第102話 トーマスの過去とそれぞれの覚悟
トーマスとチレーズの過去編。
守りたかった大切な存在がいた。
トーマスが此処まで憤怒する理由。
幼き少年が負った罪がそこには存在した。
決して誰もが忘れる事が出来ないあの悪夢、神の堕ちた日と呼ばれた最悪の日をトーマスは忘れない様に心に刻み付けている。
「父ちゃん、母ちゃん!ちょっとその辺で遊びに行ってくるぜ!」
「ちょっとトーマス、待ちなさい!…って、もうあの子はお店の手伝いもしないで…!」
母親の制止を振り切って宿屋から立ち去るトーマスに母は呆れていた。それを宥めたのは厨房で料理の下準備をしている父親だった。
「ハハ、良いじゃないか。子供は元気が1番だろ?」
「そうだけど…あなたはトーマスを甘やかし過ぎなのよね」
「はいはい、今度トーマスには俺から注意するさ…あっ、不味い。今日のメニューは麺にしようとしてたのに材料が足りないかも。母さん、悪いが買い出しに行って来てくれないか?麺で使う粉を1袋買って来てくれ」
「全く…調子の良い親子だこと。絶対あの子、父親の背中を見て育ったわよね…」
頬を膨らませてぷりぷりと怒る母親に厨房にいる父親は苦笑する。
それはいつものやり取りだった事もあり、怒りをすぐに引っ込めて母親は買い出しに出掛けた。
お目当ての物は宿から出て少し行った先にある。早足で歩いていき、お目当ての物を買い込んだ。
「これで買い物は大丈夫ね。後はついでに何か買って行こうかしら…」
少しだけ重いがこうして肩に担いでしまえばまだ運べる余裕はある。何か目ぼしいものがないかと市場に母親が足を運んでいる。その時だった。
カンッカンッカンッカンッ!!!!!
普段は鳴らない鐘の音が勢い良く鳴らされている。ヒガリヤにずっと住んでいた母親は緊急時の警報だとすぐに気が付き、異常事態があった事を察知した。
「これは……トーマス!」
「か、母ちゃん!一体、何が起きてるんだよぉ!みんなどっか走って行っちゃうし…」
「いいから、話は宿に戻ってからしてあげるから!ちゃんと私の手を握って離さないで!」
たまたま市場の近くで子供達と遊んでいたトーマスだったが警報の鐘の音を聞くや否や、大人が自分の子供を抱き抱えて慌てて家へと帰る。
事情を飲み込めずに1人ポツンと残されたトーマスは何が起きたのか把握しようと周囲を見渡した所、母親を発見した。
そしてトーマスは母親に手を強引に引っ張られて宿へと帰宅する。その間は特に会話らしい会話はない。
母親がいつもは見せることがない緊張した面持ちだった為、トーマスがあまり質問できなかったのだ。
「早く入りなさい」
「母ちゃん、これ…何なんだよ……」
母親に中へ入る様に促されてトーマスは足を自分の家である宿屋に踏み込んだ。
そして目の前に広がった光景に驚愕する。受付のカウンターは破壊されて所々にまだ乾いていない血が付着している。中には倒れている人もいてそこには地獄が広がっていた。
「きゃーー!なによ、これ…?」
「母ちゃんっ!父ちゃんが厨房の方にも居ない!」
あまりの光景に腰を抜かしてへたり込む母親を見て少年は家族を守る為に倒れている人の腰から剣を抜く。
剣を持ったまま、トーマスは厨房にいつもいる父親の姿を探しに行くが見当たらない。
「お、お父さんを探さなくちゃ…!トーマスは危ないから此処に隠れてなさい!」
「母ちゃん!俺も…」
「ーーダメッ!私が戻って来るまで食堂に隠れてて!絶対に何があっても出て来ちゃダメよ」
母親について行こうとするトーマスを本気の厳しい口調で注意する。それに怯えたトーマスは母親の言う通りに食堂の厨房の陰に身を隠した。
「大丈夫、部屋の様子を少し見てすぐに戻るから」
厨房から拝借したフライパンを握り締め、そう言い残して去っていく母親をトーマスは止められない。お守りの様に剣を胸に抱き締めてただひたすら待つ。
パリィン、ガシャンッ!ドサッーードッドッドッ!
2階の方から何かが割れる音、何かが倒れる音、そして2階から足音が降りて来る音がする。
恐怖で息を潜めてジッと耐える。その足音が食堂に入って来たのを耳で拾うと足音が止んだ。
「母ちゃん…?」
トーマスは気になって物陰からそっと覗き見る。するとそこには少年達が探していた父親の横顔が見えた。
「ーー父ちゃん!!」
良かった、生きていた。嬉しくて前に出る。
「あぁ、まだ生き残りがいたァんですネェー!」
「トーマスッ!逃げなさい!早くッ!!」
安心してトーマスが厨房から姿を見せると父親が此方を振り向く。
見えなかった顔半分が人の形を保っておらず、何かがドロドロに溶けていて蠢いていた。
衝撃的な光景に固まったトーマスは動けない。そこへ先程まで着用していた服を真っ赤な血で汚した母親が現れて手に持っているフライパンで応戦した。
フライパンを顔面に受けたそれは父親の顔からグネグネと蠢いて仮面と帽子を被った道化師に姿を変える。
「オーホッホッホ!しぶといですねぇ、貴方も。貴方の旦那さんなんて丸呑みにしたら数分しか持ちませんでしたよ?」
「お父さんをよくもォ…!!!」
またフライパンで殴り掛かろうとした母親に道化師は腕を長く伸ばして首を掴んだ。
宙に浮び、もがく母親を見てトーマスは我に返り、手元にある剣を振るう。
「おやぁ、危ない。全くお子様の教育はしっかりしないと駄目ですよぉ……まあ、もう聞こえませんがね?」
「あ、ああ!アァァアアアアアー!!?!」
ゴキュリ。そんな気色の悪い音が少年の耳に入ってしまう。
そして首が変な方向へ曲がってしまった母親を見てトーマスはその場で発狂した。
目の光が急速に失われていく母親の姿はもはや悪夢といっても過言ではない。
その姿を見て道化師は仮面の下からニンマリと笑う。愉快そうに、楽しそうに嘲笑う。
「オーホッホッホ、オーホッホッホ!良いですねぇ、貴方のその顔っ!絶望に染まったその顔を見るだけでワタクシ、興奮しちゃいますよォ!!」
「お、まえ…!!」
下唇を強く噛んだせいでトーマスの口から血が伝う。そんな痛みも忘れるぐらいの怒りと憎しみが燃料となり、顔を顰め、顔の至る所から体液を流す少年は剣を持って突進する。
「貴方、本当に良いですねぇ!ではこれはどうでしょう?スキル"模倣"」
「……ッ!」
剣を振ろうとした手が止まる。そこには大好きな母親の姿をした魔族が手を広げてにこやかに笑っていた。
ーー斬れない。
例え、偽物だとしても大好きな家族の姿をされたらトーマスは動けなかった。
そこを狙われた。
「隙あり、ですよォ!」
「ーーぐあっ!?」
身体を伸縮自在に操れるのか母親の時と同じ様に腕を伸ばすとトーマスの身体を薙ぎ払う。
壁に激突するトーマスは意識が薄れていく。道化師は姿を戻してゆっくりと此方に歩み寄って来る。
コツコツとわざと音を立ててトーマスの恐怖心を煽り立てていく。
「クソッ、クソクソクソッ!!……絶対に殺してやる。例え、此処で死んでもお前の顔は忘れない!ーー俺は絶対にお前をゆるざない!!」
「オーホッホッホ!無力でっ!非力なっ!貴方自身を恨みなさいな。では…サヨウナラ」
得体の知れない魔族の腕が伸びて来る。トーマスは全身から来る痛みに動けない。笑う道化と睨む少年、そこへ乱入した男がいた。
「トー坊ッ!間に合えっ!"物体誘引"」
黒いうさ耳とピチピチのバニースーツ、うさぎの白くて丸い尻尾を身に纏う男である。
否、オカマだった。
「叔父、さ、ん…?」
「……また面妖な格好をした人族ですね。ワタクシのお遊びを邪魔するとは酷いじゃなァいですかァー?」
「お義姉さん…トー坊にも此処までの仕打ちを…絶対に許さんっ!!」
スキルで引き寄せたトーマスを抱えたオカマは足元で倒れている女性に目を向ける。
それを目にした時は怒りで頭の中がどうにかなりそうだったが、腕の中で傷付いているトーマスの温もりに冷静さを取り戻した。
「……クソッ!」
「逃すとお思いで…?」
戦うよりも小さな命を守る為にオカマは敵に背中を向けて入って来た扉へ走る。その背中目掛けて道化師は腕を伸ばした。
「叔父さん!」
「分かってる!"物体誘引"」
敵の手が届きそうになった時、スキルで厨房から引っ張り出した大鍋の蓋で防御する事が出来た。
そして脱出に成功したトーマス達を見送った道化師は外が見える窓ガラスに近づく。
「…まあ良いでしょう。人族を1人や2人取り逃した所で我々の計画になんら支障はありません。それにワタクシ達の仲間が上手くやった事ですしね……オーホッホッホ!」
窓ガラスから外を覗いた道化師は忌々しい巨大な女神像が崩れ落ちていくのを見届けて大いに笑った。
トーマスはこの日を一生忘れない。オカマの逞しい腕の中でトーマスは涙を流す。
「叔父さん…俺、もっと強くなりたい…!」
「……あぁ」
静かに胸の中で泣く甥っ子を抱き抱えている腕が強く締まる。
絶対に離してなるものか。オカマは、チレーズは心の中でそう決める。
(守ろう、この小さな命を…兄貴達の分まで)
チレーズは少年の父親の弟だった。軟弱だが頼りになる兄とそれを支える逞しい義姉を心から尊敬していた。
間に合わなかった。同じオカマ仲間が働いている店から此処までは距離があり過ぎたのだ。
2人の子供であるこの少年の心の傷は深いだろう。せめてこの子が前を向いて大人になるまで守る。
それが自分がこの少年に対しての罪滅ぼしだとしても。
トーマスにも心の変化が表れた。
父と母を奪った道化師が憎い。それ以上に何も出来なかった無力な自分を憎まずにはいられない。
その日、トーマスは声が枯れるまで泣いて、泣いて、泣いた。
トーマス
ラグナロクと呼ばれたあの魔王襲撃事件の日に両親を失うという最悪の結末を迎え、幼き心に復讐心に宿す。
チレーズ
天使の泉というバーで働いていた。
緊急事態を知らせる鐘の音を聞いて一目散に兄が働く宿屋へ向かったが間に合わなかった。
この子が成長するまで守ろうと覚悟を決める。
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