7 私を壊して
イコライは一度も口を開かずに、ソラを連れて、軍が手配したホテルの部屋に戻った。
小さなビジネスホテルの一室で、ベッドはシングルだった。軍の担当者が「ロボットのために余分な支出をして、ツインやダブルの部屋を取ることはできません」と言ったからだ。
それで仕方なく、この二日間、イコライはソラを床で寝かせた。最初はもちろん、部屋をもう一つ取るか、さもなければ自分が床で寝るとイコライは言ったのだが、ソラが、
「だからそういう面での気遣いは要らないって言ったじゃないですか。私は疲れないんです! でもイコライさんはパイロットなんだから、ちゃんと身体を休めないとダメでしょう。それに、部屋をもう一つ取るなんて、お金がもったいないです」
と、いつになく強い調子で言ったのだ。
正論だったし、その時のイコライには、反論する気力もなかった。
そして現在。狭い部屋に入るなり、一つしかないベッドの上にちょこんと座ったソラに、イコライは言う。
「ごめんな……俺のために、怒ってくれたんだよな」
だが、ソラの反応は鈍かった。ソラはイコライの言葉に答えずに、こう言ってきた。
「イコライさん。二度も私を守ってくれましたね。一度目は、空の上で。二度目は、ミキさんから……でも、私を守ってくれたのは、どうしてですか? ……そうするのが、正しいことだと思ったからですか? 『生きる目的』を失うのが、嫌だったからですか?」
イコライはその問いに答えたくなくて……答えられなくて、話を逸らした。
「気が滅入っちゃうよな……街に出て気晴らしでもしてこいよ。俺もそうするから」
「……そういうの、私、要らないんで」
「……じゃあ、何なら要るんだよ」
すると、ソラは、すっくと立ち上がって、
「……私が望んでいるのは、」
真っ直ぐな目をして、こう言った。
「イコライさんが、自分の人生を見つけてくれることです」
それを聞いた時、イコライは、心臓が引き絞られたみたいに苦しくなるのを感じた。
ミサイルを撃たれた時なんかより、よほどきつかった。
「人生って……お前、何を」
「イコライさん……本当はあなた、人が死ぬのを見るのが辛いんでしょう? 人を殺すのが嫌なんでしょう? いつも心にフタをして耐えているけれど、本当は、苦しくて仕方ないんでしょう?」
「……違うよ」イコライは、とっさに否定しようとする。「お前も見ただろ、戦ってる時の俺を。ソラの前では色々言ってるかもしれないけど、本当の俺は、いざ戦闘が始まると、そんなことは全部忘れて、ただ戦うことだけを考えるようになるんだ……俺は、人を殺すことに対して、痛みを感じるような人間じゃない」
「それは嘘です! そりゃ、戦ってる時はそうかもしれないけれど、でも戦いが終わると、いつもいつも後悔に襲われてるんでしょう? 本当は、戦いたくないんでしょう?」
「……」
ソラが言ったことは、たぶん真実だった。
イコライは、動揺して、顔を小刻みに振って、何度も口を開こうとしたが、できなかった。
これまで何人も殺してきた戦闘機パイロットが、たった一体のセクサロイドを相手に、まるで子供だった。
ソラは続けて言った。
「……どういう理由であれ、イコライさんが、それでも戦うって決めたなら、私は止めません。でも……戦う言い訳に、私を使うのはやめて!」
「お前……」
「確かに、私はあなたに拾われたロボットです。壊れそうになっていたところを、あなたに助けられたこともありました。だから、私もあなたを助けたい……けれど私は、あなたの重荷にはなりたくない。あなたの人生から、選択肢を奪うようなことはしたくない!」
イコライは懸命に反論しようとする。
「ソラ……俺はお前を助けたいんだよ。お前が俺に、生きる意味をくれるから。戦う理由をくれるから。俺はこれからも、そんな風にして生きていきたいんだ。だって、それが正しいことだろ?」
「ハッ!」
ソラは、イコライをバカにするような笑い声を出した。
「そうですよね、都合がいいですよねえ! いくら私が人間とそっくりに作られていても、ロボットである以上、ご主人さまがいなければ生きていけませんから! そんなか弱い私と出会えてラッキーでしたね! 自分の気持ちを押し殺すための、ちょうどいい言い訳ができましたもんね!」
これまで、ソラがイコライに対してそんな態度を取ったことはなかった。ソラはいつだって、主人に忠実なロボットのはずだった。
それが、どうしてこんな……。
「ソラ……どうしてだよ、どうしてわかってくれないんだ!」
ソラにつられるように、イコライの声も大きくなる。
「俺だって、お前と大して変わらないんだよ。俺には戦闘機しかない。いまさら他の生き方なんかできない……そんな俺が、戦う理由を探して何が悪い! お前にそんなこと言われたら、俺は明日からどうやって生きていけばいい! 何のために戦って、誰のために殺せばいいんだ!」
「理由を探すななんて、私は言ってない! 私はただ、私のことを理由にしないでって言ってるの。私みたいなロボットを、生きる理由や、殺す理由にするなんて……ううん、ロボットじゃなくても同じ。人間の女でも同じです。あなたは一人の人間。自立した大人。だから、自分以外の誰かに、全てを捧げたりしないで!」
「じゃあ……じゃあ、どうすればいいんだよ……」
「イコライさん……」
ソラは、イコライの手を握って言った。ソラの手は、温かかった。
「嫌いな仕事なら、無理して続けないで。辞めていいんです。あなたはまだ二三歳でしょう。いくらでも他の道に進めます……もし、私がいるせいで、それができないのなら」
ソラは言った。
「お願いです。私を壊して」
息を呑むイコライに対して、ソラは続ける。
「あなたの重荷になるくらいなら……死んだ方がまし」
「……ソラ……なんで……どうしてそんなこと言うんだよ!」
イコライは、もうソラと一緒の部屋にいられなくなって、ソラの手を振り払うと、逃げるように部屋を出て行った。
狭苦しいエレベーターに乗って階下に向かいながら、イコライはふと、ソラはずっと、ベッドに座ったままで過ごすのだろうなと思った。
自分には、この後いくらでもすることがある。街に出て、何をしようと自由だ。
でも、ソラにはそれがない。
……なんて可哀想な女の子だろう。
そんなソラを助けて生きていくことの、一体何がおかしいんだ……そう思う一方で、まさにそういう自分の考え方にソラは怒っているのだ、ということも、イコライにはわかっている。
だが、どうしたらいいのかは、わからなかった。
イコライは重く沈んだ気分のまま、エレベーターを降りてロビーを通り、ホテルを出ようとした。だがちょうどそこで、入ってきたカイトと出くわした。
「よおイコライ、ひどい顔だな」
「生まれつきだ」
「そういう意味じゃねえって。ソラちゃんと何かあったか?」
「……喧嘩した。前よりもひどくなった」
「そうか……じゃあ、これを渡すのは後の方がいいか」
カイトは、小脇に抱えていた封筒を、手に取って持ち上げて見せた。
「例の報告書か」
「俺たちが殺した相手について書かれているペーパーさ。まったく、こんな胸くそ悪いもん渡すために、三日も足止めしやがって」
「読むよ。一部渡してくれ」
「本気か」
「ああ……明日出発するんだ。悪いことは早めに済ませたい」
「明日出発? おいおい、お前なあ」
「え、なんだよ?」
「あのな。飛べるような顔じゃないぜ、お前。飛ぶ時は体調を万全にしろ。ソラちゃんと仲直りまでは無理でも、せめてもう少し立ち直れ」
「……礼は言わない。ただひたすらにムカつくだけだ。早く書類を渡せ」
「ほら」
カイトは封筒から書類の一部を取り出して、そちらを渡すのかと思ったら、封筒の方を差し出してきた。イコライはそれを受け取ってホテルを出た。
出た直後に、自分が怒りに任せてひどいことを言ったような気がして、振り返ったが、カイトの姿はもう見えなかった。
空を飛びたい……漠然とそう思ったイコライは、空港に足を向けた。携帯で経路を検索して、電車に乗って目的地を目指す。
カイトの言ったとおり、自分が万全の状態じゃないことはわかっていた。だが一方で、もしこれが戦争中だったら、状態もくそもなく、必要に応じて飛ぶだけじゃないかとも思った。
だが、空港に着いたイコライは、飛ぶ必要はなかった。いや正確には、自分で飛ぶ必要はなかった。
『ロボットの操縦で楽しむ、優雅な空中散歩!』
そんな看板を掲げたブースを、空港の隅で見かけたからだ。
呼び込みをしていたコンパニオンに聞いてみると、自動操縦の無人ヘリコプターに乗り込んで、遊覧飛行を楽しめるサービスなのだという。
「お一人で乗られる方も、多くいらっしゃいますよ」
と、その女は一人で来たイコライのことを察したつもりなのか、そう言った。
「大空で一人きりになると、すごくリフレッシュになるんです!」
料金はまあまあというところだったが、有人ヘリよりは、確かに安そうだった。
受付を済ませると、すぐ滑走路に案内された。制服を着た三十歳ぐらいの男に案内されて、イコライは駐機されているヘリに向かった。
「ボイスコマンドになってます!」
男は、航空機のエンジン音が飛び交う滑走路の喧噪に負けないよう大声で言った。
「何かあったら、機内で話しかけてください! AIが応答しますから!」
おいおい、それのどこが一人きりなんだよ、とイコライは思ったが、すぐにそれは、自分がロボットの恋人と一緒に暮らしているからそう感じるのであって、一般的な感覚とは違うのだろうと気づいた。
イコライはヘリに……会社のロゴとカラーリング以外は、見たところ普通のヘリに……乗り込んだ。「ドアを閉めます」という機械音声の後に、自動でドアが閉まった。騒音が遠のく。
機械音声がフライトプランについて説明した。要するに、市の中心部を巡る遊覧飛行だ。
その説明の間にヘリは動き出し、やがて「離陸します」という音声の後に離陸した。ふわりと、機体が地面から離れる感覚がする。戦闘機が離陸する瞬間と同じだった。
普通のヘリのように、客席の前に操縦席があった。身を乗り出して覗き込んでみると、操縦桿やスティック、そしてペダルが勝手に動いている。
それらの操縦装置を最初から設けないことも出来たはずだが、乗客向けのパフォーマンスだろう、とイコライは思う。おそらく、操縦装置に触れたとしても、機体にはなんら影響がないはずだ。
ヘリは高度を上げ、市街地へと向かう。
一般的に空中都市は、いくつもの巨大な円盤が階層状に重なる構造をしている。階層の真ん中あたりにある一際面積の大きい円盤が「グラウンド・フロア」と呼ばれ、ここに空港や高層建築が配置される。
イコライを乗せたヘリは、都市のグラウンド・フロア上空、高層ビルが密集した区画へ向かって飛んだ。
「立派なビルだな」
イコライは窓から見下ろす景色を見て、そう言った。
「この街は景気が悪いって聞いたような気がしたけど、最近はそうでもないのか?」
「いえ、お客様」機械音声が応答する。「あのビルのほとんどは、テナント募集中です」
「え……空きビルってことか?」
「左様です」
馬鹿に丁寧な言葉遣いでAIは言った。
言われてよく見てみると、確かにガラス張りのビルはすすけたような汚れが目立ていった。もう何年も使われてないみたいだ。
「まるで廃墟じゃないか」
「廃墟はお好きですか、お客様」とAI。「市政府は廃墟を活用した観光キャンペーンを展開中です。よろしければご案内を――」
「結構だ」
「承知いたしました」
「……そうか、だから軍の基地を誘致したのか」
「おっしゃるとおりです。十年前に基地ができ、多くの軍関係者が移住してきたおかげで、連邦政府から助成金が入ったほか、税収は八パーセント、GDPは十二パーセント上昇しました。五年前にはカジノの誘致にも成功しまして、同じく税収と経済成長に貢献しています」
イコライは深いため息をついたが、AIは反応しなかった。お喋りなAIだ、と閉口したのが伝わったのだろうか。気が利くんだか、利かないんだか。
気を取り直して、イコライは窓の外の景色を何も考えずに眺めることにした。しばらくして、無心になっている自分に気づき、他人が操縦する航空機に乗るのは何年ぶりだろう、と思う。二、三年ぶりというところか。なんだか落ち着かない気分になり、何かやることはないか、と考え始めた。
ようやく、手に持った封筒を思い出した。そうだ。これを片付けるには良いタイミングだった。周りに人間はいない。落ち着いて読めるだろう。
イコライは封筒から報告書を取り出し、表紙をめくって読み始めた。
もっと短くて簡潔な言葉を使えと教わったのは、十五歳の時だった。
微妙なニュアンスを正しく伝えるために、修飾語を使って文を長くする必要などない。戦争では、必要な情報を素早く伝えることが重要だ。
だからもっと短く、短く、短く……イコライは、自分が強くなれたのは学校教育の成果だと思う一方で、しばしばその教育内容に背くことがあった。「もっと短い言葉を使え」という教えなどが、まさにそうだった。
いまでもよくカイトに「お前は一言が長い」とからかわれるし、会ったばかりの頃のソラにも「イコライさんは、喋り方が少し変わっていますよね」と目を丸くされたことがあった。
……だが、ミキはどんな時も常に学校の教えに忠実だった。報告書の冒頭に結論を載せるスタイルを見て、いかにもミキらしいやり方だなと、イコライは思う。
本案件の結論 : 恐慌を来した脱走兵による殺人未遂