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逃避行の始まり

 夜の間はどうしても城門を開くことはできない。ヴェラの命令なら通用するかもしれないが、それでは見す見す正体を明かすことになる。あの国王は女を、ただの自分を彩る飾りだとしか思っていない。後宮に何人もの貴妃がいて、それでもヴェラを自分の傍らの宝石としてしか見ていない。だから、取り戻しに来るだろう。ヴェラは城へ帰らなかった。朝まで共に高級なベッドで過ごし、それから動き始めた。

 秋だ。フードをかぶってもおかしくない寒さだった。だからヴェラがそうしても誰も咎める者もいなければ、その美貌が見えず振り返る者もいない。しかし、それもまた油断だったのかもしれない。

「破壊の傭兵、弟子でも雇ったのか?」

 分厚い鎧を身に着け鎖付きの鉄球を提げていれば誰だって俺が何者か分かる。開かれた城門の前で足止めを喰らっていた。相手は門番が五人。その時、一人の門番がヴェラに向かって手を伸ばした。

「お前の弟子にしちゃあ、随分細っこいな。顔を拝見と」

「やめ」

 だが、フード取られた。そこには威厳あるヴェラの顔が睨みを利かせていた。

 しまった。

「何だ、女か」

 アルフは内心慌てていたが、その言葉に人知れず安堵した。確かに末端の兵が王妃の顔まで知るわけがない。

 刹那、槍先が俺の兜の頬を掠めた。

「王妃様だ! アルフがこともあろうに王妃様を攫おうとしているぞ!」

 兵士の騒ぎに往来の人々は足を止めた。

 くそっ、こうなれば。

 アルフは鉄球を振り回し始めた。

「ヴェラ、下がっていろ。隙が出来たら街道側へ出ろ」

 アルフが言っている前で、兵士らは槍に剣に慣れ親しんだような嘲るような、凶悪な顔をする。

「アルフを捕らえろ! 全員でかかるん」

 アルフは鉄球を旋回させた。高らかな音色が轟く。兵士どもの顔を鉄球は兜を大破させながらアッという今にかち割った。

「アルフ」

 ヴェラは街道側へ回った。ここで彼女一人を先行させてどうにかなるわけでもない。彼女を守る。次なる増援はここで待ち受ける。

 アルフは鉄球を振り回しながら往来に睨みを利かせた。人々は少々驚いたようだが、それだけだった。

「退け退け!」

 罵声に馬蹄、嘶きが聴こえ、民衆の間を無理矢理突っ込んで現れたのは、この城の太守を任じられた貴族、マクリード伯爵であった。王の下でその武勇を認められ、貴族に成り上がった男だ。嫌いでは無い。だが、敵だ。

 鎧も着けずに馳せて来たようだ。それでも剣を腰に帯びている。アルフよりも少し年上のこの男は言った。

「破壊の傭兵、王妃様を返すなら、罰の方も軽くするように私が取りなそう。そうでなければ」

 マクリード伯爵の左右に居並ぶ抜刀した兵らが伯爵以上に冷酷な顔を見せている。この首を取って手柄と出来ればと思っているのだろう。アルフは鉄球を振り回しながら、応じた。

「断る。ヴェラは俺と来る」

 マクリード伯爵は顔色を険しくし、声を上げた、

「賊を討て! 王妃様を取り戻すのだ!」

「ワアアアアッ!」

 兵らが一気に殺到する。アルフは鉄球を投げ付け、十人ほどの頭を兜ごと潰し、残り目掛けて鎖を巧みに操った。鉄球は右往左往あるいは直進し後退し、剣を折り、胴を打ち、顎を砕く。敵はアルフへ近付けなかった。

「破壊の傭兵」

 マクリード伯爵が馬から下り、鞘から長剣を抜いた。ギラリと目が輝いている。戦士の目だ。そう、人殺しの目だ。

「一勝負といこうではないか」

 鎖と鉄球の回る音だけが聴こえるが、マクリードの眼光とアルフの双眸は共に火花を散らせている。民衆の中では賭け事が始まったようだ。マクリード伯爵が勝つか、俺が勝つか。

 アルフは鎖を振り抜いた。鉄球が真っ直ぐマクリードへ飛ぶ。マクリードは賢くもこれを非力な武器で受けずに脇から回り込もうとした。しかし、そのぐらいはアルフにだって分かることだ。アルフは鎖を引き、鉄球はあっという間にマクリードへ追いついた。マクリードは舌打ちし、下がった。アルフは鎖を反対側へと振るう。鉄球が容赦なくマクリードの胴を打った。

「ゲホッ」

 貴族の服とて別段強固な作りをしていたりはしない。マクリードの肋骨は折れ、内臓は破裂し、彼は死ぬだけだ。地面に膝をつくマクリードにはもうすぐ地獄の使者が迎えに現れるだろう。俺と同じで戦場で数多の人殺しをし、成り上がった大罪人だ。死神は喜んで彼を連れて行くだろう。

 アルフは背を向けた。ヴェラがこちらを見ていたが、別段、心配そうでも嬉しそうでもない顔をしていた。だが、この急な出来事に物怖じしているわけでも無い。アルフは彼女の肝が座っているところが愛しく思った。

 背後からマクリードの弱弱しい咳き込む声だけが聴こえる。アルフは重たい鎧で地面を鳴らし、ヴェラと共に城下の外へと歩み出したのであった。

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