第21話 レティシアという少女
「ハァハァ…!」
森の奥で激しい息遣いが聞こえる。
人族にはない耳と尻尾を生やした少女が肩口まで整えた明るい茶色の髪とスカートを靡かせて森を駆け抜けていた。
その背後から迫る四つの瞳がある。犬の形をした魔物がその少女を追いかけていた。
「抜かりました。まさか集団で行動しているなんて…!」
魔物から逃げている少女は何故こんな風に追われているのか頭の中で思い返していた。
本当は薬草採取だけの予定だった。
「なかなか見つからない物ですね…」
だが、不幸な事になかなか見つからない。森の奥へ行けばどうだろうかと思って普段は入る事のない森の奥へ足を踏み入れた。
彼女には薬草を取らなければいけない事情があったのだ。
薬草を追い求めて、少し森の奥へ行くと薬草が沢山生い茂っている群生地を発見した。
「此処なら沢山、詰めそうです…!」
父親から譲り受けた短剣で薬草の茎を刈る。
根本から抜くのが品質的に一番良いのだが、根を残しておく事でまた生えてくる。
そうしてまたこの場所で取れるようにする為だ。
「これだけあれば大丈夫でしょう」
パンパンになったウエストバックを見て少女は満足げになった。可愛らしい耳と尻尾がピコピコと動いている。
彼女が帰ろうと元来た道を辿っていくと目の前にはヘルハウンドと名称されている四足歩行の魔物が一体そこにいた。
(ヘルハウンドは確か…鋭い爪と素早い動きをすることからCランクの魔物と位置づけられてましたね)
「ヘルハウンドが一体…なら"疾風"!」
少女は足に魔力を通す。少女が駆け出せば風と一体となる。物凄い速度でヘルハウンドへと迫り、無防備な首元へ短剣を突き立て掻き切った。
「ギャイン…!?」
ヘルハウンドは自分が何をされたかも分からず、か細い声を上げて地面へ崩れ落ちる。
少女は無事に討伐出来た事に安堵してその場で解体しようと近づいた時だった。
「ふぅ…さて解体を……ッ!?」
その時、少女の耳がピンと立てられ茂みから来る雑音を拾う。
(何か来る。それも複数…)
ガサガサと茂みから現れたのは5体のヘルハウンドだ。仲間の叫び声に集まったのか、目をギラつかせて涎が口から滴っている。
ヘルハンウドは集団で行動する事もある魔物で集団ともなるとCから一気にBランクへと跳ね上がる。
「これは、不味いですね…"疾風"」
額から流れる汗を拭い、少女は再び足に魔力を通して逃げ出した。だがスキルに使用する魔力は有限だ。早く逃げなければと更に加速した。
いつまでも追って来るヘルハウンド達を撒くためにジグザグに動いたり、木に身を隠して撹乱してみたりしてみた。
そして今現在、追って来る魔物は5体から2体に減ったがまだ着いてくる。後ろを振り返った少女は足元にある木の根に気付かなかった。
「しまっ……クッ!」
木の根に足を取られて躓くと前に転べばそこは森が開けている所だった。
早く逃げなくてはいけない。その思いから立ち上がろうとするが。
「…痛っ!」
転げた影響で全身細かな傷を作っていた。足に手を当ててみればどうやら捻挫しているのか少し赤くなっている。身体をどうにか立て直すがその間に追いついてきたヘルハウンド達に囲まれてしまった。
これでは逃げられない。最後の抵抗として自分を囲む5匹のヘルハウンドに短剣を構えて警戒する。ヘルハウンド達は口から涎を垂らして獲物を見据える。
まさに絶体絶命の状況だった。
◆
ハルゲルのおっさんと別れた後、ギルドの2階にある図書館へ行ってみた。種類ごとにちゃんと整理されていて探す時は楽だった。
魔物系の情報が載っている本を探して読む。スライムの他にもゴブリンやヘルハウンドなど沢山の魔物の絵と詳細が載っていた。
えーと…スライムは澄んだ水辺に好んで集まる習性がある。
身体はほぼ水で出来ているが多少の酸を持っている為、触れ続けると爛れたり、溶かされたりする様だ。対策として触れた箇所は軽く水で洗い流すだけで良いらしい。
元々本を読むのが好きなので薬草や魔導書も読んでしまい、気づいたら結構な時間が経っていた様だ。
さて、充分に知識をつけた所でそろそろ行くとしよう。
冒険者ギルドから出て外へ繋がる門へ歩いて行って門番にギルドのプレートを見せ、通行税を払う。通行税は銅貨1枚。安いとはいえ、何度か行きと帰りを繰り返したらいい金額になりそうだ。その辺もよく考えないといけない。
「さてと、外へ出た訳だが…」
見渡す限り、辺り一面草原である。もう少し先の方を見れば森が見える。
「スライムはよく水辺に現れるというが何処が水辺なんだ…?」
街道を沿って取り敢えず歩く。王都の周りには魔物の姿は見えない。森の方へ歩いて行く。森の入り口にたどり着いたがここまで来ても水辺はない。もう少し奥へ行ってみるか?
少し奥へ行くと水溜りのような池を発見した。その周りにスライムと思われるぶよぶよした魔物がいる。
「あれがスライムか…」
スライムの倒し方は先程見た本に書いてあった。スライムに手を突っ込み魔石をそのまま引き抜く。ちょっと肌がビリビリとするが長時間手を突っ込まなければ大丈夫だ。魔石を失ったスライムは水のように地面に溶けてしまった。魔石は腰につけている魔法袋に放り込む。
「よし、まずは1つ」
その後も池に集まってくるスライムの魔石を取り続けた。目標の10個を集め終わり、手を水辺で洗って帰ろうとした時、それは起こった。
「何か聞こえる…?」
鬼人の力を少しだけ引き出して耳を強化する。
「誰か…」
すると女性と思われる甲高い悲鳴が薄らとだが確かに聞こえた。
誰かが助けを呼んでいる。
無意識に鬼人の力を自分が使える最大限まで引き出して悲鳴が聞こえた方へ走った。後先なんて考えなしに走り続ける。
「何処だ、何処にいる!」
思わず駆け出したが見当たらない。闇雲に動いても駄目そうだ。ならばと一度走るのをやめて止まる。もう一度、耳に手を添えて目を瞑る。
目から入る情報を一旦、遮断する。聴覚を鋭くさせて僅かに聞こえる音を拾う事に集中する。
風で揺れる草木の音や水が流れる音、誰かの息遣いが聞こえる。その人の近くに獣の息遣いも聞こえてくる。
……そこか。
「そっちか。待ってろよ…!」
音が聞こえる方は分かった。くるりと身体の方向を変え、脚に力を入れて走り出す。
同じ様な光景が続くがすぐに木が開けた場所に出た。目の前にはヘルハウンドの集団とその中央に少女が武器を構えている。
「あれは依頼書で見たヘルハウンド!」
不味い、囲まれている。
居ても立っても居られずに背中に背負っていた大剣を走りながら取り出す。そのまま武器を構えて飛び上がり、その少女を囲んでいる1体のヘルハウンドへ勢いよく振り下ろした。
グシャと肉を潰す嫌な感覚に顔を顰めるが気にしていられない。ヘルハウンドを叩き潰した後、素早く少女の前へ回り込む事に成功した。
「おい、大丈夫か!」
「貴方は…」
背後にいる少女を見て声を掛ける。酷い有様だ。装備は少ししか傷付いていないが、纏っていない所の身体は擦り傷や土で汚れてしまっている。
ヘルハウンドはさっき1体倒したので残りは4体。それぞれ前と後ろに2体ずつ、額に傷がある奴は一際大きい。あれがこの群れのボスか。
「頭を伏せてろ!後は俺に任せておけ!」
「はい…」
頭を伏せたのを確認する。これで大剣が使いやすくなった。仲間をやられたからか此方を見ているだけで手は出してこない。
此方から動いてもいいがそうすると後ろの少女がガラ空きになってしまう。
なら、此方から隙を出して誘き出すか。
大剣を地面に刺して相手の出方を探る。いざとなったら両手が使えるので少女を抱えて逃げられるだろう。
武器を捨てたのを見計らい、前にいる2体のヘルハウンドが飛びかかって来た。
右から飛びかかってくる額に傷がついたヘルハウンドの鼻と口を右手で捕まえて左からくるやつは左腕を噛ませてガードする。
「くっ、…ッテェなァ…!」
左腕に噛んでいるヘルハウンドをそのまま地面に振り下ろして叩き潰すと右手に持っているヘルハウンドを勢いよく木にぶつける。
「やらせるかよ!」
その間に後ろから少女を襲おうとする2体に向かって素早く地面に刺した大剣を引き抜き、横に薙ぎ払って纏めて葬る。
辺りを警戒してまだ撃ち漏らしはないか探ってみるが大丈夫そうなので先程の少女に声を掛ける。
「終わったぞ。大丈夫…では無さそうだな」
伏せている少女に声を掛けるとおどおどしながらも顔を上げた。少女を観察すると髪は肩口で切られており、上に向く尖った耳にふわふわの尻尾が生えている。
「はい、ありがとうございます。お陰で助かりました」
ペコリと此方に頭を下げてくる。なんとか間に合って良かった。でも、なんでこんな森の奥に小さな女の子が1人でいるんだ?
「それは良かった。でも、何でここに1人でいるんだ。他に仲間は居ないのか?」
「…いません。お父さんが熱を出したので森に生えている薬草を取りに来たんです」
成る程な、そのポシェットから溢れんばかりにある草はそういう事か。少女を見るとやはり全身傷だらけだった。
これでは、歩くのも大変そうだ。俺は武器を背中の鞘に収める。噛まれた所は持ってきたハンカチできつく縛って止血する。そして屈んで背中を少女に見せて言う。
「まあいい。乗れ、その怪我じゃ歩くのも辛いだろう」
「いえ…この程度は大丈夫です…それにお兄さんこそ、私を庇ったせいで腕を怪我しているじゃないですか」
「こんなの唾でもつけとけば大丈夫だ。いいから早く乗りな」
本当は左腕に穴が空いてめっちゃ痛いし、早く治したいがいきなり傷口が塞がるのは怪しまれそうだ。鬼とバレる訳にはいかない。少女を送り届けたらすぐに治すとしよう。
「…分かりました。お言葉に甘えて宜しくお願いします」
遠慮気味だが背中に乗ってくれた。よいしょと立ち上がりおぶる。おぶる際にもふもふの尻尾が触れて擽ったい。右手を少女を落とさないように添えて左手は血がつかない様にぶらぶらと下にさげて森を抜ける。
少女を背負いながら黙って歩くのも辛いので道中、質問する事にした。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「私は見ての通り、狼獣人で名前はレティシアです。お兄さんは?」
「俺はアルバルト。ええと人族で冒険者になったばかりの新米だ。歳は幾つだ?」
「アルバルトさんですね。先程は改めてありがとうございました。私はCランクの冒険者で今年で15歳になります」
「という事は14歳か。俺も15歳になったばかりだからわりと歳が近いな」
「そうですね。アルバルトさんは大人っぽいのでもっと年上の人かと思いました」
「たまにそんな事言われたりする。…顔が厳ついからか?」
(それにしても15歳か…俺と全然違わないのになんか小さいな。もっと下かと思ったぞ)
ちなみにリサは年下だが身長が高かった為か、時々年下だというのを忘れる事がある。
「森の奥へはあまり1人で行かない方がいいんじゃないか?まだあまりここら辺は詳しくないからお節介だったらごめんな。薬草ならギルドで依頼すれば良いかも知れない」
「そう、ですね。私も無茶しました。でも、私の家はあまりお金に余裕がなくて自分で取る方が安く済みますから」
人それぞれ事情がある。俺が簡単に踏み込んで良いもんじゃなかったか。
「あー、それはごめんな。不謹慎だった」
「いえ、大丈夫です。慣れてますから」
しゅんと尻尾が垂れ下がるのを支えている手で感じる。お金がないか。そうだよな、お金に余裕があったらこんな聞き分けの良さそうな子があんな無茶しないよな。
ていうかなんかこの子、顔は無表情だけど感情が尻尾に現れるみたいな不思議な子だ。
その後はたわいのない話をしながら王都へと帰還する。ボロボロな格好に門番から止められたが事情を話して中に入れてもらった。