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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第3章 プレミアム・ハンド
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06 ミキ・イチノセの復活

 その頃、ミキ・イチノセとサヤカ・シュリーマンの二人組は、イコライたちとは少し時差のある場所にいた。


 ミキたちは、いままさに雲の海へと沈み行く夕陽を、滑走路の端から眺めているところだった。


 水平線の向こうに半分が消えても、なお激しく燃え盛る、赤い太陽。その輝きは、白い雲海を真っ赤に染め上げ、見守る人間の心に対して、単なる熱とは違う、どこか儚げな心象を投げかける。


 ……まあ、初めて見た日にはそんな風に「わあ、綺麗……」なんて思ったその夕陽も、三日も見れば飽きたというのが本当のところだった。ましてや、何ヶ月もほとんど毎日見た後となっては、何をか言わんやである。


「クッソ!」


 ミキはこの島に来てすぐに通販で買った(届くまで一週間もかかって驚愕した)「アウトドアテーブル・チェアセット(パラソル付き)」のパラソルの下で、テーブルに置いたラップトップPCを相手に、悪態を吐きまくっていた。


「条件が悪い! 条件が悪い! どいつもこいつも条件が悪いんだよ! たったそれだけの年収でこの私が雇えると思ってんのか! 年収以外の条件も悪すぎ! ああクソ! どこかにまともな会社はないのかよ!」


「……オファーがあるだけ、マシじゃないですかねえ」


 と、ミキから少し離れたところで、夕陽に向かって結跏趺坐けっかふざを組んで座禅をしているサヤカが言った。


「もう、適当なところで妥協して手を打っちゃえばいいんじゃないですか、お姉さま?」


 なんだかんだ言って、二人は優秀なパイロット。ビジネスSNSのステータスを「転職活動中」に変更してからというもの、二人には次から次へと仕事のオファーがやってきていた。


 ミキも始めはそれを見て「フフフ……見なさい、これが私の市場価値……!」などと悦に入っていた(調子に乗っていたとも言う)のだが、すぐに贅沢を言い始めた。やれ給料が低い。やれ休日が少ない。やれ業務レベルが低い、同僚のスキルレベルが低い、会社の業績が低い……エトセトラ、エトセトラ……。


 こんな調子では、左遷先のこの島から脱出できるのはいつになることやら……などと、さしものミキ信者のサヤカも、この頃は呆れ始めていた。


「まあ、あたしとしては、このままこの島で二人っきりでも、いいんですけどねえ……」


「絶対に嫌!」ミキは全力で叫んだ。「こんな何もない島で何年も過ごしたりしたら、キャリアが終わっちゃうじゃない! 大体なんなのこの島。ほんとに何もないじゃない! こんなとこに空賊が攻めてくるわけないでしょ!」


「一番価値がありそうなのは、あたしたちの戦闘機ですもんねえ……」


 その戦闘機だって、ミキたちがこの島を立ち去ればなくなってしまうのだから、これほどバカバカしい話もなかった。


「絶対政治案件でしょこんなの……」とミキは頭を抱える。「きっと公共事業かなんかでこの基地が作られて、でも空っぽにしとくわけにもいかないから体の良い左遷先に……そんなのに巻き込まれるなんて……絶対に嫌だ! こんなの!」


「お姉さま……」サヤカは大きく深呼吸しながら言った。「考えるんじゃなくて、感じるんです」


「……何を?」


 サヤカは結跏趺坐を組んだまま、目を閉じ、沈み行く太陽を抱え込むかのように両腕を広げて、言った。


「感じるんです……この、大自然を!」

「絶対にイヤだ!」


「……お姉さま。私はお姉さまのストイックなところは大好きですけど、だからと言ってですね。俗世の栄光を追い求めるあまり、こういうことに対する感受性が低いっていうのは、ちょっとどうかと思いますよ?」


「やかましいわ! ほっとけ!」

「お姉さまが野生化している……これも大自然のパワーか……」


 ミキは座禅に集中し始めたサヤカを無視して、求職活動に戻った。

 PCの画面に表示されたメッセージを改めて見て、ミキは下品だと思いつつも歯ぎしりをやめられない。


 ミキの転職活動が難航しているのには、大きな理由があった。

 それは「サヤカと二人での転職」だったからだ。


 優秀なビジネスパーソンが、自分の作り上げたチームごと他社に移籍するのは、ままある話。


 しかし、若い女が二人、連れだっての転職活動となると、話は変わってくる……マジメに仕事をする気があるのか、と思われても仕方がない。


 実のところ、ミキ一人、あるいはサヤカ一人だったら、条件に合う求人はこれまでに何度も来ていた。

 だが、ミキはそれを全て蹴ってきていた。

 ……しかし、このあたりで考えを改めるべきなのかも知れない、とミキは思い始める。


 サヤカの空戦能力は惜しいが、何も、自分の出世のためには絶対に不可欠だ、というわけではない。

 自分だって、軍大学を好成績で卒業した、それなりに腕の立つパイロットだ。

 だったら……別に……ここでサヤカを切り捨てたとしても……。


 だがその時、ミキは自分の心の中に、微かなためらいを感じていた。

 出世と栄達だけを追い求めているはずの自分が、なぜここでためらうのか……。

 その答えを探そうと、ミキの頭が回転し始めた、その時……背後からの声が、その思考を中断させた。


「ミキ・イチノセ中尉と、サヤカ・シュリーマン軍曹ですね?」


 男性の低い声に、ミキは振り返る(サヤカは振り返らず、目を開けることすらせず、夕陽に向かって座禅を続けていた)。


 ミキの目に、滑走路をこちらに向かって近づいてくる、一人の男性士官の姿が飛び込んでくる。


 まず印象に残ったのは、その見事なスキンヘッドだった。見事なまでに白い、剃り上がった頭部だ。

 次いで、ゴツゴツと骨張った顔、生気の感じられない瞳などに目が留まる。


 なんだろう……なんだか、見ていると胸騒ぎのする人だ、とミキは思った。


 だが、ミキはすぐに、礼を失してはならないと思い直す。男は白衛軍の制服を着ていたからだ。階級章は少佐のものだった。


「その通りでありますが」ミキは立ち上がって敬礼しつつ言う。「少佐どのは?」


「急に訪問して申し訳ありません……私は、広域世界警察機動保安隊・第六特殊作戦軍所属、ローム・イトバ少佐と申します」


 ロームは、階級が下のミキに対しても、ばかに丁寧な口調で言った。


「サヤカ軍曹!」とミキ。「何をしている! 少佐にご挨拶しろ!」

「いえ、構いませんよ、中尉」


 ところが、ロームは鷹揚に言うのだった。


「サヤカ軍曹についての資料は読んでいます。独特の感性をお持ちの、優秀なパイロットだとか」

「……」


 その時、サヤカは目をかっと見開いて、しかし振り返りはしないで、こう言った。


「……お前、何者だ?」

「ちょっと、サヤカ!」

「構いません、中尉」

「し、しかし……」


 サヤカが無礼なのはいつものことなので、ミキはある意味では気にしていなかったが、それよりもロームの鷹揚さの方が気になった。軍隊は規律に厳しいところだ。白衛軍ともなればなおさらだろう。民間軍事企業であっても、連邦共通階級基準の下、序列は厳格に規定されている。


「そんなことより、」


 だが、ロームは階級のことなど気にせずに言った。


「ここは、実に面白い基地ですね……あなたたちお二人の他に、人間はいないのですか?」


「……受付、整備士、料理人……みんなロボットです。司令官は、ここ以外にも多数の島を同時に統轄していて、遠く離れた別の島からリモートで指揮を執っています。清掃業者だけは、地元と契約していますが」


「人間は戦闘機パイロットだけ、というわけですか……それは素晴らしい」


 ロームは笑みを見せるが、ミキには意味がちょっとよくわからなかった。一体、何が素晴らしいのだろう?


「あの、ローム少佐……今日は、どういったご用件でしょうか?」

「ええ……実は、私はお二人に、とあるお仕事を依頼したいのですよ」

「仕事……ですか?」

「はい。もちろん、フェアリィ社の上層部に話は通してあります」

「それは……にわかに信じがたいお話です。白衛軍のあなたから、直々に仕事の依頼とは」

「……私が現在従事している作戦は、極めて特殊なものでして。異例ずくめのことですので、皆さん驚かれるのも無理はない」

「いえ、もちろん、自分もサヤカ軍曹も、任務とあらば一心不乱に邁進いたします」


 その時、唐突にロームは言った。


「……罪のない嘘とはいえ、嘘は嘘ですな、ミキ中尉」

「は……?」


 急にそんなことを言われて、ミキは動揺する。


「な、なんのことでしょうか、少佐」

「あなたは、見返りもなしに働けるような人ではない、ということです。それぐらいは調べがついている」


「そ、それは、なんと言いましょうか」ミキは冷や汗をかき始めた。「どうも何か、誤解があるのではないでしょうか?」


「はは……」


 ところが、ミキとは対照的に、ロームは気楽そうに笑って言った。


「勘違いなさらないでください。私は何も、あなたを責めているわけではありません。あなたがやる気を出すのに褒賞が必要だというなら、それを与えてやるのが、作戦責任者たる私の務めというものです……」


「……と、おっしゃいますと?」

「白衛軍大尉としての任官」

「なっ……!」


 ミキは思わず耳を疑った。白衛軍大尉としての任官?

 それが、自分に与えられる褒賞だと、この男は言ったのか?


 フェアリィ社から、白衛軍への移籍……それはもう、完全に出世コースだ。いや、出世コースの中でも王道中の王道、最高のキャリアパスに他ならなかった。


「どうです? やる気がみなぎってきたでしょう?」


 ロームは、にこやかに笑いながら言った。


「もちろん、嘘ではありません。まず、この任務を受領した時点で、あなたは大尉に昇進する。今回の任務は、中尉に渡すにしては、少々重すぎるものでね。まあ、あなたの能力なら、急に昇進したとしても問題ないでしょう」


 大尉に昇進……それだけでも、十分に魅力的だった。二三歳と少しでの大尉昇進は、記録的スピードだ。同期の出世頭になれるどころか、一気に差をつけられるのは間違いない。


「さらに、この任務を無事にやり遂げたら、あなたは白衛軍に転籍になります」


 おまけに、白衛軍への入隊……それは、ミキがかつて喉から手が出るほど望みながら、叶わなかった夢だった。

 それがいま、目の前にちらついている。


「……ああ、サヤカ軍曹のことも、心配は要りません。彼女にも、相応しい活躍の場を用意しましょう」

「……ローム少佐」

「はい?」

「どうか、何なりとご命令ください! 粉骨砕身、必ずや少佐の期待に応えてご覧に入れます!」

「はは……わかりやすいお人だ。いえ、悪い意味ではありません。人間はシンプルが一番。大変結構なことです」


 ロームは満足げに笑った後、こう続けた。


「話の詳細は、どこか腰を落ち着けてしたいのですが」

「ああ、それでは基地の談話室へどうぞ。粗末なところですが」

「ほう。この基地に談話室がある? それは興味深い……」


 そう言って、ロームは踵を返して歩き始める。ミキは慌ててラップトップを片付けて、後を追おうとする。

 だが、そんなミキの背中に、夕陽を背負ったサヤカの、長い影が差した。


「あの……」

「ああ、サヤカ? 聞いてた? ついに巡ってきたんだよ、チャンスが!」


 興奮した様子で言うミキだったが、それに対して、サヤカは妙に冷たかった。まるで、普段の立場が逆になったかのようだ。


「お姉さま……あの男は、信用しちゃいけません」

「……え?」


「確かに、嘘は言ってないみたいですが……全てを語っているわけでもない。何かを隠している……それに、雰囲気が、何か変です。まるで、人間じゃないみたい……」


「……あのねえ、サヤカ」


 ミキは、サヤカの肩に手を置きながら言った。


「私たち、軍人なんだよ? 全てを教えられないなんて、当たり前。慣れっこでしょ? ……それに、第六特殊作戦軍って言ったら、白衛軍の中でも輪をかけて特殊なところだから、変わった人がいても、不思議はないよ」


「……そう、ですね」

 サヤカはミキから視線を流して、ロームの背中をにらみつけながら言った。

「そうですね、大丈夫です……お姉さまは、必ず出世します」


「……サヤカ?」

 戸惑うミキを尻目に、サヤカは言った。

「お姉さまは、あたしが守りますから」


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