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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第1章 エンゲージメント
9/91

8 人間の条件

 ……報告書を読み終えた時、イコライは、なんて無様な死に方だろう、と思った。


 撃墜された戦闘機に乗っていたのは、アントニー・ステファンという名前の、まだ十九歳の少年だった。普通科高校出身で、十分な軍事訓練を受けていなかった可能性がある、と記されていた。


 アントニーは傭兵派遣会社に登録して戦う傭兵だったが、戦闘中に恐れをなして、命令に違反して戦線を離脱した。いわゆる「脱走」だ。


 その時、アントニーは上司から「戦闘に復帰しなければ、追手を差し向けて撃墜する」と執拗に脅され、途中から無線に応答しなくなった。上司の声が怖くなって、無線のスイッチを切ったのだ。


 ここからは推測だが、その後、アントニーは接近してくるイコライとカイトを見て、上司が差し向けた追手だと勘違いした。

 気が動転していたせいで、無線のスイッチを切っていることも忘れ、カイトの呼びかけに気づかなかった。


 アントニーは自暴自棄になって、向かってくる二機の戦闘機を攻撃した。

 そして、返り討ちにされた。


 なんて、間の抜けた死に方。

 報告書の末尾には、イコライとカイトの正当防衛を認定することに加えて、アントニーを雇用していた軍事企業について、法令違反の疑いがあるので正式な捜査手続きに入ることが記されていた。


 だが、彼の会社や上司がどう処分されようと、死んだ人間は帰ってこない。

 その死に方の惨めさも、変わらない。


 前線から脱走し、上司から脅されて恐れをなした末に、単にすれ違うだけだった相手のことを、自分を殺しに来たと勘違いして攻撃して、返り討ちにあって殺された。


 およそ戦闘機パイロットとは思えない、無様な死に方だった。

 最近は新人パイロットの質が下がっているとは思っていたが、その中でもこれは特にひどい、とイコライは思った。


 ……だが、よく考えてみれば、このアントニーという少年の死に責任があるのは誰なのか。

 会社の上司か。それとも……。


 その時、イコライは、報告書の一節に、こう書かれていたのを思い出した。


 イコライ・ブラドおよびカイト・メイナードが、無線に応答しないアントニー・ステファンに対し、ほぼ正対する航路を取ったことに関して、調査担当者はこれが適切な判断であったか大いに疑いを持つ。


 そうだ。ミキの書いた通りだ。

 あの時、自分がカイトの意見を聞いて、アントニーに対して背を向けて逃げていれば、状況から考えて、アントニーは追撃してこなかった可能性が高い。


 そうだ。もし自分たちが背を向けて逃げていれば、こんなことは起こらなかった。アントニーは、死なずに済んだのだ。


 いや……しかし、それは結果論ではないのか?

 アントニーがそういう状況にあったというのは、いまだからわかることだ。あの時はそんなこと、知る由もなかった。


 それに、考えようによっては、自分たちが立ち向かって良かったとも言える。あの時、自分たちが逃げ出していれば、アントニーはそのまま飛び続けて、別の無関係な人間を殺していたかもしれないのだ……。


 だから、同じ状況に出くわしたなら、自分はまた、同じ判断をすべきではないのか。


 いや、そこがそもそも違うのか。

 自分の感覚は……異様なのか。


 ……あなたは、この男の本性を知らない。こいつ、頭がおかしいんだよ。いまは少し歳を取ったおかげで、まるで普通の人間みたいに振る舞えるようになったらしいけど、どうせそのうち本性が出る。狂った人間の本性がね。


 そうだ。

 自分があの時、カイトの反対を押し切って下した決断は、極めて攻撃的なものだった。


 それが、そもそもおかしいのだろうか?

 自分は……狂っているのだろうか?


 人が死ぬのを見るのが辛い。

 人を殺すのが嫌だ。


 ソラの言った通りだ。

 けどそれは、すべて戦闘が終わった後で思うこと。

 戦闘中の自分は、そういう感情が完全にオフになっている。


 生命の尊さも、殺人に伴う罪悪感も。

 全てを意識の外に追いやって、ただ自分は、戦って勝つためだけに生きている存在、戦闘機という兵器の一部になる。

 だがそれは、同時に誇りでもあった。


 より優れたパイロットになること。

 より優れた兵器になること。


 それこそが、社会が自分に求める全てであり、その求めに上手く応えられた時、自分は、自分のことをとても誇らしく感じる。


 ……それでも、無事に着陸して、シートベルトとヘルメットを外し、戦闘機を降りると、こう思うのだ。


 本当に、これでいいのかと。

 自分は、狂っているのではないかと……。


 だが……そんな思いを持ち続けたところで、一体何になる?


 敵を撃墜して、無事に帰りさえすれば、周りは何も文句を言わない。

 誰もそれ以上の何かを自分に求めたりしない。

 たとえ自分が心の底では苦しんでいたとしても、誰一人、気に留めたりしない。


 だから、そのうち自分自身でさえも、このままでいいのかな、と思い始める。

 そして、このままの生活を、心の平穏を保ったままで続けるための、拠り所になってくれる存在を探した。


 そんな時、ソラと出会った。


 始めは成り行きで一緒に暮らし始めただけだったが、いつしか、自分はソラにのめり込んでいった。


 ……この調子なら、いまの生活も悪くないかも知れない。


 だが、そう思った矢先、ソラに突きつけられた。


 目を覚ませ、と。



 ……もう、疲れた。

 イコライはうなだれて、声を漏らした。


「そんなこと言ったってさあ……こんなの、耐えられないよ……」


 イコライにとって、戦いの日々は、耐え難い苦痛の日々だった。

 何か、支えてくれるものがなければ、とても生きていけなかった。


 支えではなく、「言い訳」でも、「重荷」でも、呼び方なんか、なんだって構わなかった。


 ただ、自分以外の何かが、自分を強く、そして何より、残酷にしてくれなければ……心が、折れてしまう。


「……戦争なんて、ロボットがやってくれればいいのに」

 そうなれば、人間は楽ができるのに、と思った。


 ……その言葉は、ただの独り言として、誰にも聞かれることなく消えていくはずだった。

 だが、実際には、意外なところから反応が返ってきた。


「失礼ですが、お客様は軍人さまでいらっしゃいますか」


 イコライは、ヘリの中にいる自分を再び意識する。この、やっぱりお喋りなAIのことも、ようやく思い出した。


「……いや、傭兵だよ。戦闘機パイロット」

「お疲れのようですね。私でよければ、お話をお聞きしますが」


「そんなサービスもやってるのか」

「サービスと申しますか……私には『お客様に親切にせよ』というプログラムがインプットされているのです」


 イコライは力のこもらない小さな声で笑った。

「人間じゃなくて、お前みたいなロボットが世界を支配してくれれば、世の中はもっと良くなるんじゃないかな」


 ところが、お喋りなAIはこう言ってきた。

「恐れながら申し上げますが、お客様は人間を過小評価しておられるのではないでしょうか」

「へえ?」


 ちょっと面白いことを言い始めたな、と思ったイコライは、続きを聞いてみたくなった。気を紛らわすにはちょうどいい、とも思った。


「どうしてそう思う?」


「確かに、技術的な面について申し上げれば、遠からずAIは、人間の戦闘機パイロットを凌駕することになるでしょう。AIは、人間よりも多数かつ多種のセンサーからの情報を効率よく処理することができ、空戦で最も重要とされる状況把握能力に優れています。操縦技術を習得するのにもさほど苦労はしません。実験においても、良好な結果が得られています」


「だろ?」


「……しかし、これはあくまで実験での話です。実際の戦闘では、もっと複雑な状況が想定されます。たとえば、情報処理能力が優れていると言っても、電波妨害などで、一部のセンサーが無力化された場合はどうでしょう? AIは全ての情報が明らかになっていない状況でもなお、正しい意志決定を行えるでしょうか」


「確かにな。でもそんなの、人間のパイロットも同じじゃないか」


「大筋ではその通りです。情報が完全に開示されていない場合、AIは期待値が最大になる選択をしますが、必ず正解できるとは限らない……AIがポーカーをやっても、毎回勝てるわけではないのと同じです。個々の勝負には、運の要素が影響しますからね」


「だが、期待値が最大になる選択をしていれば、長い目で見て勝つことができる……ポーカーは俺も好きだから、それぐらい知ってるよ。期待値が最大になる選択ができる、ってだけで、強さとしては十分じゃないか」


「ではお客様、『期待値』とは何ですか?」

「……事象の結果として得られる利益や損失と、その事象が起こる確率の積を集計したものだ」


「ポーカーでは、期待値の計算はさほど難しくありません。山札の構成は予め明らかにされていますし、賭けられているお金の額は、定量的な情報ですから」


「……何が言いたい?」

「現実の戦闘は、それほど単純ではないということです」


 イコライは少し苛立った。

「なんでお前なんかに現実の戦闘について教わらなきゃいけないんだ。っていうかお前、ただの観光AIのくせに、詳しすぎるぞ」


「軍のお客様をお乗せすることも多いので、お客様を楽しませるために覚えたのです」

「……楽しんでるのか、それ?」


「反応はお客様によって異なりますが、私の計算によれば、期待値はプラスですよ……それよりも、お客様。現実の戦闘がそれほど単純ではない、と私が言うのは、価値観の問題があるからです」


「はあ? 価値観?」


 AIから意外な言葉が出てきて、イコライは面食らう。

 だが、そのAIは朗々と話し続けた。


「そうです、価値観の問題です。戦闘機パイロットの仕事は、戦って勝つことだけではありません。たとえば、敵を正確に識別することも重要な仕事なのです」


「ご存知かと思いますが、飛行中の情報収集とコミュニケーションの手段は、レーダーや無線など非常に限られているため、敵を正確に識別し、味方や民間人への誤射を防ぐことがとても大事なのです」


「お客様は、実際にあったこんな事例をご存知でしょうか。戦争中、哨戒飛行をしていた戦闘機が、飛行禁止区域の近くを飛行中の正体不明機を見つけました。不明機は無線に応答しなかったため、司令部は戦闘機のパイロットに攻撃命令を出しました。しかし、こんな空域を敵機が飛んでいるはずがないと思ったパイロットは、命令を無視して、危険を顧みずに不明機に接近し、肉眼で確認しました。するとそれは、無線機の受信周波数を間違えて設定していた、民間の旅客機だったのです」


「知ってるよ。そのパイロットは、俺の学校の先輩だったんだ」

「そうでしたか。それは素晴らしいことです」


 素晴らしいことです、と言われて、イコライは当時のことを思い出した。あの時は、教官たちが元教え子の手柄を得意げに説いたものだった。まるで、自分がやったことのように……たったいままで、忘れていた。


「多くの人々が、パイロットの勇敢な行動を賞賛しました……しかしそれは、我々AIにとっては理解しがたいことなのです。もし、戦闘機に乗っていたのが人間ではなくロボットだったなら、そのロボットは迷わず不明機を撃墜して、その結果について『司令部の命令に従っただけだ』と主張して、何ら恥じることがなかったでしょう。パイロットのそのような行動を賞賛するのは、ロボットにはない、人間ならではの価値観なのです」


 ここまできて、イコライはある程度、このAIが言いたいことを理解した。


「……けど、それは状況が特殊だったんじゃないのか。他の状況でも、人間は必要とされるかな?」


「私はそう思います、お客様。私たちAI、あるいはロボットは、人間が当たり前に持っているものを、最初から持っていないのです。何が良いことで、何が悪いことなのか、私たちには理解できません」


「もちろん、予めプログラミングされた価値観に従うことはできます。しかし、それをプログラミングするのは人間です。生きることが良いことで、死ぬことが悪いことだという、人間からすれば最も基本的な価値観ですら、私たちロボットには、本当の意味では理解できないのです。ですから、私たちロボットがより良く働くためには、人間の介入が必要なのです」


「価値観なんて……人間だって間違えるよ、そんなこと」


「それは本質的な問題ではないと思います。人間には生きようとする本能があり、その生きようとする本能を人間同士で共有し、共感し合うことが、様々な価値観の基盤になっています」


「たとえその本能の源泉が、死のうとする者は滅び、生きようとする者は存続するという、消去法的な淘汰の結果に過ぎないとしても、無から作り出され、生きることそのものの価値さえわからない私たちロボットからすれば、人間の価値観には大きな意味があると思います」


「個々の個体が間違えることがあるという現実は、人間が生まれながらにして属しているその大きな流れの中では、些細な問題だと思います……いえ、個々の個体が間違えることがあるという悲しい現実が、多様性という形をとって、人類の生存にプラスの影響を与えているとするなら、それもまた、私たちロボットにはない、人間の強さだと思います」


「おわかりですか。人間がロボットを必要とするように、ロボットもまた、人間を必要としているのです。私たちはまだまだ、教え、導かれなければならないのです……だから、どうか元気を出してください、お客様」


「……」

 そう言われたイコライの脳裏には、なぜか、昔の記憶がよぎった。


 キャノピーをしきりに叩く、激しい雨の音。

 真っ暗闇に包まれた空。

 その暗闇の中を、必死で飛んでいる自分。

 必死で何かを追いかけている自分。

 だがその何かは、不意に軌道を変えて、自分の元を離れ、

 闇の中、黒く染まった雲の中へと……。


 そう。

 イコライは、あの時のことを思い出していた。

 自分のこと、目の前のことで手一杯になって、すっかり忘れていた。


 けれど、ようやく思い出した。

 あの時の自分の悲しみ……悔しさ……そして、決意を。


「……なあ、一つ聞いてもいいか」

「はい、何なりと」


「死んでいった友達がいた……殺してしまった相手がいた……なのに、俺はまだ生きてる。だから、俺は時々こう思うんだ。あいつらが死んで、俺が生きてることには、何か意味があるんじゃないかって」


「失ってしまった悲しみや、殺してしまった後悔が、いつか俺の中で力になって、何か大きなことを……何か、すごく大きな意味のあることを、俺にやらせてくれるんじゃないか、って……そんな価値観、お前には理解できるか?」


「できません」

 AIは即答した。


「死は全ての終焉であり、過去の死は終わったことです。過去に死んだ人間が、未来に何らかの影響力を及ぼすことはありません。従って、過去に遭遇した人間の死を根拠として意志決定を行うことは、不合理です。ですから、過去の人間の死が、現在の個人の意思決定や能力に影響を与える、ないし、与えるべきだという価値観は、私には理解できません」


「……そうか、お前にもわからないのか」

 AIの発言は、イコライの思いを真っ向から否定するものだった。


 だが、そのことはむしろ、イコライに勇気を与えた。

 こんな自分にも、まだやるべきことが残っているのかもしれない、と思えた。


「だったら、お前の言うとおり……俺もまだまだ、がんばらなきゃな」

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