越冬3
ヴェラ!
アルフは足を速めたが、重たい鎧と深い雪が容赦しない。ギルは励ましていたが、ついに言った。
「このままでは間に合いませんぜ! 私だけが先行します! 旦那は私の足跡を追って来て下せぇ!」
合理的な判断だ。今の俺は足手纏い。鎧が邪魔だ。
「分かった、先に頼む。俺は鎧を脱ぐ。そしたら駆け付ける!」
「了解でさぁ! では、お先に」
松明が数本入った皮袋と火打石を残し、ギルは脛まで埋まる雪をものともせずに駆けて行った。
アルフは宣言通り、まずは兜を置き、鎧を脱ぎ始めた。その下は肌着と薄手のズボンだったのでいきなり寒くなった。ギルの姿はもう見えない。アルフは彼の足跡を頼りに、慣れぬ雪道を足を取られながら懸命に駆け出した。
そうして雪が再び降り始め、アルフは更に急いだ。雪道は辛く険しかった。鍛え抜かれた脚の筋肉が悲鳴を上げる。戦場でもこんなことは滅多にない。鉄球と松明を手にしてアルフは夜通し、埋もれて行くギルと熊の足跡を追った。
ギルは何処だろうか。ギルが仕留めてくれていれば良いが。
太陽が上がる。雪は夜中の内に止んでいた。薄くなった足跡だけがもはや頼りだった。
その時、森が開け、丘が見えてきた。丘の上には見覚えのある猟師小屋が建っている。
ヴェラ、無事でいてくれ!
アルフは緩やかな斜面を一気に駆け上った。息を切らし、丘の半分以上を超えたところで、鋭く短い風の音色を聴いた。
「こいつめ! どれだけタフなんだ!」
ギルの声が裏手から聴こえた。そしてギルが後退しながら矢を番えている姿を見せた。
「ギル!」
「旦那! やっぱり野郎でした! いや、性別はメスですがね!」
ギルが後退するに従いゆっくり姿を見せたのは、これは想像以上の化け物だった。
背丈は三メートル近くある。真っ赤な血のような毛皮を身に纏い、巨木のように太い四肢に、鋭利で頑健な爪が見える。それはひとまず、アルフが見て来たどんな戦士よりも大きな怪物であった。
身体にはギルの矢が深々と刺さっているが、全く痛手を受けている気配が無い。
「ギル、ヴェラは!?」
「小屋の中です! 出ないように言ってありやす! 旦那、申し訳ねぇ、奴の毛皮は固くて矢があんまり通りやせん!」
矢で駄目ならどうする。剣か? いや。アルフは己が握り締めている武器を見た。これで頭をかち割ってやれば良い。
「ギル、援護してくれ、俺が戦う!」
「分かりやした! どの道、矢が役に立たないなら私の出番は無いも一緒でさぁ!」
ギルが後退しながら斜面を下り矢を射る。それはもう何本も熊の心臓の上に刺さっている中に混ざり込んだ。
その時、熊が跳びかかってきた。
「うわああっ!」
ギルが悲鳴を上げる。
アルフは電光石火で鉄球を放っていた。それは宙を舞う熊の頬を打ち、牙を数本圧し折って、着地を失敗させた。
ギルが慌ててこちらに合流してくる。
「恩に着ます!」
「それは奴を仕留めてからだ。離れていろ」
アルフは鉄球を頭上で旋回させた。
「ならば私は小屋の屋根から援護します」
「任せる」
ギルは高く積もった雪を足掛かりとして小屋の屋根に上っていた。
熊は首を震わせ、こちらを見た。そして怒ったように大口を開いた。アルフはすかさず鉄球を繰り出す。それは口に激突し、再び牙が折れ飛んだ。噛まれてどうなるかという危険性は排除したが、まだ爪、それにその体格がある。油断はできない。アルフは鉄球を戻し、頭上で振り回す。
その時、熊が突進してきた。太い四肢で雪を散らし、真っ直ぐアルフに突っ込んで来る。
アルフは雪に足を取られ、避けられなかった。
「旦那ぁっ!」
アルフは宙を舞い、雪の上に落ちた。
今まで俺の鉄球を受けて来た連中もこのぐらいの衝撃を受けたのだろうか。雪の上を滑り、顔を上げると熊がのしかかってきた。
「この野郎!」
ギルが矢を撃つが、熊はまるでビクともしない。そして同様に凄まじい体重で押さえつけられたアルフも動きが取れなかった。
「アルフ!」
女性の声が聴こえた。
「ヴェラ! 来るな!」
「王妃様駄目です!」
熊は口から血とよだれを垂らし、アルフの服に染みを作った。おぞましいが、そんなことは今は気にならなかった。
アルフは、野営用の短剣の存在を思い出し、左手を動かして存在を確かめると柄を引き抜いて、熊の右目に突き刺した。
熊はたじろいだ。アルフは両足でその巨体を蹴飛ばして脱出した。短剣を再び鞘に納めると、距離を取り、鉄球を頭上で回した。重たい風が渦巻き、熊がこちらを見た瞬間アルフは鉄球を上から下へ放って操った。
鉄球は熊の脳天に激突したが、何と、驚くことか、熊の頭蓋は厚い鉄兜のように固く痛手を受けた気配は無かった。
どうすれば。
「アルフ! 矢よ! ギルさんが心臓に突き刺した矢をあなたの鉄球で打って射るのよ!」
ヴェラの助言に、アルフは感心した。それしか方法はあるまい。問題は熊が二本足で立つかどうかだ。四つん這いでは矢は真下になる。
ギルが屋根の上から矢を撃った。それが背中に突き立ったようで、熊はギルを探そうと立ち上がった。
「アルフ!」
「旦那!」
「おう!」
アルフは目を見開き鉄球を放った。それは寸分の狂いも無く心臓付近に刺さっていた矢の束の尻を叩いて背中まで貫通させた。
熊は虚ろな声を上げて、それでも小屋を目指す。ヴェラに小屋に入るように言うべきだったが、アルフは言わなかった。熊の動向が気になった。
よろめいた。そして倒れた。血が点々と続き、熊の周囲の雪は熱い血で溶けていた。
ギルが湾刀を持って小屋から下り、熊の顔を切っ先でつつく。
そして彼は少し凝視したのち、アルフに向かって頷いた。
これで冬越しの懸念は取り除けたな。
アルフは小さく息を吐き、熊の亡骸へと歩んで行ったのであった。