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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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66 次なる矢


 それから、さらに数日後。


 第四次エリューティア海戦に参加していた、フェアリィ社所属の巡洋母艦インディペンデントは、警戒待機の任務を解かれ、大公海に面したノルサメルサ北西沖の軍港に入港しつつあった。


「もう一戦、交えたかったものだな」


 艦長のロン・ウィリアムズ大佐は、光学カメラがディスプレイに映し出した軍港の映像を一瞥した後、艦長席の手近にいる二人の幹部……情報士官のソジュン・リー少佐と、副長兼作戦士官のシャルロット・リヴィエール少佐……に対して、そうこぼしていた。


「あれだけ一方的にやられておいて、雪辱戦の機会も与えられないとは、まったくやりきれんよ……ジェイス提督も、再戦を求める意見具申が認められず、さぞ無念だろう」


 実際のところ、敗北の責任を負わされたジェイス・マッケンリー中将は、無念どころではなかった。ジェイス中将はその後、艦隊司令の任を解かれ、予備役に編入されることになる。


 本人の意に沿わない予備役編入は、事実上の解雇に他ならない。ジェイス中将はボーナスの増額どころか仕事さえも失い、支給される軍人年金や、軍の同僚から紹介された低賃金の仕事では、浪費家揃いの家計をまかなえなくなって、一家は離散、本人は蒸発することになる……だが、そんなこと、ロンたちには知る由もない。


「同感です、艦長」


 日頃何かとロン艦長とぶつかることの多いシャルロット少佐だったが、この時は、ここぞとばかりに曇りない賛意を示した。


「フェアリィ社が本腰を入れて戦っていれば、かならず損害を上回る戦果を挙げられたはず。みすみすその機会を逃した結果、我が社が損害を受けた一方で、敵の戦力は未だ健在。これでは、将来に禍根を残します」

「うむ……」


 ロン艦長は、シャルロットの発言に微妙に同意できないものを感じて口ごもりつつ、ソジュンが発言する気配を見せなかったので、水を向けることにした。


「ソジュン。君はどう思う?」

「え? 自分ですか?」ソジュンは口癖のようになりつつある一言を挟んで、こう言った。「自分は……戦争が少ないのに越したことはない、と思いますが」


「あなたねえ」聞いてすぐ、シャルロットは顔をしかめる。「何ですか、それ。積極性ってものが全然感じられませんね。それでも軍人なの?」


 こういう時、ソジュンは軽く受け流して終わりということも多かったが、あえて反論することもあった。今回は後者だ。


「戦争は、死体の数をスコア代わりにプレイするスポーツなんかじゃない。もしそう思うなら、そっちの方がむしろ素人に近いと思いますがね」

「なんですって!」

「やめんか、二人とも」ロンは諫めつつ、ソジュンに先を促した。「ではソジュン、君は戦争を何だと思うんだ」

「ま・さ・か?」


 ソジュンが言う前に、シャルロットが小馬鹿にしたような甲高い声で言う。


「『戦争とは、政治とは異なる手段をもってする政治の延長だ』なんて言わないですよねえ?」

「シャルロット少佐」とロン。「その回答は、何も間違ってはいないと思うが」

「あら失礼しました。ただ、ここまで言っておいて、そんなありきたりな答えで格好がつくのかなあ、と思いまして」

「戦争はビジネスですよ」


 そう言い放ったソジュンを前に、ロンもシャルロットも、つい呆気に取られてしまう。

 だが、二人の唖然とした視線を受け止めつつ、ソジュンは言った。


「政治と経済は、希少資源の分配に関する人間の営為であるという点が共通しています。戦争が政治の延長であり、政治が経済と同じだとするなら、戦争は経済と同じだ」

「あ、あなた……自分が何を言っているか、わかっているの?」


 震え声で言うシャルロットに対し、ソジュンは言った。


「わかっているつもりですよ……とどのつまり、ビジネスとはリスクとリターンだ。リスクとリターンが見合っていて、かつ、失敗した場合のリスクが組織にとって許容可能である場合、戦争は行われ、そうでない場合は行われない。今回の件に関して言えば、リスクは大きいのにリターンが小さすぎで、戦争を継続するのは得策ではなかったと自分は思います」

「リスクは大きいのにリターンが小さい? どうして?」


「シャルロット少佐。この二〇年で、連邦とSHILFの貿易は急増し、いまや莫大な額になっているんですよ。今回は政府の勇み足で経済封鎖に踏み切りましたが、その後すぐ、経済界からは貿易再開の陳情がひっきりなしに寄せられ続けた……この場合、リターンを最大化する方策は一つ、すなわち即時講和です。もう一つのオプション、つまり戦争を継続してSHILF軍に損害を与えることに、一体どれだけの付加価値があるというんですか? もう一度負けるリスクだってゼロではないでしょう。だとすれば、それ以上は考えるまでもないことです」


「そ、それじゃあ私たち軍人の存在意義は何なのよ! あなたにだって、今回死んだパイロットたちの中には、短い付き合いとはいえ、顔見知りもいたでしょう? 彼らの犠牲はどうなるって言うの?」

「それは、」

「二人とも」その時、ようやくロンが止めに入った。「その辺にしておけ……これは命令だ」

「……」

「艦長がそうおっしゃるのでしたら、従います」


「ふむ……しかしまあ、ソジュン少佐。君はさっき『政治と経済は、希少資源の分配に関する人間の営為であるという点が共通している』と言ったが、君、オクタリウスを読むのかね?」

「あ、艦長も読むんですか?」

「まあな」

「は?」


 シャルロットは鳩に豆鉄砲で撃たれたような顔になって、ロンとソジュンを見比べた。


「オクタリウスって、あのオクタリウスですか? 敵の大幹部じゃないですか! 二人とも、そんなやつの書いた本を読んでるんですか!」

「そう怒るな、シャルロット」

「そうですよ……だってほら、旧世界から伝わってる、古い格言があるでしょう?」

「「彼を知り、己を知れば、百戦して危うからず!」」

「……」


 ロンとソジュンが唱和してそう言い、直後、二人して大笑いするのを見て、シャルロットは最初呆然となり、次に怒った。


「もう! またそうやって男同士でつるんで! 女の私をのけ者にして!」

「すまんすまん。だが性別は関係ないぞ」

「そうですよ、少佐」

「もういいです! 補給の打ち合わせに行ってきます!」


 そう言ってシャルロットは席を立ち、指令室を出て行ってしまった。

 悪ふざけが過ぎたかな、とロンは少々反省しつつ、ソジュンに向き直って言う。


「休憩は終わりだ、ソジュン。当直士官として、入港作業を指揮したまえ」

「はっ!」


 ソジュンが通信機に向かって指示を出し始めたのを見届けつつ、ロンは思う。今日はいつもよりシャルロットの挑発が激しかったおかげか、普段は当たり障りのないことしか言わないソジュンが、一歩踏み込んだ発言をしてきた……面白いものが見られた、と得をした気分になる。


 もちろん、祖父の代から三代続けて筋金入りの軍人であるロンにとって、ソジュンの「戦争はビジネスだ」などという見解は、到底同意できるものではない。


 しかし、なぜだろう……シャルロットの方が、軍人としてよほどまともなことを言っているはずなのに、なぜかロンは、ソジュンに対してより大きな将器を感じていた。実際、ソジュンの視点は、軍事的観点だけでなく政治経済の考察も交えた高度なもので、あながち間違っているとも言い切れない。


(まあ、どちらの方が将才があるか否かに関わらず、あまり依怙贔屓をするのは良くないな……)


 そう自戒しつつ、ロン自身も、艦に異常がないかどうか、一通りセンサをチェックする作業に入ろうとした。


 と、その時だった。


「艦長」と、女性の通信兵が告げる。「軍港から、ビデオ通話の要求が入っています」

「入港関係のことなら、当直のソジュンにつなげ」

「それが、艦長宛で……広域世界警察の、機動保安隊だと言っています」

「何? 白衛軍か?」

「はい、旧白衛軍です」


 ロンは、わざわざ「旧」という部分を強調して発音した若い通信兵のことを苦々しく思った。

 まったく、一五年前の組織改編で、本当に色々なことが変わってしまった。


 世界連邦軍は「時代にそぐわない」などというよくわからない理由で解体されてしまい、六つあった方面軍は全て民営化。精鋭部隊として名を知られていた中央軍集団、通称「白衛軍」も「広域世界警察機動保安隊」などという穏便な名称に変えられてしまった。


 ……まあ、中身は大して変わっていないので、別にいいのだが。


「つないでくれ」


 ロンがそう言うと、彼のモニターには、相手の上半身の映像が映し出された。

 その立ち姿を見た瞬間、ロンは、気づかれないようにほんの少しだけ眉をひそめた。


 何よりもまず目を引いたのは、その男性の頭だった……完全に剃り上がったスキンヘッドで、不健康そうな青白い肌が、剥き出しのまま曲面を描いている。別にスキンヘッドは軍規違反ではないはずだが、どこか不気味な頭だった。


 眉も薄く、成人男性だというのにあごひげも見当たらない。顔つきだって、肉よりも、ゴツゴツとした骨が目立ち、常に見開かれた目からは、どうも生気の光が感じられない……異様な風体だった。首から下の体つきがそれなりのものでなかったら、本当に軍人なのかと疑っていたことだろう。まあ、情報部員だというなら、何となくわからなくもないが……。


 ロンの予想は、当たらずとも遠からずと言ったところだった。


「初めまして」その男は敬礼をしつつ、抑揚のない平坦な声で自己紹介をした。「私、広域世界警察機動保安隊・第六特殊作戦軍所属、ローム・イトバ少佐と申します」


 第六特殊作戦軍……暗殺や破壊工作が専門の部隊のはずだ。

 そんな連中が自分に何の用だろうと思っていると、ローム少佐は続けてきた。


「巡洋母艦インディペンデント艦長、ロン・ウィリアムズ大佐でお間違えありませんか?」

「私がロンだ」敬礼を返しつつ、ロンは言う。「用件は何だろうか、ローム少佐」


 その時、画面の中のロームの唇が、かすかに歪んだような気がした。


「広域世界警察上層部の意向により、貴艦の次の任務について、私からご説明させていただくことになりました」

「なんだと?」


 フェアリィ社の上層部からではなく、世界連邦政府直属の白衛軍から直接命令を伝えてくるなど、通常の指揮命令系統を逸脱するにもほどがある。

 だが、そうしたロンの反応は想定内だったと見え、ロームは淡々と先を続けてきた。


「もちろん、これは異例のことですが……詳しい話を聞けば、ご理解いただけることと思います」


 敬礼した手を下ろしながら、ロームはこう付け加える。


「通信では何ですので……直接お会いして、ね」


 こうして、イコライ・ブラドたちに向けられた次なる矢が、弓の弦につがえられようとしていた。

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