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4「音の拘り」


 都会らしい大通りを抜けた。どうやらエイトの家は中心地からは離れているようだ。あと二十分程は走るらしい。こんな距離を迎えに来させて申し訳ないと謝ったら、逆に怒られた。

「わざわざこっちに呼びつけてるんはオレやねんぞ? これぐらいさせてや。それにオレの愛車見せたかったし」

 そう言いながら笑う彼は、確かに上機嫌だ。

 車の知識は俺にはないので、この車がどんなものなのかはわからないが、それでもあまり見かけない、珍しい車種なんだろうということぐらいはわかる。大音量の音楽に包まれる感覚が、座った時からずっと続いている。でも少し音量は下げてもらった。透き通るような車内の香りすらかっこいい。

「凄い車だね。かっこいい。俺、スポーツカーなんて乗ったの初めて」

「これもな、エイトって言うねんで?」

「車の名前? この車が好きだから、キャラ名もそれにしたの?」

 愛おしそうにハンドルを握る彼に少しモヤモヤしながら、それでも嬉しそうなその表情に目が釘付けになる。

「そういや名前の由来、まだ話してなかったな。今夜のコラボの時の質問コーナーにも、確か同じ質問来てたし。そんな気になるもん――」

「――気になるよ」

 ほとんど食い気味に返事してしまった。だって、気になるし。今聞いておかないと、俺が一番最初に聞けない。

「せやな。サクには先に話しとこな」

 運転しながらエイトが俺の頭を撫でてきた。まるでデートみたい。視線は真っ直ぐ前を向いたまま、左手だけは、俺のことを愛でる。口元にうっすら浮かんだ笑みに、彼の気持ちも透けているようで。

「オレ、名字が八谷っていうねん。それと好きなこの車を掛けてエイトって名乗ってるんやわ」

「八谷……くん」

「やめてやいきなり気持ち悪い。名前は昌也っていうから、呼ぶんならそっちな。あと、呼び捨てで」

「……昌也」

 初めて教えてもらった名前を、噛み締めるように伝えると、彼は今度はこちらを向いて「なーに?」と微笑んだ。その完璧な仕草に、俺の心臓はもうパンク寸前だ。

「サクの名前……いや、今は聞かんとく!」

「え?」

 彼の言葉に落胆を隠せない。なんで? 俺のことも知って欲しい。

「オレ、間違えて配信で本名呼んでまうかもしれんから。今夜、全部終わってから教えてや」

「……う、ん」

 わかる。彼は俺のことを考えてそう言ってくれてる。優しいんだ。だから悲しいなんて、言っちゃダメ。

「そんな寂しそうな顔すんなて。オレだってサクの本名呼びたいで」

 信号待ちで車が停車する。停車しても尚爆音を垂れ流すこの車の車内は、スモークによって外からは見えない。やっぱり条例違反だし、なんだったらヤバすぎてわざわざ覗き込む人も少ないだろう。ハンドルから手を放した彼が、身動きの取りにくい車内のなか、俺の身体を抱き締めた。

「サクの名前はオレだけのもんにしたいから。絶対……絶対オレ以外には聞かせたない」

 彼の手がまた耳に触れる。愛おしそうになぞられて、その口元に笑みが浮かぶ。

「可愛いサク。配信の後のお楽しみに、オレにサクっていうご褒美ちょーだいや」

「え……?」

 思わず赤面してしまう俺に、彼は笑いながら姿勢を戻した。信号が青になり、車が動き出す。彼の手もハンドルに戻り、名残惜しそうな溜め息が、俺の鼓膜を刺激した。

「エロエロなこと考えてるんかー? サクってほんま、やらしー」

「そ、そんなんじゃないから」

 からかいの言葉に潜む獣の気配。俺はその言葉にいつも犯されている。

「……サクってさ、“音”に拘りあるやろ?」

「え……あ、うん」

 彼の声専門だなんて言えない。

「オレもあるんやわ。オーディオ関連な。せやから家ん中もこの車も、音響だけは手ぇ抜いてへん。高音から低音まで、よく伸ばして響かして……それをサクにも楽しんで欲しい」

「うん、凄い綺麗な音だよ。心臓まで響く、強い音……」

「家ん中も同じように響かせてる。いつもサクの声、それで聞いてる」

「いつもって……配信はヘッドセットしてなかった?」

「ちゃうちゃう。サクが寝てから」

「……一緒に、寝てなかったの?」

 それなら、俺だって……もっと起きて、もっと声を聞かせて欲しいのに。

「ずっと保存した録画流して……サクの声で部屋を満たしてた」

 相変わらず視線は前を向いたまま。表情を崩すこと無く、彼は続ける。

「機械越しじゃない生のサクを、今夜はいっぱい聞かせてや」








 ガチャリと大袈裟な音を立てて、部屋の鍵が開く。

 少し田舎な景色に彩られた、ごくごく普通のアパートの二階が、彼の部屋だった。駐車場付きで一人暮らし。多分生活費は俺よりかかりそう。あんな車だし。

「掃除はしたけど、どうやろな? とりあえず入ってや」

 軽口を叩きながら彼が扉を開けると、ふんわりと香水の香りが鼻腔を擽った。少し甘めのからみついてくるような、彼の香り。車のなかで感じた透き通った匂いとは別の、彼の日常――彼が身に付ける存在に包まれる。

 靴を脱ぐことも忘れて立ち竦む。すると後ろで玄関の扉が閉ざされた。これで彼と二人っきり。密室の完成。

 後ろから彼が抱き締めてきた。耳に彼の息がかかる。身長は彼の方が少し高いから、本当に、彼に包まれている感覚になる。

「そんなとこおったら、部屋入られへんやん」

「……そんなのされたら動けない」

「あ、それもそうやな」

 悪い悪いと言いながら全く悪びれない彼に、つい俺も笑ってしまう。この空気、好き。それに、そんなこと言いながら、彼はまだ抱き締めたままだ。

「サク……」

 耳元でダイレクトに伝わる甘い音色。少し強くなる抱擁に、彼の心が伝わってくるようだ。

「あかん、配信終わるまでは我慢するって決めてんねん。さぁ、まず準備だけして飯にすんぞ」

 一瞬だけ強く強く抱き締めてから、彼はさっさと靴を脱ぎ部屋に入っていく。

「ねぇ……我慢って?」

 俺は恥じらいを感じつつも、聞かずにはいられなかった。俺達は、音を共有している。この感情も、きっと……でも、怖い。こんなけがらわしいことを考えているのは俺だけなんじゃないか……

 1LDKの短い廊下で、彼は俺に振り返った。憂いを帯びた瞳が、俺を静かに捉える。

「中身全部言ってもええの? オレが考えてること全部、全部サクにぶちまけても、ほんまにええの?」

 そう言葉を綴る口元に浮かぶのは、軽薄そうな悪い笑み。それなのにその上の瞳は、ずっと寂しそうに揺れている。

「俺はっ!」

 彼にそんな顔をして欲しくなくて、思わず大きな声が出た。でも、それで良い。彼の声に、そんな……そんな悲しげな声なんて聞きたくない。

「俺は、昌也の声だけじゃ我慢出来ないからここに来た。だから、そんな……俺にはちゃんと言って」

 彼の瞳から涙が溢れる。その愛しい喉から、小さな呻きのような嗚咽が漏れた。

「……オレのこと気持ち悪ぅないん? ネットなんか……電子の上では、いくらだって嘘つけるやん。だからほんまにサクが来てくれて、オレすっげぇ嬉かってん。嬉しいから……車出して、いっぱいいっぱい、お姫様みたいに優しくしようって。もうオレな、恋愛で失敗したくないんやわ。だから、オレのこと……からかうんやったら、やめてくれ」

 彼の姿が見ていられなくて、気付いた時には駆け寄って抱き締めていた。

 平日の昼下がり。日当たりが悪いのか部屋のなかは薄暗く、家の前の道路を走る車の音だけが、小さく空間に流れている。

「……俺だって同じ気持ちだよ。だから気持ち悪くなんてない。本当に昌也が好き」

 彼が自分にそうしてくれたように、ぎゅうっと少し力を入れて抱き締める。細身だがしっかりと筋肉がついている彼の身体は、魅力的で魅惑的。

「好き? サクがほんまに、オレのこと好きなん? ほんまに?」

 何度も聞いてくる彼のことがなんだか可愛くて、俺は思わず吹き出した。その態度に彼も少し落ち着いたのだろう。バツが悪そうな表情で、俺のことを見下ろしてくる。反則みたいなかっこよさ。

「うん。昌也は?」

「当たり前やろアホ」

 にっこりと笑ってそう聞くと、彼も笑顔で答えてくれた。そして二人で抱き締め合ったまま、見詰め合う。意味深な時間。彼が小さく笑い、耳元でそっと囁く。多分キスなんかより、よっぽどヤバい。甘すぎ。

「今夜はサクがして欲しいこと、全部してあげる。これがオレのしたいことやで」


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