表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
谷中愛ものがたり  作者: 悠鬼由宇
8/8

エピローグ

翌年 四月

霞ヶ関に程近い、ニューパレスホテル 花の間。


農林水産省直轄の新しい事業の発起式が行われている。

「それでは最後に、当研究所の主任研究員に任命されました、東京大学農学部大学院所属の紀野光治より一言申し上げます。紀野さん、お願いします。」

盛大な拍手と共に大きなどよめきが会場を覆う。東大生? 若いな 大臣も思い切ったね、などなど…

龍也は壁にもたれかかり、スポットライトを浴びた紀野を見詰める。

「ただいま紹介にあずかりました 紀野です 今後とも よろしく お願いします。」

それだけ述べるとペコリと頭を下げ、下がってしまった。想定外の短い挨拶に司会の女性も困惑しつつ、

「ええと… 紀野さんはこの若さで我が国を代表するキノコの専門家であります、今後の活躍をご期待くださいませ。それでは皆様にはご歓談していただきたいと存じます…」

パラパラとした拍手をきっかけに、話し声が会場に満ち始める。


「浮かない顔だな、千葉。」

龍也はその声に振り返り、直立不動の体勢で

「お疲れ様です、幕僚長。」

「またしても、お前に救われたよ、この国は。」

「そんな事はありません。」

「お前が、お前たちが守ってくれたんだよ。金芝もこの国も。」

「いえ……」

「六月の結婚式、顔を出すからな。」

「そんな… 自分如きの…」

「黙れ。文句言うなら、大臣も連れていくぞ」

「…幕僚長だけでお願いします。」

「うん、それで良い。楽しみにしているぞ、王神美似の奥様。」

ニヤリと笑い、陸上自衛隊幕僚長の今野は去って行く。

苦笑いしている龍也に香取一等陸佐が近づいていき、

「今野のとっつあん来るのか… 俺欠席しようかな…」

「ハアーー めんどくさ。内輪でひっそりと上げたかったんだけど…」

「そうもいかねえな。まあ覚悟は決めておけよ。おいマッシュに挨拶行こうぜ、紹介しろよ。」

「あそっか、香取さん会ったことないんだよね。」

二人は会場の中央へと歩き出す。


「キミが紀野くんか。農産局長から聞いているよ。大変な博士なんだってね。これからはキミが頼りなんだ、しっかりと頼むよ。」

農林水産大臣が紀野の肩をポンポンと叩き、去って行く。

紀野は自虐的な薄笑いのまま、グラスに入った金芝エキス茶を一気に煽る。

「大臣が直接話しかけるか。大変だな、紀野先生。」

その声にホッとした表情となり、

「千葉さん、来てくれてたんだ。あのさ、今月の月命日なんだけど、良かったら車出してくれないかな…」

「丁度、土曜日か。いいよ、一緒に行こうか。」

「ありがと。えっと、そちらの方は?」

「香取一等陸佐。俺の上司さ。」

香取は右手を差し出し、

「香取です。その節は、ご愁傷さまでした…」

「紀野です。」

紀野の耳元で囁くように、

「しばらくは保護対象下のままです、窮屈でしょうが我慢してください。お願いします。」

「はあ。」

それでは、と言って香取が去って行く。

「千葉さん、」

「何だい?」

「海が、見たいよ…」

行き交うウエイターのお盆の酒が次々と無くなっていき、会場の喧騒は益々大きくなってくる。龍也はそっと会場を離れ、スマホに予定を書き込む。


四月下旬。

龍也の運転する車は渋滞にはまる事なく夕方少し前に恵比須に到着する。

山桜が枯れた山々にポツポツ咲いており、まもなく新緑に覆われる予感を醸し出している。晴れ間があった午前中とは打って変わり、厚い雲に覆われて今にも泣き出しそうな空である。

「不思議なんだよな。月命日の日は必ず天気が悪いんだ。あの日と同じように…」

車を降りながら紀野が呟く。

小さな花束を片手に磯への道を歩きながら、

「今でも後悔してるんだ。千葉さんの忠告をどうして俺は守らなかったんだろうって。」

龍也は歩きながら軽く頷く。

「あの時俺が自重してたら、ハナはあんなことにはならなかったよね?」

「それは、どうかな。人の運命は誰にも分からないよ。」

「どうだろう。」

潮が満ち始めた磯場は、所々潮溜まりが出来始めている。それを避けながら、二人はあの場所に辿り着く。


紀野は目を瞑り、心で話しかける。


ねえハナ

聞いて驚くなよ、農林水産大臣と防衛大臣が俺に話しかけたんだぜ

それだけじゃないぞ

先週、岸多総理と一緒に飯食ったんだ。

俺が中華料理が好きだと知ってさ、銀座の一流店でご馳走になったんだよ

それがめちゃくちゃ美味くって。でもな、

でも麻婆豆腐だけは美味くなかった。

お前の麻婆豆腐程には美味くなかった。

俺は決めたよ、今後お前より美味い麻婆豆腐を作れる子と結婚するって


冷たい突風が吹き、水飛沫が顔にかかった。


じょ、冗談だって… 全く、酷いやつだお前は

当分、ムリだ。いや、一生無理かも知れないな

お前より愛せる女と出会うなんてさ

少なくとも、月を見て自然に涙が出なくなるまでは

女性と向き合うなんて出来ないよ

それより…

この間、千葉さんに聞いて腰抜かしたぜ

お前、本当は二十三歳だったんだって?

俺と同い年だったんだって?

何が十七歳だよ、何がティーンエイジャーだよ!


温かい湿った風が紀野に絡みつく


お前が超一流の工作員だったって知った時よりもずっと驚いたよ

俺はお前を守ろうとあの時ここに来たんだけどな

全部知ってたらここには来なかったかな?

いや。絶対来ただろうな

お前に会いたくて、お前の顔が見たくて

間違いなく来ただろうな。

これ、今月のお土産な

いつも通り、百葉姫が見繕ってくれたんだぜ


小さな花束を海に放り投げる。

懐かしい香辛料の匂いが磯場に漂う気がする。


行きたかったな、お前とディズニーランド


辺りはすっかり暗くなる

厚い雲の切れ間から、月が顔をのぞかせる。


ああ、今日も、そしてこれからもずっと……

頬に涙がこぼれ落ちる。

「月が綺麗だよ」

紀野の叫びが磯場に響き渡った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ