夾竹桃の咲く庭で 〜しろいいろ
シャンシャン、シャンシャン、クマゼミの鳴き声、降り立った無人駅。大きな榎が駅舎の前にある。私は、電車を乗り継いで墓参りに向かっている最中。白い百合に白い菊、グラジオラスの供え花を抱えている。
ポツンとあるバス停で時間を見る、もうしばらくすれば来る。良かったと、ホッとした瞬間。しかし夏の太陽は立ちで待つ私にジリジリと焼くように照らしてくる、黒いアスファルトから熱気が立ち上がる。
青いボロボロのベンチが置いてあるが、座ったら汚れそうだし、熱そうだし、仕方がないのでそのままで汗を拭き拭き待っていた。
高台にある公園墓地行きのバスがぐるりと、大きくカーブしながら入ってきた。停車をし、ドアが開くと案内の声がする。チン、音を鳴らして整理券を取った。ガラガラの車内、一番後ろの窓際に座る。
花を隣に置いて、かばんからペットボトルを取り出した、カラカラに乾いた喉を潤す。生き返るひととき。車内は空調が効いていて涼しく快適だった。
☆☆☆☆☆
「すまないが休み明けから、別の家に行ってくれないか」
あの夕立の翌日、変わらぬ様に行き、汚れた窓を拭き上げ、落ち着き穏やかに戻った奥様と、いつもの様に時間を過ごしたのだが、次の朝事務所に行くと、所長が私を呼び止めて、すまなさそうに話をしてきた。
「ああ、はい、構いません。私も変わってもいいかなとは思ってましたから」
「ん?ああ、もしかして、妄想話と猫の話かな?若いのに大変なお宅に行かせてしまって、すまなかったよ。ホントごめん。息子さんには話を通してあるから、何も言わなくて良いよ」
行く先が突然変わるのはよくある事なので、すまなさそうな顔色の上司を立てて、適当に話をあわせた。
「奥様の事は大丈夫でしたよ。次は誰がいかれるんですか?」
「ああ、田中さん、お世話していたお客様が、老人ホームに入られることになってね、家も空き家になるから契約終了になったんだ」
田中さんか……確かここに来る前は、老人ホームで介護士されてたのよね、うん、あの人が空いたんだ、彼女なら大丈夫だわ。私は会えばいつもニコニコとしている、彼女の顔を思い浮かべた。そもそも最初は彼女に回ってきた家だった。
「うん、悪かったね、つなぎみたいで……、じゃ明後日からのお宅の住所、メールで入れるから……、明日の休みはどうするの?」
ぽっちゃりとした所長は、機嫌よく聞いてくる。
「お墓参りに行ってきます、お盆には電車が混むから」
「ほお、そういやお母さん……、若いのに感心感心、じゃぁそういう事で」
ハウスキーパーを派遣しているこの会社、週イチだけどきちんとお休みがある。その日は別の人が入るシステム。朝は事務所に出てから、依頼されたお宅に伺う事になっている。一日4時間〜8時間勤務の契約、残業費別途……、泊まりの勤務は無し、今に合わせて細かく決められている。
なので夕食を共にする楠様の様なお宅には、午後から勤務になる。私はお墓参りを済ませたら、美味しいものを食べて、映画でも見ようかな、他愛のない計画を立てながら、奥様と最後の日を、特に何も言わずに過ごした。
バスの揺れに身を任せる。行き過ぎる車窓から見える街路樹の流れる緑色、欅が大きく伸び葉を繁らせている。町を通り抜けると、畑や田んぼが広がり、やがて坂道となる。山の中を右に左にカーブをしながら上に、上に登って行く。やがてバスは目的地にたどり着いた。
「こんにちわ、すみません、あの、お墓掃除の道具貸してもらえます?それと管理費を」
「あー、ハイハイ、三百円ね、こっちは管理費ね、ご苦労様です。そうそう領収証。領収証………ハンコ押して、はいはい、預かりました。ありがとね」
少しばかり傾いてはいるが、しっかりとした作りの管理棟を覗く、交代で当番をしている下の集落のシルバーさんが、畳敷きの部屋で扇風機にあたりながら、テレビを見ていた。よっこいせと立ち上がると、バケツに入ったタワシや雑巾を用意した後、差し出した封筒のお金と引き換えに領収証を渡された。
掃除用具は数年前までは無料だったけど、ここ最近レンタル料を払うことになっている。なんでも持って帰る人がいるらしい、世も末ねぇと思う。
外の水道で水を汲む。整備されている公園墓地、白い夾竹桃の花が盛りを迎えている。虫がつかないから公園に植えられている事が多い。
大きなかやの木、栗の木、紅葉、楓、山桜の木、朴の木などの雑木や、人の手により植林された檜に杉が植わっている山から、ミーンミンミン、ミーンミンミンと蝉の声。朝夕にはカナカナカナと、ヒグラシが合唱する。
「え、と……、右側の一番奥だったわよね」
よいしょっと水を下げると、御先祖様の元に向かう。ここは母方のお墓。祖父と祖母には、母以外子供は無かったと聞いている。遠くから出てきていた祖父と祖母、親戚は探せば居るだろうが、私は知らない。
「子孫いないのよね、我が家って、お墓参りは私独りだけなのよね、大丈夫かしら、この先」
盆前なので綺麗に草がむしられ刈られている墓地。チラホラと作業している姿。笑いながら草むしりをしている。クリーナーのエンジンの音。中には草にまみれたお墓も有るのだが、ついでにと、ザッと鎌で刈る数人のおばあちゃんやおじいちゃん達。
通路や周辺の草刈りをする傍ら、シルバーさん達は、管理費を払ってさえいれば、草ボウボウにならぬ様に、荒れぬ様に、お墓の草むしり、供え物の片付けをしてくれている。ボウボウのお墓は、管理費を納め墓参りに来る人がいないのだろう。
カアカア、カアカアとカラスが寄ってきている。食べ物は供えたら持って帰る様に言われているので、私は供えない。タワシや雑巾を使い、墓石を洗い拭き上げた。かばんから蠟燭と、お線香を取り出す。洒落っ気を出して、珈琲の香りがするのを選んでみた。
☆☆☆☆☆
祖父と祖母、母が眠っている。花を立てた、しゃがんでつれづれに思い出す。私には優しい祖母だった。寡黙だったけど祖父も……、祖父は祖母と一緒になる前、好きな女がいたらしい。
「芸奴さんなのかな?『源氏名』みたいじゃない?その相手、全くおじいちゃんもしょうがないわよね、やり取りした手紙位捨てときゃよかったのに」
そう話して笑っていた母、祖母は、恩ある人に強く勧められ、断りきれず結婚したと話していたらしい。
「おばあちゃんも頑固なのよね、おじいちゃんも、女々しく後生大事に置いとくから、やぁよねぇ」
昔の女が忘れられないから、母の名前を縁のある様に付けた事が、気に入らなかった若かりし時の祖母。
そういえば母の事は『ひいちゃん』と呼んで決してフルネームでは呼ばなかった。嫌いだった延命菊、またの名を『ヒナギク』
立ち上がり、墓石に彫られた字をなぞる。水が中に僅かに溜まっている。おじいちゃんの名前、おばあちゃん、おかあさん。お母さん。私ね……。多分だけど……。
「『お父さん』てさぁ……、名字は『くすのき』さんじゃないの?タロさんって呼んでたけど、これがほんとの名前って言ってたよね、でも『タロ』じゃないよねー、犬じゃないんだから……、ねぇ、聞いてみたい相手がいるんだけど、どうしたらいい?」
母と父は大学生の時に出会ったと、それだけ聞いている。甘く幸せいっぱいだったそうな。リア充ね、ハイハイ。
――「うふふ、卒業目前に出来ちゃってね……、何故かお母さん、式が終わったら……『ごめん貴方とはおわりよ』って手紙送って、そのまま独りで逃げちゃった、なぜかな?うーん、独りで産んで育てたいって、思っちゃったのね、だってタロさんは、卒業後は外国に行くってたし、おぼっちゃまくんだったから……。出来たなんて言うと、駆け落ちしようと言い出すタイプだったし、仮にそうなったとしても、きっと貧乏になって、喧嘩別れするのがみえてた、うーん、ごめんね」
父の事を詳しく聞こうとした私に、あっけらからんとそう話した。とりあえず地方にある家に戻ると、渋い顔の祖父母を説得し、私を産んで育てた母。
「自分のルーツが半分わからないのって、なんかあやふやなのよね」
ふぅ、私は何者なのかしら……謎を抱えて生きている。僅かなきっかけは見つかったけど……確かではない、聞かねば何もわからない、でもきっと、ご本人も知らないだろう。母は身籠った事は『タロさん』に知らせてないと話してた。
「あの奥様も知らないだろうなぁ……、契約者の丈一郎さん?も……、海外だし、私的な事は聞けないし……」
私の母の名前は『日菜子』 祖父が亡くなった時に押入れの箱から出てきた、ボロボロに黄ばんで薄れた手紙に、柳文字でしたためられていた名前は『ひなきく』
焼いたらあの世に送っちまうからね、とゴミ袋に古びた束を、ぐしゃぐしゃと丸めて突っ込んだ祖母、その顔がとても怖くて、何も言えず突っ立てた私の傍らで母は、苦笑しながら眺めていた。
「おばあちゃんが生きてたら聞けるんだけど、あー、でも知ってたかな?おばあちゃんの事だから調べる事なんてしなかっただろうな。じゃぁ知ってるのはおじいちゃんのみか、私が小学校だったけ?先に死んでるし、おばあちゃんもその後ぽっくり逝っちゃったし」
そう墓石に話しかけた。なんだか不思議に思う。しゃがんだままで、空を見上げる、青い青い、プラスチックの色の様な硬い青空に、ホイップクリームの様なカチカチの白い雲。
「……、少しばかり『妄想話』をするけど、聞き流してほしい、認知じゃなく昔からそうなんだよ」
……そう聞いているけど、もし奥様の言ってらした事が本当で、祖父の片思いの芸奴さん『ひなきく』と、その人が同一人物で……、もし、祖父の想いが通じていたら、私はここにいないかもしれない。
全ては想像でしかないけど。あやしい話だけど。
奥様は雨が止むまで話された。本当か嘘か、彼女の中で創られた話なのか、真実なのか、わからぬ話を……。お茶を点てたと話していた。おじいちゃん知りたい?知りたくない?私は再び話しかける。
――、苦い濃い茶を点てたんだって、寒い寒い冬の夜に、ひっそりと茶室ではなく台所で……手渡された包みを開けるとお抹茶が入っていたらしいよ。
「それを使う様言われて、台所で点てたんだって、後腐れない様に、それとなく理由をつけ立ち上がり、共に出た舅さんにこっそりと言い付けられ。母親は独りでいいんだと、芸奴など家には入れぬと……」
――、だってさ、怖いよねー、でもそんな事ってあるのかな?妄想話だよね、うん、おじいちゃん、そうよね。あの奥様は、ちょっと奇しいおばあちゃんってだけなのよね。
燦燦とした太陽の光が、ジリジリと照りつける。話を止めまぶたを閉じた。妖しい光景が浮かぶ。年老いても綺麗な奥様。若い時は、匂い立つ華人だったろうと思う。
暗い五燭の電球の灯りの下で、抹茶茶碗に濃い茶を点てる姿。赤い唇を噛み締め、血の赤を唇に滲ませ、全てを飲みこんで懸命に、密やかに茶筅を扱う若き日の姿、中身に触れぬようにと言われた、広げられた白い紙、そこにうっすら残る緑の粉………。
御先祖様が御殿医をされていた為か、その手の書籍が多い家、ちょっと気になり調べれば、薬効がある植物が多く植えられていた。
棒切れを握りしめ、目の色を変えて、出ていけ!と罵りながら、入り込んだ野良猫を追いかける奇しい姿。
庭に咲き誇る、桃色、赤、白い夾竹桃の花。おもとにトケイソウもある、赤い実のイチイの木、白い花のアセビの木……。
「姑はね、埋める様に私に言ったの。埋める様に……桃子は産まれてまだ三月、食い初めの祝の前に死んだの、墓など入れては貰えなかった。他の女だけど独りだと可愛そうだから……、ほほほほ、ねぇ貴方、桃色の夾竹桃、とても綺麗でしょう、桃色、桃の葉、あの子の花。私もとても好きな花なのよ」
夕立が降る中、そして雨が止み光が差すときまで、奥様の物語を微笑みながら、つらつらと話をしていた。
ミーンミンミン、ミーンミンミン、ミン……。気だるい蝉が退屈気に鳴いている。よいしょ、と私は立ち上がり現実に戻った。
―――、さて帰ろうと、管理棟に向かう、道具を返し、礼を述べ時間を見るべく携帯を取り出したその時……、ブルルル、ブブブブ、マナー設定のそれが動いた。誰からだろうとそれをスクロールして取ると………。
「ああ、良かった、ちょっと事務所に戻ってくれないか?」
それは所長の声。少しばかり困っている様子。私は何があったのかと不安になり話を聞いた。
「いやぁ……、その、なんだ、くすのき様の例の奥様がね、君でないと嫌だとごねられてね。困ってるんだよ」
「え……、くすのき様の奥様が?」
「ああ、顔合わせがてら田中さんが今日入ってね、明日から私が来ますからと話したら、えらい剣幕で怒られてしまって、追い出されたそうだよ。息子さんに窘めてもらったんだが、上手く行かなくて。すまないが……事務所に今から少しだけ、 顔を出してくれないか?」
向こう側で、頭を抱えている所長の声、私はわかりましたと応じて電話を閉じる。あの夾竹桃の庭、奥様との日々は短かった、そして奇しいけど、私にとっては嫌なものではなかった。明日からまた行ってくれないか?と言われるのは想像がつく。
「どうしようかな、あの家に行くか、断るか」
ザワザワと……、夏風に煽られ葉を鳴らしている、白い花が盛りに溢れる夾竹桃……。あの家に通っていればそのうち息子さんとやらにも、会えるかもしれない。
「丈一郎さんか、丈太郎さんか、どっちなのかはわからないけど……」
母の若い時に似ている私、出逢えばどうなるのだろう、『タロさん』とは誰なのだろう……、知るすべは墓の下で眠っている。
花を眺めていた、そして何かに気が付き下に目を向ける、それに近づく。
その木の下には丸い石が幾つか苔むしていた。花立には、誰かが備えた桃色と赤と白の夏菊の花、何本か土に挿されている、クルクル回るカラフルな色したプラスチックの羽の風車。
「水子塚……花の下に眠ってるのね」
「綺麗な花の下には死体が埋められているの、ほんとよ」
奥様の声が耳に聴こえる、怪しい話を思い出す。私はしゃがみ込むと、手を合わし、瞑目した。そして立ち上がり、その桃のような葉を傷つけぬ様に、そろりと触れてみた。
………、くすりと、笑ってしまった。何故なのかはわからない。声を立てて笑いたかったが、場所が場所だけに作業する人達に、あやしい人物と思われるのが嫌なので、それに留める。
ジッ、じーじー、みーんみんみん、みーんみんみん……山では蝉時雨が鳴いている。耳に聴こえる、目には白い夾竹桃の花、暑い暑い盛夏のある日。
終ー。