国境
雪深い山奥で暮らせたのは、偏に狩人ギルの支援があったからだ。風呂こそなかったが、沢の水を沸かし、布で身体を拭いて清潔に保つということもできた。
年が明けてからも雪の勢いは止まることを知らず、アルフとヴェラは雪下ろしの作業に勤しんでいた。道具は物置にあり、ヴェラは自ら志願した。
「もっともっと、落ちてしまった筋力を取り戻さなきゃいけないわ」
ヴェラにはヴェラの黄金時代があったのだろう。おそらくは尼僧時代の頃だとアルフは思った。
しかし、ヴェラの魔術はあれから進展が無かった。木切れや枯草を切り裂き焼く以外、彼女は魔法を操れなかった。そして炎以外、例えばあのプルレがやったような氷雪の魔術もできなかった。
彼女は無念そうに顔を俯かせた。
「君はよくやっている。悩んだ分と努力は決して裏切らない。機を待とう」
アルフはそう励ました。
二人はそうして一月、二月と、過ごした。本当に時折食料を届けてくれるギルがいなければ生活するのは難しかったであろう。ギルには命を狙われたが、命を助けられている。はなから恨んではいなかったが、警戒だけは最初は解かなかった。しかし、野盗紛いの傭兵団との一戦で、お互いに信頼を勝ち取った。
三月。雪解けの太陽が眩しい日に、二人は揃って小屋を清掃し、中心にお礼を書いた羊皮紙と、金貨を数枚置いた。
「行こう、ヴェラ」
「ええ」
こうして二人の旅は再び始まった。
2
追跡者も賞金稼ぎも失せていた。何故かは分からないが、誰にも狙われないのは返って気味が悪い。雪が水となり泥濘へとなった大地を進み、二人は時折、野宿を挟んで歩みを続けた。
歩けば汗が出る。汗の分を補給するのは水分と塩分だ。そうしてヴェラがようやく保存食の塩辛い肉の美味しさに気付いた時に、遠くに関所が見えた。
通行人はいない。見た目で五人の番兵が居たが、関は宿舎も兼ねていて、在番する他の番兵の数を思い起こさせた。宿舎は大きく、多くて五十人ぐらいの番兵の数を連想させる。だが、スターンの番兵だ。俺達を拒む理由は無いはずだ。
アルフはヴェラに頷き、二人は関へ近寄った。
「止まれ!」
当然、声を掛けられ、アルフは言う通りにした。番兵らが駆け寄って来る。今なら鎖の間合いだが、アルフは別段揉める理由も無いので手を出さなかった。
「ここから先はスターン帝国の領地、通るのなら通行料をいただこう」
「分かった」
アルフが金を差し出すと、一人の若い番兵が姿を見せた。
「待て、その得物。貴様が破壊の傭兵だな」
二十代中盤ぐらいの年齢だが、ピリッとした威厳を相手に感じた。髭は無い。だが、鋭い眼光の持ち主であった。
「確かに、世間ではそう呼ばれている」
アルフが答えると、その番兵、おそらく隊長だろう。そいつはヴェラの方を見た。
「美しい。皇帝陛下に献上する価値のある女だ」
空気が不穏になってきたのを感じた。
「女、私と共に来い、お前は運がある。皇帝陛下にきっと見初められるであろう」
だが、ヴェラは強く首を振った。そしてアルフの右腕を取った。
「私はこの人のものよ」
「ほぉ」
隊長は意地悪く微笑んだ。
「それならば、奪い取るまでだ。誰も手を出すな。このシンキが破壊の傭兵を打ち破り女をものにしてみせるわ!」
「皇帝陛下に差し出すのではなかったのか?」
アルフが問うとシンキは軽く笑った。
「気が変わったのだ」
そして腰から長剣を抜く。
「破壊の傭兵! 一勝負と行こう!」
シンキが言うと、他の番兵達は顔を見合わせ呆れたように引き下がった。猪突猛進な若い隊長の気質を知り尽くしているのだろう。
「どりゃああっ!」
シンキが咆哮を上げて、地を蹴り引っ提げた剣を振り上げる。
アルフは鎖を浮かせると横に振るった。鉄球がシンキの横腹を打ち、相手は呻いて屈んだ。
「通行料は支払った。これ以上の厄介事は死を招くと心得よ。では」
ここでもお尋ね者になるわけにもいかず、アルフは仕方なく手加減はしていた。シンキも鎧を着ている。衝撃程損傷は無いはずだ。アルフはうずくまるシンキにそう言うとヴェラと共に関所を潜った。そしてスターン帝国への一歩を果たしたのであった。