接近した。
ヘリオスは折れた剣の鍔でレティシアの斬撃を止めると剣の柄頭を彼女の腹へ叩き込んだ。
「ッ!」
「お前は論外だな」
レティシアの足が止まった所にヘリオスは容赦なく追撃を喰らわせる。その度に彼女の小さな身体は宙を舞っていた。
「力が足りない」
「速さが足りない」
「そして何より脆い」
ヘリオスは疼くまるレティシアを見下ろす。その目は彼女を侮辱していた。レティシアはそんな目に晒されながらも口を固く閉めて立ち上がる。
(そんな事、言われなくたって………)
「分かってます…自分がいつだって足手纏いでしかない事は…!だけど舐めていると危ないですよ。狼獣人の牙は刃よりも鋭いんですから!」
レティシアが再び仕掛ける。今度はヘリオスの正面から突っ込む様だ。
ヘリオスは失望したと言わんばかりに溜息を再度吐きながらレティシアを仕留める為に動き出した。
「はぁあああああ!!」
レティシアは最早無いにも等しい魔力を使い、スキルを発動する。そして彼女の身体は加速する。
「…これで終わりだ」
「ウガァァアアアアア!!」
ヘリオスの攻撃がレティシアを捉える直前、彼女の瞳は翡翠色から金色へと変化する。レティシアの視界には己を仕留めようとするヘリオスの攻撃の軌道が一瞬だけ見えた。
レティシアは己の勘を信じて見えた剣の軌道から身を捻って躱す。そして全体重を乗せてアルバルトを掴んでいる腕を斬りつけた。ヘリオスは自分に傷を付けた少女に驚き、腕を斬られた痛みから手を離す。思わずヘリオスは攻撃された箇所を見てみるとかすり傷程だが傷口からは血が滲んでいた。
「これは驚いた。その目は魔眼だな、俺の剣を躱すか…」
レティシアはスキルと魔眼を使った反動からか膝を着き、立ち上がる事ができない。
「……っ、さっきのは一体……」
「…まだ自覚もないのか。厄介な魔眼持ちが居たものだ」
魔王は今まで雑魚としか認識していないレティシアの評価を上げる。魔眼持ちは成長すれば厄介な存在になる事を魔王は知っていた。
「厄介な芽は取り除くに限る」
「やめ…ろおおおお!!!」
ヘリオスは瞬く間にレティシアへ近づくと剣を振り下ろす。アルバルトは声を掠れながらも振り絞って叫ぶ。最早、アルバルトとレティシアは見ていることしか出来なかった。
レティシアは目を瞑る。これから来る痛みを想像し堪えるために。しかし、いつまで経っても痛みが来ない。
レティシアが目を開ければ自分を覆い尽くす影があった。もしや、トドメを刺すのを躊躇ったのか?いや、そんな相手ではない筈。今がどういう状態にあるのか確認する為、彼女は顔をゆっくりと上げていく。
そして彼女が顔を上げていけば行くほど世界が止まったかの様な錯覚がした。身に覚えのある靴から穴の空いたズボン、よれよれのシャツ。嫌だ、違っていて欲しい。その想いを乗せて遂に上へと顔を上げる。
声が出なかった。呼吸する事さえ、どうやるか分からない程、頭が真っ白になってしまった。
そこには自分の敬愛する父の背中があったのだから。
「だいじょうぶかい?レティちゃん」
「まだ動けたとは…しぶといやつだ」
肩から袈裟斬りにされたタイラは膝を付かずに立っている。切られた所からは血が溢れ出し、立っているのが不思議な事だ。傷だらけの父は最後に残された力を振り絞って娘に声をかける。
「どうして…」
「子供は僕の宝だからね。…その宝を預けられる人が来るまでは大事に、大事に守るのは親として当然の役目なのさ」
タイラの言葉に自然と涙が出てくる。いつも無表情なレティシアは涙を流して父を見上げる。タイラも振り返って彼女を見下ろして笑いかける。そんな光景を見たヘリオスは感心する様に呟いた。
「不思議なものだ。身体はボロボロでとうに限界だっただろうにそれ以上の力を発揮する…か」
立てる力も無ければ、拳を握る力も残っていないだろう。ただ、娘の危機を見て身体の奥底から力を無理やり引っ張り出し、己を肉壁とする選択をしたタイラは限界を迎えた。
「だがもう良い。もう眠れ、誇り高き我が友よ、アビスウォール!」
ヘリオスは手のひらをタイラに翳して闇の魔法を唱える。するとタイラの足から黒い闇が溢れ、底無し沼の様にタイラをゆっくりと飲み込んでいく。
「待ってください!待って!」
「こうなってしまった以上、もう僕ではどう足掻いても逃げられそうにない…」
「お父さん、嫌、いやぁぁあああ!!!」
レティシアは足から沈んでいくタイラの手を掴んで必死に引っ張る。タイラはそんなレティシアに優しく声をかけた。
タイラは掴むレティシアの手を振り解くとその左手の薬指にしている指輪を取り出す。
その頃にはタイラは胸まで沈んでいた。目線が座り込んでいるレティシアと同じになる。
「僕ではこれぐらいしか用意できなかったけどさ…」
タイラは彼女の手を取り、右手の中指につける。彼女の指にはタイラの指輪は大きく、ぶかぶかであった。
「お誕生日おめでとう。愛しているよ、レティシア。……娘を頼む」
タイラはレティシアの向こうに転がっているアルバルトに向けて呟く。タイラはレティシアをこれ以上自分の側に近づけないように優しく肩を押した。
「待って、待ってよ!…行かないでお父さん!」
慌てて手を伸ばすが、その手は空を切った。レティシアは身体の力が抜けて尻餅をつくが起き上がろうともしない。その様子から放心状態になっている事は誰が見ても明らかだった。
「ははっ、やっと手に入れたぞ!感じる、感じるぞ。この力……懐かしい気分だ!」
タイラを闇に沈め、取り込んだ魔王は手を閉じて握り締める。そしてタイラとレティシアに傷つけられた胸の傷と腕は数秒したのち、完全に治る。
「さて後はお前だけだ。タイラの娘よ」
「もう、もう、私は…」
魔王はレティシアを見つめ、彼女は大好きだった父が消えた事で心の支えが失われた。母も父も奪った奴が憎い。
だが、それ以上に疲れてしまった。ケルベラルの時からずっと自分は足手纏いにしかなっていない。なにより苦楽を共にした家族が失われ、生きる意味が失われてしまった。そう、考えてしまった。
(………………まだだ。彼女が泣いている)
だが、諦めの悪い男は此処にいる。
「あ、きらめ、るなっ!!」
アルバルトは瀕死の身体に鞭を打ち、血だらけの身体が悲鳴を上げる。動く度に痛みが電流となって身体に走るが無視して立ち上がる。フラフラとする足取りで地面に座る彼女の前になんとか移動した。
彼女が今、生きるのを諦めそうになっている。
「生きるのを、諦めるなぁぁあ!!俺に生きろと言ったお前が!こんな所で挫けるな!」
俺に生きろと叫んだ彼女がだ。あの娘が大好きのタイラさんが託した想い。今まで散々助けて貰った。世話になった。男として尊敬できる人だった。そんな人からの想いを俺は受け取ったのだ。
「原因の発端となった男の息子に、こんな馬鹿みたいな事を言われて憎くて仕方ないだろう。だけど!例え、嫌われたとしても俺はお前を助けるぞ、レティシアッ!!」
叫びに近い声を上げるたびに口の中に溜まった血が漏れる。でも気にしてられない。ここで俺が折れてしまったら彼女の命まで失われてしまう。
動け、動け、動け!身体に信号を送る。痙攣を起こして抵抗する足や腕を気合いで捻じ伏せる。
(ははっ、今にも意識が飛びそうだぜ)
「アルバルトさん…」
掠れるような声でレティシアは呟いた。
「生きる目的が失ったのなら俺が!ハァハァ…一緒に探そう。タイラさんが命懸けで守った宝を今度は俺が守る!!」
ヘリオスを見据えながらレティシアにもハッキリ聞こえる様に高らかに叫ぶ。己の命を削ってまで叫んだ魂の叫びにレティシアの心は揺れた。
(やめて、そんな優しい言葉を掛けないで。私は……!)
そしてレティシアの心は決壊する。抑えていた感情がどんどんと溢れ落ちて濁流の様に流れていく。彼女の醜い心までも曝け出した。
「どうして…どうして!!そんな事が言えるのですか!!」
彼女の常に固めていた顔が、心が剥がれ落ちる。
「…お父さんもお母さんも私のせいで居なくなってしまった!私のせいで大切な人が消えていく。そんなの…そんなのもう、耐えられない…」
無意識に強く握った手は爪が手のひらの肉に刺さり、血が滲み出す。
「それに貴方を殺そうとまでした女なんですよ!…そこまでアルバルトさんが傷付いてまで助ける価値のない存在なんです!!!」
今までして来たアルバルトに対する失態やタイラを目の前で失った現実は彼女の心を破壊するには十分な出来事だった。不安や苛立ち、憎悪などの負の感情が暴発する。自分で自分が制御出来なかった。
そんなレティシアの心の内をアルバルトは全て受け止める。彼女の前を陣取る彼は地面を睨みつけ、怒りの声を上げる。どうしてもレティシアの言葉に対して譲れない物があった。
「価値がないだと、本気でそんな事思っているのか!父親が命張ってまで助けたお前が、そんなこと言うなよ…!」
「……っ」
「レティシア、お前には何度も助けられた。…笑っている所を見るのが好きだ。美味しい物を食べている顔はいつもと違って、可愛くて…戦いばかりの毎日の中で癒しだった。俺がピンチな時は必ずフォローしてくれる。安心できる相棒だと心から思ってる!俺がこうして今此処に立っているのだってお前のお陰だ。全部、お前の、お陰なんだよ!!」
ポツリポツリと涙が地面に落ち、シミを作る。レティシアの壊れた心にアルバルトの言葉が染み渡っていく。崩れたピースが元に戻ろうとはまっていく。
「…ああ、なんで。なんでこんなに胸が苦しいの。こんなの知らない…分からない」
レティシアの目筋から涙が溢れる。それは苦しみから生まれた涙ではない。悲しみもあるがそれ以上に嬉しさと暖かさで包み込まれた涙だった。
レティシアは目の前に立つアルバルトから目が離せなくなっていた。自分以外と距離を置く為に作り上げた仮面も剥がれ掛かっている。何もかもがぐちゃぐちゃに混ざり合っている気分だ。
ーー傷だらけの英雄は立つ。大切な人を守る為に、命の炎を燃やす。
「いずれお前の隣にお前を大切に思ってくれる人が必ず現れる。それまでは俺がお前の隣で支えてやるよ。タイラさんに言われたからそうしたいんじゃない!お前を支えたいと俺が本気で思っているから、俺がお前の笑顔が見たいから、そうするんだ!!」
下を向いていたアルバルトはガバッとヘリオスを犬歯を剥き出しにしながら強く睨み付ける。彼女をこんな顔にしたのが許せない。それが自分の親だったら尚更許せなかった。
「言いたい事は終わったか?」
「……ッ!」
ヘリオスの問いにアルバルトは応える様に剣を構えて戦闘体勢を取る。
「おいおい、そんなに睨むなよ。我が息子ながら恐ろしいな。…だが、お前らよりも遥かに強いタイラでさえ、俺には勝てなかった。果たしてお前に俺が倒せるかな?」
「人の身でお前に勝てないのなら……俺は人である事を捨てる。俺の、レティシアの未来を守れるのなら!!」
残る全ての力をアルバルトは引き出そうとする。人の限界はとうに超えている。なら鬼としての自分、それはつまり無意識で人体を破壊しない為に制御しているリミッターを意図的に外すという危険な賭けだ。壮絶なる痛みとそれに伴う精神的なダメージは人を廃人にする。
治しながら壊す、壊したら治す。いくら回復するのが得意な鬼人族とはいえそんなイカれた事をするのはただの狂人だ。
しかし、アルバルトは止まらない。否、止まるなんて考えはない。自分の全てを投げ打ってでも目の前の敵を倒して大切な者を守る。最早、これだけしか考えられなかった。
力の解放。感情が高まる事で、鬼人族の力は爆発的に増大していく。アルバルトの脳裏には様々な記憶が浮かび上がっていた。その記憶の中で動けない自分、血溜まりに沈む母をタイラと何故か重なる。そしてそれは彼の記憶を呼び覚ますトリガーとなる。母の身体も闇の中へ吸い込まれていった事を、壁に叩きつけられ気絶する直前に見た一瞬の出来事、それを今思い出した。
「ァァ、ァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
突然、頭を抱えて発狂するアルバルトの周りに薄い黒いモヤが纏わりつき始めると何処からか声が聞こえた。
(力が欲しいだろぅ?)
欲しい、アイツをぶっ飛ばせるだけの力が欲しい。
アルバルトの内から倒した筈のケルベラルの声がする。此方を惑わせる言葉が木霊する。倒した筈のケルベラルの声がアルバルトを唆す。
(俺を頼れよ。じゃないとあの女、殺されるぜ?)
ケルベラル…お前ならこの状況をひっくり返せるのか?
声は頭の中に響き渡った。そしてケルベラルの言葉に釣られて再び顔をレティシアの方へ向けると力なく座り込んでいる彼女がいる。
そして重なった。あの日に何も出来なかった無力な自分と今のレティシアの姿が重なる。
(俺ならできるかもなァ…?お前の力と俺の力が合わさればもしかしたら……テメェは俺が倒す。こんな所で死なれちゃ俺が困るぜ)
ケルベラルが肯定する。後はお前の同意だけだと。暗闇の中、アルバルトは藁にもすがる思いでケルベラルの手を取った。
ただ広い暗闇の空間に炎が燃え盛る。
「オレはまた、救えナかった…」
(そうだ。今のテメェじゃ何も救えない)
薪を火に焚べる。犠牲になってしまった、助けられなかった彼らの姿が炎に照らされる。
「でもカノジョ、だけは絶対ニ」
(そうだ。力を解放しろ!俺に暴れさせろ!)
薪を焚べる。火は炎となって燃え上がる。此方を見下ろし、嘲笑う父の姿が脳裏に浮かぶ。
(限界を越えろ、魂を燃やせ!今のお前は化け物になるしか道はねェ…!!)
そして最後に残った薪を炎の中へ放り込む。俺の背後にケルベラルの影が浮かび上がって耳元で囁いてくる。
「そうだ…オレが守るんだ。ーーーモウ、ナニモ、アキラメナイ!」
(そうだ。それでいい)
黒いモヤの中で現れたケルベラルがニタァと笑う。果たしてそれは自分の作り出した幻想か?それはアルバルト本人にも分からなかった。
諦めない。
それはアルバルトの母、ツナから教えられたがむしゃらに前を見続ける事ができる魔法の言葉。その言葉が皮肉にも合図となり、アルバルトの身体に変化が起き始める。その変化にたまらずアルバルトは膝を着いた。
身体が…熱い!全身から骨が軋む音と肉が裂ける音が聞こえて来る。痛くて痛くて仕方ない。のたうち回りたい感情を理性で抑えて受け入れていく。
一瞬のうちに走る何十、何百とも言える痛みを乗り越えた俺の身体から赤と黒のオーラが飛び出して円を描くように纏い始める。
「"限界超越"」
何処からか魔力が身体に入ってくるのを感じるがどうでもいい。ただアイツを倒せるだけの力が手に入るのならと身を任せて自分のリミッターを外していく。
(絶対に、絶対に守るんだ。オレがどうなろうとも…彼ら親子を引き裂いた親父もその息子であるオレが全部、全部…ナントカシナクテハ)
「ヒヒ、ひははは!!はは、ハハ…ァアア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
筋肉が膨張し身体は一回り大きくなる。黒い髪は腰まで伸びて雪の様に煌めく白い銀髪に染まり、瞳は澄んだ青から真っ赤な輝きを放つ。そして額には先端の尖ったツノが額から突き抜けて生えてくる。
禍々しいケルベラルの影がアルバルトを覆い尽くす。彼の身体は力が抜けた様にだらんと腕を地面に伸ばした。
力を解放したアルバルトは大剣を握り直し、ゆっくりと立ち上がる。首を手で横に倒してゴキリと鳴らす。その身体には先程まであった傷が無くなっていた。
その姿は世界の誰しもが恐れる恐怖の象徴、鬼人族そのものとなっていた。
「……ナイ。オマエだけは絶対にユ゛ル゛サ゛ナ゛イ゛」
「フハッ!フハハハハ!!!まだ楽しませてくれるか。親孝行で嬉しいぜ、アルバルトォォオ!!」
この日、世界に衝撃が走る事になる。後に語り継がれる事になる最初の戦いにして終わりの始まりである戦いが幕を切って落とされた。
魔王と鬼人族、ヘリオスと覚醒したアルバルトが今、交差する。
アルバルト
人の皮を捨て、鬼へと変貌した。母親の教育の賜物で諦めの悪さは超一流だが、今回はそれが仇となり、本来の鬼人族としてのあるべき姿へと変貌する。
「絶対に守る。俺は諦めない!」
レティシア
愛する父親を目の前で失い、茫然自失になってしまった可哀想な狼少女。
「何で…?どうして私を守ろうとするの?私は酷い事をしたのに…貴方は…」
タイラ
「後は頼んだ…2人だけでも此処から逃げろ!
……でも、アルバルト君。手は出すなよ?」
ヘリオス
アルバルトの父親と封印されていた魔王の意識が混ざり合って誕生したモンスター系パパ。
父親の意識も混じっているので、アルバルトに好意的。息子の成長が楽しみで仕方ない。
「今日は最高の日だ…」




