最終章 われ思うゆえに彼女あり
雪菜がパワードアームを操作し、ゲートをこじ開けてみたものの、その先に続く廊下は狭く、戦闘機が移動するようには作られていない。
人間なら快適に移動できる広さではあったが、この図体では屈んだところで、匍匐前進をしたところで、肩がつかえてしまうだろう。
「ここを通ることはできなそうだな」
「とはいえ、退路は完全に塞がれましたね」
先ほどグレートスターが薙ぎ払った敵は、既に態勢を整えていた。
切り開かれた道は消滅し、グレートスターをぐるりと取り巻いている。
戦闘不能になった機体が床に散らばり、残った機体の踏み台と化していた。が、先ほどと比べて数が減っているようには見えなかった。
「あ、終わったな」
俺は剥き出しの敵意にあてられて言った。
「まだ終わってない! 人間に戻ればここを通って向こうに行けるじゃん」
「え?」
「グレートスターから切り離してもらえれば、通ることができるじゃん? 寛人が一人で言って、あの子と話をつけるの」
「ダメだ、こんなところで離れ離れにはならないぞ。さっきみたいにあいつらをなぎ倒して、ここから脱出すればいい」
俺たちがこじ開けた天井はすぐそこに見えていて、そこから月の光が差し込んでいた。
「無理に決まってるじゃん。さっきとは状況が違うんだよ」
雪菜が言ったとき、一騎のM/スイートがタンッと地面を蹴った。空中で大きく振りかぶった腕が瞬く間に眼前に迫ってくる。
雪菜がパワードアームを操作し、M/スイートのの腕を掴んで投げ返した。
「確かに、この数の差では、状況が良くなることはなさそうです」
「ほら、めもりちゃんもそう言ってるんだし、寛人が一人で行くの」
「嫌だ。俺は雪菜を置いていかない。そういう約束だろ? 死ぬなら二人で死ねばいい」
俺は首を振った。約束が違うと思った。ダメだ、雪菜を一人になんかできない。死ぬときは絶対に一緒じゃなきゃいけないんだ。
「大丈夫。寛人はあたしを悲しませたりしない」
「寛人さんを分離させます」
「おい、めもり! 勝手に話を進めるな!」
「まあ、時間稼ぎをしておくよ。その間に話をつけて来て」
「おい! 俺はまだ行くとは言ってないぞ。約束したじゃないか、雪菜。そうだろ?」
「寛人が行かなきゃしょうがないんだよ。ゆかりのお父さんはもういないんだし、残されたのはあたしたちだけじゃん? ね。こっちは絶対大丈夫だから」
「クソ! クソ! 絶対許さないからな」
返事を聞く間もなく、視界が黒く染まる。グレートスターの神経系統から切り離されたのか、一瞬の無感覚のあと、肉体そのものの五感が蘇ってくる。
泥のようなまどろみから覚めたときのように、思考には靄がかかっている。
自分が今どうなっているのかは分からないが、どこかを流されているような気がする。俺は固体とも液体ともつかないものに浸かっていて、それが何か管のようなところを進んでいくのが分かる。
そして、気が付くと俺はゲートを前にしていた。
グレートスターから切り離された俺は、格納庫を出て長い廊下を走った。
廊下の先には重々しい鉄扉があった。
扉の前に立つと同時に、その扉は自動で左右に開いた。
「よく来たね」
声はゆかりのものだった。
俺は中に入り、周囲を見渡した。スイートの姿はどこにもなかった。声がどこから聞こえてくるのかも分からない、どこを見渡してもスピーカーのようなものは見つからなかった。
「あはは、確かに私が見えないんじゃ話しにくいよね。ちょっと待ってて。ほら、きたよ」
ゆかりの姿が現れた。
俺はもう戸惑わなかった。
「君の日記を読んだよ」
「そう」
「亮君の家の前で君と会ったとき、俺をつけてきたのかと思ったけど違ったんだな。君はお母さんに会いに行ったんだ」
日記の中でも、彼女は何度もその家を訪れていた。
「そうだよ」
「会わなかったのか?」
「会えるわけないじゃん」
「会えないよな。俺も多分、そんな度胸ないよ」
「私はこれからも一人なんだよ」
「だから、人類をみんな自分と同じようにしようと思ったんだろ」
日記では人類に肉体の脆さを知らしめれば、みんなが自分と同じようになりたがるだろうと書いてあった。
AIを以て、生命を管理し、生体組織の恒常性を以て、AIを維持する。スイートが増えれば、彼女はかわいそうな最初の一人として受け入れられることになる。
「私は自分がゆかりだってことを認めてくれさえすればよかった! でも、誰一人認めてくれない! 寛人君だって私をゆかりとして認めてくれなかったじゃない」
「俺が何を考えてるかなんて分からないだろ」
「ううん、寛人君は今ここにいない人が、確かにここにいたことを実感できなくて苦しんでる。そうでしょう?」
それは……そうだった。
「だから、私を認めるのが怖いんでしょ。私をゆかりちゃんだと認めれば、今ここにいないひとが、かつてはたしかにいたことが分からなくなると思ってるんでしょ」
俺は目を閉じた。
おぞましいキノコ軍団と戦う雪菜の姿が浮かんだ。俺は雪菜を悲しませないし、雪菜は俺の前から消えたりしない。消えさせないんだ。
「君が現れる前からそうだったよ」
俺は口を開いた。
「え?」
「俺はずっとどう受け止めていいか分からなかったんだ。思い出は曖昧になっていくし、接点も、共有できる感情もなくなって、好きだった子がずっと遠くの十歳の女の子になっていくのが辛かったんだ」
「それが本音でしょ。私の顔なんて見たくないんだ」
「でも、君が居なくなっても、グレートスターを引き出しの中にいれていても、やっぱりそれは変わらないと思うんだ」
「だから、俺は君を認めるよ。どれだけ頼りない思い出でも、今となってはそれを証明することができなくても、俺はゆかりが確かにここにいたことを知ってる。俺が分からなくなっても、俺の細胞が、無意識が、ゆかりがいたことを知っている。それで十分だったんだよ」
デカルトは「われ思うゆえにわれあり」と言ったが、その思うだって、人間の脳の働きの一部でしかない。
俺は意識だけでは何もできないことを知っている。無意識が、皮膚が、細胞が、意識にのぼらない無限の記憶を持って、無限の処理を行っている。めもりが無意識の処理をしてくれるおかげで、俺が意思決定をするだけで、ハンドルを動かすことすらなくグレートスターを動かせるように。そして、それは全身の記憶と処理機能のうちのほんの一部でしかない。
だから、ふいにゆかりがいたことが分からなくなるような夜でも、俺の無意識はたしかにゆかりが居たことを覚えてるはずだ。
たとえ目の前にゆかりと瓜二つの少女が居ても、俺はゆかりを忘れないし、その子とゆかりを混同することもない。たとえその子がゆかりという名前をしていても……。
「君の存在を認めるよ。君はゆかりだ」
彼女は目を大きく見開いた。小刻みに揺れる瞳から滂沱と涙が溢れた。
「違う……そんな言葉信じない。寛人君は私がこんな風にしたから仕方なく受け入れるなんて言ってるだけ」
「今からでも間に合うよ。君は少々やりすぎたことを反省して、これからどうするか考えればいい」
「もう遅いよ。こんな風になったら、無理やり認めさせただけだもん! 私、どうしたらよかったの? どうしたら普通に認めてもらえたの」
俺は彼女がどれだけ繊細な心を持っているか悟った。彼女は機械ではなく、一人の人間として生きるよう作られたのだろう。
彼女が狂おしい境遇を繊細な心で受け止めてきたかと思うといたたまれなくなった。
「君の気持ちは分かるよ。しょうがなく認めたわけじゃない。ただ、一つ言えるとすれば、君には恐れが必要だったんだよ」
「恐れ?」
「そうだ。この中に失いたくない人や、変わらないでいてほしい人がいたら、君はこんなことしなかっただろ?」
「その失うものがなかったんだよ! お父さんは居なくなるし、お母さんには会えないし、記憶にある友だちはみんな、私が死んだことを受け入れてる! これでどうして何かを失うことを恐れろって言うの?」
俺は頷いた。
彼女の言う通りだった。彼女は何も手にしていなかったから、何かを失うことを恐れることすらできなかったのだ。
「だから、俺がここに来た」
「違う。寛人君は街が破壊されるのを止めに来ただけ」
「そうじゃない。俺は君がこの世界のどこかにいられるようにするためにここに来たんだ」
「そんなの……無理だよ。だって、寛人君はもう死んだ私とお別れを済ませたんでしょう?」
それでも俺は彼女に手を差し出した。
「まあ、何とか君の居場所を見つけよう。それで失うのが怖くなるくらい色んなものを手に入れよう。そしたら完全に思い通りとはいかなくても、なんとか楽しくやっていけるんじゃないかな?」
やや沈黙が続き、下を向いていた彼女が恐る恐る俺の顔を覗き込んだ。
「……信じて良いんだね?」
「ああ、俺が何とかするよ。だから、この世界を元に戻してくれないかな?」
彼女は渋々といった感じで頷いた。
「五分間だけ待ってあげるから、その間にここから出て」
「君は?」
「元の姿に戻る。一部の組織はそのまま残るし、一部はカビがある日突然消えるみたいに消滅する。あなたたちがここに取り残されたら、どうなるかは分からないから、先にここから出て。この場所だって地面に落っこちるかもしれないし」
「それは危ないな」
「まあ、一番被害が少なくなるようにやってみるから」
「そうか、分かった」
振り返ると同時にドアが開いた。俺はその部屋を出て、長い廊下を走って戻った。
格納庫にまで戻ると、グレートスターが膝をつき、のしかかってきたM/スイートを撥ね飛ばしているところだった。
「寛人!! こいつら、急に動かなくなったんだけど、上手くいったってことで良いんだよね?」
「ああ、すぐにここから出よう」
グレートスターが手を差し出し、俺はその上に乗った。雪菜は俺が落ちないよう手を丸め、俺はそこに座って、指にしがみついた。
「行くよ」
格納庫を走り、こじ開けた穴を通って甲板にあがった。
グレートスターは両翼を展開させ、その馬鹿でかいキノコの上から飛び立った。
そのとき世界は光に包まれた。淡路島全土を覆う菌糸が燦然と輝く粒子を放ちはじめる。
下を見ると無事だった人たちが、顔をあげ、消えゆくキノコを眺めているところが見えた。
その光は徐々に弱まり、やがて粒子を放たなくなった。
あとには菌糸の欠片すらない以前の街がそこにあった。
「あ、あそこ!」
平和大観音像の根元に、マントを被った少女が倒れていた。
「寛人、どうする?」
「連れて帰ろう」
「分かった」
雪菜が言うと同時に、背中に積んだスラスターブーストが点火し、グレートスターは彼女の元へ向きを変えた。




