雨の中の出会い
冬の雨は冷たい。雨粒はアルフの鎧兜を叩き、ヴェラの外套をすっかり侵食していた。
数時間、雨音を聴きながら無言で歩いた。互いに、運命を切り離されぬように手をしっかり握りしめていた。その剥き出しの手も冷たくなり始めた。雨風を凌げる、廃屋でもあれば良いが。アルフはそう考えながら周囲を見渡す。兜の庇から流れ落ちる水はもはや雫では無く滝のようだった。
目立つ街道沿いを進んでいるが、時折、手配書を見た自称腕自慢達が現れた。アルフが今こうしていることから分かる通り、その連中はアルフには勝てなかった。殺したのもいれば、臆病風に吹かれて逃げおおせた者もいる。慣れてしまったのか、それともアルフの腕前を信じているのか、ヴェラは、特に殲滅しろとは言わなかった。
ふと、ヴェラの手が止まった。アルフが振り返るとヴェラは前方を凝視し、切れ長の威厳ある青い瞳を忙しくなく動かしていた。
「アルフ、見える?」
どうした? と、問う前にヴェラは言った。
激しい雨の筋以外に見えるものと言えば、泥になった道に、雫滴る左右の草木、ずっと背後から連なり地平の彼方にある黒雲だけであった。
「水色の蝶が、私達を案内してくれるみたいよ」
「何を言っているんだ?」
アルフが問うとヴェラは歩みを進めて、アルフの手を引っ張った。
ヴェラは熱でも出してしまったのだろうか。薬も無く、アルフは心配しながら彼女に引かれて行った。
少し進むと、ヴェラは右手の枯草を掻き分けた。アルフは驚いた。小さいが道が隠れていたのだ。人の手が加わっている。そういうわけで、アルフは警戒を強めた。
「こっちよ、誰かが魔法の蝶を飛ばして私達を誘っているわ」
「魔法の蝶?」
「雨を凌げるかもしれない」
ヴェラはまるで憑りつかれたように小道を行き始めた。林木に挟まれ、枯草が覆い隠している道は先へと続いていた。
また少し進むと、アルフは驚いた。大きな邸宅が建っていたのだ。換気のためか板をつっかえ棒で押し上げた窓の中から明るい光りが漏れている。
「蝶が行ってしまった」
ヴェラが縋るように片腕を伸ばして言った。
魔法の蝶だと。
ヴェラが歩き始める。その頃にはアルフの腕は振り切られていた。
彼女が茶色に塗られた扉を叩くと、小気味良い音が木霊し、扉が勝手に開いた。
「ヴェラ!」
不用意にも前に出ようとする彼女を腕で制して、アルフは邸宅の中へ向かって声を上げた。
「申し! 我々は旅人だ! 一晩、雨宿りをさせていただきたい!」
家の中は燭台に満たされ明るかった。その明かりが、イスやテーブルを豪華な調度品のように輝かせている。前方に見える曲がった階段を下りて来る影が見えた。
「ようこそ、プルレの館へ」
薄く赤い色の厚い導師服を身に纏い、ゆったりとした袖の中から細い腕を伸ばして、彼女は微笑んだ。そう、女だ。年の頃、まだ三十には届いていないだろう。キノコを逆さにしたようなつばの長い帽子をかぶり、相手は明るく笑んでいた。
「私はヴェラ。青い蝶を追ってきました。やはりあれは魔法の蝶だったのですね」
「ええ、見えたということは、ヴェラ様、あなたには魔法の素質が備わっておられるのかもしれません。アルフさんは見えなかったようですが」
「何故、俺の名前を知っている? 何の目的で君は俺達をここへ導いた」
アルフは驚きと警戒で思わず声を上げた。
プルレはニコリと微笑んだ。
「人里であなた方が追われていることを知っていました。何かお手伝いがしたくてあなた方を呼んだのです。ヴェラさんは慣れぬ長旅で相当疲れている様子ね」
「何?」
アルフが尋ねると同時にヴェラは崩れ落ちた。
「ヴェラ!」
「二階へ連れて行って上げてください。寝室の準備は整っております」
「魔法で眠らせたわけではあるまいな?」
アルフが尚も問うとプルレはクスリと笑うだけであった。
「こちらです」
先に階段を上がって行く彼女に呆気にとられつつも我に返ったアルフは、ヴェラの外套を外した。ずっと着ていた淡い青のドレスも水で染みていて、下着が透けて見えていた。
「ヴェラ」
アルフは彼女を抱き抱え、寝息を立てる彼女の唇に軽くキスした。
仕方が無い。プルレとか言う魔法使いを信じるだけだ。
アルフは鉄球と背嚢を置くと、扉を閉めた。雨の音が少しだけ遮断された。
魔法使いの家とは珍妙なものだった。どこか絵本の世界にでも入ってしまったような気分だった。置物は可愛い様なヘンテコな形をし、本や羊皮紙の束が書棚いっぱいに収まっている。
アルフが二階へ行くと、プルレはクスクスと笑んだ。
「良かった、私を信じてくれるのね」
砕けた言葉にアルフは特に何とも思わなかった。
プルレは腕を向けた。彼女の長く赤い髪がサラサラと腕に乗った。
「ヴェラ様はこちらで。着替えは用意してあるから。私が着替えさせる? あなたとヴェラ様は並々ならぬ御関係のようではあるけれど」
アルフは頷いた。
「それはどっちが?」
「君が着替えさせてくれ」
アルフが言うとプルレは頷いた。そして蝋燭が一本だけ煌々と光っている寝室へアルフは入ったのであった。