越冬
熊射ちギルが目を覚ますのに十五分の時間を要した。その間に街道を誰も通らなかったのが幸運だった。
事情を知った熊射ちギルは、ヴェラの前に平伏した。
「王妃様、この御恩は忘れません。御無礼の変わりに何か私で出来ることはありましょうか?」
狩人は完全に感激し、敵意を失っていた。アルフにもそう見える。
「冬を静かに越せる場所はありませんか?」
ヴェラが問うと、ギルは頷いた。
「粗末な山小屋で良ければ、この街道を少し進んで右手の森の中にあります。猟師小屋として使っている本当に粗末なボロ小屋ですが、追っ手は恐らくはそこまで気付けないでしょう。勿論、私も他言は致しません」
ヴェラがこちらに確認を取るように視線を向ける。
「ギル、案内してくれ」
「合点、こちらです」
ギルは嬉しそうに先に歩き始めた。
後に続いて行くと、彼の言う通り、いや、ギル自身が草を掻き分けねば見落としていたが、森の奥へ続く小道があった。魔女プルレのことが脳裏を過ぎるが、ギルはヴェラに心服している様子だ。信じても心配ないとアルフの勘が告げた。
「こちらです」
ギルが先導する。
アルフとヴェラは後に続いた。
森の中を深く進み、丘陵になった場所に小屋があった。
ギルが扉を開ける。蝶番は軋むかと思ったが、脂が塗られているらしく音を立てずに開いた。
出入口は一つきりか。
「散らかってますが」
と、ギルがいうのも、熊や獣の大小の毛皮が吊られており、狭い小屋は更に狭くなっていた。だが、猟師の小屋に違いは無かった。
「小屋は一見ボロですが、頑丈に造ってあるんで、これから降る雪の重みにも耐えられるでしょう。ですが、雪下ろしだけはして下さい。無限に耐えられるわけじゃあないので」
「ああ」
アルフは頷いた。
「食料は時々、折を見てお持ちしましょう。一応、燻製肉と保存食のパンは棚にあるんで食べてもらって構いません。川魚の干物もございます」
「薪は裏手の納屋にあります。それが薪ストーブで」
ギルはそう指し示した。
「ただ一つ、言って置かなければならないことがあります。この辺りには熊が徘徊してますが、人の味を覚え込んでいます。大きな赤い、灼熱色の毛皮をした巨大熊です。私は元々、熊射ち。なのでそいつの行方を追い、仕留めることが、役目です。私も随分付近を回りましたが、今回は見つからず、引き続き警戒はしますが、充分、お気をつけて。まぁ、万が一の際、アルフさんなら勝てるとは思いますが」
「分かった、覚えて置く」
アルフは応じた。相手が熊と聴き、戦い方を思案していた。
「それじゃあ、時折、食事と、周辺の様子をお知らせに来ますので、私はこれで」
「ギル」
アルフは金貨の入った包みを投げた。
「これは?」
「信じている」
アルフが熱を込めて言うと、ギルは深々と頷き、ハッとした顔になった。
「水は倉庫の下を下って行くと沢があります」
「ありがとう」
「ははぁ」
ヴェラが言うとギルは平伏した。そして二人を残して丘を下って行った。ギルが居なくなると一気に静寂が訪れた。
アルフは外に出て、裏手の倉庫を見た。薪は充分にある。そして丘の下を望むと、そこに確かに沢があった。
小屋に戻ると、ヴェラが大きな毛皮に身体を包んでいた。彼女の服が脱ぎ捨てられていた。
「アルフ」
アルフはドキリとし、彼女を抱き締めようとした。そのまま深く唇を重ね合わせた。安心したためか、今日のヴェラは激しかった。アルフは何度も攻められては、陥落した。門破の傭兵も形無しであった。
ヴェラはそのまま眠ってしまい、アルフも息を整えながら、棚にあった蝋燭と銀の燭台を取り出し、火を灯した。
本当にこれで良かったのだろうか。留まる判断が早いようにも思えた。だが、アルフの重い足では真冬になっても国境まで行けないだろう。これで良かったんだ。アルフは改めて思い直し、蝋燭の炎を見詰めていた。
一羽の梟の鳴く声が聴こえた。本当に山の中なのだな。しばらく、蝋燭の炎を見詰めながら梟の声に耳を傾けていた。
ここまでの疲労とヴェラとの激しい情事の後だったからかもしれない。アルフが寝入っていたことに気付いたのは小屋の西側を引っ掻いたり、叩いたりする音であった。
「ヴェラ?」
見ると、彼女も毛皮に包まれた半身を起こし、剣に手を掛けていた。
間違いなくギルの追っている熊に違いない。外に出て対峙すべきか、未知なる相手のために逡巡していると、音は止んだ。
アルフは内心、安堵している自分に気付いた。ギルが来たら言って置こう。
アルフはヴェラに頷いて見せ、下着だけを身に着けた格好で、鉄球を持ち、念のため外の様子を見るために扉を開いたのであった。