神官
夜が明けるのを待ち、出立する。
アルフの格好は、背嚢と鉄球を背負い、ヴェラを両腕に胸の前で抱いている。ヴェラの靴擦れが酷くならぬようにという配慮だ。アルフはこの姿を別段不都合には感じなかった。何故なら、彼には強靭な身体の筋力があったからだ。どう、他人に見られるか、までは考えていなかった。
なので、行き交う人々の好奇の視線に彼は首を傾げていた。
「重くは無いのですか?」
しばらく歩くとヴェラが問う。
「君は軽い。羽毛のようだ」
アルフはそう言うと、鉄の靴を鳴らし、国境目指して歩みを再開した。
今日も野宿になる。街道を行くのは仕方ないが、通りにある村々ではさっそく指名手配の人相書きなどが貼り出されているだろう。ヴェラに旅に適した靴が欲しかった。
白装束を身に纏った一人の神官が現れたのはその時だった。
その人影を前方に見るや、アルフの勘が並々ならぬ力の持ち主だと彼自身に告げていた。
まず目立ったのは、あらわにした金色の髪であった。神官は年の若い男だった。アルフより少し年下の二十代半ばほどだろうか。好奇な視線を向けず、その男は驚いたように言った。
「申し、もしや、怪我をなさっておいでか?」
腰には木の棍棒を提げている相手はこちらを凝視していた。整った顔立ちにある大きなサファイアのような瞳がこちらを凝視している。すれ違えるとかと思ったが、そうはいかず、既に接敵状態で、アルフには都合の悪い間合いに入っていた。
「靴擦れをな」
アルフは言葉を選びながら答えた。
「歩けぬほどの靴擦れ、確かにその高級そうな靴では旅はいささか無謀でしょうね」
神官はそう言うと、視線をヴェラからアルフに移した。相手が背中に背負っている鉄球に気付いているかはまだ分からない。正体がバレるのを嫌い、アルフは背を見せなかった。
「ここで会ったのも何かの縁、私が治して進ぜようか?」
神官は癒しの魔術、いや、彼らは秘術と呼ぶがそれを使う。信仰の力が強ければ強いほど術の威力は増し、もしかすれば死人すらも生き返らせることが可能になるやもしれない。
「お願いするわ」
悩むアルフの懐の中でヴェラが言った。
「分かりました」
神官はそう言うとアルフを見た。秘術を施して良いのか承諾を待っているのか。それとも支払いを待っているのか。
「金貨何枚だ?」
「靴擦れ程度でお金は取りませんよ。そうなれば我が主神が私に怒りの裁きを下すでしょう」
神官の男は近付き、ヴェラの足を見ると、ブツブツと詩のような言葉を唱え始めた。神官の右手が白い光りに染まった。発光するそれこそが秘術である。アルフも戦場で衛生兵代わりの雇われ神官達を何人も見て来た。神官がヴェラの足に光る手を近付ける。傷が塞がる光景は何度も見て来たが、それでも奇跡だと思う。魔術師の魔法と一緒にしてはいけないのだ。そう思わせる。
「もう大丈夫」
神官が、もしアルフが普通の女なら恋に落ちる笑顔で言った。
「ありがとう。アルフも」
ヴェラはそう言い地面に降り立った。
「この先に村があります。そこで靴を変えると良いでしょう。旅人用の装備なら間違いなく取り扱っていますよ」
どこまでも微笑みを絶やさない男だった。何人の女が彼に思いを寄せただろうか。気取らず誠実そうな面構えも好感が持てた。
「さて、道を急がねば、ではこれで。あなた方に神の祝福がありますように」
神官はそう言うと歩んで行ってしまった。
その背を惹き付けられた様に見送ると、アルフはヴェラを抱き抱えた。
「今の男が言った通り、次は村に入る。それまでに再び靴擦れを起こすかもしれない」
するとヴェラはアルフの胸の中で頷いた。
そうしてアルフは好奇の目に晒されながらも堂々と街道を歩み始めたのであった。