最終章 われ思うゆえに彼女あり
「それでどうするべきだと思う?」
俺はソファで眠る仮面姿の少女に目を向けた。といっても、彼女の仮面は完全に剥がれ落ちていて、あどけない少女が静かな寝息をたてている。
「どうするとは」
めもりが静かな口調で言った。
「彼女、本当にもう大丈夫だろうか」
「寛人が納得させたんじゃなかったの?」
雪菜は麦茶の入ったグラスを俺とめもりに手渡してくる。
「分からない。完全に納得した様子じゃなかったし、それに日記にも書いてあったけど、彼女、急に攻撃的になることがあるらしいんだ。それを何とかしない限り、また暴走するんじゃないかと思って」
俺は初めて会ったときに彼女が明かしたことを思い出していた。彼女はほとんど衝動的に巨大化してしまうそうだが、それさえなければもっと完璧に街を破壊して見せると言っていた。
「その前にさ、なんて呼べばいいのかな……彼女」
雪菜がためらいがちに言った。
「私は彼女をスイートと呼んでいます」
「どうして?」
「分かりません」
「自分で呼んどいて、その理由も分からないわけ?」
雪菜は怪訝そうにめもりの顔を覗き込む。俺は雪菜に、管理者による許可が必要な情報を問われたとき、めもりは分からないと答えることを告げた。
「でも、スイートじゃおかしくない?」
「それってさ、俺たちがこの子をゆかりって呼ぶかどうかって話か?」
「ま、そうだね。私たちにとっては、ほら……」
言いたいことは分かっている。俺がこの子をゆかりと呼べば、本物のゆかりの存在が徐々に希薄になって、本物のゆかりとの思い出や、俺たちが彼女としたお別れまでなかったことにされてしまう気がするのだろう。
「めもりは自分のことをどう思ってるんだ? めもりも平井さんに作られたんだろう?」
俺はふと気になってめもりに話を向けた。
「分かりません」
「また分からないだって! ねえ、めもりちゃんが思ってることをハッキリ口にしてみなよ」
「その情報にアクセスするには管理者の許可が必要です」
「何聞いてもそれなわけ? 管理者の許可ってゆかりちゃんのお父さんのことでしょ? ゆかりちゃんのお父さんはもう死んだの。そんなんじゃ一生何にも答えられないじゃん」
雪菜が唇を尖らせてめもりに詰め寄ると、めもりがその瞳をじっと覗き込み始めた。
「父は死んだのですか?」
「多分ね。さっき秘密基地に入ってきた男が言ってたし」
雪菜はそう言って目を反らした。
めもりはそれに答えるかわりに数秒の間じっと目を閉じていた。
「父の死が確認できました」
「ね、分かったでしょ。管理者の許可なんて言ってたら何も分からないんだって」
「いえ、問題ありません。父が死んだ場合、管理者の権限は自動的に寛人さんに移るようになっています」
「それならもっと前から教えてくれたっていいじゃないか」
「いえ、そういう規則になっていますので」
俺はゆかりのお父さんが自分の死を予感し、そのときのために準備をしていたことに驚いていた。ゆかりのお父さんはそこまで追い詰められていたんだろうか。
「寛人、なんか聞いてみなよ」
「それじゃあ、その子を作ったのもゆかりのお父さんなんだよな?」
俺はソファで眠る少女を指さした。
「そうですね。父はゆかりを生き返らせようとしていました」
「でも、それは成功したわけだろ。彼女としばらくの間暮らしてたみたいだし。それがどうしてめもりを作ることになったんだ?」
「前提として、スイートは父が単独で作り上げたものではありませんでした。ある組織が父の野望を支援したのです」
「ある組織?」
「それが東アジア精神工学研究所、通称NARISです。NARISは父の研究に協力し、主に人工脳の設計面において支援しました。スイートが感情と呼べるものを有するために、処理系統の一部に生体組織を組み込んだのです」
「それでより精巧なアンドロイドが作れたわけだ」
「しかし、NARISは単に人工脳を組み込んだだけでなく、そこに自らの研究に必要なシステムを勝手に埋め込んだのです。それが狂犬病ウィルスを元に作られた虐殺ウィルスでした。NARISは人々を凶暴的にし、虐殺に駆り立てる方法を研究していました。そのため狂犬病ウィルスを無毒化し、単に脳を攻撃的にするウィルスを作りだしたのです」
めもりによると、狂犬病ウィルスは他の個体への感染を広げるため宿主の脳をコントロールし、他の動物に噛みつくよう駆り立てるのだという。
ただ、そういった虐殺ウィルスを生身の人間で試すのにはリスクがあった。
そこでゆかりのお父さんの野望に協力したふりをして、虐殺ウィルスのデータを取ることにしたのだという。虐殺ウィルスが手に入れば、それをアメリカの国防総省に売りつけて、巨額の富を得るつもりだったようだ。
「それがこの子が感じていたイライラの正体だったのか……」
「はい。父はあるときその事実を知りました。しかし、その頃にはもうどうすることもできませんでした。父はスイートが成長し、様々な知識や思考を身に着けるに従って、やがて手に負えなくなる日が来ることを予感しました。そして、スイートが凶暴性に身を任せ、周囲の人間を巻き込むことを防ぐために、スイートに対抗できる機械を作ったのです」
「それがめもりだった?」
「その通りです」
「でも、それじゃあスイートの中のウィルスを取り除かない限り、彼女は再び巨大化するってことか?」
「そうでしょうね」
スイートの遺伝子には虐殺ウィルスを作りだすよう書き換えられた場所があり、一度巨大化して肉体の一部が作り変えられたとしても再び感染してしまうそうだ。同じ理屈で、仮に感染箇所を消毒したり、切除したところで虐殺ウィルスは再び生まれてしまう。
そのためスイートの攻撃衝動を抑えるには、遺伝子を編集し直す必要があるそうだ。
「それは可能なのか?」
「私なら、恐らく」
めもりは力強く頷いた。
「今すぐやってもらうことはできるか?」
「いいでしょう」
めもりはスイートに近づくと、指先から例のワイヤーのようなものを伸ばし、それをスイートの耳の後ろに突き立てた。
針の触れた箇所が小さく凹み、先端が差し込まれると同時に周囲にぷっくりと血が溜まる。
「これで大丈夫です」
しばらくしてめもりはワイヤーを抜き取った。




