最終章 われ思うゆえに彼女あり
1
「なあ開くか?」
「んにゃ、開かない」
雪菜は鍵をずらしてみたり、上下を反転させてみたり、ひとしきりガチャガチャやっていたが最後には諦めてドアノブから手を離した。
「だよな。ここだと思ったんだが……」
俺たちはゆかりが以前住んでいた家を訪れていた。それは駅前のマンションで、偶然にもゆかり一家が住んでいた部屋が空き部屋だったのだ。
そのためスイートが無断で住み着いており、雪菜がスイートに魅入られた期間、二人でその部屋に住んでいたのかと推測したのだ。
「じゃあ、次行こうぜ」
「次ってまだどっかあるの?」
「あと一つだけ。思い当たる節があるんだ」
仮面姿の少女はゆかりの生き写しだった。
残酷な現実に、一週間俺は暗い気分で過ごした。ゆかりは確かにあの年死んで、生きている者の世界から去っていった。俺はその事実を何年もかけて少しずつ受け入れてきたのだ。
それなのに、どうして今になってゆかりの形をした人間が現れる?
一体、誰が死者の静寂をかき乱した?
その正体は恐らくゆかりのお父さんだろう。それ以外の人物は考えられなかった。
俺はアパートの階段を降りると、目の前の坂を上っていく。
山のふもとに近づき、アスファルトの道が砂利の山道に変わる直前で俺は横道に入った。そして、茶色く色あせた土塀に沿って進む。
「懐かしいねー、ここ」
「こんな理由で訪れるんじゃなければな」
俺は門を通ってその中に入った。
「でも、よくこんなところで遊んでたと思わない? 今は薄気味悪くて絶対イヤ!」
「子どものときには気にならなかったんだがな」
争楽寺は住職がいなくなったお寺、いわゆる無住寺で、俺が子どもの頃から管理するものがいなかった。
そこに掃除用具や、備品を入れた物置小屋があり、俺たちはそこを秘密基地にして遊んでいたのだ。
俺たちは思い出話をしながら境内を歩いた。本堂の横手にはあのときと変わらず、灰色のトタン小屋があって、俺たちはそこに近づいた。
「あ、本当だ。鍵がかかってる」
「なあ、それで開くか?」
巨大化した雪菜のポケットに持っていた鍵。あのときはそれがどこのものか見当もつかなかったが、仮面姿の少女がゆかりの生まれ変わりだったとしたら、思い当たる節があった。
ゆかりの思い出や生活は小学四年生のまま止まっているのだから、鍵を使う場所はそれほど多くない。
最初にゆかりの両親がもともと住んでいた家を訪れた。
そこが違うとすれば、考えられるところはここしかない。
それに鍵は作りが比較的古く、ピッキング防止加工もされていないことから、この物置小屋の鍵なんじゃないかと予想したのだ。
雪菜はポケットから鍵を取り出すと、それを鍵穴に差し込んだ。呆気ないほど根元まで刺さり、そのままカチャリと回転した。
「開いた……」
「大丈夫かな、入って」
「その鍵を雪菜が持ってたってことは、雪菜は既にその中に入ってるんだ」
俺はためらう雪菜の横を抜けて、倉庫の中に入った。
倉庫の中は暗く、かび臭かった。
俺は記憶を頼りに壁を探り、照明のスイッチをオンにした。
壁に並べられた棚には竹ボウキや、熊手などの他、催しごとの際に利用した提灯や、護摩を焚くような釜が置かれている。
その奥に古いビニールシートを敷いた場所があり、そこに粗末な毛布が一つ丸めて置かれていた。ビニールシートと床の境目には古いスリッパが綺麗にそろえて置かれている。
「秘密基地だ……あのときとそのまま」
「そのままなわけじゃないと思うけど……あのときはもっとガラクタがいっぱいあった」
俺たちはそこにコップやカードゲーム、おもちゃ等も置いていたのだ。
「ここ最近、ここで寝泊まりしていた人がいたってこと?」
俺は靴を脱ぐとスリッパを履いて、ビニールシートの上にあがった。空いている棚板を机にするように、座布団が置かれており、棚板の上には何か写真のようなものが散らばっていた。
「そのうちの一人は雪菜だ」
俺は棚板の上の写真を摘まみ上げて、雪菜に手渡した。
「ほんとうだ……」
それはチェキと呼ばれるフィルムカメラで撮った写真だった。撮った写真がカメラからその場で排出されるため、画質が粗く写真の周囲が白く縁取りされている。
そこに映っていたのは、雪菜とめもりの顔をした何者かだった。二人は顔を寄せ合い、眩しそうに笑っている。雪菜の目は催眠術にかかったように昏く濁っていたが、その笑顔は本物のように思えた。
「それを見てると、本当にゆかりが生きてるような気がしてくるよ」
「うん……。あたしって何日家を空けてたの?」
「三日だったかな。本当に全く覚えてないのか?」
雪菜は三泊か四泊のあいだこの秘密基地で暮らしていたのだ。
「うん、でも、確かにここにいたんだと思う」
雪菜はしばらく黙っていたが、ふいに「そういえば思い出した」と呟いた。
「なに?」
「あたしね、寛人に目が離れてるって言われて本当に悲しかったんだよ。それで、写真を加工したりして、写真の中だけでもかわいくなれるように頑張ってたんだけど、そのときあの子が現れて、あたしの顔を変えてくれるって言ったんだ。人間は骨や筋肉も常に溶かしたり、作り変えたりしているから、そのスイッチを入れてあげれば、自然と整形できる的な?」
「うん……」
「でね、多分あたし、その子の指示に従って、ご飯をたくさん食べに行ったんだよ。だって、そうでしょ? 初めて、怪獣が現れた前の週、コンビニやファストフード店のゴミ箱漁りが話題になってたじゃん? だから、あんな感じで、私はあの子と過ごしながら夜の街でたぶんそういうことをしてたんだよ」
「そうなんだろうな」
「でね、そこの記憶は全然ないんだけど、次に覚えてるのは巨大化する直前で、あのとき寛人が助けてくれる前、すごく身体が疼いて、気が狂いそうになってるときに、女の子が言ったの。『私はあなたのお願いを聞いた。今度はあなたが私のお願いを聞く番。そうやっていつも色んな遊びをしたでしょ?』って」
「やっぱり仮面姿の少女はゆかりだったんだ」
「ゆかりちゃんは死んだんだよ?」
「ああ。でも、本人は自分のことをゆかりだと思ってるみたいだぞ」
俺は散らばった写真の横、棚板の端に立てるようにして置かれているノートを指さした。
「日記だよね?」
「どこまでもゆかりになろうと頑張ってるみたいだ」
「開いていいのかな?」
俺たちが日記を開くべきか迷っていたときだった。
物置小屋の扉がガタガタと揺れた。




