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第三章 ディバイド&コンカー

 週末俺たちは地下鉄に乗って、ゆかりの両親の家に向かった。彼らの家はもともと住んでいたところから、五駅ほど離れた場所にあった。

 そこは俺たちが生まれる十年以上前に開発が進められたニュータウンだった。

 三十年以上、この町は都市部に労働者を運ぶベッドタウンとして機能してきた。

 しかし、ニュータウンという割に、マンションやビルにはどことなく陰りがあった。街全体は綺麗なものだが、通りを歩く人はまばらだった。


 ニュータウンは急激に生産年齢人口が流れ込むため、高齢化も急激に起こると言われている。三十代で新居を構え、町の発展を支えた人々は、いまや六十代になっていた。そういった古いニュータウンには、田舎にも都会にもない間延びした時間が流れている。

 雪菜が母親から教わってきた住所の前に立ってみると、表札はゆかりの苗字である平井ではなく、木下になっていた。


「本当にここであってるのか?」

「住所はあってるはずだけど……」

 雪菜はスマホの地図と、住所の書かれたメモ、目の前の表札を交互に見比べている。

「引っ越したのかな?」

「どうだろう。こんな良い家を買って数年で越すとは思えないけど」


 俺たちは顔を見合わせた。

 苗字が変わったのか、住所が変わったのか、住所が間違っているのか。

 俺たちがそう話をしていると、子ども連れの男の人が近づいてきた。四歳か五歳の男の子とさらに小さい女の子の手を引いて、歩いてくる。

 その男の人は怪訝そうな顔で俺たちを見て言った。


「あの……うちに何か用ですか?」

 その男性は体格がよく、堂々と自信に満ちた歩き方をしていた。俺の記憶にあるゆかりのお父さんは、細い人でどこか弱気に見えて、いつも静かに笑っているようなタイプだった。

「いえ、えっと知り合いの家を探してまして……」

「そうですか、ちょっと失礼します」


 俺たちは家の前を開けた。男の人はその中に入って行った。

「やっぱり違うんじゃない? ゆかりちゃんのお父さんってあんな感じじゃなかったよね?」

 雪菜が小声で言った。

 俺たちだってかなり小さかったから、なんとなくの印象しか覚えていない。それでもあんな人ではなかったはずだ。


「そうだな……。でも、最後に来たのは六年前のことだから」

「じゃあ、もうちょっと話を聞いてみる?」

 何となく入りづらい雰囲気のままもじもじしていると、男の人が消えたドアが内側から開いて、女性の姿が現れた。

「やっぱり。雪菜ちゃんと寛人くんだったんだ」


 そこにいたのはゆかりのお母さんだった。

 ちょっとだけシワが増えたように思うが、六年前とほとんど変わっていなかった。

 どうやら、先ほどの男の人が家の前に俺たちがいることを話したらしい。それで、ゆかりのお母さんが見に来てくれたようだった。


「あの、突然連絡してすみません。ゆかりちゃんに線香あげさせてもらえますか?」

「良いわよ。そのつもりで待ってたんだから」

 お母さんは優しく笑って家の中に通してくれた。

「遠慮しないでチャイムを押してくれれば良かったのに」

 窓から日の差し込む廊下を歩きながら、お母さんは言った。

「そうなんですけど……、苗字が変わってたから押しづらくて」

「再婚したの」

「そうなんですか」

 何となく触れづらい話題に差し掛かる。


「四年前にね。二人とも今の主人との子よ」

 俺と雪菜は顔を見合わせた。再婚したのが四年前なら、二人が離婚したのも四年以上前と言うことになる。ゆかりのお父さんに話を聞くつもりだったのだが、あてが外れたようだ。

 俺たちは奥の仏壇に通してもらい、持ってきた花を供え、線香をあげて手を合わせた。

「久しぶり。大きくなったわね」

「はい。本当に久しぶりです」

「六年間も会いに来れなくてすみません」


 雪菜はそう言って仏壇の方を見た。そこには懐かしいゆかりの遺影が飾られていた。あの頃に戻ったような気にさせる眩しすぎる笑顔だった。

「ううん、中学生、高校生になると新しい友だちもできるだろうし、学校も忙しいから仕方ないわ。むしろこうしてきてくれただけでじゅうぶんよ。その辺にあるもの、好きに触っていいから。二人にとっても大切な品なんじゃない?」


「あ、懐かしい。交換日記だ」

 雪菜が俺の方を見た。

「本当だ。でも結局ゆかりの日記になったんだよな」

 俺は仏壇に供えている日記を手に取った。


 ゆかりはおっとりしていたが、芯の強い女の子だった。三年生のときに交換日記をしようという話になって、三人でノートを買って、回していたのだ。秘密の質問をしあったり、さりげなく教師の机に仕込んだイタズラを報告しあったり。

 交換日記はそのうち飽きて回らなくなるのだが、その日記をゆかりがもらい受けて、一人で日記を綴っていた。



 放課後、三人で作った秘密基地で勉強をしているときなんかに、まっすぐな目つきで日記を綴る彼女の姿が、子どもながらに大人びて見えた。

「ん? どうしたの?」

 ゆかりが俺の視線に気が付いてそう声をかける。

「ううん、なんでもない」

 小学生の俺はもじもじしながら頬を掻く。

そんなことが何度もあったはずだ。

 だが、それらすべては最早、記憶といえるほどの実感はなく、何度も思い出すうちに塗り固められた知識になっている。本当はどんな子だったのか、今となっては曖昧なのだ。

 俺が唯一、彼女について実感できるのはグレートスターについて思い出したときだけだ。

 彼女とグレートスターでごっこ遊びをしたことは何度もあり、俺にとっても一番重要なおもちゃだった。

 俺はゆかりの葬式の日、棺桶の中にこっそりとグレートスターのおもちゃを入れた。


 一番大切なものをあげたかったし、天国に行っても遊べるように。

 俺の代わりにグレートスターが遊び相手になってくれるように。

 だから、今の俺と十歳のゆかりを繋いでいるのはあのグレートスターのおもちゃだけで、それゆえにグレートスターのオモチャは俺の手元には残らなかった。


 誰だってそうだろ?

 子どもながらに恋心を覚えて、同年代の女の子に憧れを抱いたとする。でも、その子が死んでしまい、自分だけが成長した今、高校生の俺が十歳の女の子に当時抱いていたはずの感情を抱けるわけはない。


 俺は今、十歳のまま時間が止まってしまった少女のことをかわいそうだと思うだけで、思い出はときがたつにつれて曖昧になっていくし、確かにそんな子がいたということすら、知っているというだけで、どうやっても証明することはできない。


 もしゆかりが死んでいなければ、何となくにしろ、明確にしろいつか恋は終わり、あるいは順調に美人に育ったゆかりのことを今でも好きでいられることができたのだ。


 残った俺はもうゆかりとは話が合わなくなるほど成長してしまって、ときどき何かの拍子に思い出したり、気まぐれに画像検索して眺めたりするグレートスターのイラストだけが今の俺と彼女の繋がりだ。




「あなたたちは今でもよく遊んでるの?」

「はい。今でも仲良いと思います」

 お母さんの質問に雪菜が答えた。

「それも嬉しいわ。三人とも仲良しだったものね。もしかして二人は付き合ってるの?」

「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど」

 慌てて否定した後、雪菜は顔を赤くしたままうかがうように俺を見た。


「そう。お似合いだと思うけど」

 悪戯っぽい目でなぜか俺の方を見る。

「あの、ゆかりちゃんのお父さんは……」

 俺は慌ててそう質問した。


「さあ、離婚してからはほとんど連絡を取っていないからね。元気にやっているんだろうけど」


 俺はどこまでこの問題に立ち入るべきか考えた。ゆかりのお父さんならもしかしたら、AI原めもりを作れるかもしれない。その際、人造人間の外見をゆかりの成長した姿にした可能性はあった。

 しかし、それを確かめるに、二人の関係に立ち入るには勇気がいった。


「今はどこで何をしてるか分かりますか?」

 俺はそう聞いた。

「会いたいの?」

「ま、まあ。元気かなと思って……」

「あの人、あなたたちのことを可愛がってたものね」


 ゆかりのお母さんは弱々しく笑った。

「はい、よく遊んでもらいました」

「そうは言ってもねえ――」


 お母さんはそこで下唇を噛んだ。

「ややこしいこと言ってすみません。別に、どうしてもってわけじゃないんですけど」

「ううん。あなたたちの気持ちは分かるんだけど……。そうねえ……そういえば、半年前にうちに来たことがあったわね。突然、深刻な表情で『ゆかりがそっちに行かなかったか?』なんて聞いて来て、まだあんなことやってるのかって呆れたわよ」


「あんなこと?」

「あの人、ゆかりが死んでからおかしくなったのよ。コンピューターと変な機械でゆかりを生き返らせるって言いだしてね。私が死んだ人間は生き返らないし、ゆかりの記憶とか癖とか、好き嫌いをどうやってもとに戻すんだって言っても、『ゆかりだって、最初からゆかりだったわけじゃない。俺たちが誰でもない一人の赤ちゃんをゆかりとして育ててきたからゆかりになったんだ。俺たちがゆかりとして扱えば、きっとゆかりになる』って言って、人工知能っていうのかしら、そういうものでゆかりを作ろうとしてたのよ」


 めもりちゃんのような自分で学習するロボットを作れば、それは可能かもしれない。

ゆかりとして接していくうちに、ゆかりとしての立ち振る舞いや、記憶、好き嫌いを学習してゆかりに近づいていく。ゆかりは事故で死んだという事実にさえ目を瞑れば、ゆかりそのものに思えるときが来るかもしれない。

 それが良いことだとは思えなかったが、“狂ってしまえばかえって幸せだ”という一例ではあった。


「それは成功したんですか?」

「するわけないと思うけど……。あの人、離婚直前なんかは本当にノイローゼ気味で、思ってることと現実の区別もついていないみたいだったから、今でもそんな状態で作りたい物が目の前にあるような気になってるんじゃないの?」


 お母さんは寂しそうに遠くを見た。

「そうですか……」

「それで半年前に来たときもなんか協力してくれてた人とトラブルになったとか、蒸発されたかとかで、随分と慌ててる感じだったわね……」


「妄想に憑りつかれてたうえに、周囲とももめてた?」

「そうなんじゃない? だからあなたたちを可愛がってた頃のあの人じゃないから、無理して会わない方がいいかもしれないわよ。危ない目に合うってこともないわけじゃないし」

「住んでる場所とかは分かりませんかね?」


 そこでお母さんは迷惑そうに眉を歪めた。

「そりゃ、あの人の実家は分かるから、そこにいってお義母さんに居場所を聞いたら分かるかもしれないけど、正直そこまでしたくはないのよね。今はもうあの子たちがいるから」


 俺は先ほど出会った男の人と、彼が連れていた子どもたちを思い出した。ゆかりさんのお母さんは今の幸せを守りたいのだろう。

 その気持ちは俺にも分かった。

 それは俺が雪菜からAI原めもりがゆかりに似ていると言われたときの感情とよく似ていたからだ。


 どうして、今になってゆかりのことが話題に上るんだ? それもこんな形で。

「そうですよね。久しぶりに来たから挨拶したかっただけで、居場所を調べてもらうほどじゃないので」

「そう? 申し訳ないわね」

「いえいえ、ゆかりちゃんに会いにこれただけでじゅうぶんですから」


 雪菜が隣からフォローしてくれる。

「ありがと。じゃ、これといってお構いしませんから、ゆっくりお話ししていってちょうだい」

「はい、ありがとうございます」

 お母さんは立ち上がると、居間に戻って行った。

それと同時に先ほどの男の子が駆け寄っていく。

「綺麗ねー、上手に作ったわね。でもおうちの中まで持ってきちゃ駄目でしょ」

そういって叱っているところを見ると、公園で作った泥団子でも見せにいったみたいだ。

「ねえ、お母さん! 今日エビフライなんだよね?」


 台所に立つお母さんの足元を男の子がちょろちょろとついて回る。

「それと亮くんの好きなギョウザも」

「ええ! どうして!? どうしてエビフライにギョウザもあるの?」

「それは今日が、亮君の誕生日パーティーだからよ」

「嘘だ!! だって、お母さんはあと三日寝たら誕生日プレゼントだって言ってた! お母さんが嘘ついた!」


 一人前に指をさす少年にお母さんが優しく微笑んだ。

「嘘ついてないわよ? 誕生日は水曜日でしょ。でも、お仕事の日はご飯の準備ができないから、パーティーは今日なの。わかった?」

「ふーん。それならプレゼントも今日で良いのに」

 不満そうに口を尖らせる少年にお母さんが思わず噴き出した。

「ふふ、そうね。でも、日曜日も水曜日も良いことがあった方がうれしいでしょ? ね、お母さん、今からお料理するから向こうでお父さんと遊んでなさい」

「悪いところに来ちゃったかな」


 雪菜が気まずそうに笑った。

「そうだな。俺たちも邪魔しないようにそろそろ帰ろう」

 俺と雪菜はもう一度、仏壇に手を合わせると、ゆかりにお別れを言って、キッチンの方に顔を出した。

「僕たちそろそろ帰ります。すみません、忙しい日にお邪魔して」

「良いのよ。こっちこそ邪魔してごめんなさい。この子がちょろちょろしなけりゃ、もっとゆっくりお話できたのに」

「いえ、もうじゅうぶん色んなことを話しました」

「えーっ! お兄ちゃんたちもう帰っちゃうの? エビフライ食べられないじゃん!!」


 話を聞いていた男の子がそう言ってくれる。

「そうなの! 超残念だよ。その分も亮くんがたくさん食べていいよ」

 雪菜が亮くんの前にかがみこんで言った。

「当たり前! 今日は俺の誕生日パーティーだから、エビフライもギョウザも俺のもんなんだ」

「うんうん、良かったね。お母さんにたくさん作ってもらいなよ」


 雪菜が亮くんの頭をくしゃくしゃと撫でる。

「ありがと。じゃあ、亮くん、お姉ちゃんとお兄ちゃんを玄関までお見送りしてくれる?」

 玉ねぎを切り始めてしまったお母さんが俺たちの方を見て、「申し訳ないけど……」と付け加えた。

「いえ、全然大丈夫です。亮くんにお見送りしてもらいます」

「いいよ!! 玄関のところまでで良い?」

 その返事に三人が同時に頷いた。

「おっけー、こっちだよ」


 亮くんが小さい手で手招きをしながら廊下に出る。

「ありがと」

「はい、またいつか来ます」

 俺と雪菜はお母さんに挨拶をして、亮くんの後を追う。

「じゃあ、ここまでね」

 亮くんに鍵を開けてもらい、俺と雪菜は外に出た。

「ばいばーい」

「ばいばい。誕生日パーティー楽しんでね」

 俺と雪菜は亮くんに手を振って歩き出す。門の外に出たとろで、俺は駅に向かった。



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