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第一章 背中の女


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 男は機関銃の射撃音に陶酔していた。銃口から飛び出した弾は吸い込まれるように敵の頭に当たり、体力ゲージが一瞬で溶けていく。


「フハハ、ハハハハ、殺してやる。このアリーナにいる全員をおれが殺してやる!」


 レジェンドランクの猛者たちが何もできずに目の前で散っていく。

 全能感が彼を襲い、束の間自分の境遇を忘れさせてくれる。

 そのときだけは自分が最強であることをディスプレイが証明してくれていた。


「こいつ! ルカじゃん!! ざまあみろ、俺の勝ちだ! 死ね、死ね!」


 呆気なく散っていたプロゲーマーに死体撃ちを食らわせ、隙をついて現れた敵兵に、照準を合わせることなく射撃ボタンを押した。

 銃口は明後日の方角を向いているにも関わらず、飛び出した弾はあり得ない角度で敵兵の頭を撃ち抜く。


「ははッ……驚かせやがって、俺を倒そうなんて百年はええんだよ!!」


 それが最後の敵だったらしく、いつの間にかプレイ画面にビクトリーの文字が重なっている。一度も引くことなく、態勢を整えることもなく、敵を探し機関銃を打ち続けたせいで男は心地よい疲労感に包まれている。

 男はマッチング画面に戻るとすぐさま次のゲームにエントリーした。

 一分と立たずにマッチングされ、再び戦場に降り立った男は、一番近くにあった武器を拾うと、また照準を合わせることもせず、射撃ボタンを押し込んだ。


「楽しい?」


 ふいに耳元で少女の声が聞こえた。

「当たり前だよ! 見ろよ、このザマ。誰も俺には敵わねえんだぜ」

「うん、うん。チートって楽しいよね」

 少女は愉快そうに声を弾ませる。

「こんな楽しいことあるか? 大会で無双するプロゲーマーでさえも俺にひれ伏すんだぜ」

「分かるよ。その気持ち」

「だよな。ってあれ……」


 男はそこで画面から目を反らした。

 先ほどから自分は誰と会話していたのだ。

急にボイスチャットがオンになったのかと設定を確認してみる。

マイクの設定はオフのままだし、味方のアイコンに通話マークは表示されていない。

 男は急に怖くなって、ゲームウィンドウを閉じようとした。

 その瞬間、マウスを操作している手を何者かに直接掴まれた。


「え?」

 ゾクリと背筋が凍る。

「どうしてやめるの? 私が見てるから?」

 男はヘッドフォンを外して振り返った。


 背後ではフードを被った女性が腰をかがめてパソコンを覗き込んでいる。

ただ性別は声から推測したに過ぎず、顔はマスクに覆われて全く見えない。

 仮面舞踏会をイメージするような不気味なマスクだ。

 不気味なマスクは耳のあたりで途切れ、そこからは樹脂素材が後頭部を覆っている。


「あ、あんたどっから入ってきたんだよ……」

 男は半狂乱になりながら声を絞り出した。

「怪しまないで。友だちになってほしいだけ。続けていいよ」

 女は囁くように言うと、男の手に重ねるようにしてマウスを握った。

その手も手甲に覆われていてひんやりと冷たい。


「ねえ、機械って良いよね。正確だし、絶対にミスしないし、バカみたいに苦労して練習しなくても、一瞬で強くなれるんだもん」

「そうだな……」

 男はもう片方の手で汗を拭った。

「どうして震えてるの? 怖いの?」

「いや……」


 男は激しく動揺する。その瞬間、指先がびくっと痙攣して、ボタンの押し込みが解除される。

 敵兵は一瞬のスキを逃さず、男のアバターを撃ち殺してしまう。


「あーあ、ちゃんと押してなきゃ駄目じゃない。全くどんくさいんだから」

「わ、悪い……」

 男は咄嗟に謝った。

「お兄さん、ロボット好き?」

「え?」

「そう言っても分かんないか。じゃあ、完璧は好き?」

「いや、何を聞かれてるのかさっぱり分からないんだが……」

「続けようよゲーム。話しながらでもできるでしょ?」

 少女はマウスを操作しながら言った。

「ほら、クリックして」

「あ、ああ」


 男は躊躇いながら、次の試合にエントリーする。

少女は機嫌のよさそうな声で話を続けた。

「じゃあお兄さん無敵は好き?」

「ああ、そうだな……。無敵は良いもんだな」

 男は素直にそれを認めた。



 今となっては手に汗握る熱戦や、波乱万丈の逆転劇には興味がなかった。

 男もかつては真剣勝負を楽しんでいた。実力を表すレートが三〇下がっては焦り、五〇上がっては興奮した。

 しかし、あるとき同じアリーナにいたチーターが彼をひき殺した。

 あっと思うまでもなく男は殺され、チーターは颯爽と男のアイテムを漁って立ち去った。

 そのときふいに真剣勝負が馬鹿馬鹿しくなった。

 たった一人のチーターが、大勢の人間の努力を嘲笑って、王者に君臨する。

苦労してあげたレートがチーターのせいで一瞬で下がるのだ。こんな馬鹿馬鹿しいことをするくらいなら、チート行為をして参加者全員をひき殺した方がずっと楽しい。

 男はそう考えるようになっていた。


「無敵って良いよね。私も無敵が好きだよ。不死身も好き?」

「ああ、そうだな。不死身も好きだ」

 男は体力を一瞬で最大回復させるチートも入れている。このおかげで男はゲーム内では完璧な不死身と言えた。

「じゃあさ、私と一緒に不死身にならない?」

 少女は突拍子もないことを何でもないように言った。


「は?」


 男は画面から目を離した。

一瞬のスキを突かれて、呆気なくゲームオーバーになる。

「ほら、お兄さんの無敵なんて所詮そんなもんじゃん? ちょっと恐怖したら指が離れてちょっと動揺したら注意が逸れて。それじゃあ完璧とは言えないね」

「わ、悪かったって」

 少女が重ねた手に力をこめるので、男はすぐにまた次の試合にエントリーする。


「別に責めてないよ。でも、やっぱり不便だよね、人間って。私が協力してあげるから、一緒に不死身にならない? 完璧で完全無欠な存在。永遠の存在だよ」

「そんなことができるのか?」

「うん、私の言う通りにしたら超人ロボになれるよ」

 男はいつの間にか女の話に耳を傾けていた。

「それはどうやって?」

「やってみせてあげるから、じっとしててね」


 少女は男の背中にぴったりとくっつくと、男の首筋に噛みついた。



 灼けるような痛みが走り、男は咄嗟に少女を振りほどこうとした。しかし、少女の力は強く、抱え込まれた腕は微動だにしない。


「いって……何するんだよ!?」

「黙ってて。今、あなたの遺伝子情報をインプットしてるの。それが終わったら、コネクターをあなたの体内に差し込むね。そして、あなたの脳下垂体に働きかけて、細胞分裂を活性化させるホルモンを分泌させるね」

「痛いのは勘弁なんだが……」

「大丈夫、今、麻酔を流し込んでいるから。そのうち痛みも感じなくなってくるはずだよ」


 少女は傷口に舌を這わせ、じくじくと染みる液体を流し込んでいく。

 画面では次の試合が始まるも、男はすでにゲームから興味を失っていた。

ぼんやりと画面を眺めている間にゲームオーバーになり、画面が暗転する。一瞬、真っ暗になったディスプレイに火のようにうねる少女の舌が映った。

 舌を伝う唾液が傷口に注がれる。

 何が起きているのだろうか。

 合理的な説明はこうだ。少女は何らかの方法で男の部屋に侵入し、ふしだらなごっこ遊びに耽ろうとしているだけだ。

 男はそんな説明では納得できなかった。

 この少女が本気で自分を改造しようとしているのが分かった。

どういうわけか、少女が自分と合体したがっていることが手に取るように分かった。


「くはっ……」


 次の瞬間、横腹に激しい痛みを感じた。

 少女の腕から針が伸び、男の肝臓を貫いた。

 女は伸び縮みし、しなやかに曲がる針で男の肝臓を探った。

「やっぱり気持ちが大事だったんだ……」

 女はなんらかの手ごたえを感じているようだった。

「なに?」

「あなたは拒絶反応がほとんどでないんだね」

「それがどうかしたのか?」


「これまでの人はみんな拒絶反応を起こして死んじゃったの。しばらくは生きてた人も、最初の方はそれほどでもなかった人も、そのうち免疫系が自分の身体を壊し始めて死んだの。でも、あなたはそうじゃないみたい。今のところはだけど」

「素質があるってことか?」

「ある意味ではね。あなたは自分を酷く憎んでる。自分以外の物になりたいと思ってるでしょ?」

「そうかもしれないな」

「それが良いんだよ。拒絶反応が出ないからきっとうまくいく。私もやっと完全無欠の存在になれるよ」


「俺と一つになりたい女が現れるなんてな」

 男は皮肉っぽく笑った。

「鉄の代謝機能も止めちゃうね。大きな体を支えるために、肝臓を作り変えて、鉄を生産する臓器にするの。そこまで来れば、あなたの身体は急速に鉄に置き換わっていく。残るのはいくつかの受容体と、いくつかのたんぱく質を生産する臓器だけ」

「えげつないことを平然と言うんだな……」

 男の頬が引きつっていた。


「安心して。それはあなたの細胞が気づかないうちに一か月前とは全く違う細胞に置き換わっているのと同じよ」

「俺が俺であることに変わりはないってことか?」

「ええ、最強のあなた。すでに急速な細胞分裂が始まっているわ。あなたは急激にお腹が空いてくるはず。だから、一緒にご飯を食べに行きましょ。ええ、このままね? 私を負ぶってね」

「飯を食うだけで良いのか?」

「それ以外のことは全て私がやるよ。そしたら、あなたの身体はどんどん大きくなるはずよ」

「まあ、なんであれ、あんたに付き合ってやるよ」


 男は不敵に笑った。

 たとえこれがふしだらなごっこ遊びだったとしても、馬鹿馬鹿しいと止めさせるのは野暮だろう。それに男の人生において、少女の腕の中でくつろぐ以上に有意義なことなどなかった。


 少女が自分をからかっているのであれば、騙されてやって損はない。

そんな男の思考を読み取ってか、少女は挑発的に唇を歪めた。

「まだ信じてないんだ。現にお腹が空いてきたんじゃない?」

「た、確かに……」

「ねえ、何か食べに行こうよ。私もお腹ぺこぺこ。あなたと一心同体なんだから」


 男は急激な空腹を感じて立ち上がった。

 パソコンを落とすこともなく、服を着替えることもなく外に出る。

「わたしのローブを羽織ると良いよ」

「ああ、ありがとう」

 男は背後から回されたローブを前で止め、靴を履くと外に出た。

鍵をしめることもせず、錆びだらけの手すりを掴んで階段を降りる。

「どこで飯を食うんだ?」

「そうだなあ。お兄さんお金持ってる?」

「財布には一万円弱」

「そんなんじゃ全然足らないよ」

「ATMで下ろせば、三十万くらいは」

「それでも、どっちにしろ足らないんだけど」

「す、すまんな……」


「じゃあ、私とお兄さんが一つになれた記念だから、最初は美味しいレストランに行こ? それで足りなくなったら、コンビニのゴミ箱でも、お店屋さんのゴミ箱でも漁ればいいよ」

「そんなことしたら怒られるぞ」

「うーん、正直言って“不気味の谷”を超えれば、警察も、軍隊も敵じゃないんだけどね。今はまだ見つかるわけにはいかないな」

「じゃあ、夜の間だけゴミを漁って、昼間は隠れていようか」

「それがいいよ。次の土曜日には、“不気味の谷”を迎えるはずだから、それを過ぎたら思いっきり暴れ回ろうね」

 少女の甘ったるい声が鼓膜をくすぐる。

 ふつうの少女でないのは確かだ。手から伸びた針が男の肝臓を貫いており、食いつかれた首筋は未だに鈍く痛む。

 しかし、その柔らかい物腰も、透き通った声も、今までの人生では縁遠いものだった。


 男は記憶を遡らせた。

 女性とこんな風に触れ合ったのはいつ以来だろうか。

 いちばん最近の記憶は大学生のときのものだった。

 テニスサークルの新歓コンパで、馴れ馴れしい女が酔いに任せて男の肩に頭を預けたことがあった。あまりに大胆な行動に戸惑い、自分に気があるのかと思った。

 しかし、飲み会が進み、座が乱れはじめ、他の男が隣に座ると、女はその男にも同じようにしなだれかかりはじめたのだ。

 あのときは酷く嫌悪したが、結果的に男と親しくしてくれたのは、あの女だけだった。


「あはは……なにその思い出!」

 少女が男の背中で身体を震わせた。

 いまや記憶まで共有されていることに驚きはなかった。

「笑うなよな」

「いや、だっておかしいよ。黙って見てたんでしょ? 男をボコボコにして、女を犯してやればよかったのに」


「君ならそうするか?」

「少なくとも黙って帰れば、女をモノにする可能性はゼロだよ?」

 少女は冷酷に、可能性が最も高い選択を取るべきだと言った。そして、それ以外の選択を取るものは滑稽だとも言った。


「あんたの計算によれば、男をボコボコにして、女を犯せばモノにできたのか?」

「人間も所詮は動物。喧嘩で勝ったオスに発情するメスが一定数いることを私は知ってるよ」

「暴力とは別の秩序があることを俺は知ってる」

「だね。人間にはたくさんの秩序があるもんね。ちょっと! 思い出すのをやめないでよ」


 少女は駄々っ子のように男の肩を叩いた。

「あんたが勝手に覗くからやめるんだよ」

「隠そうとしたって無駄だよ。私はすべての記憶にアクセスできるし、全ての記憶を一瞬で読むことができるの」

「じゃあ、勝手に読めば良いだろ」

「ううん、お兄さんがこうしてる間に何を思い出すのかが知りたいの」


 男は苦い記憶や、甘酸っぱい記憶が浮かんでくるのを必死にかき消そうとしていた。

 が、すぐに記憶を抑えつけることはないと思った。

 すでに少女は誰よりも親しい他者なのだ。笑われ、バカにされても気にすることはない。

「じゃあ、話して良いか?」

「いいよ、私お喋り大好き」


 男は少女を背負いながら、どこから語ろうか考えた。最初は整然と順序だてて話そうと思ったが、すぐにそんな方法は無意味だと思った。少女は話すまでもなくすべてを知っているのだ。だから、男は説明のために話すのではなかったし、交渉のために話すのでもなかった。自分が話したいから話すのだ。

「じゃあ、さっき頭に浮かんだこと」

「うん、いいよ」

 男は暗い夜道を歩きながら、とりとめもなく頭に浮かんだことを話し始めた。


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