俺は、待っている
俺は、待っている。
いつまでも、待っている。 あの女が、動き出す気配を。
だが、朝になったが、今だにあの女の動き出す気配がない。
こちらは夜通し起きていたというのに、気楽なものだ。
ふと耳を澄ますと、音が聞こえた。
あの女が起きる時に、必ず聞こえてくる音だ。
「ジリリリー」という音は、俺の耳にはうるさく聞こえる。
だが、この音が聞こえてすぐに、あの女が動き出す気配はない。
たいてい、何回か音が聞こえて来てから、ようやく動き出している。
今朝も同じだった。
俺の耳にはうるさい音も、あの女の耳にはそうでないらしい。
ごそごそと何かから這い出す音がして、がらっと俺のいる場所のすぐ近くにある戸が開いた。
「おはよう……」
女はそう呟くと、まずはすぐに台所へと行った。
そして、そのままガスコンロに置いてあるやかんを手に取り、水道の蛇口を捻った。
その後ろ姿を、俺はじっと見つめた。
そう、俺は待っている。
ずっと待っている。
あの女が、この視線に気づくのを。
しかし、あの女は俺がじっと見つめているのも気づかずに、出て来た部屋に戻り、何かガサゴソと音を立ててやっている。
しばらくすると、女はパジャマからトレーナーとズボンになって部屋から出て来た。
ふと、女がこちらを見た。
やっと、俺の視線に気づいたらしい。
「ああ、ごめん。ちょっと待って」
女はそう言うと、コンロの上にやかんを置き、火にかけた。
そのまま俺がいる場所に近づき、俺が求める物を、皿の上に置いた。
だがそれは、俺の求めている物ではなかった。
これは、口に含むとぱさぱさした感触がするものだった。
女は俺の視線に気づかずに、台所で調理を始めた。
さつまいもを段ボールから取り出して、皮むき器で皮をむき始めている。
俺は、待っている。
ずっと待っている。
女が、俺の視線に気づいてくれるのを。
女はさつまいもの皮を剥き終えて、それをまな板の上に置いた。
そして、やはりふと、俺の方を振り返る。
「何?……さっき餌あげたでしょ、ルビーさん。って、ドライフード食べたくないの?」
俺は、じっと女を見つめた。
「ああ、これとは違う物が良いのね。それじゃあ、これはどう?」
女が俺のいるゲージの戸を開けて、さっき剥いたばかりのさつまいもの皮を入れて来る。
俺は、それにかぶりついた。
そう、俺はこれを待っていた。
ずっと待っていた。
良い土と良い空気の中で育った、このさつまいもの皮を!
風味豊かで瑞々しい感触を持つ、このさつまいの皮を!
「うさぎなのに、珍しいタイプだよね、ルビーさん。今までの子達は、ニンジンの皮とかリンゴの皮が好きだったのに」
女が不思議そうに言うが、俺はもう構っていなかった。
無我夢中で、さつまいもの皮を食べ続けた。
人間である女は、いつも忙しそうにしているが、俺はウサギだ。
人間が許す範囲で活動し、なおかつ生活する。
それが俺の運命だが、その運命を不満に思ったことはなかった。
一見不自由そうだが、飢える心配も、敵に襲われる心配もないこの生活は快適だ。
だが、この女が与える、あの乾いたえさだけは、どうにも我慢ができなかった。
だから俺は、明日も待つのだ。
ずっと待って、「俺の好きな餌をくれ」と、あの女に訴え続ていくのだ。