マクリード伯の意地
そう、あれは、初めてエリストールの城へ招集された時だ。形ばかりで傭兵隊を鼓舞する老王の隣に綺麗な女人がいた。純白のドレスに身を包む以外、宝石さえも持っていない。いや、彼女こそ宝石なのだ。どんな宝石も彼女の前では輝きを暗くし、光りを譲る。大臣に名を呼ばれ、報奨金を頂戴しようと進み出た時、その女人は俺を見ていた。相手が見ているということは俺もまた見ていたということだ。俺は女に興味がないただの寡黙な荒くれだ。しかし、彼女の顔を見た時、俺は急に胸が熱くなった。だが、彼女は老王の宝石であった。
2
街道をさほど行かぬうちに追手が現れた。俺は分厚い鎧のせいであまり早くは走れない。そしてこの鎧を脱ぐつもりも無い。俺とヴェラを離そうとする者には、その場で鎖を振り回し、鉄球を見舞った。
兜も鎧も拉げ、脳髄は割れ、骨は折れ刺さり、内臓は破れる。そうやって死んで逝くのだ。次々に死神が迎えに来るのが見える様だ。
鎖を薙ぎ払い鉄球で数人を打ちのめすと、馬蹄が聴こえて来た。
「破壊の傭兵! 逃がさぬぞ!」
先ほどぶりの声が聴こえ、俺は少しだけ驚いた。
鎧姿のマクリード伯爵がランスを手に、騎兵隊を引き連れて現れた。
運の良い奴だが、マクリードは何をしても彼の側には死神がうろついている。あれだけの痛手を受けて空元気で咆哮する様は、まさしく戦士の意地というべきほかは無い。
騎兵らは馬から下り、槍を手に、広がった。
長さで対抗しようと言うのだろう。それでも不足ではあるが。
「それ、かかれー!」
伯爵の下知に兵らが一斉に突っ込んで来る。
鉄球を頭上で回転させながら、間合いを測り俺は放った。
一発目は一人の兵士の顔面を砕き、素早く戻して二撃目を薙ぐ。重たい風の音色と幾つもの兜を打つ鉄の高らかな音が鳴り響き、兵士は倒れる。伯爵はあっという間に一人になった。
「おのれ」
伯爵はそう言うと咳き込んだ。
「私は死ぬが、ただでは死なん」
ランスを手にマクリードが馬で突っ込んで来た。
俺は鉄球を見舞ったが、マクリードは見事な手綱捌きでそれを避けて陽光に光るランスの先を向けて突撃を諦めなかった。
間合いに入られ、俺は久しぶりに攻撃を避けた。突風が吹き去る。と、マクリードはそのままヴェラへ向かっていた。
「王妃様、御戯れが過ぎますぞ。これ以上大事にならぬ内にこのマクリードと共に城へお戻りくだされ」
俺は重たい身体を動かし、一歩ずつマクリードの背に近付いた。
「私は王の私物では無い。唯一私物にしていいのは、アルフだけ」
ヴェラが言うとマクリードは溜息を吐いた。
「では、まずはあなたをたぶらかす賊を始末いたしましょう」
マクリードはこちらを振り返った。長方形の顔、左右に分かれた髪の毛は若干盛り上がっている。こちらを見る、真剣な眼差しには冷徹な輝きがあった。鼻の下のちょび髭を擦り、マクリード伯は馬腹を蹴った。
「破壊の傭兵! 貴様は希少価値のある戦士だが、道を違えたか。ヴェラ様は貴様にとって高嶺の花と知れ!」
アルフの鉄球をマクリードは馬を動かし避け、あっという間に間合いに入った。
マクリードの執拗な突きはアルフの顔を狙っていた。アルフは両手で鎖を伸ばし、突きを受け止め続けた。
「この距離では得意の鉄球も振るえまい」
勝ち誇った顔のマクリードが言う。
「どうだ、今からでも降参して国のために働かないか? 貴様は戦場では大いに役に立つ」
「お断りだ」
アルフは素早く鎖を引っ張り、下から上へ振るった。鉄球はマクリードの馬の顎を強かに打った。馬がよろめく。マクリードは見事なものでひらりと鞍から跳び下りた。そしてランスを繰り出すが、鉄球と鎖が絡みつき、アルフは引っ張った。マクリードは簡単にランスを捨て、腰の長剣を引き抜き斬りつけて来た。
マクリードは判断の速い男であった。
鉄球が戻せず、アルフは後退した。鼻先を剣が掠めた。
「惜しい。だが、次こそは」
マクリードが詰めて来る。アルフは鉄球を背後から振り抜いた。マクリードは慌てて距離を開けた。俺の間合いになった。
頭上で鉄球を振り回し、マクリードの顔面目掛けて放った。
竜の首の如く、鉄球はマクリードに伸びたが、マクリードはそこで、急に地面に伏せた。鉄球を戻し、頭上で旋回させながら、相手の様子を窺う。マクリードは血を吐いていた。先の戦いの痛手がここに来て顕著になったようだ。
「ごお、お、俺が死ぬとは……あと少し、あと一歩だというのに……」
マクリードは死ぬ。甘いかもしれないが彼にとどめをくれる気にはなれなかった。
俺は地に伏せるマクリードの隣を通り過ぎようとした。その時、マクリードが俺の足に掴みかかった。
「そうだ、後、一歩なのだ……」
マクリードは俺を睨んでいたが、その目が虚ろになり、やがて地面に倒れた。
今度こそ、死んだ。俺はマクリードの執念に胸の内で敬意を表し、ヴェラのもとへと歩んで行った。
「行こう、ヴェラ」
「ええ」
俺達は言葉少なにその場を後にしたのであった。