第116話 ブラックレティシアの恐怖1 逃げなきゃ逃げなきゃ
ーー逃げなきゃ逃げなきゃ、捕まる訳にはいかない!
「……くっそ、どうして…どうして、こんな事に…!」
今、俺は忍び寄る影から逃げている。
いや、悪魔よりも恐ろしい獣に追われているんだ…。
目の前にある曲がり角を最短コースで曲がって後ろを見る。追ってくる者がいない事を確認、壁に背を付けてその場にへたり込んだ。
情け無いがずっと走っていたのだ。
息が苦しくて少しだけ休憩する事にした。
「少し、したらまた逃げなきゃな。けほっ、はぁはぁ…、ユージーンにマーラット、ゼニス。俺の為に散っていった仲間の想いは無駄にしない。俺1人でも成し遂げて見せるぞ!絶対に諦めらめてなるものか!じゃないとアイツらに顔向出来ねぇ……」
息を整えて呼吸が幾許か楽になった。
鬼人族の体力を舐めて貰っては困る。伊達に何度も修羅場を経験していない。
(……このくらいの窮地、乗り越えてみせるさ)
壁に手を着いて身体を起き上がらせる。息を鎮めて慎重に辺りを伺う。
「足にまだ力が入る。よしっ…」
来た道を引き返さずにそのまま道なりへ進もうと足を一歩踏み出す……のを止めて俺は今来た道を引き戻した。
「………っ」
その直後、俺の勘が、獣に噛まれた首筋の痛みが痛む様に激しく警鈴を鳴らしたので足を翻したのだ。
だがそれは正しかった。
首を少しだけ捻って後ろを見れば、俺の進もうとしていた道の先に一瞬だけ暗闇で光る怪しげな瞳が爛々と輝いていたのを俺は見逃さない。
「ヒィッ…!勘弁してくれぇぇぇ!!」
アルバルトが駆けていく様子を物陰から見ていた人物が姿を月明かりの下へと姿を表す。
「何度逃げても無駄ですよ、アルバルトさん。今夜は絶対に逃しませんから……ね?」
頬を上気させ、眼光を鋭く尖らせたレティシアが走り去っていくアルバルトの背中を眺めていた。側から見ても艶かしい彼女はアルバルトから視線を一度たりとも外さない。
まだ狼の狩りは終わらない。
夜は長い。哀れにも狙われた子羊はただ逃げるのみだ。
だが、そこには逃げ道など存在しない。
例え夜が明けても朝が来る。
狼の狩りは朝が来ても終わらないのだ。獲物を狙われたら最後、骨の髄までしゃぶり尽くすまで追い掛ける。
狼獣人としての本能が蠢くのだ。それ程まで彼女は執念深かった。最初から勝ち目の無い戦いに身を投じてしまったアルバルトは詰んでいたのだろう。
これは哀れな子羊を狼が仕留めた物語である。
「くっそぉぉぉぉ!!頼むぅ!諦めてくれぇ!!」
俺はあの路地を抜けて脇目も振らずに建物の灯りで明るく照らされた夜の街を駆けていく。情け無い男の叫びがヒガリヤの街に響き渡る。
どうして俺がこんな目に合わなきゃいけないんだ!
こんな事ならマーラットの話に乗るんじゃなかった……。
こうなった原因は今から3時間前に遡る。
◆
マーラットの提案で俺達は彼が自慢だと言っている風呂に入っていた。その風呂は男と女に分かれており、入った先にある更衣室で衣服を脱いで籠に入れていく。
タオルを肩に引っ掛けて、風呂がある場所へ続く扉を開くとその先の光景に目を奪われた。
「温泉か…」
星がキラキラと輝く空の下、高い木の板で周りを囲んでおり、外からこの温泉を見れない様にしている。
床に敷き詰められた石のタイルを裸足で移動し、石鹸等が置いてある場所で身体に泡をつけて洗う。
「おー、ここがマーラット王の言っていた温泉か!」
「俺は何回か来ているが、浸かりながら飲む酒ってのも悪かねぇ」
ゴシゴシと洗っていると入り口からユージーンとゼニスら男衆が扉を潜って入ってきた。
俺の隣に腰を下ろして身体を洗うユージーンをチラリと盗み見る。肌が白く、乳児の様に弾力もありそうだ。
ツンツンと指で腕を小突けば、ポヨンとした感触が返って来る。
(そんな馬鹿な。俺なんてカサカサだぞ?男の癖に何だこの肌は…)
「ちょっ、アルバルト。くすぐったいからやめてくれないか?」
「………すまんすまん」
泡が目に入らない様に目を閉じているユージーンが怒ったので止める。
改めてユージーンの身体つきを見るにこの若々しい肌と甘いルックスに金髪とモテる要素しかないユージーンだが、細い身体にもしっかりとした筋肉がある。
筋肉の分厚さはそこそこだが、全体的に程よく鍛えられており、無駄がない。
だからこそ、あの変幻自在みたいな槍捌きが出来るのだろう。俺とゼニスみたいなタイプだと力にモノを言わせる戦法なのでゴリゴリのゴリだ。
細かい動きにはなかなか対応出来ない。
「アルバルト、僕達もそろそろ湯に浸かろう。もうお爺さんとゼニスは温泉に入りながら酒盛りを始めているよ」
ユージーンの言葉通り、ディフェンドとゼニスが酒の入った缶とお猪口を乗せたお盆を湯に浮かせて酒を酌み交わしている。
身体も洗い終わった事だし、ユージーンと一緒に風呂へ浸かる。冷えた足の先からじんわりと温かくなっていくのを感じる。
流石は露天風呂。涼しい風と身体を温める心地よい湯に空いっぱいに広がる満天の星。言う事なしに最高だ。
「ぁぁ〜、イキガエルゥゥゥゥ〜…」
「ははっ、何だいそれ?」
張り詰めていた緊張がほぐれる様に全身の力がお湯に溶けていく。良い湯だなぁと腕を伸ばしていると新たな人物が湯に入ってきた。
「よぉ、アルバルト。どうだいい湯だろう」
「マーラット、良いお湯頂いているぞ。まさか温泉に入れるとは思わなかった」
「なんだ知ってやがったのか…」
少し残念そうなマーラットを見るに自慢したかったに違いない。その表情を見て察したユージーンがマーラットに声を掛ける。
「ま、マーラット王。温泉といえば、あの水の都市ミロガロスで有名な奴でしたよね!」
「……そうだ!一度あのババ…、いやミロガロスの女王の城に招待された時に温泉を浸かったが、一発で疲労が無くなっちまった。それからはもう虜になっちまってな、こうして俺の城の中にも作ったのよ」
水の都市、ミロガロス。美しい浜辺と透き通る海で知られる観光地として名高い。それとは別に温泉地としても有名な国だ。
シア・ウェンディ・ミロガロス。彼女はミロガロスの女王にして人魚族を束ねる長であるらしい。船乗りで交流のあるキャプテン・ゴールド・シーラップが船の上で俺に話してくれた事がある。
……何でもキャプテンの一目惚れなんだとか。
髭面のおっさんがモジモジしている所を思い出すだけで吐き気が…うっぷ。
「それにしても…温泉なんて久々だ…」
嫌な記憶はポイっと投げ捨てて今ある娯楽を堪能する事にした。隣ではユージーンがマーラット王から色々と話し込んでいる。ゼニスはディフェンドと酒をまだ飲んでいる。
俺1人だけポツンとしているが、まあ良いだろう。風呂は心の洗濯というし、辛い気持ちや苦しかった記憶をゆっくりと洗い流せばいい。
極楽、極楽と肩まで浸かっているとマーラットが湯から勢いよく立ち上がり、俺達に質問を投げ掛けて来た。
「お前らっ!此処には普段うるさい女どもは居ない!男同士の時でしか出来ない話をしようぜ!」
「……なーに言ってんだよ、マーラット」
「まずはお前だ、アルバルト…!お前の好きな女のタイプは何だ!!」
「はぁ…!?」
突然始まったマーラットによるお前のタイプは何だ選手権に呆れと驚きの声をあげた俺は悪く無いだろう。
仁王立ちでビシッと俺を指差すヒガリヤの王様は不敵に笑った。
急に始まるマーラットによる女性調査。
彼らは普段できない会話に段々とのめり込んでいく。
一方、その頃。隣の女性陣が入る温泉では…。
◆
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