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第一章 背中の女

 繰り返されるアラーム音で七時になったことを悟った。

 俺が眠い目をこすりながら、スマホを眺めていると音もなく自室の扉が開いた。


 見慣れた瞳が二つ、ドアの隙間からこちらを見ていた。

 いつもなら遠慮なく部屋にあがりこむところを、今日は遠巻きに俺を睨んでいた。


「おはよう、泥棒くん」

「毎度のことで悪いんだけど、そのドアの真ん中を二三回叩いてみてくれないか」

 朝いちばんに発した言葉は苦し紛れの嫌味だった。


「はいよ!」


 雪菜はぶっきらぼうに言って、ドアをゴンゴンと打ち鳴らした。

「どうもありがとう」

「ノックくらいしろよ」と追い打ちをかけようかと思ったが、喧嘩になると思ってやめた。

「寛人のお母さんが朝はちゃんと食べろって」

「ああ、行くよ。下で待っててくれ。着替えて降りていく」


 俺はベッドを抜け出すと、制服に着替えた。

 定期券が切れていたことを思い出し、更新に必要な通学証明書を探す。

 財布の中にはない。


 俺は机の前に立ち、小物が押し込んである引き出しを開けた。

 大事なものはとりあえずそこに入れるようにしているので、そこを引っ掻きまわす。

 スマホの保証書の下に、白い紙を見つけて引っ張り出した。

 しかし、それは通学証明書ではなく、日焼けした古い写真だった。


 俺と雪菜とゆかりが庭に出したビニールプールで遊んでいる写真だ。三人とも幼く、折れそうな手足でプールのへりを掴んでいる。幼児体型というのか、お腹だけが妙に膨らんでいる。


 しばらくぼうっと眺めていた。

 窓から差し込む朝日が写真を照らし、ゆかりの顔だけが教会のステンドグラスの下にでもいるみたいに見えた。

 俺は写真を裏向けにすると、引き出しの奥底にしまった。

 通学証明書はその下の引き出しから見つかった。



 一階に降りると、食卓についた雪菜が母親の作った弁当を包んでいた。父親はもう出勤したらしく、食べ終わった皿が一枚、テーブルに置かれている。


「おはよう。朝ご飯準備できなかったから、その辺にあるパンを勝手に食べてて」

 母親はそう言うと弁当を包むのを雪菜に任せて、バッグを掴んで玄関に向かう。

「了解、行ってらっしゃい」


 俺はテーブルに着くと、カゴに入ったパンの中からジャムパンを手に取り、つけっぱなしのテレビに目をやった。


「まただよ。また“背中の女”の仕業」

 雪菜は二人分のコーヒーを入れると、俺の隣に座った。

 テレビでは、“背中の女”についてのニュースが流れている。

ここ一週間の間で、立てつづけにコンビニやファストフードショップのゴミ箱が荒らされているそうだが、興味深いことに監視カメラや目撃者が話すゴミ箱荒らしの人相はばらばらだ。


 あるときはスーツを着た立派なサラリーマンがゴミ箱を荒らし、中の廃棄食品を貪り食っており、またあるときは作業着を着た工場勤めのおじさんがゴミ箱を漁り、売れ残ったハンバーガーを食らう。

 ただそれらの事件には一つの共通点があり、同一人物の犯行だと思われている。


 それは、ゴミ箱を荒らす男性の背中に、いつも同じような格好の女性がおぶさっているのだ。


「雪菜のバイト先に来た人と同じか?」


 スタジオの映像が切り替わり、被害にあったファストフードショップの横手に立つ男性レポーターが映し出される。

 ゴミ箱の鍵は破壊され、そこら中にゴミが散乱していた。食い散らかした弁当やお菓子の包みが見える。


「どうだろ」

「ほら映ってるぞ」


 リポーターが昨晩、この店にゴミ箱荒らしが出たことを告げた。それと同時に画面が再び切り替わる。今度は店の監視カメラの映像で、ザラザラとした画質で店の裏手が映っている。


「一緒のようにも見えるし、違うようにも見える」


 ファストフードショップの従業員がゴミ袋を捨て、鍵を閉めて立ち去ると、すぐにコートを着た男が現れる。その男はハンマーのようなもので留め具を叩き落すと、ゴミ袋を引き裂き、中の食べ物に手を伸ばした。男はむしゃむしゃとハンバーガーやポテトを食い散らかしていく。


 遠目からの映像で定かではないが、その背中は老人のように丸まっており、コートの襟からはにゅっともう一つ首が伸びているようにも見える。

 男は背中に女が乗っていることを不便に思う様子もなく、黙々と残飯を食らっていく。

「うへ、よくやるよ」

「ほんと。よっぽどお腹が空いてたみたいだね」


――気味の悪いことに、この男はゴミ袋の中のハンバーガーをほとんど食べつくした一時間後に、隣町のコンビニを襲っているんです――


リポーターの声と共に、また映像が切り替わる。今度はコンビニ裏の監視カメラの映像らしく、確かに左下に表示されている時刻はさっきから一時間後のものだった。男はあれだけハンバーガーを食べたにも関わらず、今度はコンビニのゴミを荒らし、中の食い物を頬張っていく。


「見てるだけで吐きそう」

 雪菜が顔をしかめる。

「さらばだ、ジャムパン」

 俺はジャムパンを袋の中に戻すと、コーヒーを啜って、立ち上がった。

「もう行くの?」

「コーヒーもいらない」

「しょうがないか」


 俺は雪菜が手渡した弁当を受け取ると、鞄の中に入れて玄関に向かう。


「それにしても、前の人はどうなったんだろうね?」

 道すがらもさっきの話題が続いていた。

「ん?」

「背中の女を負ぶってた」

「さあ。ネットじゃ殺されたとか言ってるけど」


 手口も一緒、出現場所の範囲や、犯行時刻も共通している中で、犯人だけが違うという奇妙な状況から、ネットではもう一つの共通点である背中の女が真犯人ではないかと囁かれていた。

 背中の女が言葉巧みに男を操り、あるいは催眠術や洗脳まがいの方法でゴミ箱荒らしを実行させる。


 では、なんのためにそんなことをさせるのかと言えば、男を家畜のように太らせて食べるためであり、ゴミ箱荒らしの男が定期的に変わっているのは、女が食べてしまったからだという。


「でも、死体が見つかったとか、人が減ったってニュースは聞かないよね」

「そこまできたらいよいよ大事件だ」

 いまのところはゴミ箱荒らしだけなのだが、それだけで済むとは思えなかった。

 ゴミ箱の残飯を食うぐらいだから、金にも困っていることが予想できる。

 そのうちに金を盗むようになるかもしれないし、金を盗むようになれば、強盗や身代金目当ての誘拐なんかで、死人が出てもおかしくはない。


「何でも良いけど、なんか段々近づいてくるような感じがイヤなんだよね……なんか包囲されてるっていうか?」

「今朝リポーターが立ってたのも、六甲道の北にあるハンバーガーショップだろ?」

「バイト先に現れて、今度は通学路に現れて、ほんと怖いよ」

「まあ夜はなるべく出歩かないことだな」


 駅前についた。券売機で切符を買って改札に通すと、エスカレーターに乗ってホームまであがる。電車を待つ間、ゴミ箱荒らしの話題が続く。


「それにしても本当にお腹が空いてたんだろうね」

「それはどうかな。だって、あの男はゴミ袋いっぱいの残飯を食べたんだぞ? いくらお腹が空いてたって、そのすぐあとにコンビニのゴミ袋を漁っておかしを食べるかね」

「ゴミ袋いっぱいでも所詮は残飯じゃん? かさばってたり、コーラの飲み残しが染みてて、食べる場所なんてほとんどないって」

「いやいや、意外と多いんだよ。食べ残しって。例えば、ポテトのMとLが同じ値段だったりすると、貧乏性でL頼んだりするだろ?」

「あー、たしかに、あれ結局食べきれなくって捨てちゃうんだよね」

「だから、いくら残飯といってもゴミ袋いっぱいとなるとかなりの量になるはずだ」

「でも、ゴミ箱荒らしなんてそう何度も成功するものじゃないでしょ? ああやってニュースになれば、どこの店でも対策しはじめるんじゃない?」

「そうなる前に意地でも食べておこうってか?」

「それ以外考えられないよ」


 雪菜はお腹をすかせたホームレスの仕業だと決めつけたがっていた。

確かにそれなら事件性は低いし、比較的穏当に解決する。シリアルキラーやサイコパスの出る幕はない。


「そうは思えないな。ニュースでやってた監視カメラの映像って、とても正気の人間には思えなかっただろ」

「正気じゃないって?」

「何かに憑りつかれてたみたいというか、我を失っているというか」

 女を負ぶったゴミ箱荒らしは、どこか寄生虫に憑りつかれて水場をうろつくカマキリや、鳥に見つかるためにわざと木を上るカタツムリを連想させた。

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