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墜ちないイカロス  作者: 関宮亜門
第2章 トライアル
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63 天使

「は……あはは……はは……ハア……」


 機体を水平に戻すと、サヤカは全身の力が抜けるのを感じた。

 激しい機動を繰り返したせいで、全身は汗まみれ。息も絶え絶え。


 それでも、勝てたのなら、全てが報われた。

 だが、現実に目の前に突きつけられたのは、敗北という結果。

 屈辱以外の、何物でもなかった。


 ……だが、まだ手はあると、サヤカは「RDY GUN」の画面表示を見ながら思った。


 離陸する時は、空港の混雑の関係で、別々に離陸させられた。

 しかし、帰り道はイコライたちと一緒だろう。

 その時に、背中から撃てばいいのだ。


 もちろん、わかっている。

 そんなことをしたって、最後の最後で負けたという事実は、絶対に覆らないということは。

 ……けど。それでも。


 ここまで来てしまったからには……最後まで、やり抜くしかない。


「殺す……コロス……絶対に……殺す」


 サヤカが、虚ろな目をしながら、レーダー上に映ったイコライ機を見つめた、その時だった。


「全機に警告!」

 カイトの声。

「無線に応答しない戦闘機が一機、急速接近中。危険の有無は不明だが、念のため回避しろ!」


 その警告を聞いて、イコライとケンが分かれて逃げてしまったので、サヤカは苛立った。仕方なく攻撃を見送って、自分も逃げる振りをすることに決める。


 だが、その不明な戦闘機は、サヤカに向かって真っ直ぐに向かってきた。


 カイトが最初に警告した時点で、その戦闘機との距離は三〇マイルあった。だが、わずか二分でその距離は三マイルまで縮まる。相手の速度は千二百ノット、ほぼマッハ二だ。


 なんだ。

 なんなんだ、こいつは。


 緊急周波数では、緊迫し、混乱した様子の男たちの声が飛び交っている。

 だがサヤカは一切それには加わらず、代わりに、その不明機がやってくる方角に目をこらした。


 見えた。


 そう思った瞬間、相手は一気に近づいてきた。接近速度八〇〇ノットなのだから、本当に一瞬だ。

 不明機はいったん大きく高度を下げた後、サヤカの間近まで来て、急上昇に移った。一気に減速する不明機。


 自分のすぐ近くを、下から上へと通り抜けて、大空に向かって駆け上がっていく白い戦闘機を、サヤカは柄にもなく、ポカンと口を開けて見上げていた。


 大柄な機体に、パワフルな二発のエンジン、双垂直尾翼などといった特徴は、Type-55と似通っている。


 だがその真っ白い戦闘機は、他のどの戦闘機も持たない、特別な翼を持っていた。


 動く翼。

 可変後退翼だ。


 本来、航空力学的に最適な主翼の後退角は、航空機の速度によって異なる。

 普通の戦闘機は、おおむねこれぐらいの速度で戦闘を行うだろうという想定の下で、設計者が後退角を決定する。当然、その後退角を動かすことなどできない。


 だが、その戦闘機……キメラは違った。


 キメラの翼は、戦闘中の速度変化に合わせて常に動き、最適な後退角を維持し続ける。

 その結果キメラは、全ての速度域において最高の性能を発揮できる、万能の翼を持つに至った。


 現用戦闘機中、最強の格闘戦性能を持つとされ、Type-55を押しのけて世界連邦軍の制空戦闘機として制式採用されたのみならず、高額なライセンス料と引き換えに、世界連邦軍以外への供給を禁じられた、名実ともに、世界連邦を代表する戦闘機。


 それが、キメラだった。


 そのキメラが、サヤカの目の前で、急上昇しながら、たたんでいた白い翼を、横に大きく広げていく……超高速から急減速する時に見られる動きだ……それを見て、サヤカは


(天使が翼を広げているみたい……)


 と思った。


 男たちが無線で「試験官A、状況を報告しろ!」「なぜさっきから無線に応答しないんだ!」とがなり立てているが、そんなもの、耳に入らなかった。


「まさか……まさかまさか」サヤカは言った。「来てくれた……の……?」


 天使は……キメラは減速を終えると、エアブレーキを広げながらゆっくりと降下してきて、サヤカのすぐ近く、横に並ぶ位置についた。


 翼が触れそうになるほど近かったので、パイロットの姿がよく見えた。ヘルメットと酸素マスクで顔は隠れていて、だぶついたフライトスーツで体格すらもハッキリしなかったが、それでも、そのほっそりしたシルエットは、一目で女性とわかった。


 サヤカの胸が高鳴る。


 突然、キメラのパイロットが少しだけ上昇して、機体を横転させ、背面飛行に移る。キメラはそのまま、サヤカよりほんの少しだけ高い位置を背面のまま横滑りして、サヤカ機の真上まで来た。戦闘機同士が、背中合わせにくっついて飛んでいるような状態だ。


 すごい操縦技術……と感心する暇もなく、透明なキャノピー越しに、互いに逆さまになって、手を伸ばせば届きそうなほどにまで近づいたキメラのパイロットに、サヤカは視線を釘付けにされる。見ると、キメラのパイロットもまた、首を上げて、じっとこちらを見ていた。目が合った、と思った。


 と、キメラのパイロットが手を上に……つまり下にいるサヤカの方に……伸ばして、キャノピーに手のひらを押しつけた。その手のひらには紙切れが握られていて、サヤカに向けられた面には、細く綺麗なペン字で、小数点付きの数字の羅列が書かれていた。


(無線の周波数……!)


 息を呑みながら、サヤカは数字を記憶した後、首を激しく縦に振って合図した。それを見届けたキメラのパイロットは、背面飛行をやめ、ゆっくりとまた、並行飛行の位置に戻る。


 指示された周波数に無線を合わせると、すぐに声が聞こえてきた。


「サヤカ、聞こえる?」


「ミキ……お姉さま」サヤカは声を詰まらせた。「来てくれた……んですね……」


 いつの間にかサヤカの目に一杯たまっていた涙が、その瞬間、一気にあふれ出す。サヤカはヘルメットのバイザを跳ね上げ、フライトグローブに包まれた手で、涙を拭った。

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