夾竹桃の咲く庭で 〜ももいろ
これは、家紋 武範様主催、「あやしい企画」参加作品です。
このあと、赤いいろ、しろいいろ、で終わります。
祖母は延命菊が嫌いだった様だ。休みの日に母に連れられ遊びに行った時、届けられた苗。
『町内花いっぱい運動』とかで、各家にちゃっちい白のプランターに、ビニールポットが二つ入れられ配られた。家に来たのは赤と白のデージー。気に入らなかったのか、それをレジ袋に入れるとどこかにでかけた。
「角の田中さんに、キンセンカと変えてもらったよ」
そう言うと苗を植えた祖母。キンセンカよりデージーの方がかわいいのになと思った幼い私。
――、シャンシャン、街路樹の蝉時雨が降る事で暑さが増す午後、私は何時もの様に、古風な壁から、様々な種類の庭木が頭をのぞかせている、その家のチャイムを鳴らす。壁には警備会社のステッカーが貼ってある。
鍵は社から預かってはいるが、家主が在宅の折には、入る時に無断で使わぬ様に決められている。
「こんにちわー、『メミーズ』の松浦です」
声をかけてしばらく待つ。ブ……ああ『代行』さんね、どうぞ、インターホンから家主の声が聞こえた。鍵を取り出し使う、ガチャ、ガチャン、ギッと通用口のアーチ型の門扉を開ける、重い手応えに、油を差してもいいかと聞こうと思いながら。
「ふう、植物が多いとやっぱり涼しい」
アスファルトの照り返しが無く、澄んだグリーンの香り、花の香りにホッとする。芝桜に埋め込まれている、足元の敷石もひんやりしている様な気がする。小道の様なそれを辿り、表へと向かう。
敷地に沿い植えられている、様々な花木、大きな夾竹桃が華やかな色の花を咲かせている。エンジュ、エニシダ、馬酔木、赤い実をつけたイチイ、オモト、クチナシ、紫陽花に薔薇……、クリスマスローズ、芍薬、水仙、リコリス、夏場に合わせて植えている、色とりどりの日々草にランタナ、インパチェンス……犬走りのコンクリートの上に置かれたプランターには、カーテン仕立てのクレマチス、トケイソウ。朝顔。
四季折々の草花、そして涼やかな水琴窟の音、開け放たれた縁側には、そこで出迎えてくれる家主の姿。生きていれば私の祖母と同じ様な年格好。
「いつも通りね、ご苦労様」
「こんにちわ、奥様、では始めさせて頂きますね、何時もの緑茶でよろしいでしょうか」
「そうねえ、今日は紅茶を頂こうかしら、息子が英国から送ってきたの、キッチンのテーブルに置いてあるから、貴方も飲んでから始めなさいな、汗がひどくてよ、熱中症になったら大変」
にこやかに話す彼女、そこに『ハウスキーパー』として派遣されている。『家事代行サービス会社、メミーズ』で働いている私、母が亡くなってからこの仕事についた。ここには桜の花が、ポツポツと咲く頃から通い始めている。
「……、少しばかり『妄想話』をするけど、聞き流してほしい、認知じゃなく昔からそうなんだよ」
仕事上で、海外に住居を構えている『楠 丈一郎』様のお宅。昔からの名家。殿様の御殿医とやらをやっていたらしい。契約するに当たり、現当主の彼と電話でのやり取りをした。
私は、独り日本に残っている奥様に、ありがとうございますと応えると、再び裏に戻る。勝手口に向かい台所に入る、使うよう言われている台所脇の小部屋に荷物を置く。
会社から支給されているエプロンを取り出した。そして仕事に取り掛かる前に、社の携帯で契約者である息子さんにメールを送る。
「えと……、お変わりありません、と、送信。よし、離れて暮らすとなると大変だけど、お金があるとそうでもないのね、お互い気楽そうな気がする」
ここの専属になり春から夏に季節が過ぎた。時折話す事と、ある事を除けば、比較的楽な仕事内容の毎日、以前あちこち行っていた時の事を、ちらりと思い出した。子育ての手伝いに、介護に、留守番に様々な家庭を、家族を垣間見た。
『羅刹が住む家が、たまにあるのよ、気をつけなさい』退職した先輩がクスクス笑いながら教えてくれた言葉。
「喰われない様にね」
おどけた様に話していた彼女は別の仕事についている。何を見たのか……、嫌になったと話してから辞めた。シンクでジャッ!ジャボジャボ……、とステンのヤカンに水を入れ、クッキングヒーターに置く、設定をし電源を入れた。
年代を感じさせる、一枚板のテーブルの上に箱がひとつ、開けて中を見ると幾つかの紅茶の缶が入っている。お湯が沸く迄に茶菓子の用意をする。
冷蔵庫からガラスの器と、幾つかのタッパーウェアを出す。中身は昨日仕込んでいた、賽の目に切った色とりどりの『寒天』。くり抜き器でボールにした、頂きものだというオレンジ色のメロン、スイカ。
料理は彩り、とこだわる奥様。お気に召してくれるかしらと、見栄えする様に盛り付けた。湯が沸くと濃い目の紅茶を、大きめなティーポットいっぱいに作った。耐熱のグラス、氷、シロップ、カトラリー、忘れ物は無いかと確認をする。
そして外に出てキッチンガーデンから、ミントを摘みとり、グラスにこんもりと活ける。それらを幾度か往復をして表に運び、木陰に設置してある、ガーデンチェアの場にお茶の支度をする。
縁側で、座布団の上にちんまりと座り、にこやかにそれを眺めている奥様は、私とお茶を済ますと、日課の庭の手入れをする。雨の日以外はそれが決まり。
背筋もしゃんとし、足腰も勿論そう、認知とかは無縁の奥様。この通りに作ってねと、初日に笑顔で分厚いレシピノートを手渡された、盛り付け迄きちんと書かれているそれ。そのおかげで私の料理の腕は上がっている。用意した水菓子もその中の一つ。
「用意が出来ました」
「ありがとう、まあ、懐かしいこと、涼やかで綺麗ね。子供が小さい時はよく作ったものよ」
大きな楓の樹の下、蝉時雨が混ざる風が通り過ぎる。外に出て椅子に座った彼女は、プチンとミントを摘みそれに乗せる、水滴が浮かぶ蒼の切子の器を手にすると、笑顔で話す。
私は寒天が硬かったらどうしようかしらと、ドキドキしながら氷を縁まで詰めたグラスに、濃い紅茶を注ぐ。どうぞと、いつもの様に差し出す、そして座るように言われると、腰をおろしストレートでそれを飲んだ。流石いい茶葉だけあり、香りが胸に広がる。美味しい。
「………寒天、上手く出来ているわね、お茶、美味しいでしょう、ここの農園の茶葉は私のお気に入りなの、夜にホットで飲みましょう」
☆☆☆☆☆
汚れ物ぐらいはするからと仰る奥様が朝、洗濯機を回し干した洗濯物を、夕方迄に取り入れ畳み、指定されたラタンの籠に入れたり、アイロンをかけたり、繕い物、家中の掃除、冷蔵庫の中身を見てお聞きし、メニューを決め、食事の支度をするのが主な仕事内容。私が来るまでに、食材等は買い物に行かれている。重いもの嵩張るものは、頼まれて月にいち二度、私が買いに行く。
ご高齢なので、一応夕方のご入浴を見守り、その後夕食と後片付けと、翌日の朝食と、昼食の下ごしらえ、早めに就寝される奥様の習慣であるお茶を共にしてから、九時に戸締まりをして帰ることになっている。
ウツギの木の下に茗荷が顔を見せてたら、夕ご飯に出すように言われているので、お茶が終わり彼女が庭仕事に取り掛かり、こちらのお茶の片付けを終えると、忘れない内にそれを見に行く。
かき分けて見ると、一つ二つと出ているそれ。酢の物か、天ぷらにするか、ご飯にするか、冷蔵庫の食材と合わせて考えた。辺りを見ると、野良生えの青じそが緑色の葉を広げていた。
シャンシャン、シャンシャン、クマゼミばかりの声、ポケットからタオルを出すと汗を拭う。庭が広い家では、外作業が仕事になる事が多いのだが、この家は違った。
「庭を守るのが当主の役目なの、息子はここにいないでしょう、だから私が。昔は家の中の事もこなせてたのだけど……、難しいわね、食べる物も適当になってしまうし、そう話すと怒られたの。それでお手伝いさんに来てもらうようになって……、貴方で3人目かしら」
話し相手も内容に入っているので、他愛のない話をしながらそう教えてくれた。庭師という選択は無いようだった。まあ、剪定ならともかく、毎日の草むしり、水やり、季節に応じた草花の植え替え等は、自ら日々やらなければ維持が出来ない。
「むかーし昔だったらお手伝いさんとか、庭師さんとか、時代よね」
年老いた奥様が外に、私が家の中……、夏場の暑い時には、なんだか悪い気がするのは、どうしょうもない。それでくるくると担当が変わるのかと思っていたけど……。
「……間宮さんも原さんも、猫家で飼ってるものね、仕方ないといえば仕方ないけど……、あれはちょっと引くわ、庭を掘り返し荒らすから、猫が嫌いとは言ってもね……」
葉桜の季節の出来事が脳裏を過る。
――、棒を握りしめ、入り込んだ野良猫を追い払う姿は、何時もの上品な老女ではなかった、正に狂女の如く、目の色を変え髪を振乱し奇声を発していた。
幸いな事に野良猫の方が敏捷に逃げたので、叩き殺される事は無かったが……、もしかしたらというのは十分に想像できる出来事。
「認知症ではないのよね……、ご飯食べたこともきっちり覚えているし、身の回りのこともきちんとできるし、ただ単に、猫嫌いが度を過ぎている感じ、いやぁねぇ、そりゃわかるけど……、まぁ猫は好きでも嫌いでもないから良いけどさ、ちょっと可哀想」
一つため息をつき上を見上げれば、夾竹桃の濃い桃色の花が盛に咲いている。白に赤の花も咲いている。隣り合う場所は色が絡まり美しい。
公園に、排気ガスを浴びる高速道路の路肩でも、先の戦争のかの地でも、花を咲かせたという美しく強靭な夾竹桃、私の好きな花。伸びやかに枝葉を伸ばすコレがあるから、アレを見た後でもここを辞めようと、思わないのかもしれない。
「綺麗でしょう」
ドクッと心臓が大きく跳ねるように鼓動を打った。
「あ、はい、好きな花なのでつい、すみません。茗荷……、でてました。大葉もありますから、天ぷらか、ちらし寿司にでもしましょうか、お吸い物にも使えますし」
「そう、なら……、お寿司がいいわね、吸い物には、鱧があったはずだから使って、夏場は美味しいわね……」
奥様が後ろから声をかけてきた。慌てて返事をした私。振り向けば麦わら帽子を被り、顔を赤くし、硬い棒を手にしている。またまたと思うが、顔には出さない。
やり取りのあと、二人で花を見上げた。青い空に映える桃色、白、赤。不意にクスクスと艶めいた笑い声が上がる。始まる予感。
「知ってる?美しい花の下には『死体』が埋まってるの」
「……、小説でもドラマでも映画でもそう言いますね、確かに妖しく美しく咲く花には、そう思ってしまう何かがあります。桜などははまり役ですね」
悪いと思いつつ、薄ら気味悪さを感じる、この事もあって前の二人は逃げたのだろう、私はいつもの様に、当たり障りのない答えを返した、それに対して黙り込む奥様。しばしの沈黙、
空から脳天を焼くような、ジリジリとした暑さがシャンシャンと鳴く声に絡まり混じり、熱を含んだ気持ち悪さが生まれ、私を包む。
「本当よ」
低くはっきりとした言葉を残すと、その場を離れて行った彼女。背を見送りながら感じた重さ、はっきりと意思を込めた強い口調、漂っていた沈黙、太陽の暑さ、熱、それが奇妙な冷たさを持つ、ゾクリとしたあやしいものを創り出し、私の背中に入り込む。
すじをゾワと走るソレ………。
ザワザワ、ザワザワ、枝を揺らす風が吹いてきた、気がつけば冷たい水気を含んでいる。夕立が来るかもしれない。手にした茗荷と大葉をポケットに入れ、乾いている洗濯物を取り入れる為に、慌てて私は物干しへと向かった。
雲が流れ、遠くから遠雷がきこえてきていた。
お読み頂きありがとうございます。