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谷中愛ものがたり  作者: 悠鬼由宇
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第六章

「なぁーんか。面白くなってきたかもぉー」

船橋絵梨花がパソコンの画面を見ながら嬉しそうに呟く。

「なんの話だ?」

「五匹のパンダさんがぁ、関東に入ってきたかもぉー」

龍也と香取一佐が船橋の机に身を乗り出す。

「確かか?」

「そぅでーす。」

「確か、先月まで十五匹だった筈では?」

「十匹は絵梨花がサツ(警察)を使ってぇ駆逐しましたよぉー」

よくやった。そう呟きながら龍也は絵梨花の髪をグシャグシャにする。

香取が思い出したように、

「そうだ。ハナの身元が判明したぞ。ちょっと表に出るか。」

「ハイ。」

「私もぉー、」

「お前は引き続き五匹のモニターだ。絶対見失うなよ。」

「ぅえーー うっざー」

それでも龍也が頭を優しくポンポンしてやると、

「ふぇえーーー きゅん。」

何だかよく分からない生き物である。


「結局、お前の推定通り、林華花は聶隠娘の構成員だった。それも、相当やり手の。」

そうであろう。あの身のこなし、言動からして、よく訓練された諜報員なのは間違いない。

「去年までは梁派の党員を消しまくっていたらしい。梁派から『狂毒花』と呼ばれ恐れられているそうだ。」

毒、か。そう言えば妙に野草に詳しかった気がする。

「悪いことに、梁派は林が金芝の保護に従事していることを掴んだらしい。」

「と言うことは、林もターゲットにされる、と?」

「間違いないな。去年の浙江省の市長暗殺は、林の仕業とのことだ。」

昨年、梁派の大物である浙江省市長の汪彬が病死した。だが実際には毒殺されたと噂されていたのだ。

梁派にとっては目の上のたんこぶどころか、抹殺リストの上位に値するであろう。

「それで、ウチは林の保護も?」

「それは、しない方針になった。言ってみれば内輪揉めだからな。下手に手出すと後がややこしくなる。」

「そうですか。」

「それでだ。金芝の収穫は予定通り、来年の二月頃なのか?」

「少し早まりそうです、上手くいけば年内に。」

「分かった。それまで見つからなければいいのだが。絵梨花の話ではそうもいきそうにないだろう。」

「ですね。早ければ九月末には…」

「ああ。そろそろ江田島と習志野に、」

「了解です。伝えておきます。」

「頼む。」


「それと、もう一つあるんだ。」

「なんでしょう?」

香取が二本目のiQOSを吸いながら、渋い顔で

「マッシュが、飯店に入り浸っている。」

「何ですって?」

「バイトに雇え、と田村に訴えているらしい。お前、心当たりあるか?」

「…探ってみます。ちょっと時間をください。」

「分かった。今、あんなところをうろちょろされると、マッシュはー」

「はい、分かってます。格好の餌食になっちまいます、香取さん、自分は今日これで上がります。」

「よし。頼んだぞ。」

「はい。」

龍也は全くの想定外の出来事に頭をフル回転させる。

一体紀野に何があったのだろう、よっぽどあの店の飯が気に入った? そんな程度で入り浸るとは思えない。きっと何か俺が見落としているものがある筈…

龍也は急に立ち止まり、第二スマホを取り出し、信太に電話をかける。

「おう。どうした?」

「ハナちゃんの様子、どうだい?」

「普通だ。ただ、」

「ただ?」

「最近しみったれた様子を見せることが多々ある。」

「それって、まさか?」

「その、まさか、だ。」

「嘘だろ? あの男と…」

「な。やっぱ似合いだって言ったの、当たってたわ。」

龍也は電話を切り、その場にうずくまってしまう。


JR御徒町駅 午後四時五十分。

昭和通りへ抜ける改札で龍也は紀野を発見した。

驚いたことに、髪型がすっかり今風の若者のそれとなっており、衣服もそれとなく以前とは異なっている。ダブダブのTシャツにカーゴパンツ。足元は流行りのサンダルときたものだ。

「あの、紀野、くん…」

龍也が恐る恐る声をかけると、

「千葉氏。こんな所で邂逅するとは… そうだ、この先に安くて美味い店があるので、一杯いかがですか?」

「あー、えーと… ちょっと話があるのだが。そこの喫茶店に行かないか?」

紀野は不思議そうな顔をしつつも、龍也の言葉に軽く頷く。

昔ながらの古くて汚い喫茶店の奥の席に座り、ブレンドを二つ注文する。

「して、話とは?」

「キミ、御徒町飯店によく出入りしているようだね?」

紀野は怪訝な顔で、

「何故それを?」

一体どこまで話せばよいか。市ヶ谷からずっとそれを考えてきた。それ程社交的でない、いや殆ど他人と関わりを保とうとしない彼に、どこまで本当の事を…

「キミが今育てている金芝についてなんだ。今キミの認識では、これは誰からの依頼と?」

「それは勿論、田村さんですよ。四川の田舎から送られてきたと言う…」

龍也はきつく目を瞑り、

「その話なのだが。キミに事実を伝えようと思う。」

「はあ。」

「あの田村という女性は、実は中国のある諜報組織のリーダーなんだ。」

紀野は無表情のまま、首を傾げる。

「その組織は北京の周金兵主席一派、即ち主流派と繋がっており、金芝もその意向を汲んで田村が栽培先を探していたんだ。」

「……」

「ところが、反主流派、すなわち梁国綺首相率いる一派がこの金芝を狙っているという情報が入った。」

「それは、中国共産党内の派閥争いという訳ですかね?」

「その通り。」

「ふぅむ。やはり金芝の呆れるほどの薬効がその火種になったのかな。」

「薬効?」

「ええ。現在流通している霊芝、それも最高級品と言われている鹿角霊芝の約十倍の効能が期待されます。特にβDグルカンの含有量が従来品の十倍程です。この成分はナチュラルキラー細胞やマクロファージなどの免疫細胞を活性化させ、T N FαやI L10などのサイトカインの生成を促すのです。即ち、この金芝の成分には途轍もない自己免疫力増強作用が認められるのです。」

「は、はあ…」

「マウス実験はこれからですが。これはコロナ特効薬どころか、各種悪性腫瘍、即ちがん細胞にも効果があると予想しています。もしこの金芝の大量生産化が進むなら、全世界の免疫医療の概念を覆す程のインパクトが予想されますね。」

「な、なんと…」

「千葉氏の話から推察するに、この金芝の量産化を巡った中国共産党内の争い、と考えてよろしいか?」

「全くもって、その通りかと…」

「ところで。千葉氏、貴方は一体誰なのですか? 俺が聞いているのは竹岡百葉姫の保護者、かつ官公庁の方としか…」

龍也は頷きながら身分証と名刺を差し出す。

「……防衛省… ですと?」

初めて紀野の表情が動く。


龍也が端的に事情を説明すると、

「成る程。ではこの金芝の育成プログラムは、実は我が国の万全な保護下で進められてきた、と。あの小畑氏も元自衛官、成る程成る程。ただの農家にしては些か有能過ぎると愚慮してましたが。む? すると、ハナも…」

龍也は迷いに迷ったが、

「いいや。彼女は単なる出稼ぎの農家の娘だよ。どうみたって諜報員には思えないだろう?」

「そうですね。あの鈍臭さ、物覚えの悪さ、泳ぎ一つまともに出来ない身体能力。アイツが諜報員である筈は無かろう。」

と勝手に納得してくれたので助かったが。それにしても、おいお前、ハナのどこを見ていたんだ… 田舎の農家の娘がこんな短期間で日本語をあんなに上手く話せるか? あんな細くて小さな娘がシンタさんと猪を狩れると思うか?

「という事なのだ。だから、今後キミは御徒町飯店に近づかない方がいい。反主流派に目を付けられたら、大変なことになるかも知れないからな。」

だが龍也は『恋は盲目』という言葉を知らなかった。

「それなら。俺がハナを守ってやらなきゃ。反主流派の魔の手にかかって誘拐されたら大変だし。」

いやいやいや。キミなんか彼女の手に掛かればゼロコンマで即死できるぞ。

「それにいざとなれば警察に通報すれば…」

「警察は奴らの動きに対して、一切関与出来ない。ハナが拉致されても、それを救うことは出来ない。」

「何故?」

「国家絡みの案件だからだ。同様にキミが奴らに攻撃を受けても、警察は守ってくれない。」

ここに至り、ようやくことの重大さが紀野に分かってきた。

「キミを守るのは我々自衛隊の諜報組織と特殊部隊なのだ。だから今後は軽率な行動を控えて欲しい。特に反主流派の目につくような行動、即ちー」

「あの店に出入りするな、ですか。」

「そうだ。奴らがキミを拉致したら、殺してバラバラにするか本国に連れ帰って洗脳教育を受けさせるか、どっちかだ。」

目の前の冷めたブレンドよりも冷たい汗が紀野の背中を伝い流れる。

「キミから一生自由を奪い、党のため反主流派のために死ぬまでこき使われるだろう。」

そんなの受け入れられない、恐ろしい、恐ろし過ぎる…

「去年、優秀な早大生が留学と女で自由を奪われ、一生日本に帰国出来なくなったよ。日本の優秀な若者は狙われやすいんだ。」

嫌だ、自由を奪われるなんて有り得ない。好きな研究が出来なくなるなんて耐え難い。それ以上に、好きになった女子に会えなくなるなんて…

「理解、してもらえたかな?」

「はい。以後気をつけます。」

冷めたコーヒーを一気に啜る紀野であった。


     *     *     *     *     *     *


紀野と別れた後。

龍也は一人、御徒町駅の南側に軒を連ねる宝飾街にある一軒の店に入る。

「いらっしゃい。ああ、真琴ちゃんと一緒に来た。」

「今晩は。指輪が出来上がったと連絡をもらいました。」

ふくよかな五十台後半と思しき店主が満面の笑みで、

「クイーンの紹介ですから。いい加減な仕事したらこの店潰されちゃいます。」

そう言い残して奥に入っていく。

従業員の若い女性に冷たいお茶をいただき、それを啜っていると、

「さあこれです。上手く出来たと自賛しています。」

そう言いながら小さな指輪ケースを差し出した。

ちょっと緊張しながら龍也がそれを開けてみると。

「ああ、これは!」

注文通り、決して高品質ではないが、小粒のダイヤが散りばめられた優しいデザインである。

龍也が息を呑みその指輪を眺めていると、

「千葉さん、どうして婚約指輪や結婚指輪って左手の薬指にするかご存じですか?」

「いいえ。」

「古代エジプトでは、左手の薬指に愛のパワーが流れていると信じられていたからなんですよ。」

「それは初耳です、知りませんでした。」

店主が穏やかに微笑みながら、

「世界に一つだけの指輪です。相手の方とどうぞ末長くお幸せに。」

龍也は満面の笑みで頷いた。


龍也が自宅に帰ると、誰もいなかった。羊は個人塾で百葉は友人と食事会なのである。それでも間も無く羊は腹を空かせて戻ってくるだろう、百葉が作り置きしてくれていた冷蔵庫のグラタンを電子レンジで温め、一人それをつつく。

食べ終わる頃に案の定羊が

「ただいま腹減ったぁー」

と言ってキッチンに入ってくる。

「おかえり。どうだ塾は?」

「まあまあ。」

「行けそうか? 筑駒?」

「まあね。それより、ももっちの合格発表、いつだっけ?」

「明後日じゃないか?」

「そっかぁー、合格してっかなぁ。ももっち頑張ってたもんなー」

「大丈夫だろ、きっと。」

羊はニヤリと笑いながら、

「ふぅーん、信じきってるんだ。」

「まあな。」

「なんか既に結果を知っているような顔つきなんですが?」

「馬鹿言うな。そんな術は何処にもない。」

「怪しぃー。船橋絵梨花当たりがさ、チャチャっとハッキングして結果知ってんじゃね?」

「そこまで有能ではない。」

それ以上に有能なのだが。

「まあいいや。そんで?」

「は?」

「もし合格してたら? 父さんどうすんの?」

「どうするとは?」

「ももっちとのこと。」

初めて父の表情が微動する。

「べ、別に。これまで通りに…」

「これまで通りに無償で家政婦、させるの?」

「いや、それは…」

「東大法学部卒の、司法修習生に、家事手伝い続けさせるの?」

「だから、それは…」

羊はかつてない鋭い視線で

「父さん。」

「はい。」

「誤魔化さないでちゃんと答えて。貴方は竹岡百葉と今後どんな関係でいるつもりなのですか!」

龍也の額に一筋の汗が流れる。


羊の沈黙が続き、龍也は大きく息を吐き出す。

鞄から指輪ケースを取り出すと羊は大きく目を開き息を詰まらせる。

「それって……」

龍也は優しく微笑みながら羊に軽く頷く。


はあー やっとですよ。

やっとですよ、お母さん

この脳筋堅物男が、やっと決心したようです

今後の人生を決めたようです

長かったな

長かったよ

ずっと欲しかったお母さん

目の前にいるのに、お母さんって呼べなかった

正直胸の中にいるお母さんだけじゃ

寂しくて寂しくてしょうがなかったんだ

ギュッと抱きしめて温かさをくれるお母さんが

幸せの匂いを胸一杯に嗅がせてくれるお母さんが

ずっと欲しかったの

それとね、

ロンが心から愛しているお母さんが

本当に欲しかったんだよ

いいよねお母さん

あの人がお母さんになっても

いいよねお父さん

ロンに素敵な奥さんができても

ずっとずっと

見守ってあげてね

ついでに私の未来も将来も

見守り続けてね


羊の瞳から、本当に久しぶりに大粒の涙がこぼれ落ちるのを龍也は眺めている。

これで、良かったんだ。

そし てこれか ら。俺、た ち ……

頬に熱い涙が滴り落ちるのを感じた時、羊が号泣しながら龍也の胸に飛び込んでくる。優しくそして強く愛する娘を抱きしめる。

龍也が羊を引き取って五年。父娘が抱き合いながら号泣するのは初めてであった。


小一時間後。

「で? 合格だったの?」

「知らない。わかる訳がない。」

「はいはい。」

と羊が呆れ果てていた頃。

高校時代の親友であるえりな、萌、愛美と食事をしていた百葉は、二日後に迫った合格発表への緊張感に耐えきれず、食べたものを全て嘔吐していたものだった。


     *     *     *     *     *     *


龍也から聞かされた事実を受け止めた後。

紀野は恵比須訪問を当初の予定の月一ではなく、週一に変更した。

金曜日の研究を終えた後、そのまま品川に向かい京急線で三崎口駅に向かう。日曜日の夕食後、恵比須を立ち学生寮に深夜に到着し、翌月曜日からは研究生活に戻る。

平日の研究室では教授の研究を手伝う傍ら、金芝の成分解析や薬効検査に追われ、非常に忙しい充実した日々を送っている。

ある週末、金曜日の夜。

いつもの様に紀野を駅まで迎えに来ている信太は見慣れない人物が駅周辺に数名いるのを察知し、そのうちの最も目立たない男に歩み寄りさりげなく話しかける。

「パンダの動きは?」

スマホを操作するふりをしながらその男が、

「近く、この辺りに。」

「分かった。」

改札から疲れ切った紀野が現れる。その周囲には数名の監視者がいるのを確認する。

紀野に近付きながら、

「毎週毎週、ご苦労なことだ。」

「好きでやってることだから。」

そう言うと慣れた様子で信太のRVの助手席に乗り込む。


「遅かったなキノコ。お腹はどうだ? 雑炊でも食べるのか?」

ぶっきらぼうに、でもやや頬を赤らめながらハナが言うと、

「ああ、頼むわ。ああ、それと、これ。」

鞄から包みを取り出し、ハナにスッと差し出す。

「何だいこれ?」

「ハンドクリーム。」

「?」

护手霜ハンドクリーム

ハナは受け取りながら首を傾げ、

「どうしたんだ、頼んでないぞ。」

「まあ、土産だよ土産。」

「ふぅん。謝謝。」

その意味もよく分からず受け取るハナ。雑炊をチャチャっと作り、自分の部屋に戻り考える。これは私の手が汚いから手入れをしろ、と言うことなのか。きっとそうに違いない。なんておせっかいな奴だ、それにムカつく。

そう思いながら、破顔しつつ早速手にクリームを塗ってみる。良い香りだ、さすが日本製だ。それにしても…

こんなことをされては、女子は勘違いしてしまうぞ。キノコ野郎には一生分かるまいが。

まあ、それでも良い。奴は私が守る。パンダなぞにきのこ狩りされてたまるものか。

両手を頬に当て、唇に当ててみる。

あの愛しいキノコ野郎は、この手で守ってみせる。

決意を新たにし、ハナは駅の近くのワークマンで買ったナイフの手入れを始めた。


翌朝。

七時前に紀野がリビングに顔を出すと、

「タツ達が午後から遊びに来るってよ。」

信太がテレビのニュースを眺めながらボソッと呟く。

「あの子が、司法試験に合格したんだとさ。」

おおおおおお! 

女神様が、更なる高みへと……

「凄いじゃないですか。今夜はお祝いしないとね。」

「そうだな。これから山に猪獲りに行くかな。お前も行くか?」

紀野は苦笑いをし、

「ご冗談を。遠慮しとくよ。」

「そっか。じゃあハナでも連れてくか。」

信太が山に猟に行く時、よくハナが連れて行かれることを知っている。

「あの。足手纏いにならないの? アイツこんな小さいし、ひ弱だし。」

右手を胸の辺りに差しながら言うと、

「お前より遥かに役立つ。」

そんな訳ないじゃん、そうふくれっ面をしながら、ハナの用意した朝ご飯に鼻を鳴らす。


伝説の鬼熊。

幾度か猪狩りを手伝わされ、その名が伊達でないことをハナは存分に知らされている。

疲れを知らない歩み。気配を消した完璧な身のこなし、そして。正確無比な銃撃。これまで四回帯同したが、どれもたったの一撃で猪の額にドス黒い孔を開けている。

こんな男が相手では、普通の軍事訓練を受けた程度の兵隊では決して太刀打ち出来ない。我々、必殺の暗殺集団である聶隠娘でさえ、倒すには相当手を焼くであろう。

先週。

畑仕事を終えた後。一人流れる雲を眺めていると。

「来い。」

と言って信太が格闘戦の構えを見せた。周囲には誰もおらず、久しぶりに汗を流すかと立ち上がり、三分ほど相手をしてやった。

錆びついた動きではあったが、それなりに鋭く力強い格闘術に内心感嘆していると、

「さ、流石だな。素手じゃ、敵わねえ、か。」

畦道に倒れ込みながら息を切らせつつニヤリと笑う信太に、

「シンタも中々だ。那是一只恶魔熊(さすが鬼熊だな)」

と微笑み返した。

そんなことを思い出しつつ、山の中腹まで行くと、ただならぬ殺気を感じ、ハナは大きな木の陰に素早く身を隠す。

信太は不敵に笑いながら、

「おう、流石だな。感じたか。」

「お前の仲間か?」

「ああ。昔の戦友って奴だ。」

……と言うことは、あの魚釣島で我が民兵を壊滅させた…?

「シンタちゃん、久しぶりだな。」

完全に木々の緑に同化した姿で、完全武装した男が音もなく二人の前に現れる。

「千倉…」

十一年ぶりの邂逅に信太は声を失う。

二人は歩み寄り、力強く抱き合い、背中を叩き合う。

「相変わらず、熊だな、小畑小隊長。昔と全然変わってねえや。」

「アンタはちょっと老けたな。苦労してんのか?」

「教育ローンで首が締まりそうだぜ。」

「そんなの踏み倒しちまえよ。」

「娘が泣くわ。しねえよ。」

そんな二人を呆然と眺めるハナである。


「そうか。この子が、あの聶隠娘… 現物は初めて見たよ。」

ハナが千倉一等陸佐を一睨みする。こいつが魚釣島の副隊長… ハナは彼から硝煙の匂いを嗅ぎ取り、

「もう、出たのか?」

千倉はニヤリと笑い、

「二匹、出た。」

「始末は?」

「とうに終わっている。」

「どんな相手だった?」

「うーん、特殊部隊ではなさそうだ。それなりに訓練は積んでたみたいだが。こっちに一瞬も気づかなかったよ。」

それは当然だ。我が人民解放軍及び人民武装警察が最も恐れている『特戦群』相手に敵う奴がいる筈がないだろう、我々以外には。

「あと三匹がもうすぐ来るらしいが、まあ問題ない。しかし、だ。」

信太が硬い表情になる。

「来月辺り、予備パンダが増派されるらしい。」

まあ、そうなるだろうと信太が頷くと、

「でも来月からは、江田島が合流するから。」

海上自衛隊が誇る特殊部隊。魚釣島でも活躍したあの…

「どうして日本はそこまでするのだ?」

ハナがたまりかねて二人に問う。

「あんなキノコ如きに、どうして日本はすごい軍隊を出すのだ?」

千倉は首を傾げ信太に視線を送る。信太が頷き、

「お前、あの霊芝についてどこまで知っている?」

あれは支部長に絶対守れと言われただけで。単に金になる珍しいキノコなのではないのか? コロナ禍以来、支部長は金策に悩んでいたからその…

「あの霊芝は。コロナだけでなく、ガンにも効くそうだ。」

「何だって? そんなにすごい高価があるのか?」

「効果、な。だから、周派にとっては外交的にもとても貴重なものだし、梁派にとっては目の上のたんこぶなんだよ。」

目の上のたんこぶ? 右目の上にたんこぶが出来たことを想像し、ハナは納得する。邪魔で仕方ない、そんな物が出来たら。

「日本語、そんなに分かるのか? 流石、エリート中のエリートだな、見た目は地味で野暮ったいけど。」

野暮ったい。それ即ち不細工である、曰くブスであると。

目に見えぬ動きで千倉の喉元に鋭いナイフが触れている。その先端は茶色く汚れており、明らかに即効性の毒が塗られているようだ。

「参った! 降参! 投降(降参だ)!」

信太は改めて、この娘が味方で良かったと胸を撫で下ろしたものだった。


     *     *     *     *     *     *


「ももっち! シホー試験合格、おめでとぉーー パチパチパチパチ!」

龍也の車から降りてきた百葉に、京がその偉大さに全く気付かずに祝福する。

「京ちゃん。しほうしけんの合かくりつはわずかすう%。こう見えてこの人は、世だい有すうのずのうのもちぬしとみとめざるをえないのですよ。このどんくさいかっこうの女が、です。」

明の毒舌も、最早最上の祝賀にしか聞こえない百葉は明を抱きしめて、

「ありがとね。ありがとう。」

そうは言いつつも綺麗なおねいさんに抱きしめられ、ちょっとだけ嬉しい明なのである。

鳥山琴音が感心した風に、

「司法試験に現役大学生で合格なんて。ウチの子達よりずっと優秀じゃない。見直したわ貴女。ところで彼とはすっかり快楽にはまっているのかしら?」

流石の浮かれポンチもサッと顔を赤くして、

「そ、そんなこと、ないですからっ」

一瞬でも龍也の大胸筋を妄想してしまった百葉は恥ずかしさの余り、小畑の家に駆け出してしまった。


「おう貴様。合格おめでとう。」

珍しく信太が笑みを見せながら百葉を睨みつける。

「ひゃっ あ、ありがとう、ごじゃります。」

思わず噛んでしまった百葉を更に睨みつけながら、視線を一瞬下に向け、

「まだ、か。」

と呟くと、猪の解体を再開したものだった。

その横で、紀野が視線を裏山に向けながら、

「ご、ご、合格、おめで、とう。」

と何とか吐き出す。

「紀野さん。どうもありがとうございます。横山先輩も喜んでくれました。今度谷中で祝賀会しようって。紀野さんも是非来てくださいね。」

「ひゃい!」

その横でハナが疑問形な表情で、

「そのシホウシケンとは?」

「律师考试(司法試験だ)」

「律师! お前、律师になるのか? 金持ちになるんだな。そうか。お前…」

「え? なぁに?」

「頭が良かったのだな。鈍臭い田舎娘と思っていた。」

お、おま、おまえが言う?

しかしこれ以降、百葉に対し無関心もしくは若干見下した態度をとってきたハナは、人間の無限の可能性というものを百葉の中に見出し、よく絡むようになったものだった。


「で? 父さん、いつその指輪渡すの?」

「…お、おお。」

「いい加減、覚悟決めなよ。で?」

龍也は額に汗を滲ませ、

「家に、帰るまでに、は…」

羊は大きく溜息を吐きながら、

「仕方ないなぁ。私、手伝ってあげるから、今から渡しなよ。」

「へ?」

「もうすぐ夕方じゃん。夕焼けの海見ながらさ、決めちゃいなよ!」

「ゴクリ。でも、どうやって…」

「私が夕焼けの海見たいって言うじゃん、三人で海行くじゃん、私用事あるって村に戻るじゃん、その間に決めちゃいな!」

龍也は一世一代に決心を迫られる。確かに、夕焼けの海は美しい。それに乗じて指輪を渡し想いを告げる。悪くない、いやこれしか無い! 流石我が娘、拓也とシェンメイの娘だ。

「その線で、行こう。よろしく頼む…」

羊は目を細め、

「ん。じゃ、後でね。」

「おう。後で。」

それから時間までの間、何十回も心の中でイメージトレーニングに励む龍也である。


「うわぁ、やっぱり夕方の海は綺麗だね。気持ちいいねぇ!」

ショートボブの髪を靡かせながら、百葉が沈みゆく夕陽とオレンジ色に染まる黄昏の海をうっとりとした表情で眺めている。

その横で、生まれてから最も緊張している龍也が橙色の夕陽に照らされながら立ちすくしている。

うーーむ、大丈夫かな… 父を軽く突き視線を送ると、顎を震わせながら何とか父は軽く頷く。

まぁ、後はなるようになるだろう。最近熟読している恋愛物のラノベにより、告白成功率が最も高いのが夕焼けを眺めながら、とのデータを導き出している。

後はお天道様に任せよう。太陽の神ソルスにお任せしよう。

「あぁー、京ちゃんに頼まれてたこと忘れてたぁー、私先に戻ってるからねー」

「え? 私も手伝おうか?」

「結構です。断じてお断りしますので!」

「はあ…」

「二人でゆっくり夕陽でも眺めてなよ、じゃあねぇー」

「気を付けてねー」

ふぅ。何とか抜け出せたよ。後は、頼んだぞ父さん。頑張れよ、ロン!

祈るような気持ちで羊は二人を後にしたものだった。


二人きりになった龍也は昔の特殊部隊の頃を思い出し、気持ちを落ち着かせるためのマインドコントロールを開始する。

大きく深呼吸。目を細め、水平線をぼんやりと眺める。深呼吸。肩の力を抜く。頭上に降りてきた糸に引っ張られるイメージを。背筋を伸ばし、深呼吸。

肺に新鮮な湿った潮風を導き入れる。そこから酸素を抽出し全身に血液と共に巡らせる。身体中に精気がみなぎる。大きく深呼吸。そして、脱力…

よし。マインドグリーン。正常に戻った。

ふと視線を感じ百葉に振り向くと、呆気に取られた顔で、

「あの、どうかしました?」

夕陽に照らされた神々しい顔で百葉が呟く。その姿に龍也の心拍数は無情にも再び上昇し始め、マインドオレンジに戻ってしまう。


そんな龍也の気苦労も知らず、百葉は夕焼けの海に目を向ける。

左前方には横浜湾。正面から右は東京湾、そして右方は城ヶ崎を含んだ相模湾。顔に当たる潮風が堪らなく心地良い。沈みつつある夕陽が水面に反射し、風に揺られ橙色のトビウオが跳ねているようだ。

そして、隣には。

愛する人。

「気持ち、良いですよね。私、夕方の海、大好きです。」

自然と口に出た言葉。本当は、

私、龍也さんが、大好きです。

と言いたかったのだが。それは流石に烏滸がましいというか、図々しいというか。

不意に龍也が、

「あ、あの、百葉ちゃん、改めて、合格、おめでとう。」

「あは、その言葉昨日たっぷりいただきましたけど。でも、ありがとうございます。」

よし、今だ。この流れで、一気に指輪を渡し、想いを告げよう!

左ポケットに入っている指輪ケースを握りしめる。

今こそ、勇気を持って!


ポケットからケースを取り出そうとした、その瞬間。

昔、聞き慣れたポンポンポンと言う連続した小さな機械音が龍也の耳に入る。

条件反射で龍也はその音に背を向け百葉を抱き締める。

この音は、間違いない、特殊部隊の装備しているサブマシンガン5.56ミリM I N I M Iの音だ!

パンダが、侵入している?

龍也は周囲を見渡し、集落に向かう山中にその気配を察知する。

同時に、背筋に冷水がかかった感覚になり…

羊が、危ない!

「百葉ちゃん、ここを動くな!」

急に抱きすくめられ石化していた百葉は、龍也のかつて見たことのない鋭い表情に甘い気分が吹き飛び、大きく一回頷く。

同時に、龍也は物凄い勢いで集落への道へ走り出す。

呆然と見送る百葉に、夕暮れを告げる冷たい海風が纏わりつく。


焦る気持ちを何とか自制し、龍也は走りながら山肌と集落への細い道に何度も鋭い視線を送る。山がざわついている、どうやら獲物は健在らしい。

集落への細い砂利道の路上で二人の人間を視認する。

男、身長175センチ、右手にナイフ

女、身長140センチ、男に掴まれナイフが喉元に

龍也は走るのをやめ、ゆっくりと二人に近づく。男は相当怯えた様子でこちらを見ている。

「その子を放しなさい。」

男が叫ぶ

「不要再靠近了!(これ以上近づくな)」

龍也は必要以上に大袈裟な手振りで、

「明白了、明白了(わかった、わかった)」

男はギョッとして、

「你懂中文吗?(お前、中国語が分かるのか?)」

一点点ちょっとだけ

喉元にナイフを突きつけられた羊は無表情で龍也を見つめる。下手に騒げば己の命が危険であることを察知しているかの如く。

右手の山奥に味方の気配を感じる。このまま時間を作ろう、龍也は両手を掲げ、

「我没有武器。你会放了那孩子吗?(私は武器を持っていません。その子を放してくれませんか?)」

男は小刻みに首を振り、

「不能这样做(それは出来ない)」

龍也はその場にしゃがみ込み、両手を上に上げ、

「请。 请帮助(お願いです、助けてください)」

と大袈裟に言い放つ。

男は龍也をじっと見つめ、キョロキョロと目だけ動かし、

「杀了这个女孩,杀了你(この子を殺し、お前も殺す)」

そう言って、ナイフを握りしめたその瞬間。

ダンッ

一発の銃声が山から聞こえてきたと同時に、男の頭部が吹き飛んだ。

ほぼ同時に龍也が立ち上がり、羊を確保する。

男の体はゆっくりと砂利道に倒れ込む。

頭から男の血を被った羊をしっかりと抱きしめ、

「大丈夫か?」

羊は虚な目で龍也を眺めるだけだった。


     *     *     *     *     *     *


日も暮れかけてもはや真っ暗な砂利道の脇から、完全武装した男が二人音もなく現れる。

「タツ、大丈夫だったか?」

「お疲れさまです、千倉さん。俺も、この子も何とか。」

「間に合ってよかった。よく時間稼ぎしてくれた。」

「ええ。これが最後の一匹ですね?」

「そうだ。逃げ足の速い奴で。危うく逃すところだった。」

集落の方から、信太とハナが小走りでやってくる。

血塗れの羊を見て一瞬ハッとなったが、頭部が吹き飛んだ男の骸を一眼見て、

「その子は無事だな。京の家で風呂に入れよう。」

「迷惑じゃないのか?」

「アイツは血生臭いことに慣れてるからな。タツ、連れて行け。」

「分かった。海に百葉ちゃんが一人でいる。保護してくれ。」

「分かった。ハナ、迎えに行ってくれ。俺はコイツらとこの残骸を処分するから。」

「分かった。」

ハナは海に小走りで向かい、龍也は羊を抱え上げ磯部の家に歩いて行く。


「大丈夫か、怪我はないな?」

羊は呆然としたまま身動き一つしない。

しっかりと羊を抱き抱え、磯部の家に急ぐ。羊は全身の力が抜け、しっかり抱えていないと落っことしてしまいそうなくらい脱力状態だ。

途轍もない衝撃を受けたのだ!

いきなりナイフを持った男に拉致されて。喉元にナイフを突きつけられて。そしてその男の頭が吹き飛び、血と脳漿を頭にかぶり…

目は虚で口は半開きのままの羊を抱きしめる。

龍也は唇を噛み締め、こんな幼な子を巻き込んでしまった後悔に己を責めていた。


すまん、拓海、シェンメイ

羊を巻き込んじまった、それもとんでもない経験をさせちまった

どうやら怪我ひとつなさそうだが、心に大きな傷を負ったことだろう

頼む、この子を見守ってくれ、俺はいいから

この子だけは、しっかり見守ってくれ

でないと、この子の心はぶっ壊れてs―


「あぁああーーーーーーー、ビビったぁーーーーー」

磯部の家がすっかり薄暗くなった集落に浮かび上がってきた時。徐に羊が叫び出す。

「死ぬかと思ったわぁーー、いやぁ、参った参った。」

龍也は呆然とし、羊と向き合って

「羊、お前、大丈夫か?」

「父さん。娘的にはさ、格好よく父さんに助けてもらいたかったんですが。」

「…お、おお。」

「あと、父親の必死の土下座と命乞いは、あんま見たくなかったなぁ。笑えたけど。」

「…そ、そうか、そうだな…」

「あと、早く風呂に入りたいかも。なんか頭がネチョネチョしてキモい。」

「そうだな、急いで風呂だ、その通りだ。」

「じゃあさ、一緒に入って頭洗い流してね。」

「そうだな、それが…… はあ? 一緒に風呂だぁ?」

「何か? まさかついさっきナイフを突きつけられ頭吹っ飛んだ男の脳漿を被った娘に一人で風呂に入れと? 鬼ですか? 鬼ですね?」


はは、ははは…

シェンメイ、さすがお前の娘だよ

誰もが驚き気を失うような状況じゃん

でもお前の娘ときたら…

どんだけ母親譲りなんだよ、

拓海が隣で泣いてるぞ

それでも本当にさ、

お前の娘で良かったよ。


京は羊の姿を一眼見て、

「怪我は無かったみたいだね。良かった良かった。さ、こっちの水道でサッと洗い流そっか。こっちおいでぇー」

信太が血生臭さに慣れているとは言っていたが…

龍也が呆然と京を眺めていると、

「アレだろ? みんなには黙っとけ、だろ。オッケーオッケーオッケー牧場ってか。テヘペロ」

そう言いつつ、手際よく羊の頭部を洗い流し、

「風呂沸いてるよ。千葉っち、よぉーく洗ってやり。」

流石信太の愛弟子。羊もこんな風な女子に成長するのかな、まぁそれも悪くない。そう思いながら磯部の家に入り、脱衣所で服を脱ぎ羊と風呂場に入った。

「えへへ、いつ以来かな、ロンと風呂入るの。」

「さあ、どうだろう。」

「どお、おっぱい大きくなったでしょ?」

「いや全然。」

「っくー… 希空なんか既にBカップなんだけどなぁ。あーそうそう、ももっちのおっぱい見たことある?」

「ねえよ。」

「ああ見えてさ、結構デカいんだわ。それに、綺麗な形しててさ、それに乳首もチョンとしてて可愛らしくて。」

「よせ、やめろ。頼む。」

「ぷっぷっぷ。まさか、想像してボッキしちゃったぁ? あいたっ 叩くことないじゃん、さっきあんな酷い目にあった娘に。酷すぎ!」

「そーだ、そーだ。なんて酷い父親だぁー」

はあ?

ギョッとして振り返ると。

「おおぉー、京ちゃんじゃないですか。これまた見事なお身体で。ウケるー」

龍也は慌てて京に背を向け、

「な、なんでキミが入ってくるんだ、しかも全裸なのか?」

「そりゃあ風呂入る時は全裸っしょ。」

十八歳の女性と初めて入浴した龍也は未だ事態を把握出来ず、手は震え声は上擦り身動きできない状態のままだ。

「さっきはお疲れさん。背中流したげるよ、頑張ったご褒美に。」

「頑張った?」

本当に京がシャワーを龍也の背中にかけながら、

「そ。頑張って娘の命、救ったじゃん。」

「あはは、父さん頑張った、えらいえらい。」

意外に上手に背中をスポンジで洗ってもらい、龍也はフッと微笑む。

「この背中。シンタとおんなじ。あちこちキズだらけ。大切なものをさ、命懸けで守ってきたんだね。シンタも千葉っちも。」

そう言えば、背中を流してもらうなんて、施設にいた頃以来じゃないのか。余りの心地よさにようやく羊を守れた充足感を味わえる龍也であった。


     *     *     *     *     *     *


竹岡百葉は指示行動に慣れている。

そして彼女は千葉龍也を心から信頼している。

よって、彼女は微動だにせず、一人暮れゆく夕陽をいつまでも眺め続けている。

ああ、驚いた。

いきなり抱きしめられて、心臓が止まるかと思ったよ…

まさか、合格のご褒美に抱きしめてくれたとか?

嬉しいけど、できればもう一息!

なんて能天気な事を妄想していると、後ろから足音が聞こえてくる。それでも微動だにせず海を眺めていると、

「モモ。こんな所で何をしてるのだ。」

ハナが百葉の横に立ち、海を眺め始める。

「海を見てたんだよ。さっきまでは千葉さんもいたのだけど。急に走って行ってしまって。」

「そうか。それにしても。この海は、本当に綺麗だな。」

「だよね。私この眺め、大好きかも。」

「私もだ。」

しばらく黙って二人は水平線に沈んでいく太陽を眺め続けた。

「お前、千葉が好きか?」

ポツリとハナが呟く。

「うん。大好き。」

「そっか。」

「ハナちゃんは、紀野さんが好き?」

ハナは突如動揺し、

「えなんでどうして?」

百葉はクスリと笑いながら、

「だって、見てたら分かるよ。それに、紀野さんもハナちゃんのこと、好きだよきっと。」

ハナは百葉の両肩を握り、その力が余りに強く百葉は顔を顰める。

「本当か? それは。嘘じゃないだろうな?」

「ちょ、痛いよ、え? 本当だよ。だって、紀野さん、すごく格好よくなったと思わない? 髪型もお洒落だし、洋服も今風になって。」

「お、おお。」

「それに、もらったんでしょ? プレゼント。」

ハナは両手を肩から百葉の胸元に動かし、胸ぐらを掴みながら

「なぜ、それを、知っている?」

「く、苦しいって… だって、私相談されたから。ハナちゃんにプレゼント何がいいかって。」

プ、プレゼント…

やはりアレは、手が汚いから渡された訳では無かった、キノコからのプレゼントだったのか!

「上手くいくと、いいね。お似合いだよ。」

ハナは両手を下に下ろし、百葉の瞳を覗き込み、

「お前、良い奴だな。」

「は? 何それ。」

プッと吹き出す百葉に、

「お前も上手くいくといいな。」

「へへ。ありがと。そうだ、いつかさ、四人でディズニーランドでも行こうよ!」

…… ……

なん、だと…

今この女、何と?

「え? だから、ディズニーランド。あ、シーでもいいけど。」

上海のディズニーランドには仕事で行ったので、アトラクションには何一つ乗らなかった。日本に来ても日本語習得の勉強に忙しく東京ディズニーランドに行く暇は無かった。

あの、全中国女子の憧れの地である、聖地東京ディズニーランドに、キノコとモモと千葉と…

千葉が一緒だとつい身構えてしまうから嫌なのだが、キノコと一緒なら…

「それは、約束か?」

「へ?」

「日本人は口約束が多い。これは口約束か? 本物の約束か?」

「えー、行こうよ絶対。一緒に行こうよ!」

ハナは心を決める。

千葉とは現地で戦闘行為に入らぬように万全の精神状態で行く。

そして、キノコと……

ハナはガサついた手の甲を撫で、今夜からあのハンドクリームをちゃんと塗ろう、そう決意する。

そして。

今回の騒動の中。

この女は私が守ろう。

そう決心する。

「よし。約束だ。一緒に行こう。」

百葉は満面の笑みで、

「絶対だよ、約束だよ。」

ハナは真顔で頷く。

日が完全に水平線の下に沈み、辺りはすっかり暗くなっている。涼しい海風が頬を撫で、空には幾つか星が瞬いている。

「そろそろ、帰るぞ。」

「そうだね。帰ろ。」

歩き出したハナは、全神経を集中させてカツオノエボシが打ち上げられていないかスキャンしていた。


二人が集落に戻ると、夜の宴の準備はすっかり出来上がっていた。羊も風呂に入ったらしく、やけにサッパリした表情で明と飛び回っている。

宴が始まると、長老達をはじめ、集落中の人々が百葉の司法試験合格を喜んでくれた。

「ウチの旦那が密造酒作ってるのがバレて捕まったら、弁護してねー」

水田香がしれっと恐ろしいことを言い放つと、

「えまさか作っているのですかそれは酒税法違反で十年以下の懲役または百万円以下の罰金なのですが」

皆がおおお、と感嘆の声を上げる、流石弁護士の卵、流石東大生……

そんな盛り上がりを横目に龍也が信太に囁くように、

「で? 始末は?」

「習志野がお持ち帰りだ。」

「そっか。これで第一波は終わりだね。多分来月には第二波が来るぜ。海側も警戒した方がいい。京ちゃんや、漁協の人たちにも注意した方がいいかもな。」

「ああ。江田島も合流するんだろ?」

「来月頭から入るって。海保(海上保安庁)と協力して海岸線と漁港に近づく船の監視をするって。」

「そうか。保田さんや城島、懐かしいな。」

「シンタさんと会えるの、楽しみにしてたよ。」

「タツ。頼みがある。」

「何?」

「狙撃銃。」

「分かった。他には?」

「出来れば拳銃、U S Pがいいな。サプレッサー(消音器)も。」

「U S Pタクティカルね。用意するよ。但し、くれぐれも…」

龍也が辺りを見回し、特に京の姿をじっと見つめる。

「分かっている。誰にも分からんようにする。」

深く頷きながら、龍也は信太に肩にそっと手を乗せる。


宴は深夜まで続き、百葉もすっかり酔っ払っている様だ。

龍也は小畑家の客間で羊を寝かしつけている、流石にあんな光景を見て夜寝られないだろうと危惧して。

ところが意に反し、

「で? 結局指輪渡せたの?」

「いや… それどころじゃ…」

「時間あったじゃない。」

「すまん… 無理だった…」

「じゃ、今みんなの目の前で渡しておいでよ。」

「そんな殺生な…」

ハーと大きく息を吐きながら、

「どうするの? いつ渡すの? いつ告るの?」

こ、これが普通の親娘の姿なのか? 施設育ちで親を知らない龍也は大いに戸惑う。

「もう! こうなったら、明日。明日の夜。いい? ラストちゃんすだよ!」

どうして明日がラストなのか理解出来なかったが、龍也は何度も頷く。

明日、渡さねば。

そのイメージトレーニングをしていると、穏やかな寝息が聞こえてくる。

全く。大した娘だよ、お前は。

優しく頭を撫でる。

そっと立ちあがろうとすると、羊の小さい手がしっかりと龍也の服を握り締めている。

うん、そうだな。

今夜はずっと一緒に、な。

久しぶりの娘の匂いに龍也もあっという間に睡魔に飲み込まれていく。


     *     *     *     *     *     *


翌日。

月曜の朝に帰京すると言う紀野を残して龍也達は谷中に戻った。夕食を食べてからの出立だったので、谷中に到着したのは十時を過ぎている。

「ももっち。喉が渇いたかも。どうしてもポカリが飲みたい。」

「はーい、ちょっと買ってくるよ。千葉さん、何かご入用のものは?」

羊が首を振りながら、

「最近この辺りに変質者が出てるんだよ。ももっち一人じゃ危ないじゃん、父さん。護衛してあげて!」

龍也はゴクリと唾を飲み込みながら、

「そ、そうか。そうだな、護衛だ。大切な任務だ。間違いない。」

首を傾げる百葉に、

「いいから。連れて行ってあげて、ね?」

「なんか申し訳ないです。いいんですか?」

「あ、ああ。危ないから、ね。」

「はあ。」

何とか二人を家から追い出した羊は、一人入浴しながら亡き母と父に両手を合わせ、二人の長き想いのすれ違いが今夜交差しますように、と祈ったものだった。


九月の谷中の夜は昼間の暑さをすっかり忘れさせる涼しさだ。たまにすれ違う帰宅する人々も心なしか涼しげな表情だ。緑の多い土地柄なので、都会とは思えぬ程の秋の虫の音が耳に心地良い。

龍也と百葉は示し合わせたが如く、ゆったりとした歩調でコンビニに向かっている。

「知っていました? ハナちゃんって紀野さんのこと好きなんですよぉ。それと紀野さんもハナちゃんのこと。なんかお似合いですよね、見ていてほっこりしますよね。」

すまん、百葉ちゃん。

今、アイツらのことなんて全くどうでもいい…

左ポケットの指輪入れはじっとりと龍也の手汗で湿っている。

「それで、ハナちゃんと約束しちゃったんですけど。すみません、勝手に決めちゃったんですけど…」

すまん百葉ちゃん。

今、そんな約束どーでもいいので。

ポケットに入れた左手が震え出す。

「年明け? 金芝の栽培が無事に終わったら。四人でディズニーランド行くって約束しちゃったんです。」

すまん百葉ちゃん。

今、ディズニーランドなんてホントどうでもいいんだ。

ん? 

四人で? だと?

「そうなんですよぉ。私と千葉さんと、ハナちゃんと紀野さんで。」

なんだその組み合わせは?

龍也はその場に立ち竦んでしまう。


百葉ちゃんと一緒にディズニーランド。ふむ、まあ、悪くない。千葉の習志野の養護施設で育った龍也は県民デーに何度か施設の子達と行ったことがある。

彼女と共にスプラッシュマウンテンに乗ったらさぞや気持ち良いだろう、龍也はニンマリと笑みを浮かべる。

紀野と共にディズニーランド。ううむ… 余り喜ばしくない。長い待ち時間に何を話せば良いのか。菌糸類の話はもううんざりだ。これは中々困難なミッションだな。

ハナと一緒にディズニーランド… ハナ、即ち世界的暗殺集団『聶隠娘』の現役メンバーと、ディズニーランド… 日本と中国の特殊工作員がディズニーランドに一緒にいる姿を、世界中の諜報組織はどう捉えるだろうか。

どうしたものか。出来れば人混みは避けたい気持ちもあるのだが。隣をゆっくりと歩く百葉を見下ろし、その表情を伺う。本当に楽しみにしている顔だ。

「分かった。この任務が終了したら、必ず。」

「本当ですか、嬉しいです!」

明るい街灯に照らされた満面の笑み。自然と龍也の顔も崩れる。

「あれ? この坂って。」

不意に百葉が立ち止まり呟く。

「私が初めて二人に声をかけた所ですよ、三年前に。」

龍也も忘れもしない、桜の季節の百葉との邂逅。

ニッコリと微笑みかける百葉を見下ろし、龍也の左手が自然にポケットから動いた。自らの意志とは思えない程、まるで誰かが手を掴んでくれた様な…


「これ。合格祝い。」

やや上擦った声で指輪ケースを差し出す。

キョトンとした百葉はそっと受け取り、

「へ? ありがとうございます。へ?」

やや戸惑いながら首を傾げ、蓋を開けてみる。

見たこともない、柔らかで高貴な指輪が街灯の光を受け輝いている。

言葉を失い、じっと指輪を見詰める。


「あの、これって…」

ようやく百葉に言葉が戻る。

「嵌めてみて、くれないかな。」

龍也がそっと囁く。

震える指でそっと指輪を取り出す。なんて素敵な指輪だろう。幾つもの小さなダイヤモンドがキラキラと瞬いている。

左手の、薬指に嵌めてみる。

不思議な温かみが指輪から流れ込み、嘗て味わったことのない幸福感に満たされる。

耳に入ってくる虫の音が極上のオーケストラの演奏に思えてくる。

鈍感で奥手の百葉にも理解できる、この指輪は……


そっと首を上げ、龍也を見詰める。

愛しい精悍な顔が滲んで見える。


「卒業したら、俺と」

大好きな優しい顔が溢れて見える。


「結婚してください。」

温かい大粒の涙が頬を伝う。

その涙が顎に届かぬうちに、百葉は大きくゆっくり頷く。


お母さん

お父さんにプロポーズされた時、こんな気持ちだったんだね

今までの苦労や辛いことが

全部吹き飛んで行ったよ

お母さん

産んでくれてありがとう

お父さん

お母さんと結婚してくれてありがとう

二人のお陰で私

私……


無意識の内に龍也の胸に飛び込んでいた。

そっと百葉を抱き締めながら、龍也も万感の思いに浸っている。


愛しい。愛しすぎる。

こんな気持ち初めてだ。こんなに心が震えるのは初めてだ。

そうか、拓海

お前もこの気持ちをシェンメイに……

放したくない、離れたくない

いつまでもずっとこの腕の中で

この温もりを感じていたい

この気持ちを忘れずにいたい


額と額が触れ、鼻と鼻が触れ、やがて唇と唇が一つとなる。

心地良い谷中の夜の風が虫の音を乗せて二人に絡みつく。


     *     *     *     *     *     *


「千葉さん。今日はご機嫌な様子じゃない。週末に何かいいことでもあったのですか?」

「分かりますか、松戸先生。」

「ええ。朝から目尻が垂れているし、二時間目の柏先生の授業も全く妨害工作が無かったと驚いていたわ。」

「ちょっと良いことがあったのです。」

松戸麗のオンナの感が働き、

「そう。ちょっと会議室までいらっしゃい。」

「はあ。」

立ち上がると羊は周囲のニヤニヤしているクラスメートにウインクする。

その二分後。

校内に松戸教諭の絶叫が響き渡る……


「ど、ど、どういうことなの… ちゃんと説明しなさい、いや、してください…」

顔は真っ赤に、目は吊り上がり、マスクから唾を撒き散らしながら松戸麗が羊に詰め寄る。

耳を両手で塞ぎながら、

「ちょ… うるさいって。だからー、昨日の夜? 父さんがももっちにプロポーズして、ももっちがオケして。私にもやっとこさ母親が出来るって話だってば。」

「き、聞いてないわよ… そんな話… 龍也さんが、百葉ちゃんと… そんな…」

床にしゃがみ込み、頭を抱えてしまった麗に、

「何そのリアクション。アンタ、自分は若いイケメン囲ってるくせに。なんか文句あんの?」

イヤイヤをしながら、

「ダメよ。私が本当に幸せになるまで、そんなの許せないのよ! 酷い、龍也さん…」

大きな溜め息を吐きながら、

「いやいや、そこは『おめでとうタツヤさん』だろ。人の幸せを喜べない奴に、本当の幸せは訪れないぞ。それともナニか、イケメン大学院生捨てれるのか? ああ?」

それは… と小さく呟きながら、今朝の彼とのプレイを思い出す。すると更に顔を赤くし、

「それは、無理。王子様は私のご主人様なんだから。」

「なら、スッパリ諦めて祝福しなよ。そっちの方がオンナっぷり上がるよ。」

「そ、そゆもの?」

「そゆもの。」

ふーん、と鼻を鳴らしつつ、龍也の精悍な顔付きを脳裏に蘇らせる。そして百葉と寄り添う龍也をイメージしてみる。

「えーーーー、やっぱ、あの子じゃ勿体無いよぉ。」

「あああああ、めんどくさ! マジ面倒臭いんですけど。そんなんだと、イケメンに捨てられるよ。オンナは引き際が肝心って、『異世界で俺はのし上がり現実を見下してやる』のフィジータも言ってたでしょ?」

「引き際… 肝心… 言ってた、気がする…」

「引き際がカッコいいオンナは最高の女性フェロモンを発す。『異世界クリニックのマジカルドラッグ』のユリリン薬師も言ってるじゃん。」

麗は大きく頷きながら、

「そ、そうね。ユリリンは確かにそう言ったわね。……そうよね。オンナは、良い女は、引き際よね。うん、間違いないっ」

何度も頷きながら、麗は羊を残して第二会議室から退出していく。

やはり、脳筋アホアラサーには、古典文学よりアニメがよく効く。文化は時代と共に推移していくのだということを改めて実感し苦笑する羊なのである。


「いやー、あーはなりたくないわー。ま、可愛いっちゃ可愛いけどさ。」

放課後、教室で汪凛凛がうんざりした顔で溢すと、

「あーゆーの見ちゃうと、リアルのオンナに幻滅するわー」

と山田修斗が吐き捨てる。

「えーー、でもぉ、ウララー可愛いじゃん。素直に羊ちゃんに説得されてぇ。クスッ」

平山希空がいつもの口調で吹き出すと、

「まぁ、アイツ今、変態大学院生にどっぷりハマってるから。お陰でこっちの被害はほぼなさそーで助かってるわ〜」

「その学生さんって、羊ちゃんがお膳立てしたんでしょぉ、ねーねー、希空にもぉ良い人紹介してよぉ」

「ダメだろ。反社の一人娘と付き合いたいなんて東大生いねーよ。」

「いやいや。希空ならワンちゃんあるぜ。このゴスロリにコロって騙される奴、絶対いるって。」

「修斗。それって実はお前じゃね?」

「は、はあ? お、俺が希空のこと? ば、バカじゃね?」

希空が妖艶な表情で、

「あれぇ。希空の誕生日に素敵なペンダントくれたのに、そんなこと言うかなぁ」

羊と凛凛が秒で食い付く。

「「聞いてねーし。修斗、どゆこと?」」

「いやだからその夏休みの希空の誕生日に夏休みだから誰も祝えないじゃんそれって可哀想じゃねって思ってだから希空に連絡して誕プレ渡すから浅草寺で待ち合わせしねって言ったら良いよって言うから渡しただけだし。」

希空は更に艶然とした表情で、

「羊とか凛凛には内緒だぞ、って言ってたわよねぇ。お前だけに、ともぉ。あれってぇ、希空のこと好きだからじゃないのぉ? あれぇ?」

もはや地蔵と化した修斗に畳み掛ける。

「アレか、希空のBカップなのか? 将来のFカップに賭けたのか?」

「んぐうううぅ」

「親なんてカンケーねえって? 家なんてどーでもいいって? カッケー修斗。」

「んぎゃああぁー」

ランドセルを引っ掴み教室から駆け出す修斗を見ながら、羊、凛凛、希空は大爆笑する。


「あーウケる。で? 凛凛、夏に良い出会いはあったのかい?」

「ぜーんぜん。だって羊ちゃんちっとも遊んでくんないし。あー、でも塾の夏期講習でちょっと良い感じになった子がいてさ。」

「「ふむふむ」」

「その子、都立の中高一貫校狙ってるの。『私もそこ受けてみようかな』って言ったらさ、それから毎日ラインの雨嵐。どーしよっかなぁー」

「写メ!」

「早よ!」

「えーー、ちょい恥ずいかもぉー えっとぉ、えっと… あ、これこれ。」

「ほう。」

「ふむ、中々。」

「でもねぇ、まだガキなんだよねー。スタンプとかウザいし。どー思うぅ?」

「ウララーじゃねーけど、ヤってみたら?」

凛凛と希空が盛大に吹き出す。

「ナニそれキモいー。それよりぃ、羊ちゃんはどうなのよ! 良い出会い無かったの?」

「お父さんの仕事手伝って忙しかったん? それに個人塾? うわ、出会い皆無っぽい…」

羊はクスリと笑いながら、

「自分の事より、ももっちのことでいっぱいいっぱいだったから。私は、これから。ね!」

そうウインクする。

「うーむ。さすが、羊ちゃん。大人やねぇ。」

「ま、これだけの美少女、引き手数多っしょ。」

希空が眉を顰め、

「でもさぁ、羊ちゃんのお目に叶う男子って、この世に存在すると思う?」

凛凛はハッとした顔で、

「それなっ 一体このスペックに見合う男子、どっかにいるんかいな? 大学生? 社会人? それとも外国人?」

私の好きな人、かぁ。

どっかにいないかな、ロンそっくりなオトコ…

無口でぶっきらぼうで面倒臭さがりで。誰よりも誠実で真摯で几帳面で。中肉中背細マッチョ、ちょっと色黒で目付きが鋭くて鼻筋の通ったオトコ。

これから私の前に現れるのかなぁ。

ま、当分は出来の良い素直な娘を演じますか。その内弟か妹が出来たら、周りにアンテナを張り巡らせますか。

羊は一人決意を胸にし、

「さ、ボチボチ行きますか。」

と言って席を立った。


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