62 イコライ & ケン VS サヤカ -Ⅳ-
結論から言えば、サヤカはJan-12以外の戦闘機に乗ったことがある。サヤカが普段乗っているのは、連邦軍制式採用の主力制空戦闘機「キメラ」だ。
だからむしろ、サヤカはJan-12に乗るのが初めてだった。コクピットは共通規格で作られているので操縦そのものに問題はなかったが、それでも飛行特性は大きく異なる。にも関わらずイコライたちと互角以上に戦えているのは、短い期間でJan-12の飛行特性を掴みつつあるサヤカの常識外れな順応力のおかげだったが、無論それも完璧ではなかった。つまり、サヤカは慣れない機体というハンデを背負ってなお、イコライたちを圧倒していたのだった。
とはいえ、サヤカもここに来て焦り始めていた。このまま決着がつかず持久戦に持ち込まれたら、女の自分は体力面で不利だ。毎日のトレーニングで相当に鍛えているという自信はあったが、相手も鍛えていないという保証はない。相手の怠慢に期待するのが間違った考えであるということぐらい、サヤカだってわきまえている。
だから、なるべく早く決着をつけたいのだが……。
そう思いつつ、サヤカは機首をイコライたちに向け、改めて状況を確認した。ケンはサヤカとほぼ同高度を、イコライはケンと同じ位置の低高度 (つまりケンの真下)を、サヤカに向かって突っ込んできていた。
その隊形を一目見て、サヤカはおかしいと気がつく。真上と真下の位置関係で、どうやって相互支援する? どちらかが襲われた時、もう一方が助けに入れる隊形なのか、それは?
(もしかして……罠? 誘ってる?)
そう疑いつつも、サヤカは真正面から突っ込んできたケンの射撃を、タイミングよく急上昇することで簡単に回避する。ケンとすれ違う。
「候補者、射撃失中」カイトの声。「試験続行」
それを聞くなり、サヤカは半横転して機体を背面に入れる。頭上の青い空が、ぐるっと回るようにして、白い雲と入れ替わる。頭を上げて下を見ると、白い雲の上に浮かぶ、一粒の点が見えた。イコライ・ブラド……。
「小賢しい」サヤカは吐き捨てた。「このあたしに策を巡らそうなんて良い度胸だ……いいぜ、乗ってやる!」
サヤカは操縦桿を引いて急降下に移った。イコライ機を正面に捉える。ダイブアタック。
「乗ってきた」
降ってくるサヤカ機を見上げながら、イコライは言った。
「射撃は任せたぞ、ケン」
「ああ、お前も死ぬなよ、イコライ」
冗談のつもりが冗談ではないケンの台詞に見送られつつ、イコライは加速して少しでも時間を稼ぐ。サヤカとすれ違ったばかりのケンが、戻ってきて攻撃位置につくまでには時間がかかる。それまでは何とか逃げ切らないといけない。
イコライは、サヤカがしっかりと食らいついたのを見て取ると、素早くスパイラルダイブに移った。
サヤカもまた、イコライを追いかけるようにスパイラルダイブに入る。
螺旋を描きながら急降下。追い詰められたパイロットの最後の悪あがき。大空に打ち立てられた、戦闘機パイロットたちの墓標……。
両者はしばらくの間、激しい機動で螺旋を描きながら追いかけあう。重いGが身体にのしかかるが、二人とも気にも止めない。肉体的な苦痛など知ったことか。そんなことよりも絶対に勝つのだという信念だけが、二人の胸を満たしていた。
試験の制限高度は千フィート。安全のため、それを下回ると失格となる。
イコライは、千フィートすれすれで機体を引き起こす。
続いて、サヤカも引き起こし。
水平飛行になったイコライは、さっきから目をつけていた雲山の影に飛び込んで、その表面をなぞるように旋回する。
「本当に小賢しいマネをしやがって……」
サヤカはイコライを追撃しながら罵っていた。雲山の曲面に沿って飛ぶ相手は撃てない。飛んでいる相手に機銃を当てるには、相手よりも少し前を狙う必要があるが、いまそんなことをすれば雲山に突っ込んでしまうからだ。
時間を稼がれてしまった。もう一機からの攻撃が来る。
そう思ったサヤカは、追撃をいったんやめ、周囲を見渡す。
だがそこで、サヤカは思わぬ光景を目にした。
ケンの機体は、かなり遠くを、あらぬ方向に向かって飛んでいた。彼はたったいま、ようやくこちらに向かって旋回を始めたばかりの様子だった。あれでは、攻撃位置につくまでまだだいぶ時間がかかる。
(こちらを見失った……?)
実際の空戦では、よくあることだった。戦闘の最中に、不意に相手がこちらを見失い、思わぬチャンスが転がり込んでくる。
「バカめ!」
これを僥倖と思ったサヤカは、イコライへの追撃を再開する。この先で山が途切れるのは、さっき上空から確認済みだ。
だが、イコライは既に、十分な速度にまで加速する時間を得ていた。
(今だッ!)
雲山が途切れた瞬間、イコライは右急旋回、と見せかけてそれはフェイント、すぐさま急速上昇を開始する。
(もらったッ!)
サヤカは心の中で快哉を叫んだ。この軌道、速度、位置関係……どう考えても、上昇の途中でイコライ機を捉えられる計算だった。
ケンはまだ遠い。邪魔は入らない。行ける!
(これで終わりだ……!)
サヤカは勝利を確信しつつ、操縦桿を引き、イコライを追って上昇を開始した。
イコライは、垂直上昇を通り越し上方宙返りに移る。
(……ここだ!)
エンジン推力を一気に緩める。さっきサヤカが使ったのと同じ戦法だ。これで推力が弱まり、より小さく回れる。
(あはは、見え見えなんだよ!)
だが全く同じタイミングで、サヤカもまた推力を緩めていた。イコライ機のエンジンノズルのわずかな変化を、サヤカは見逃さなかった。
(行ける……行ける……!)
上昇と共に距離がみるみるうちに縮まり、照準が、イコライ機の尾部に近づいていく。
(そのまま……そのまま……)
ついに、照準がイコライ機の尾部を捉えた。だが、低速とはいえまだ相手も動いているから、いま撃っても当たらない。
(もう少し、もう少し……来い来い来い来い………)
操縦桿を目一杯に引きながら、サヤカはその時が来るのを待ち望んだ。
待ちきれなかった。引き金を引き、花火が打ち上がり、あの憎いイコライ・ブラドが、大空の中に灰となって散るのを、間近で見る瞬間が。
その時が、もうすぐそこまで迫ってきているとサヤカは信じて疑わなかった。自分の力によって、あの男を永久に屈服させる、待ち望んだその時が。
……だが。
(…………………あれ?)
その時、サヤカは異変に気づいた。
これから、イコライ機の真ん中めがけて駆け上がっていくはずだった照準点が、ピタリと止まってしまったのだ。
(なに……これ……?)
周りの景色は動いている。時間が止まってしまったわけではない。
考えられる理由は、一つ。
イコライ機の方が小さく回っているせいで、サヤカがリード軌道に入れていない。
(なんで……どうして……あ……)
その時、サヤカは気づいた。
「ああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアッ!」
同じ操縦をしているにも関わらず、イコライ機の方が小さく回れている理由……それは単純だった。
空気抵抗の差だ。
サヤカの目の前、大空に翼を広げているのは、Jan-12ではない。
Type-55。
大量の空気を掴む大型のクリップトデルタ翼。
双発、双垂直尾翼。
Jan-12より二回りほど大きいその戦闘機は、大きくて重い機体というハンデを、エンジンを二発積むことによるパワーの差でカバーする。
その結果、武装搭載量、冗長性、アビオニクスの拡張性などの面において、小柄なJan-12を凌駕する。
高価で整備費用も高くつくことから、生産機数の面ではJan-12に大きく溝を開けられてはいるが、その高い信頼性と力強い飛行特性から、多くのパイロットに愛され続ける名機だった。
当然、そんなType-55の飛行特性は、Jan-12とは大きく異なる。
Type-55の方が質量が重いが、推力も大きいので、その点はあまり飛行特性に影響しない(重力の大きさは質量に比例し、重力加速度は質量に関係なく一定だからだ)。
だが、機体サイズの違いからくる空気抵抗の差は、当然、飛行特性に影響を与えてくる。
同じように上昇し、同じように推力を緩めたなら……当然、小柄なJan-12よりも、空気抵抗の大きいType-55の方が早く減速する。
その結果、同じ条件の上方宙返りにおいては、Type-55の方が小さく回れる。
機体の飛行特性の差を使って、ミスを誘う。
それがイコライの作戦だった。
それを見抜けなかったサヤカの、完敗だった。
「ああ……」
サヤカの言葉は、もう罵倒にもならない。それは、ただの独り言だった。
「いつも乗ってるキメラだったら……絶対に勝てたのに!」
言い捨ててすぐ、サヤカは頭を切り替える。
本来ならとっくに撃墜して反転加速しているはずだったのに、イコライを追うのに夢中になって、時間をかけ過ぎてしまった。ケンの攻撃が来る。避けなければ!
「もらった!」
ケンは上空から急降下しつつ、速度を失って死に体となったサヤカ機めがけて突進する。間もなく射程内。照準を微調整。
その時、垂直に降下して少しずつ加速するサヤカ機が、ゆっくりとロールして、ケンの側に機体下面を向けるのが見えた。
どういうつもりだ、とケンは訝る。なぜこの状況で、わざわざ敵を自分の死角に入れる?
だが、ここまで来れば関係ない。このまま……
「ケン!」
その時、イコライの警告が聞こえて、ケンは集中した意識を引き戻された。
イコライには見えていた。サヤカ機の上面から、表面の一部がめくれるかのように、一枚のプレートが立ち上がりつつあるのを。
エアブレーキだ。展開することで大きな空気抵抗を生み出し、機体を急減速させる。
Jan-12のエアブレーキは機体上面についている。サヤカは、あえてケンに機体下面を向けることで、エアブレーキを展開しているところを見られないようにしたのだ。そうして気づかれないように急減速することで、ケンの射撃を避けようとしていた。
だが、イコライはそれをしっかりと見ていた。
「目標がエアブレーキを展開! 照準調整しろ!」
ケンは一言で全てを理解した。すぐさま軌道を微調整し、当初よりもやや上を狙う。
「これで……」ケンは引き金にかけた指に、意識を集中させた。「終わりだ!」
機関砲が吠える。空砲だが、発砲音や、立ち上ってすぐに後方に流れていく白煙は、実弾とさして変わりなかった。
すぐさま、射撃時の位置関係などのデータが、地上の訓練施設に送られ、コンピュータによる命中判定が行われる。
その結果……
「試験官Aの仮想撃墜を確認」
カイトが宣言する。
「試験官の両名が仮想撃墜された。以上をもって、状況を終了する。全機、所定のポイントで合流し、高度一万五千フィート、進路一八〇を取れ……おめでとう、ケン。合格だってよ」
その瞬間、イコライとケンは、コクピットの中で拳を突き上げ、思い切り歓喜の叫び声を上げた。




