夾竹桃の咲く庭で 〜あかいいろ
ゴロゴロ、ゴロゴロ……ザザザ、ザザァ、風が枝葉ゆらし草花を揺らし、強く吹く。空から黒くなり、近づく音。どこかしら生臭いものを感じる。あちこち開け放してある窓と部屋の戸を閉めて回る。
そして小部屋と台所、表座敷と主の部屋のエアコンを入れた。暑いときには遠慮なく入れる様、海の向こう側に住む息子さんに言われている。しかし人工のこれはあまり好きではないと言われる奥様、日中は扇風機と開け放しで過ごすこの家。
緑が多く、座敷の戸をあちこちと開け放てば、ワンフロアになるような家。地下水を汲み上げ作っている、風流な水琴窟がある前庭に面した縁側、裏手に面した裏縁側がある造り。なので風がよく通る為なのか、心地よい夏の暑さで過ごせるのだが、防犯の為に閉め切る夜や、雨降りの日は話は別。ムッとした熱が籠もるので仕方がない。
コオォと静かな音と共に乾いた冷たさが広がる。小部屋で洗濯物を畳んでいると、やれやれ、今日は早めに終われということね、と奥様がシャワーを浴び着替え、私に声をかける。
「ここにいたの?お茶でも入れましょうね、ああ。貴方はお仕事を片付けてちょうだい」
私がお入れしますと言うのを制して、玉露でも飲みましょう、午前中涼しい内にくず餅を買ってきたのと、いそいそと台所に向かう彼女、断るのもあれなので、素直に言葉に甘えて洗濯物を片付けた。
☆☆☆☆☆
小花の透かしが入った白の湯呑茶碗、そこに入る緑色、ガラス皿に前もって庭から取ってきてたのか、紅葉の葉をあしらいその上にちょこんと、うずくまる透き通るくず餅がひとつ。
「こちらにいらっしゃいな、いただきましょう」
引き続きそこで、アイロンがけをしていると声がかかった。はい、と返事をし手早く終えアイロンをしまう。エプロンを外し髪を整え手を洗う、少しばかり気合を入れた。何を話されるのか、朝顔の葉が身をよじる様に、風に煽られている窓を眺めた。
縁側に面した座敷は、藤のカーペットが敷かれて、その上にお洒落なテーブルセット。昔は座卓があったのだけど、嫁や孫達が正座が苦手だから、これもいいでしょうと笑って教えてくれた。
一つに座り湯呑を手にしながら、雨粒が叩きつけ跳ね上がる外を見ている。ガタガタ、揺らす雨風、ゴロゴロバリバリ、雷が直ぐ上に来つつあるらしい。禍々しい陰を含んだ様に見える横顔、薄暗い室内、私は照明のスイッチを入れた。
「失礼します。お気遣いありがとうございます。頂きます」
一礼をし、椅子を引く。菓子皿と茶器が並べられている向かい側に座った。湯呑の蓋を開け手に取る、くるりと揺らす様に回すと、甘い香りが立ち上る。
「前から思ってたけど、若いのにきちんとしてらっしゃるのね、お家のお躾がよろしいのね」
「……いい香りですね、美味しい。いえ、社にも言われてますから」
「それもあるけれど、それだけでは無いわ。言葉の使い方、立ち居振る舞いに、お父様とお母様のご教育が行き届いているとよく思ってよ」
お父様、どきんとする。私は父親の顔は知らない。ありがとうございますというのも、嘘をつくようで息苦しい。なので正直に話すことにする。
「……、ありがとうございます。でも私は訳があり、父親は知りません。顔も見たことが無いのです、写真も見たことなくて。躾というよりそうでないと、人の口にたちます……」
「まぁ、するとお母様がお独りで?」
「ええ、二人暮しでした。その母も一昨年亡くなりましたが……」
そう。悪い事を聞いてしまったわね、ごめんなさいね……。もっちりとしたくず餅に、ぐっと押し込む様にクロモジをさす彼女は、悪いとは思っていない口調で話す。
しばしの沈黙がうまれた。
ゴウゴウ、ガランガラン!庭で何かが風に煽られ転がる音、ガタガタ、ガタガタ、ヒュゥォ、バダバタ、大きな窓ガラスを叩く雨風の音。美しい庭をよく見える様、ここにはグリーンカーテンは置いていない。なので吹き荒れる外がよく見える。
ドドーン!バリバリ!響くような空の音。ザッザァァ、目を向けると雨脚が太い。明日は窓ガラスを拭かないといけないと思いつつ、手にした湯呑みを茶托に戻す。
「美味しいわね。冷たい内に召し上がれ」
小さく切ったのを口に含みつつ、勧めてくる。透き通った葛の中にある、こし餡の丸み、皿に敷かれた鮮やかな緑の紅葉、透明な硝子の皿……、添えられたクロモジを手にする。
チカチカ、チカチカ、蛍光灯が瞬く、バリバリ!ドドドーン!響く一撃。上を見上げて腰を浮かした時、バチン!と電源が落ちた。コゥゥと、止まるエアコン。
「停電ね、落ちたのね、ふう、雨風で庭が傷んでるわね……困った事、座りなさいな、昔と違って直につくから……ぬるくなるわよ、くず餅は嫌い?」
「あ、はい……、びっくりして、いえ甘い物は好きです」
木の葉が千切れ舞っているのだろう、外をじっと見ている。薄暗い室内、腰を下ろす。向かい合う老女の横顔に再び病んだ陰を見取ってしまう。何故だろう、夾竹桃の元で聞いた言葉が引っかかっているからだろうか……。
綺麗な花の下には死体が埋まっているの、本当よ。
色鮮やかな夾竹桃、青に花の色が映えていた。美しいが有毒であるそれ。花も花粉も、白い樹液が行き渡っている緑濃い桃の葉の様なそれにも、昔……枝を焼き肉の串に使い、軍隊の兵士が、沢山死んだと何かで読んだ事がちらりと脳に浮かぶ。
皿の上見る、てりと光る様な透明な葛。中身の丸みが内臓に見えてしまう。それは何かで見たことがある、そう、この世に生を受けたばかりの胎児のような……、ふぅと、息をつき気をそらすと、私は少々力を入れて、クロモジで二つに分けた。
「………、花が散るわ、葉も千切られて、土が叩かれ跳ねて飛び散っている、バケツが飛んで植木鉢も倒されているかもしれない、庭荒らしは嫌いよ」
「奥様は、失礼ですが……猫がお嫌いなのですね」
「ええ。嫌い、大嫌いよ。庭を掘り返すもの。地に埋められた大切な尊い物を掘り返すもの、だから追い払うの、二度と踏み込むなと思ってね」
「地に埋められた物……尊い?球根とか、花の種ですか?そう言えば芽を吹いた時に掘り返されるから嫌いって、話されたお方もいらっしゃいます。植えた苗が痛むとか………」
「……、そうね、せっかく花を咲かそうと植えているのに、許せないわ、土を耕し育てた苗を植え込んでいるというのに、駆逐したいわ、何をしても奴らは入ってくる、大切なここを、全てを掘り起こしに入ってくる」
綺麗な花の下には死体が埋まっているのよ、本当よ。
そういえば、別のお宅だけどペットの金魚とか、ハムスターとかを花壇に埋めてあったっけ……、猫が入ってきてかきちらす……、ブルっと震えが来た。ここの庭にもそれからあるのだろうか。
「ねぇ、現在こうしてお若い方とお茶をしている。振り返ると……、夢の様なお話。昔、昔よ。この家はね、代々当主の名前は『丈一郎』なのよ変でしょう?そして、不遇な子供が生まれたら………家の恥なの。信じられないわね。幾ら元御殿医の家系とはいえ」
雷の音が響く。窓の外をじっと見ながら、しゃんと背筋を伸ばし話し始めた。雷は憎いわと、小さく呟くと話を続けていく。
「桃子がそうだわ、雷に気が付かない赤子。耳が聞こえなかったのね。それまではよく寝るいい子供だと褒めて貰えたのに。そう、男の子も。長男が産まれたら、二番目迄は良いけどその先は要らないの、名前も貰えぬうちに、花になるのよ、相続を争うからとかで、醜い考え方ね」
雷の音が腹に響く。雲が真上に来ているのだろう。稲光が縁側から差し込む。夕立に心を乱されたのだろうか、目の色が変わった老いた彼女は、嘘か誠か分からない怪しい身の上話を始めた。
「何故なのかしら、そんな事をしてたから、この家は寂れたのね。きっとそう……、花が許してくれないのよ。ああ、許して。守れなかった駄目な母親を。初めての子供、女の子だったわ、桃子、桃子、弥生に産まれたの、男の子は家長が名前をつけるけど、女ならば花の名前にちなめば良いと、舅がそう言って……、だから桃子にしたの。色白で頬がふっくらとして、雛人形の様な……夕立なんて嫌いよ、雷があの子を花に変えたのだから」
バタバタ、雨が叩きつけている。ガタガタ揺れる窓ガラス。バケツの転がる音、口を挟みたくないので葛餅を黙って食べ続ける。できるだけ口の中に長くいる様に、舐めるように食む。
エアコンが切れている、室温が上がる、じっとりとした汗が脇に背中に、額に滲む。制服のズボンのポケットからハンカチを取り出し拭く。
「………、ひとたらし、真白の乳色、草に詳しい舅が乳に混ぜた。姑が匙で……、ああ、可哀想に、可哀想に、桃子、そして丈一郎、丈一郎、もう少しで成人だった、悪い風邪に盗られたわ、熱が高くて……、何日も続いて……、ようよう助かったのに、言葉が出なくなった、手足が動かない、姑が、舅が、夫が……、悟ったあの子は、頷いて飲みこんで消えていった、丈太郎がいるからいいって……、名前を変えられて、お墓に連れてかれたのよ」
『丈一郎』あれ?死んでる?そして出てきた『丈太郎』なる人物……。そういや当主の名前って、兄が死んだから弟が跡取りで『名』を継いだのかな?
「……、少しばかり『妄想話』をするけど、聞き流してほしい、認知じゃなく昔からそうなんだよ」
息子さんの声が脳裏に浮かび上がる。妄想、なのかしら?私は湯呑を手に取り一口飲む、玉露共に浮かんだ疑問を飲み込む。そうであって欲しいと思う。
「ああ、ああ、丈一郎、丈一郎、私は男の子は彼だけ、桃子、丈一郎、二人しか月満ちて産む機会に恵まれなかった、ほしかった、欲しかった。元気な赤子が……、あの子も、あの子も……、流れてしまい花の下に眠っている。やれ憎らしや……、『雛菊』芸者風情の子供を、なぜにアレが産んだ子供を、私が育てねばならぬ。夫に似ていたから良いものの……それ以来延命菊の花も嫌い、ヒナギクと呼ぶから」
香り高いぬるい茶を飲む。合間に小さく切ったくず餅を。鬱屈した話がつれつれと出てくる、夢見心地で物悲しく話していたと思えば、くるりと豹変をする。
般若の様に顔を歪ませる、語気荒く、低く激しくそして静かに、妖しい気配を放ちながら、怨嗟を吐き出す。こういう時は、口を挟んではいけない。窘めても。ただ聞き流せば……、やがて何時もの奥様に戻る。
「赤子を抱えて来たのよ、丈一郎が熱を出して寝付いていた時にね、あの子は小さいときから体が弱くて……、数えの五才の年、蝋梅がようよう目を覚ました時だった、闇が深い夜に舅と姑に呼び出された私、女と赤子がいたの、紹介されて……、それから客にお茶を点てて運ぶように舅に言いつけられた、ひっそりと袂に包みを落とされて……言われたのよ」
怪しげな話は、予想通りの展開になる。妄想癖があるとは聞いているけど……、この打ち明け話には、さすがに私は少しばかり戸惑っていた、雷は遠くに去っている。雨も上がっているらしい。
ジーカチカチ、照明がつく、エアコンが音を立てた、涼しさがさらと広がる。一点を見つめていた奥様が、ぱっと上を見る。ホッとした私。
「あら、ねえ、電気がついたわ、雨も上がって、虹が出てるかしら?」
全てを吐き出して気が済んだのか、子供の様にふわりと笑う、顔にも声にも、先程迄の闇は無くなり、妖しい気配も消え去る。縁側に目を向けて光が戻った庭を見ている。
「……、奥様、植木鉢とか転んでるでしょうから、片付けるのをお手伝いします」
私は立ち上がるとテーブルの上を片付ける。そうね、お願いしようかしら、とゆっくりとした動作で立ち上がる奥様。
何時もの上品で穏やかな老婦人に戻っていた。