屍術師
アルフは外に出て家の扉の前で番をしていた。毛布を甲冑の上にかぶり、いつ雪が降ってもおかしくない雲に覆われた夜空を眺めている。家の中には燻製肉があった。だが、ヴェラはあまり得意ではないらしい。結局、保存食のパンを見付けて食べていた。
番をしながらアルフは眠った。本当は湯船でヴェラと繋がって寝たが、それでも寝たりなかった。ヴェラのお陰で心は大分マシになった。無益な殺生を行い、言葉の暴力に沈んでいた自分はもういない。ヴェラさえ居れば良い。
出来れば星空を見たかったが、今日の俺にその資格は無い様だ。
アルフは浅い眠りに落ちた。
なので、翌朝、こちらの警戒などまるで無縁とばかりの無遠慮な足音が無数に聴こえて来た時に彼は即座に目を覚ました。
ヴェラはまだ寝ているだろうか。
丘の下にはたくさんの影が蠢いてた。
女どもがやはり決起したらしい。アルフは最初そう思った。なので、集団が覚束ない足取りで丘を上り始めた時には、違和感を覚えていた。まるで、眠りながら歩いているようだ。
彼は鎖を握り、鉄球を提げた。
相手の足取りは遅いと思った瞬間、数人が駆け出して来た。その憎悪の叫びと言えば、戦士であり、破壊の傭兵と言われているアルフの肝を少しでも縮ませるには充分だった。
相手は男だった。首を傾け、濁った目を向けて三人がアルフに跳びかかった。アルフは驚いていた。顔の半分が潰れているというのに、そいつらときたら平然と跳びかかって来る。
アルフは鉄球で薙いで三人の敵を吹き飛ばした。
だが、驚くことに三人の敵はゆっくり起き上がり、虚ろな声を出してアルフにゆっくり迫っていた。
死にぞこない? いや、死んでいるはずだ。だが、現に奴らは首が折れても立ち上がり、俺を襲おうとしている。
そうしてその頃には丘の下の者達も上り終え、アルフに向き合っていた。アルフは確信した。こいつらは死んでいる。死して尚、俺を殺そうとしている。
そんな立ち尽くす屍の間を抜け、一人の影が姿を見せた。黒い導師服に身を包んだ若い男だった。
男はアルフを見るなり、まさしく狂ったように笑った。
「破壊の傭兵さん、今の君の表情は実に愉快だ。後にも先にもそんな顔をさせたのは僕だけだと信じたいね」
黒い衣装の男は黄土色の長い髪をしていた。そして自信に満ち溢れた目を向けて来た。
「その御様子、死者と戦うのは初めてのようだね」
「お前は誰だ?」
その時、扉が開いた。
「アルフ、気を付けなさい。相手は屍を操る術師よ」
ヴェラが険しい声でそう言い、どこで見付けたのか、年代物の剣を引き抜き両手で柄を握り締めていた。
「ヴェラ、下がっていろ」
「御名答。さすがは王妃様、僕は屍術師。やがて世界中の死者を操って王になる男だよ」
相手は面白おかしそうに笑うと、顔を押さえ指の間から狂気に歪んだ目を向けた。
「アルフ君がたくさん殺してくれたおかげで最初の兵隊達が思ったより多く手に入ったよ」
相手は大義そうに右手を掲げ指をパチリと鳴らした。
死者達がよろよろと動き始め、虚ろな声、常人なら恐怖に竦みそうになるような声を上げて、アルフへ向かってきた。
アルフは鉄球を頭上で振り回し、勢いを付けて敵に向かって飛ばした。一人の顔面が吹き飛んだ。起きるかと思ったがそうはならなかった。
「アルフ君、君は実に器用だ。そうその通り、屍達を機能停止にするには頭を割るしかない。中途半端はいけない。微塵にね」
その時、一陣の風が吹き荒れた。
ヴェラが踏み込み、剣で敵の首を斬り落とした。頭を失った屍は崩れ落ち、二度と起き上がらなかった。
「それと、首から上を失くすこと」
ヴェラが言ったが、アルフは彼女にも驚いていた。ずっと細くて脆くて非力な女性だと思い込んでいたからだ。
「ヴェラ、どこでそんな剣術を」
「話は後よ。このままだと追い詰められるわ」
ヴェラが言った。薄汚れたドレスをはためかせ、アルフの後ろに陣取った。アルフは彼女の目が戦士の目をしていることに気付いた。しかし、今は眼前の脅威を取り除く方が先だ。
アルフは次々鉄球を薙ぎ払い、屍共の頭を砕いた。まるで二重の罪を重ねている気分だった。だが、首魁は屍の向こう側に行ってしまった。
屍の一体が薙ぎ払い終えたアルフ目掛けて飛び込んで来た。
「任せて!」
ヴェラが背後から飛び出し、屍を斬り下げ、頭を首から切り離した。
アルフはその間に鉄球を振り回した。正確無比に頭を砕かねばならない。
首魁の男だろう。指がパチリと鳴った。
すると、屍達は獰猛な咆哮を上げ、アルフに向かって突っ込んで来た。
アルフの鉄球の間合いをあっという間に埋め尽くす。ヴェラがアルフの眼前に飛び出し、剣を振るうが、屍達は彼女を掴もうとした。
「させぬ! ヴェラに触れて良いのは俺だけだ!」
アルフは飛び出し、鉄球を直接持ったまま、屍共の顔を殴り飛ばした。残った頭蓋が折れる音が聴こえた。
「聖なる力よ、今一度、私に力を授けなさい!」
ヴェラが咆哮する。彼女の掲げた剣が白く淡い光りに包まれた。
「ホーリーソード!」
ヴェラが輝く剣を使い、死体どもに斬り込んで行った。驚くべきことを彼女は起こした。屍の首を刎ねなくとも、身体を切っただけで、屍は一瞬で全身が灰となり霧散した。
今のは神官の秘術か? しかし、何故ヴェラが。
そんなことを考えている暇は無く、アルフも鉄球を敵の顔面にぶつけて破壊する。
そうして屍共はもとの屍となった。アルフは目を向ける。降り積もった灰がヴェラの強さを物語っている。
残った屍術師は、大笑いした。
「いやはや、参った。ヴェラ王妃が神官だったとは。おかげで大事な兵士を全て失った」
そしてこちらに背を向けるや、再び狂気を孕んだ目を向けた。
「僕はこれで失礼するよ。破壊の傭兵に、御妃様」
屍術師は黒い外套をはためかせ逃走して行った。
どうにか、勝てた。ヴェラの活躍が大きい。アルフが戻って来るヴェラを見ると、彼女は言った。
「私は元は慈愛の神に仕える尼僧でした。慈愛の神は愛を語りながらも、大切な人を守るために剣舞の修練を説いていました」
「だから、君はあれだけ卓越した剣技と胆力を持っていたのか」
「非力な私の方が好きかしら?」
「ヴェラ、俺はどっちの君も大好きだ」
アルフはそう言うとヴェラを抱き締めた。
「ありがとう、私の可愛いアルフ。黙っていてごめんなさい」
ヴェラも抱き締め返した。アルフはかぶりを振り、名残惜しいがヴェラから離れた。
「出発しよう」
「ええ」
こうして二人は再び国境への旅を始めたのだった。村の中を通ると、遠巻きに女子供らが二人を憎しみと困惑の目で見て来た。
アルフはヴェラを抱き寄せていた。