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最終章 われ思うゆえに彼女あり

 男が戻ってこないことを確認した後、俺はふうっと息を漏らした。寿命が五年ほど縮んだ気がした。


「もう大丈夫だぞ」

 俺は雪菜にそう言った。目をきつく瞑っているせいで涙に濡れたまつ毛が、ぷるぷると震えていた。


「はああっ……」

 雪菜は腰砕けになって床に座り込んでしまった。


「へたってる暇はないぞ。また誰か来るかもしれない。早く日記を確認しよう」

 俺は雪菜を引っ張り起こしながら言う。

 雪菜と二人でビニールシートの中に戻ると、棚から日記を再び手にした。

 俺はノートを手に取ると、最初の方のページを開いた。

 そこに書かれてあったのは、味気ないタイムスケジュールやできごとの単なる箇条書きではなはなかった。


 誰もが机の引き出しに隠し持っておくような普通の日記だった。

 日記の序盤は、自分が自分ではなく他の誰かとして存在していることに気づいたことと、それに対する絶望が書かれていた。


《昨日、お父さんがケーキを買ってきてくれました。二つの中から自分が好きな方を選んでいいと言ってたけど、お父さんの目は見定めるようにじっとわたしを見ていました》


《それでピンときました。恐らくはこれもテストなんだと》


《わたしの中には多分、ゆかりちゃんの好みがインプットされていて、それを優先的に選ぶようにできている。ケーキを選ばせることによって、ゆかりちゃんらしく成長しているかを確かめようとしたんだ》


《そう思うとわたしは何も選ぶことができなくなりました。だって、自分が欲しいと思ったものが、本当は誰かによって最初から決められたものだと思うと、自分ってなんだろうと思ってしまったんです》


 何もかもが、他の誰かであるように設計され、父親がそれを求めていることにウンザリしている様子が毎日のように書き連ねられている。

 そして、その絶望が限界に達したとき、彼女の心理には変化が訪れていた。


《わたしはやっぱりゆかりとして生きることに決めました。だって、以前にゆかりという人がいたとしても、自分がその代わりとして作られたとしても、わたしはわたし。誰かがゆかりって呼んだとき、わたしは自分が呼ばれたんだって分かってるから。それに他人によって決められた好みでも、わたしがそれを好きだって思う気持ちは変わらないし、自分の中にある記憶が他人のものだとしても、わたしにとっては確かな記憶だから。つまり、われ思うゆえにわれありってこと》


「AIデカルトだ」

 俺は呟いた。

「でも、街を破壊して回ることとは繋がらないね」

「もう少し読んでみよう」

 俺は日記に目を落とした。


《今日はお母さんに会いに行ってきました。お母さんがわたしをゆかりとして認めてくれるとは思わなかったけど、それでも私にとってはお母さんだから。お父さんは無理だって言うけど、もし、わたしとお父さんとまた三人で暮らせることになったら、それはとても素敵なことだと思いました。でも、実際にお母さんの家に行ってみると、お母さんは全然知らない男の人と住んでいて、庭でビニールプールに浸かる二人の子どもを幸せそうに見ていました》


《しょうがないよね。だって、わたしはもう何年も前に死んでるんだから。お父さんに文句の一つも言いたいのに、お父さんは帰ってこないし、自分の居場所はどこにもない。寂しい、悲しい、辛い》


《何もかもにイライラしてしょうがない日が続いています。食器を割っても、駐輪場の自転車を将棋倒しにしても、ちょっとしかスッキリしない》


《お父さんはまだ帰ってこない。わたしはどうしてこんなことになったんだろうって考えました。そして、思い至ったのです》


《これも全部、人間に死があるからだと。わたしの身体みたいにすべてが取り換えらえて、壊れても修理できるように出来ていたら、誰も死なないし、死んだ人の代わりとしてある人に歓迎され、ある人を困惑させながら生きる物も出てこない。だから、みんな機械になればいい。そのためにはどうする? みんなに肉体の脆さと儚さを知らしめてやればいいんだ。でかけよう。みんなが機械になったら、きっともう死ぬ人は出てこないし、私はこんな風に閉じ込もって、誰にも知られないように生きることもない》


「かわいそうだね」

 雪菜が呟いた。

「そうだな」

 俺は頷いた。


 日記はまだ続いていて、少女はどうやって人類に肉体の脆さを知らしめようかと手段を考えていた。少女の身体は生体組織を機械的に管理しており、そしてそういった機械的な制御部を生体組織の恒常性によって保持しているようだ。

 彼女の体内では細胞を自在に編集、増殖させることが常に行われており、それを利用すればどんな形、どんな大きさにもなれるという。また任意の物質で外骨格、内骨格を形成することで強度をあげることができる。


《そうだ、ロボットにしよう。昔、寛人くんと一緒に遊んだ、あの怪獣になって街を潰して回ろう。それと同時に望む人にはわたしと同じことをしてあげるんだ。完璧で永遠の肉体を体験してもらうんだ。お試し期間的な感じで……》


 少女はそう思いついたときから、楽しそうに計画を練り始めていた。

だが、定期的に襲われる謎の攻撃性に悩まされていることが日記に綴られていた。


《だめ……わたしは完璧な計画を立てて、完璧な方法でみんなを導きたいの。それなのにイライラしてしょうがない。今すぐ街を破壊したい。今すぐ全部ぐちゃぐちゃにしてやりたい。ううう……もう我慢できない。まだ未完成だけど、とにかく一度巨大化してみよう》

 めもりがくれた連絡用のタブレットが鳴った。


「寛人さん、スイートが出ました」

「そうか。どこにいる?」

 俺は咄嗟に立ち上がった。

 隣にいた雪菜がスピーカーモードに切り替え、俺は日記を畳んで靴を履く。


「淡路島で街を襲っていますが、そのうち本州にも攻めてくるでしょう。私としては寛人さんをお守りすることとしかプログラムされていませんが、家族や友人が亡くなられば、結果的に寛人さんの生活に支障をきたすことになります。どうしますか? 安全なところに避難しますか? それとも戦いますか?」


 俺はぎゅっと拳を握りしめた。

 俺の思いは今でも変わらない。俺は関わりたくない。ゆかりのクローンなんて認識すらしたくない。でもここまで来たらどうしようもなかった。あいつをどうにかしない限り、この狂った状況から抜け出すことはできない。


 雪菜の手を握り小屋の外に飛び出した。

「戦うに決まってるだろ。スイートと話をつけなきゃいけないんだ。そうしなきゃ終わらないしな」

 小屋を出たところで足を止めた。

「そういうと思ってましたよ」


 そこにはめもりが立っていて、彼女らしい涼しい表情で俺を見ていた。


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